ここに一枚の写真がある。
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「昇進おめでとう、チャールズ」

ケインの言葉をはにかみながら受け取るチャールズ。アルトが祝福のメロディーと称したいつものウクレレのメジャーコードで茶化す。通りがかったカメラ担当が呼びかけ、3人が振り向いたところをパシャリ。

チャールズを含めた何人かの職員の昇進祝いパーティーの最中。このパーティーに”生きて”参加することが叶わなかった同僚も何人か知っている。それでもまだ正常な人間として異常に立ち向かっていくのだと、未来に期待を膨らませていた頃だった。

数日経って現像された、写真の中の3人はいつまでも笑っていた。

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目を覚まして、たまたまその写真が目に入る。ケインがのっそりと起き上がった時、デジタル時計はAM 6:34を示していた。9時からの新人研修にはまだ早いが、のんびりしているわけにもいかない。

部屋の入り口脇にはゲームに出てくる様な、手足の付いたマシーン。それに器用に乗り込み、前足で器用にレバーを動かすと、マシーンの手は隣のラックから白衣をつまみ上げてケインのクリーム色の背中に引っかけた。これでよし。ケインはそのままマシーンを立ち上がらせ、まずは朝食を目指してサイトの廊下へ飛び出した。

彼の最も注目すべき功績は[データ削除済]、彼は犬になりました。

朝の食堂はごった返す。ケインの様な犬もいれば、ベーコンをつまむ人間大の蟹もいる。ケインとすれ違いに出てきた茶髪の研究員は鉄の延べ棒をかじっていた。ジャーキーとエッグサンドとサラダを受け取ったケインは隅のスペースに向かう。…と、オムレツに器用に、そしてつまらなそうにナイフを入れる見知った顔が目に入った。

「戻ってきてたのか。一言言ってくれればいいのに」
「またすぐに出なければならないので」

チャールズは傍から見ればまともな人間のままだ。しかしそのために、初期収容などの外勤の仕事を中心に回されるようになっていった。特に財団が”今の様に”なってからは、あちこちを飛び回っているはずだ。一方のケインはと言えば、逆にサイト内の仕事ばかりで、外に出るには様々な制約がつきまとう。

「特に用がないのであれば失礼します」

特に用を持ち合わせていなかったので当然だが、オムレツを食べ終えたチャールズはさっさと行ってしまう。ケインはその背中の前に壁があるように見えた。その壁は感情的な壁か、サイトの内と外を隔てる壁か……あるいは両方だろうか?

博士は外からの刺激に対し、ごくわずかな例外を除き、感情的な反応ができないようです。

講堂に向かう途中で、操作盤傍らの端末が震え、”Alto Clef”の文字が光る。ビデオ通話の要請に応じると、画面には頭の代わりに灰色の蜘蛛がうごめく男。

「これから新人研修だったか?」
「そう。だから手短に頼むよ」
「我らの悲願が遂に叶うぞ。アレが完成した」

この数年で財団の職員は、マトモな方が珍しいレベルで”変わり者”ばかりとなった。そして誰もがチャールズの様に街に繰り出せる訳ではない(主に外見の面で)。それでも業務の関係でサイト間を行き来する機会はどうしても出てくるものであり、結果として”どんな見た目でも人目に付かずに外に出られる”ための研究が大いに進んだ。アルトも”素顔を映さない”その特性のために研究員兼被検体として指揮を執ったり執られたりしていた。

蜘蛛はいつの間にか鶏のマスクへと変わり、アルトのテンションの方は変わらず話は続く。

「これで鬱屈たる引きこもりライフからもオサラバというわけだ」
「確か16回目のオサラバだね」
「18回目だ」

というように未だ試行錯誤の段階である訳なのだが。地下に設けられた研究棟を離れられるのは多分まだ先の話だろう。講堂の扉が見えてきたタイミングで、鶏がまだ息巻くのを尻目に通話を切り上げた。

そういえば最後に直接アルトに会って素顔を見たのはいつだったか。こちらは壁だけでなく床と天井にも隔てられていたのだった。…なぜ、あの写真を思い出してしまうのだろう?

A.クレフ博士の真の素顔は既知のどんな手段を使っても撮影することはできません。


講堂はほぼ満席の状態であった。ドアが開くとともに視線が一斉にケインに向けられる。…もっとも、明らかに目やカメラに相当するものが見当たらないのが5、6人いるが。一見普通の人間も、食堂に比べれば大勢いた。目に付かない異常性を持っているのかもしれないが、それでも彼らの大半は「これから」なのだろう。マシーンがマイクを手に取り、ケインは何年も前からこの講堂で言い続けた決まり文句でオリエンテーションを始める。

「えー、ホモサピエンスに見える方もそうでない方も…まずは財団へようこそ。我々はあなた方を”ヒトとして”歓迎します」

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