白乃瀬胡太郎の人間はんざい
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本を読んだ。純文学も読んだ。娯楽小説も読んだ。吾輩が猫であるを読んで、その後にまたもう一度読んだ。人間失格を読んで作者の人間性に思いを馳せた。グッドバイを読んでからロンググッドバイも読んだ。海外の小説も読んだ。ロリータを読んだ。白鯨を読んだ。白鯨を読んでから空の中も読んだ。カラマーゾフの兄弟も読んだ。実用書を読んだ。AIについての説明を読んだ。それを知った。ディストピアも読んだ。すばらしき新世界も読んだ。1984年も華氏451度も読んだ。ディストピアを読んだ後にユートピアも読んだ。たくさんのものを読んだ。文章も好きだったが、漫画も好きだった。ドラえもんを読んだ。火の鳥を読んだ。ジャンプを読んだ。ハルタも読んだ。新聞の4コマ漫画も読んだ。銀と金で競馬についての騙された講釈を聞いた後で、さらにゲス騎乗前を読んだ。物語でいくつかの人間の人生を行き来した…。

気がつけば「私」はそこに立っていた。


この世のどこかにはあらゆる本が置いてある放浪の図書館が存在するのだという。これは鯨ちゃんが昔話していたことだ。これだけではない。僕たちの裏の世界にはたくさんの奇妙なものが存在するのだという。大きくて小さい虚無、3つの場所からつながる町、肉のカルト、機械の教団。それは僕にとって縁の遠いものだと思っていたけど、もう既にそのような世界に片足を突っ込んでいる気がする。そう、ついばみ兄が肉の「枝」にさらわれてから、後戻りはできないのだ。もちろん、それは単に偶然によって僕たちが奇妙な世界に迷いこんだということではなく、言うなれば僕らが僕らであったからこそ起きた事態とも言えるのかもしれない。だから、寿司の廻る奇妙な世界の話もその道程にしか過ぎない。

「くじらちゃん、今日は多分寒いはずだよ。もう少し服を着た方がいいんじゃないかな。」

僕は白色のワンピースを着た妹にそう言った。普段はこんな服は着ないはずなので、今日ここまでくるための一丁羅ということだろうか。実際、彼女が外出したのは6ヶ月ぶりではあるので、この外出がここ1番の己を飾るチャンスというのはよくわかるのだが。僕は、今日の気温とその格好が心配だった。

「知らない。くじらには寒いとか暑いとかよくわからない。」

くじらちゃんは体温の感覚も曖昧だ。これは麻痺しているというべきなのか、別途難解な命名がなされた病気なのかはよくわからない。多分、寒いも暑いも同じなんだろう。だからこそ僕がそれをサポートしてやる必要があった。僕はリュックからパーカーを取り出す。

「これを着よう。さすがにその格好は寒そうだよ。」

数秒の間を置いて素直に着る。くじらちゃんに渡したのは、ポケットが2つついたパーカーだった。

「お前はほんとに過保護なんだな。確か白鯨はもう中学生じゃなかったか?」
「くじらちゃんは特別ですからね。色々と事情が違うんですよ。」

京子さんは僕とくじらちゃんを交互に見回したあと、単に「そうか」と言って窓の外を眺めた。

僕たちはスシブレード青少年大会の予選に向かうための車の中にいた。僕は1戦目を不戦勝で通過したので、次は2戦目の会場に向かっている。ちなみに、京子さんもぼくも、それに当然くじらちゃんも車を運転できないので、このミニバンを運転しているのは折長社長の秘書である払川さんだ。払川さんはこれまで沈黙を貫いてここまで運転していたが、道の半ばともいう頃にやっとのこと口を開いた。

「黙れ貴様。社長は貴様のことを認めても私は認めん。お嬢様のなんだかは知らないが、この戦いは我が社の命運もかかっているんだ。そんなお前のようなやつ、下民がくるのは恐れ多い。」

京子さんは言う。

「払川、そういうのはやめて。私が頼んだんだ。」
「しかしお嬢様。こいつはとんでもないやつですよ。社長は全部知った上でやってるんでしょうが、私はこんなやついなくていいと思います。」
「いいの、いいんだよ。私が決めたんだ。」

随分な表現だった。京子さんは僕を弁護してくれているが、このままでは慇懃無礼な秘書に押されてしまうだろう。

「やめてくださいよ、僕のために喧嘩するのは。協力することでお互いのためになるんですから。」

そうだ。このミッションは一言で言えるほど簡単なものではないのだ。僕は話の展開を変えようかと思った。

「それで、僕はこの後どんな敵と戦うのでしょうか?」

それは京子さんが答えた。払川さんはまた沈黙した。

「お前の相手は《椿姫》という2つ名を持っている。彼女の本名からついたあだ名だ。椿姫、本名は夏宮椿。神崎食品の所属スシブレーダーだ。まあまだ2戦目ということもあって、まだ有名どころの企業ではないな。」
「テレビ局で試合をするんですか。一体それは誰が決めてるというんです?」
「それは大会実行委員会の話し合いによって決められる。これは調整でもあるんだ。大会の出場者のいろいろなのっぴきならない事情、そして運営の立場から見ても複雑に絡み合った奸計が関わってくるんだ。これはもう政治の話だから、ややこしくて仕方がないけどな。」
「僕はてっきりあのオリンピックのために建てられたという巨大な競技場を使うのかと思っていましたよ。」
「ああ、《鳥の巣》だな。あれは決勝戦と準決勝に使われる。お前ももしかしたらそこに立てるかもしれないが、そこまで私たちは望んでない。第一目標は暗寿司の代表に打ち勝つことさ。」

するとまた払川さんが口を出した。

「お嬢様、開催形式についても説明を。」

「おう、そうだった。胡太郎、お前は初戦を不戦勝で通過した。その戦いは本来、うちの本拠地で戦えるはずだった。だからこそ…準備段階をはずしてお前は勝たなきゃいけない。」

少し間を置いて京子さんは言う。

「今回の戦いの舞台となる四本テレビは大会実行委員会を協賛している企業の1つだ。」
「テレビ局はどう考えても食品の業界とは思えないのですが。」
「まあ結論を急ぐな。テレビ局は食品業界にも影響力があるんだぜ。とりわけ、四本テレビのような視聴率が極めて高い番組を複数持ってるところは格が違う。テレビ番組にはCMがつくからな。」

なるほど。僕もそう言った広告は常に目にしている。

「CMってのは普通金を払うスポンサー側が有利なのは間違いない。テレビ局はその金で番組を作るんだから。だけど広告を出す側も、その番組の内容が広告の効果性に直接関係してくるんだから、できれば視聴率の高いテレビ局に放映してもらいたい。当たり前だろ?特に四本テレビのような場所では力の逆転が生じるんだ。つまり…」

「つまり今回の戦いの"賞品"はCMの優先放映権です。」

払川さんは話に割り込んでそう言った。

「へえ。責任重大ですね。」

後ろからなのでわかりづらいが、"わかったかクソガキ、我が社の命運が賭けられているんだぞ"などとも言いかねない顔をしているような気がしたような気もする。僕はこれをつとめて無視するようにした。

「わかったかクソガキ、我が社の命運が賭けられているんだぞ。」

そして同じことを言われた。


払川さん、京子さん、くじらちゃんの僕ら一行は目的地であるテレビ局に到着した。建物の裏手にある駐車場に車を止め、表の堂々としたトビラではなく、裏の職員用の玄関から入ることになった。そこからは、無精髭はなただしい身長の高い男、おそらくはADあたりの役職であろう──に案内されて控室に連れて行かれた。その男は僕とくじらちゃんのことをじろじろと気持ち悪く眺めながらそう言った。

「あんたらが《白鯨》ご一行?確かにまあ納得したし確信したな。曲がったスシを作るやつだとは聞いていたが、実際その顔を見て自分の推測が間違っていないものだとはっきり認識させられたよ。自分は局員としていろんなブレーダー見てきたけどさ、あんたみたいな腑抜けた目をしている奴は例外なくダメだ。末摘花、あんたの目もいよいよ腐ったか?」

京子さんが口を開いた。

「最初から敵意剥き出しとは偉いお出迎えだな。このテレビ局のディレクターは出演者に対する礼儀というのを知らないのか。この調子じゃあ公正な審査というのも嘘なんじゃないのか?」
「…おいおい、新人をからかっただけじゃねーか。末摘花。さすがにそこまでを疑うなんて酷いと思うぜ。どんな人間に対しても公正さ。そもそも本当に公正を期すために内部の人間は審査員をやらない決まりになっている。」

続けてそのディレクターが言う。

「審査員は合計5人にいて、それぞれが10点の評価を出し合う。一流グルメブロガーの赤花無二郎、傾国ホテルのシェフである口野真琴、回らない寿司協会の会長の日野崇葉、イェンロン料理組合の組合長の笠原勇儀、そしてスシブレード界の大御所、今は第一線から引退したと言われているが、なお強大なスシブレード界への影響力を持つあのお方もいらっしゃる。まあとにかくそこのところは安心してもらってもいい。」
「あのお方が…?まだ2戦目の戦いにあのお方が来ているのか?」
「ん?ああ、そうだよ。大御所が最後にしか出てこないってのはとんだ偏見だぜ。新しい力というのを探していたのは何せ彼自身なんだ。新人に期待して見にくるのもわかるだろう?」
「しかし、あのお方は…財団につかまっていたはずでは?」
「寿司は止まることを知らねえぜ。末摘花。」

ディレクターはそこまで説明すると「後はそこのパンフレットを見てくれ、今回の試合形式も諸々も書いてあるから」と言って控室から出て行った。香水の匂いが若干した。

「あのな、胡太郎。あいつらが公正とななんとか言っているうちは誰も信じちゃあいけないぜ。審査員はもちろん公正で、外部の人間なのかもしれないが、それ以外の点で虚をついてくるかもしれねえ。」

京子さんは京子さんでテレビ局の知り合いに挨拶をしてくると言って出て行った。京子さんもまた政治的なしがらみの中にいるのだろうか。

控室には払川さんと僕とくじらちゃんしかいない状況ができた。カウンターの机に突っ伏して寝ているくじらちゃんにブランケットをやさしくかけた。しばらくしくじらちゃんが寝付くのを見ていた。そこから10分程度立ったのだろうか、ドアがノックされる音が聞こえた。返事をする間もなくキラキラとした舞台衣装に身を包んだ女性が入ってきた。

「失礼します」

それはアイドルだった。しかし僕はアイドルのことなどあまり興味を持ったことがないので、彼女のことを知らなかった。よしんば、スシを回すという奇妙な特技を持ったアイドルのことならば、少しくらい耳に入ってもいいものだとは思うのだが。

「よろしくお願いします。折永乳業のスシブレーダー、白乃瀬胡太郎です。あなたが本日の対戦相手ですか?」
「ちょっと待ってくださいね。『自己紹介』しますから。」

と言って彼女はしゃがみ込んだ。なんだろう。これはスコットランド体操の動きと似ている。彼女はそうしてジャンプした。手と足を広げて、かなり大袈裟な動きで。

「こんにちは!あなたの心をひと握り♡スシブレーダー系アイドルユニット"Epoc"の夏宮椿です!」
「ええ…と、これは…?」
「ごめんごめん。知らない人にやっちゃって、そういう挨拶なんだ。Epocも有名になったとは思うんだけど、まだまだなあ〜。改めて名乗ろうか。あなたの次の対戦相手の夏宮椿!よろしくお願いします。」
「ええ、すいません。アイドルについてはまったく知りませんでした。今回の舞台はテレビ局ですが、アイドルといいますとやはりテレビには良く出るんでしょうか。」
「うん。と言ってもまだひな壇芸人だけど。ひな壇芸人。知ってます?バラエティとかのひな壇に並べられる十把一絡げの存在だよ。だからこそあなたに勝ってユニークにならなきゃいけないんだ。この業界は勝てなければ何も意味はないんだ。スシもテレビもね。」
「なるほど。しかし私も負けるわけにはいきません。」
「そりゃそうだ。別に同情的な話をして負けてもらいたいわけじゃないからね。」
「私もあなたと同じものを賭けていますから。」

と僕は大嘘をかましてみることにした。本当に何となく。

「何を賭けてるの?私は…つまりは自分の運命が望むと望まざると関係なく賭けられていると言いたかったんだけど」
「妹の名誉ですよ。」
「妹って…」

彼女はくじらちゃんの方を見た。すると体が突然凍りついたみたいに動きを止めた。

「あー、そういうことね。ふふ。まあいいよ。でもここでやるスシブレードが他のところでやるものと同じものであると思わないでね。じゃあそういうことで!」


クイズ☆二者択一
〜スシブレーダーたち〜

内容: 本試合は毎週土曜日に放送されるクイズバラエティ番組「二者択一」と同じ形式を取っています。クイズ☆二者択一は毎週さまざまな分野の人物を採用して各々の知識を専門のテーマで競ってもらうバラエティ企画となっています。今回はその番組の自社パロディという体で、スシブレード系アイドルグループとして巷で話題になってきたEpocの夏宮椿とスシブレーダーの大会で《白鯨》の名でよく知られた白乃瀬鯨の弟が戦います。

本試合は早押し制のクイズによって進行していきます。対戦者はクイズに回答し、その内容に即したアイテムを獲得していきます。アイテムは全てスシの材料となるものです。このアイテムは全て揃うとは限らないため、最悪の場合、シャリがない状態でスシブレードが開始される可能性もあります。

クイズは全てで5個あって、その内容はスシの制作に関したものです。そのため、スシの回す実力だけではなく、知識を持っている方が有利となります。

また、スシブレードには負けたものが自分のスシを食べねばならないというルールがありますが、本大会では回すスシと別に審査員に食してもらうための寿司を作ってもらいます。こちらはクイズの回答率に関係なく素材が提供されます。

最終的に、スシブレードの試合と審査員の点数によって総合的な勝者を決めることとなります。


くじらちゃんは僕の横でパーカーを羽織って寝ている。もたれかかる感触も非常にかわいい。

試合は撮影されていない間のスタジオを使って行われた。どうやら、スシブレードという競技自体、あまり大手を振って堂々とやれるようなものではないわけで、あたかも裏格闘技のように参加団体の敷地内でやられているものであった。とはいえ、日本の食品業界の企業のお偉いさんには、スシブレードを知っている人間が多い、と払川さん。だからスシブレードのフィールドとなる場所はあまりにも多いらしい。

僕はそろそろ京子さんの行方が気になっていた。一体どこへ行ったのだろうか?テレビ局の人に挨拶ということだが…。払川さんはあまり突っ込んだことを教えてくれない。彼女の秘書でもある払川さんが、なぜに彼女のそばではなく僕の見張りについているのか、そこらへんがずっと気になっていた。

「京子さんはどこへ行ったのですか?」
「……お嬢様は所用だ。お前は目の前のことに集中しろ。」
「なんで払川さんは僕のところにいてくれるんですかね?」
「それもお前の知っていいことではない。」

さっきからずっとこの調子である。僕は彼のいう通りに目の前のことから順番に片付けていくことにした。これから行われるスシブレード競技、僕は最初多良場可児のもとで「リミテッドフォーマット」なるものをやっていたが…今回の戦いも通常のものとはそれが異なる形式であるらしい。審査員がたくさんいるのもそういうことだった。

小気味な音楽が流れていく。観客たちが拍手を始め司会が口を開く。

「…それでは始めましょう!Let'sスシブレード」

「どうもこんにちはこの試合の司会進行を務めさせてもらっています‪上下天地かみしもあまち‬ です。よろしくお願いします。」
「四本テレビアナウンサー学修院早矢です。よろしくお願いします。」

そう言った司会は40歳ほどであろうか。かなり年季の入った有名な漫才師のツッコミとして知られている有名人だった。僕もテレビで見たことがある。学修院と名乗った女性の方は、僕の知らない人間だった。そういえば朝のニュースで見たことがあるような無いような。

「ご紹介します。今回寿司の審査をしていただく審査員の皆さんです。」

審査員はずらっと並んでいて、下には点数を表示するパネルが備え付けられたテーブルの前にある椅子に座っていた。伝統的食品の権威であると聞いていたので、てっきり彼らは全てお年を召した方なのかと思っていたが、全然そんなことはなかった。

傾国ホテルの口野真琴と名乗ったその女性は、ある意味この場にはそぐわないであろう赤のドレスを着ていた。それは本当に綺麗だった。一方で、その声は随分と男らしい声だった。

「どうもこんにちは。昨今では寿司の世界にも多様性が必要となってきています。そのため、方向転換を強いられた店も多く、最近ではロースト鴨の寿司や焼肉などの肉寿司やハンバーグを出す店なども増えてきました。かくいう私もロースト鴨とカマンベールというバイキングのメニューを考案した者の1つです。私はこれらの一般に邪道と呼ばれる寿司たちが悪いとは思っていません。傾国ホテルのシェフという立場は、あくまでも伝統的価値観を保持する保守の傾向がありますが、実のところそれは現実に即した物言いではないと私は明言しておきましょう。寿司は、心が理解できていればよいのだと。」

彼女がそれを話すと僕はとなりに60代くらいのお年を召したお方がいることに気がついた。さっきは若い人ばかりで驚いたというのに…。彼は中肉中背でなんの変哲もない、ただの近所にいるおじいさんのような見てくれをしていた。顔に刻まれたシワは笑顔でできたようなもので、彼のやさしい人格が窺えた。それでいて、ただのやさしいおじいちゃんとだけども思えない。僕がぱっと見で判断しても、彼は何かを極めた人間だ。そして寿司の祭典とも言えるここにいるということは、その「何か」というのは寿司のことであるはずなのだ。京子さんは「あのお方」ともすら言っていた。それだけに、素晴らしいお方なんだろうと思っていたのだ。司会は彼の説明を始める。

「スシブレードが超常社会に普及したのは彼の功績が9割と言ってもいいでしょう。回転寿司 勝の勝親方です。彼は江戸時代から続く寿司相撲という競技を、見事現代風のスシブレードに変えたと言われています。一時期、闇寿司の襲撃により活動を潜めていましたが、最近では活動を再開しています。」

「すう」と彼は空気を吸った。

「へっ。寿司、回しに来たんだろ?私が彼にそう言ったのはいつのことだったか。今思えばあれが闇寿司との戦いの始まりであったのかもしれません。闇寿司は凶悪でした。彼らはハンバーグを使い、カリフォルニアロールを使い、粗悪な寿司を使い、ラーメンを使います。しかしそれは紛れもなく寿司でした。」

なんだろうこの胸騒ぎは。彼は話したくないことを語るようだった。もう死んでしまった昔の悪友のことを話しているような。僕には彼が言っているほど闇寿司が凶悪な存在であると伝わってこなかった。

「しかし私はさっきも口野さんが言った通り、闇寿司の作っていたものが悪である、あるいは邪道であったとは思えなくなってしまったのです。ある日私は某大型食料品店の回転寿司に立ち寄りました。何の気無しにでした。私は回転寿司が嫌いというわけではなく、単にラーメンや焼肉といった邪道の寿司が受け付けなかったわけです。だから、回転寿司で多少は不味くてもカンパチやマグロを食べようと思ったのです。これ自体は何の変わりもない行動でした。しかし私はそこでハンバーグを食べる子供たちの姿を見てしまったのです。喜んで、ハンバーグを食べている子供たち。私は思わずその子たちに話しかけてしまいました。君らは、ハンバーグやラーメンばかりを食べていないかい?と。その子が返してきたのは私にとって意外なことでした。彼は──アレルギーで魚介類が受け付けないのだと。私は思いました。ではこれまで自分が信じてきた本物の寿司とは何だったのだろう?と。」

そう語る大御所の目は真剣だった。本当に新しい寿司を模索するためにここにやってきているようだった。僕もちょっと感動した。闇寿司とかスシブレードとかそういった事情の細かいところまではよくわからないけれど、根本の部分では新しい文化への拒絶と誘惑と融合が存在していたのだった。それならば、よくわかる。

「それでは観客席の皆様のためにルール説明を始めます。本試合は加点方式の総合寿司バトルです。これからの時代を意識した本大会らしく、食品としての寿司を多分に意識しました構成となっております。」

「加点は3つのフェーズがあります。第一にスシブレードによる採点の結果。これは単純に勝敗で点数を決めます。敗者は0点。勝者には50点。次にその寿司の美味しさによる加点です。こちらは審査員の皆様に付けてもらいます。彼らは5人でそれぞれ10点、合計50点形式で採点します。そして最後にスシブレードの戦いを見た観客の皆様に判断してもらいます!観客席には20人の食品関係者の方々がいらっしゃいます。皆様は5点満点でその戦いを判定してください。それは審査員の食べ方が美味しそうであったからでも構いませんし、スシブレードによる戦い、単に負けてしまってもナイスバトルであればたくさんの点数を振っても良いですし、そこで敵前逃亡などと情けない戦いをしていたならば、低い点を与えるのも良いでしょう。皆様は、いつでも点数を下げたりあげたりしても構いません。」

「そこがこのバトルのキモです!学修院さん?あれやって」

学修院と呼ばれたアナウンサーは「へい!点数パネルカモン!」と宙に叫けんだ。それはアナウンサーの領分なんだろうか?ともかく、彼女がそうやって叫ぶと上から黒いデジタル風の点数パネルが下がってきた。

「これが我々のスシ・点数パネルです。最終的に点数が多かった方が勝ちとなります。大きな点数差がついても諦めないでください。観客席の皆様がいますから、いつでも200点分の逆転の目はあると思ってください。」

バン!と払川さんは座っていた椅子を地面に転がしながら席を立つ。

「おい!白乃瀬。ルールが変わっている。」
「そのようですね…僕がさっきみた冊子にはクイズ番組であると書かれてましたよ。」
「そのパンフレットはどうした?」
「何って…今もバックに」
「さっさっと出せ」
「いや、ちょっと待ってください。ないです。パンフレット。」
「ああクソ。まんまと嵌められた。アイツが島氏永か。」
「白乃瀬。お前はあとは一人でいろ。ちょっとこのテレビ局の方へ文句言ってくる。これは規約違反じゃあないのか?」


その頃末摘花京子が一体何をしていたかを読者の皆様にはお語りしよう。

末摘花京子は四本テレビから徒歩で10分ほど喫茶店にいた。この喫茶店は一見して普通のいい雰囲気の店であるが、奥には酒場が隠れていて秘密の話をするのにもってこいだ。このような方式をスピークイージーというらしい。禁酒法時代のアルコールを嗜む紳士たちは、こうやって隠れて酒類を購入していたのだ。とはいえ、末摘花は未成年であるため、酒を飲むようなことはない。隠れているというスピークイージーの性質を利用して、秘密の会談を行なっているのだ。意外にも末摘花は雰囲気を重視する性分であった。もちろん自分は酒を飲める年齢ではないことを理解しているので、雰囲気として店主に注文したぶどうジュースをワイングラスに入れて小刻みに回していた。決してこれは意味のあることではない。単に雰囲気の問題だった。

末摘花の座る席の向かいには、末摘花の大きさの2倍3倍はあるだろうという巨躯を持つ男が座っていた。男はのんびりとした印象があり、なにかと目を細めて話したがるというのもそのひとつだった。その男はボロボロの作業服を着ていて、どちらかと言えば居酒屋にいる方が自然な見てくれであった。彼からまるで粗悪なアルコールのようなあまりにも不快な臭いがするので、末摘花は一度顔をしかめた。それ以上近くにいると鼻が曲がりそうだったので、椅子は後ろに引いて、なるべく後ろに体重を置いていた。巨大な男はのんびりとした声で話し始める。

「四本テレビは…そこまで悪くなかったと思うんだがな。ウン。業界でもまあ割と丁寧なプレーをするってことは知られていたし、その辺を調べていて全然悪い印象はなかったな」

巨大な男は丸い氷の入ったウィスキーを床に置く。末摘花は、この男からアルコールの臭いがするのは昼間から酒を飲んでいるからではないかと思った。

「ではなぜあの男がいる?四本テレビで私らを案内した無精髭の男だよ。」

男は目を見開いた、と思いきやすぐに目を細めた。

「鷹丸不信用金庫だね。ウン。僕も知っている。それは知っているよ。さすがに四本テレビに入ってるとは知らなかったけどねえ。最近はスシの界隈に入ってきてて、一儲けしようとは思っていたみたいだけれども」

末摘花はどうしてもさっきから苛立ちを隠せなかった。家を出たとはいえ、政治面での教育はそれなりに受けてきたつもりであったのだ。末摘花は胡太郎を直接的な戦闘員として立て、裏の立ち回りは自分でやり切れるという自信があったのだ。だからあそこでしくじるとは思わなかった。

「なぜそれを言わなかった?」
「ウン。それは契約外だからねえ。島氏永の動向なんて誰も聞いていないでしょ」
「四本テレビに動きがあれば教えてくれと言ったはずだ。島氏永を雇う動きはなかったのか?」
「雇う?なんで鷹丸不信用金庫が四本テレビに雇われないといけないの?」
「アイツらはそういう奴だろうが」
「いいや。鷹丸不信用金庫は雇われてないね。それは賭けてもいいよ。」

スピークイージーは当然隠れ酒場であるから、そして末摘花が御用達にするくらいなのであるから、防犯設備は万全であるはずだった。末摘花はバー全体をこの話のために貸し切っていて、少なくともあと1時間は誰も他に客は入ってこないはずだった。そう、誰も入ってこないはずだったのだ。末摘花はふとした気配を感じてバーの奥の方に引いた。何か巨大なものが迫ってきたように思えたからだ。巨大な男もそれを見て反応した。バーの入り口の壁を必死に観察する。「ビキビキ」という音とともにバーの壁が崩壊する。そこから飛び出してきたのは漆黒の手裏剣だった。

「どーもー闇寿司所属の百地忍者です。」

そう言って小柄な女の子と軽薄そうな男が入ってきた。2人とも忍びの装束によって顔を隠しているためよくわからないが、小柄な女の子の方は目だけでもわかるくらい笑っていた。ニヤニヤしていた。軽薄そうな男は次の言葉を継いだ。

「えーこの辺に《白鯨》がいるって聞いたんですけどー」
「わっわっ私たち、《白鯨》を、殺害する任務してまして…」

2人の忍者は手裏剣をバーの店主に投げて殺害した。頭から出てきたのはワインではなく血液であった。人間の頭蓋骨を破壊する威力!手裏剣はただの手裏剣ではなかった。外見こそただの手裏剣に見えるが、それはあくまでも食品であり、銃刀法から逃れるために忍者の里が生み出した奇跡のスシなのである。少女の忍者は手を合わせて末摘花の方に向ける。

「と、と、というわけでまずはあなたのところに伺いました。あっあっアポイントメント取ってなくてすいません…。とっとっ、とりあえず、《白鯨》の居場所を吐いてもらえないでしょうか」

忍者の少女はまるで「いただきます」をしているかのように合わせた手をすり合わせる。目にも止まらない速さだったので、末摘花には何が起きたのか、どんな技術で動かしているのかわからなかった。バーの床に突き刺さった手裏剣は彼女の目から見てもスシではない。しかし事実としてこの手裏剣はスシなのであった。多くの忍者は黒米を圧縮加工して手裏剣を作成する。これは一部の食通にはよく知られていることであるが、通常手裏剣は著しく高い圧力で加工されているため、食べると食道や胃などの内臓の破壊によって死んでしまう。しかし、忍者は生でもちろん食べられるが、特殊な調理を施せば一般人でも食べることができるのであった。 

「もっ、もっ、もし口答えをしたらあなたをこっ、殺します。ね、私に殺させないでください。お願いします。」

このとき、末摘花の怒りは最大限に達していた。情報屋からは色々とごまかされ、四本テレビにはルールのギリギリのラインを使って踏み倒され、最後にはバーに謎の忍者が襲ってくるという、そして未曾有のわけのわからない出来事に困惑すらしていた。手裏剣は遠距離攻撃であり、自身の唯一の武器である腰に刺したダツはいくぶんか不利であった。それでもいい、ダツを引き抜こうとした────

「京子ちゃん。ウン。それを使うのはやめようか。ウン。」

異常な巨躯が立ち上がった。

「人が酒飲んでるときに勝手に入ってきてそれはよくないなあ。ウン。本当に良くない。アポイントメントは取れてなくても、それくらいの礼儀はちゃんとしようよ。僕で良ければお相手するよう。」
「あーアンタには用がなかったんですけどお。まあ、おれとしては戦えればどっちでもいいんで?じゃあ相手にするのもやぶさかではないっすね。じゃあアンタの名前聞いてもいいっすか?」

しかしそれは少女の方の忍者にとってあまり良いことではなかったらしい。

「えっ、えっ、英知くん?!やめようってそういうことは。私たちがやっていいのは《白鯨》一行だけだって当主様も言ってたでしょ?」

しかし英知と呼ばれた男はそれを意に介さなかった。

「おれにとってはー。どちらでもいいんで?当主様とかルールとかは恵理子の好きにやってくださいー」

巨大な男は笑いながら自己紹介をした。

「ウン。僕の名前は竜ヶ岳喜楽。情報屋というやつを結構前からやっている。スシの腕はそこそこだよ。」
「そこそこお?!よくそんなんでおれに挑もうと思いましたね。おれもじゃあ名乗りたいと思うっす。百地英知。忍者の末裔やってます。そっちは二乃舞恵理子。」
「わっわっ私もやるんですか!?私はあの人を追いかけようと思います…逃げられてしまいましたので。」

末摘花は一刻も早くこの場から逃れなければいけないと逃げ出した。ここで忍者の2人を相手にするわけにはいかなかったのだ。竜ヶ岳喜楽がせっかく相手をしてくれると言うのだから、何の縁も契約もない自分のことを庇ってくれるというのだから、それには何か理由があるに違いない。その理由はきっと竜ヶ岳にも関係していることなのだ。間違いなくあの忍者たちは闇寿司の手合いだ。スシを廻す動作は、末摘花の知っているそれとは異なっていたがその根本的な「発射」するという現象は、明らかにスシを回すときのそれと類似していた。

彼は《白鯨》を狙うと言っていた。自分の場所が割れたということは、彼女らの居場所もバレている可能性が高い。ではなぜ今も四本テレビにいるであろう、彼女たちを直接狙わなかったのだろうか。末摘花はこれをチームごとに情報共有ができていない証拠であると思う──推測の話になってしまうが、おそらく忍者たちは別々の情報を与えられているのである。チームによって露骨に条件が違うのは、これが何かしら試験であったりするからだろうか。

末摘花が逃げ出したバーの店内では、竜ヶ岳喜楽と忍者2人が対峙していた。否、睨み合っていた。二乃舞恵理子は今すぐにでもここを抜け出して、末摘花京子の方を追いかけたかったが、確信をしてしまったのだ。ここを離れれば、確実に百地英知が死んでしまうということを。恵理子は別に英知が死のうが生きようがどうでもよく、むしろこんな邪魔者を押し付けられたのが嫌で嫌で仕方なかったのだから、あえて逃げるという行動をとってもよかった。しかしそうしなかったのは、百地英知が18代目伊賀流百地一派頭領の‪百地芭麗栖ももちはれす‬の息子であったからだ。もし、頭領の息子を殺して逃げ帰ったとなれば、いくら実力派として知られる二乃舞も殺されかねない。何よりも生き残りたいという性向を持つ二乃舞がここに残ったのはある種の必然ともいえるかもしれない。

竜ヶ岳はその2人をよく観察していた。百地英知は典型的なボンボンというやつだろうか。彼自身にはそれほど力がないことがわかっていた。必然的に目は二乃舞の方に向かっていた。二乃舞は相変わらず何かに怯えているようだったが、それにもかかわらず目はしっかりと竜ヶ岳の方を捉え、今にもその手裏剣で頭を貫いてきそうだった。竜ヶ岳はそれに立ち向かうべく、これまで頭の中に封印してきた「次元間スシ・フィールド」を展開することにした。次元間スシ・フィールドは闇寿司のものだけではない。要はスシの中に存在する世界を現実に持ってくるだけなのである。竜ヶ岳は闇寿司の職人以外では稀有なことに、次元間スシ・フィールドを展開することができた。彼がその空間を塗りつぶすと、忍者の2人は空間にさわやかな柑橘類の香りが充満していることに気がついた。これで終わりというように竜ヶ岳は笑みを見せた。その手には準備完了したブリがある。

「へいらっしゃい」

しかし百地英知はそれほど頭が良くなかったので、次元間スシ・フィールドがどんなものか、そしてどんな風な脅威なのかまるで察することが出来なかった。全てを理解した二乃舞は慌てて手裏剣を放ったが、それは青い空の見当違いな方へ向かって飛んで行った。

「僕が呑んだくれだからって酒を使ってくると思ったでしょ」
「あっあっ、スシフィールドだ。」
「日本酒にはブリが合うんだよな。ウン。」

その空間は竜ヶ岳の故郷の愛媛の風景であった。随分と傾斜の多い村に住んでいた竜ヶ岳は、近所にある畑からしょっちゅう伊予柑を勝手に採っていた。説明しよう。魚類は食べたものによって味が変わることが知られている。フルーツ魚と呼ばれ、ブリやカンパチなどの魚類にミカン、ユズ、スダチなどの柑橘類を与える製法だ。養殖魚特有の臭いなどを消す作用がある他、この方法で育てられた魚は風味が非常に良いことで知られている。リモネンやミルセンなどの有効成分は、魚類の脂分をそのままに「さっぱり感」を付与する。

竜ヶ岳が使ったのは、伊予柑や温州蜜柑の搾かすを粉末にして資料に混ぜて与えた、みかんブリだった。竜ヶ岳はこれをブリ・プリンセスと呼んでいた。

「ウン。ブリ・プリンセスは香りの届くどこまでも追跡する。」

慌ててニ乃舞が手裏剣を放ったがそれはひとつも竜ヶ岳に当たることはなかった。軌道がことこどくそらされ、決して狙いが定まらないのだ。これはきっと柑橘類に含まれる成分のせいだろう。次元間スシ・フィールドでは、とりわけ、愛情が介在するスシと構成したそれでは、そのような効果が付随して発生することがある。

「まっまっまっ、待ってください。あなたは…もしかして水産研究センターの」
「ウン。まあ昔のことだ。随分と昔のことだよ。今はしがない情報屋だ。」

無限に分裂したブリ・プリンセスが忍者の2人を襲う────!

結局のところ二乃舞が間違っていたのは、末摘花を追いかけるという懸命な判断をしなかったことであった。多少無理やりでも、ボンボンの馬鹿の手を引いて末摘花の方を追いかけるべきだったのかもしれない。相手が未知の存在であるなら尚更だ。

末摘花京子はバーを出てまっさきに四本テレビに向かおうとした。《白鯨》を狙う忍者の集団が現れるからかもしれず、そして何も対抗手段を持たない胡太郎と《白鯨》が殺されてしまうかもしれないからだ。彼女にとって身内が闇寿司に殺されてしまうのは許せないことだった。あの時の失態を繰り返さないようにダツの腕を磨いてきた。彼女の母親はすでに死んでいる。あれは10年前の出来事であったか。まだ父と母の関係の悪化がそれほど進行していなかった時、回転寿司を仲睦まじく食べに行ったこともあったのだ。しかし彼女も父親もそして母親もそれが闇寿司が隠れて運営している、極悪非道な運営の喝破寿司であることを知らなかった。

喝破寿司の店内は、極めて有能なコンピュータロボットによって綺麗に掃除されていた。幼きころの末摘花はそれに感服したものだった。そう、彼女にとって回転寿司はまるで遊園地のようなものだったのだ。幼き子供にとっては、寿司が回っているというだけでワクワクするものであるし、邪道も正道もなしにハンバーグやラーメンも魅力的な提案だったのだ。堂々とした店構えには、大阪のカニ道楽に蟹のオブジェが見られるように、喝破寿司の店舗には、河童のオブジェが備え付けられている。それが京子にとっては遊園地への入り口であった。

しかし幼き子供に遊園地のような場所を提供する喝破寿司には裏の側面がある。京子の見ていた場所の地下、砂煙立ち込める粗悪な三畳間には河童が押し込められていた。「おいっ、1396番、1373番、1250番、仕事の時間だ。」ある河童の幼体が運び出されてコンピュータロボットの外殻に押し込められていく。河童の幼体が3体入り込むと人力でコンピュータロボットは動かされていく。喝破寿司の店内では労働環境としては極悪な地獄が存在していた。しかし、これをすることによるメリットはあまりにも大きかった。それはなにより人件費を削減できることだ。河童システムを導入する前の喝破寿司の売上高人件費率は35.06%、しかし河童にあらゆる労働を任せることになってから人件費率は驚異の26.89%!これは業界でもトップの数値であった。

しかし幼きころの末摘花はそれを知る由もない!極悪な人件費削減が行われていることを気づかない。正確に言えば子供の感性でたまに「嫌な気持ち」を感じることがあったけれども、それがどのようなものであるか検討もつかない。

そして河童を導入することにより得られたメリットは他にもある。そう、河童を使ったスシは廻しても非常に強いのである。喝破寿司のバイトリーダー加藤仙之は使えなくなった河童の肉をミンチにしてネギトロに混ぜ込むことで無敗の戦績を誇っていた。そのため彼の「ネギトロ」の強さの秘密を探すために無理やりにでも奪い取ろうとしている闇のブレーダーは少なくない。闇のブレーダーは割と礼儀を守る。決闘にはアポイントメントがあって、指定の場所で落ち合う。しかし今回襲撃してきたブレーダーはそんな細かいことを気にすることはなかったのだ。

仙之がいつものようにネギトロを作っていたころ、そして幼き末摘花がネギトロに手を伸ばしたタイミングで、そのおかしな風態をした珍客は窓を割って現れたのである。

「やあやあ!我こそは《ルー=ガルー》森本坊流羽、闇寿司が五英傑の1人だ。バイトリーダー加藤仙之よ。我との戦いに身を投じるがよい!」

そう言って男はあたりにいくらをばら撒いた。そのいくらは超高性能な小型の手榴弾であり、爆発させて店の器物を破壊していく。爆発したウォータークーラーは上向きに水を吐くようになった。しかしバイトリーダー仙之は極度に怖がりな人間でもあった。今もなおバックヤードで彼は震えている。もちろん、あらかじめその心構えがあれば大丈夫であるが、急な襲撃に驚きを隠さず自らの身を隠したのだ。森本坊と名乗った男はそれに苛立ったのだ。いくら叫んでも出てこない。

しかしそこには末摘花京子の母、末摘花岬がいた。末摘花岬はこの頃すでに引退していたが元々スシブレーダーであり、今もなおその実力は衰えていなかった。

「食事の場にずかずかと入り込んで行儀の悪い人がいますわね。ならばどうですか、私と一戦交えるというのは。」
「我はネギトロ使いの男と戦いたいのだ。お前などどうでもよい。」
「あなたもスシブレーダーなんですよね?正しいスシブレードというやつを見せてやりますわ。」
「ふうむ、我の邪魔をするか。」

そう言って《ルー=ガルー》こと森本坊流羽は自らのいくらを岬ではなく京子に放り投げた。いくらは真っ直ぐに京子に向かっていく。いくらは爆発して京子を見るも無残なネギトロに変え────ることはなかった。そこには負傷した岬が立っていた。岬は手を必死に抑えていたが、血液はまるでさっきのウォータークーラーのように垂れ流されていた。

「ねえ、京子。を許してはいけないわ。即座に立ち向かう心を持つべきなのよ。」

京子はこのことを深く胸に刻み込んだ。しかしそれが京子にとって酷い呪いになることを岬は気付いていなかった。

「ふうむ、我がいくら爆弾に耐えるとは。なかなか数奇なものもいたものだ。だが我のいくら爆弾に弾切れはない。これ以上耐えられるかな?」

「男ならかかってこいよおおお!

この腐れ██████があああああ!」

そう言って末摘花岬はダツの刺身を取り出して流羽に放とうとした。しかし、とっくに放たれたいくらは彼女に直撃し、そして絶命に至らせたのであった。彼女はこのことをほとんど覚えていない。小さい頃のショッキングな思い出というのは、えてして覚えていないのだ。それはトラウマとも言う。無意識の奥にしまわれた嫌な思い出なのだ。彼女が覚えているのはその後の父の言葉である──「スシブレードには関わるな」

話を現在に戻すと末摘花京子はダッシュで四本テレビの方向へ向かっていた。しかしそこには忍者装束の双子が立ちはだかる。

「私たちは忠実なる闇の僕」

「私たちは害悪なる世界の敵」


「《白鯨》を殺しにやってきた」

「あなたを殺しにやってきた」

度重なる苦難の連続に末摘花はニヤリと笑う。もはや限界を超えて笑みが溢れるほどに疲弊していたのだ。双子は鉄火巻きのようなものを持っている。いや、片方が鉄火巻きでもう片方がかんぴょう巻きなのだ。

「あんたらが巻物使い?忍者だから巻物なのか?」

もううんざりしていた。だからこそ戦わずになんとかしてここを通り抜けてしまいたかった。

「そうだよ」

「そうだよ」


「で、一体何をすればここを通してくれるんだ?悪いが私は今急いでいるんでね、どうすればいい?土下座までならやってやるぜ」

「あなたの友人をもらい受ける」

「教えてくれればすぐに通す」


「あなたの土下座はいらない」

「そんなものには価値がないから」

「おいおい…私はあんましそういうの得意じゃあないんだよ。暴力的なことは嫌いだ──」

末摘花は後ろに振り向いて逃げると見せかけてダツを抜いた。このダツを末摘花は「ニゴウ」と名付けている。スシとして廻すときにも使えるが、主に刀剣としての扱い方をすることの方が多い。闇寿司に対して恨みを持つ末摘花の強力な武器として長年連れそってきた。ダツが凶器として扱えるのは説明するまでもない。ダツは上下の顎が細長く伸びており、まるでフェンシングの剣のように鋭利なのである。ダツは鱗の反射に反応して飛びかかるため、一般的なダツでも飛びかかってきたという事故の事例はいくつかある。末摘花のそれは特別で、通常のダツよりも鋭利な顎を持つ。

それが双子の向かって左にいる方に突き刺さった。しかしそれは双子も気づいたようで、とっさに何重にも重ねた海苔──それも瀬戸内海で採れたものである──を防御に用いた。かんぴょうが逆に末摘花の方へ振りかぶられ頭に直撃する。ダツは通常の剣と同じく、突いたら当然引き戻す作業が必要である。その隙を狙って双子のかんぴょうをもっている方は暴力的なまでの威力の鉄火巻きをぶつけてきた。さすがに末摘花京子といえどこれには耐えられるはずがない。

「くっ…くそ」

しばらくしてそこには倒れ込んだ末摘花の姿があった。


突然だが僕はテレビというのに出たことがない。いや、一度韓国へ家族旅行をした時に何かしらのインタビューを受けたことはあるのだけれども。その時も緊張したものだった。ただ、これはいくらテレビではないとはいえ、見られている人数に有名人の有無。これは十分に僕を緊張させる要素があると言ってもいいのではないだろうか。観客席の目が僕を見ている。観客席にはたくさんの人がいた。中にはくじらちゃんと同じような少女もいたが、それもどこか貫禄を感じさせかねない風貌だった。司会の上下天地が僕に聞いた。

「我々の業界でもあなたの妹のことは聞き及んでいます。2023年の世界大会で優勝だとか。あなたはなぜスシブレードを始めようと思ったのでしょうか。」

僕は答えに困ってしまった。強いて言うならば成り行きで、ということ以外ない。最初の最初の話で言えば、くじらちゃんが寿司地下闘技場の調査を頼んできたのが始まりであるし、僕はそれから調査を続けているだけだ。極端な話、闇寿司の騒動に関しては僕は巻き込まれただけなのだ。くじらちゃんの思惑は、闇寿司とそれ以外の団体の紛争を解決するというよりかは、よりさらに上の問題について解決したがっているように思える。僕はくじらちゃん言うことならば無条件で聞くだろう。だけどそれらくじらちゃんのいうことに無条件で賛成するってわけではない。もちろん僕にとってもついばみ兄は大事な存在だったが、くじらちゃんのように盲目的になってまで探そうという気はしない。僕はもっと現実的にそれを捉えている。くじらちゃんが言わなければ、僕だけでついばみ兄を探そうとは思わないのだ。だから僕はこの質問にこう答えた。

「妹のためですね。妹がいなければ僕はここに立っていないでしょう。僕は最初から妹のためだけに行動しています。」

…僕としては真面目に言いたいことを考えたつもりだったが、思ったよりとんちきな回答が出力されてしまった。これでは、僕が度を越したシスコンみたいに見えるではないか。上下さんはその答えが案外面白かったみたいで、その話を繰り返した。

「妹さんに頼まれたんですか?大会優勝を?」

正確には闇寿司の優勝を止めることと、ついばみ兄の行方を探すことだが…

「ええ、けなげな妹でしてね。かわいくってかわいくって仕方がないです。そんな妹に頼まれて仕舞えば、もう。優勝くらいしてしまいますよね。」
「それは素晴らしいですね。私にも妹が2人いるんですが、今となっちゃ騒がしいだけでして。」
「そうですか。僕の妹は逆に静かすぎるキライがありましてね。羨ましいですよ。」

上下さんは次に夏宮さんの方にマイクを向ける。夏宮さんは黄色がイメージカラーなのであろう、黄色の衣装に身を包んでいる。

「それでは椿さんにも聞きましょう。いやはや、《椿姫》とおよびした方がよろしいですか?」
「ははは…その名前、私が呼ばれるには偶然に偶然すぎて出来過ぎで、あまり適切といった形ではないですね。」

そう言う彼女は《椿姫》という称号、2つ名を嫌がっているようだった。その理由はよくわからないが、調べてみたらよくわかるようにも思えた。

「《白鯨》の兄です。まだ情報はないですが、おそらくは厳しい戦いになるでしょう。どんな戦略で挑むつもりですか。」
「この日のために編み出してきた技があります。皆さんにはこれを披露致しますのでどうかご期待ください。」

彼女の包丁捌きはまるで腕が何本も生えたように見えるほどだった。彼女が手前に取り出したのはイカだった。イカをテンポ良く捌いていく。それはアイドルがやっていることとは思えなかった。それは偏見だが。まずイカの胴からワタを取り出す。クッキーとチョコレートを用いた某キノコ型お菓子のチョコレートの部分だけを取り出すように簡単に。この表現は適切なのか?胴を洗ったら、ワタとゲソを切り分ける。包丁で容赦なく。あっという間に生き物だったイカは食べ物になっていく。

そして彼女は松笠造りを始めた。イカの繊維に沿って縦向きに1mm間隔で包丁を入れる。そうすると、まるで松ぼっくりが白いカビに覆われているような見た目になった。あるいは、カビを顕微鏡で拡大したかのような突起ができた。さっきから思っているのだが、僕の比喩センスはいささか壊滅的に思える。

《椿姫》夏宮椿の相棒はイカの松笠造りだった!

「審査員のみなさん!これはどうですか?」
「ええ、素晴らしい出来です。手際の良さもそうですが、その正確さというのは彼女のストロングポイントの1つでしょう。ともあれ、いい松笠造りを見せてくれました。」
「これはおそらくスシとスシがぶつかった時にダメージ与えることを狙ったものだろうね。前回彼女はエビの尻尾に苦戦していたから、これは防御力と攻撃力を同時に追加する良い案だと思うな。」

「それでは味の方を…上下さん、これって私も食べちゃだめですかね?」
「学修院さん?だめだよ。私たちの役割は司会なんだから。」
「でもこれ、味の方にも多分一工夫あるんですよ。」

夏宮椿は「人数分用意したから大丈夫ですよ。と言って10貫目を作り終えたようだった。手際の良さはやはり目を見張るものがあった。

「はい。白乃瀬くん。あなたもどうぞ」

綺麗な松笠造りを出されてしまった。これでは食べる他ない。

「夏宮さん、醤油はいらないんですか?」

と学修院アナウンサー。

「ええ、ジュレが中に入ってますので…」

そう、食べた瞬間にポン酢の味が口に広がった。ポン酢だけではない、これは純然たる旨味…?

「イカの味を活かすために酢を使いました。ジュレには酢と出汁が入っています。」

「おいしかったです!それでは審査員のみなさん、判定をお願いします!」

人工音声でそれぞれが出した点数が読み上げられていく。

「9点」
「4点」
「7点」
「3点」
「4点」

「合計27点」

これがどのくらいいい点数なのかはわからない。初めに採点した口野さんと勝親方はそれぞれ点数が低く、比較的厳しい傾向にあるようだ。勝親方の場合、新しい寿司を探しているらしいので、新規性が足りなかった可能性もある。

これは京子さんが言っていたことでもあるのだが、かならずしもうまい寿司が勝つわけでもないらしい。しかし、うまい寿司を作れないのに寿司を回せるのかという話だ。強い寿司のためにうまさを捨てたのも闇寿司だ。

さて、次は白乃瀬鯨の妹、末摘花京子の弟子(これは自称)は、いったいどんな寿司を展開するのだろうか。僕はあらかじめ用意しておいたいくつかの道具を取り出した。僕はどんな寿司があっているのか京子さんと検討に検討を重ねた。そして即席の修行の間、こればかりを作っていた。これならば何とか戦えるというレベルに達するまで1週間かかった。まずマグロを簡単に切る。そこで巻き簾を用意する。そう、僕が作るのはマグロだ。たった1週間で作らなければいけなかったけど。

「口野さん、こちらのマグロは?」
「ええ、これは正真正銘普通のマグロですね。何の変哲もないです。」
「食べてもいいですか?」

と学修院アナウンサー。僕も椿さんを見習って少し多めに作ったので大丈夫だ。材料に予備があってよかった。

「いいですよ。」
「ではいただきます。む、これは」

別に審査員やアナウンサーがわざわざ言うことのない寿司だ。京子さん曰く、試合の最初の方で奇を衒う必要はまったくないらしい。基本のことが当たり前にできて、そして正確に工程をやっていれば自ずと勝てるものなのだ。まだ二回戦。十分な出来と言えた。

「もしかして君、京子くんの…」

勝親方がそう言った。

「ええ、はい。そうですよ。今はこの場所に居ませんが、僕の寿司は基本的に京子さんに教わったものですからね。妹は何も教えてくれませんから。」
「あの握り方は私が末摘花さん──京子くんのお母さんのことだが──に教えたものだったんだ。」

驚きの真実が発覚する。つまり僕は勝親方のひ孫弟子とも言えるわけだ。

「だから末摘花岬という存在が継承されているような気分だった。とはいえ、点数には何の関係もない事実だが」

「3点」
「5点」
「5点」
「4点」
「4点」

「合計20点」

「あれですよ。マグロっていう選択肢は案外悪いものじゃあないかもしれません。いろんな寿司がありますが、それでこそ基本を軽視するものではないと思いますよ。」

僕はEpocの彼女を眺めていた。彼女は松笠造りのイカを持っていた。それは直接ぶつかり合えない。

3、2、1、へいらっしゃい!!!

「白乃瀬くん。私が──いや、スシブレードの世界で職人が飾り切りをしていたらそれは見た目だけの問題じゃあないのよ。松笠造りは攻撃と防御の両方の役割を併せ持つ。ただのマグロでは勝てるわけないわ。」

空中で衝突したマグロとイカは火花を散らす。大きく揺らされたイカはシャリとネタが分離して地に落ちる。あまりに撒き散らされたジュレが僕の方にもかかる。舐めとってみるとそれは昆布だしの味がした。

「なっなんで私のイカ松が!」

「違うぞこれは!これはマグロなんかじゃない。ラーメンだ!」
「まさか闇寿司の技術を…?」
「なんでことだ。闇寿司のブレーダーでもないただの人間がこんなせせこましい技を使うなんて。伝統の冒涜じゃないか、これでは折永さんにも顔が立たない。」

非難轟々だった。僕には闇寿司とかの事情もよくわからないし、このラーメンだって前もって一生懸命作ったのであった。だからこそ審査員の皆様のお眼鏡にもかなうと思ったのだが…。確かに寿司の大会であえてラーメンを使うというのは、語義通りに外道な行為と言えるのかもしれないが、これは京子さんにも確認済みだ。大会の規則にはラーメンを使ってはいけないというルールはない。僕は闇寿司でもないしそれ準じる存在でもないので、あえて筋から外れたような振る舞いを見せないし、他の寿司も否定しない。

「待て。」

親方がそういうとあらゆる観客も審査員もピタリと止んだ。茫然自失となっている椿さんを横目に僕は声高にこう言った。

「…僕は何も外道な行為をしていません。道から外れていません。闇寿司ではありません。正道も食べる。邪道も食べる。それがスシブレードじゃあないですか。」

おいしいラーメンを食べて欲しかったのだ。


「僕は決して強さを求めてラーメンを選んだのではありません。もちろんこれならば短い期間でものにできるという目算があったからこそ選んだのですが、そこには明らかに闇寿司的な思想は介在していません。勝親方も言われたかと思いますが、僕はラーメンですら立派な寿司であると思っています。あなた方は邪道なんて空想に未だ従っているだけなんです。悪がなければ正義もないですか?本当にあなた方の正義はその程度のものだったんですか?」

ひたすらに辛い沈黙が訪れた。しかし繰り返し言っておくと、これは京子さんとの綿密な計画の末に実行された作戦なのだ。そのことを払川さんは知らない。この奸計ばかりの大会で優勝するにはそれくらいの刺激が必要なのである。巻き込まれてしまった椿さんには謝りたいと思うのだけれども、肝心な椿さんは顔を伏せて意気消沈している。

「いいでしょういいでしょう。私もこのテレビ局の番組で長いこと司会をやっていますが、ここまで面白いハプニングが起こったのは長い芸歴の中でも初めてです。脚本家もびっくりです。しかし白乃瀬さん、あなたはゲームのルールをよく聞いていましたか?私の言ったことを。観客席にいる人も点数を与えるのですよ。審査員はラーメンが美味しいからといって許しても、観客がこのような行為を許すとは限りません。あなたはそれを意識してこの行為をやったというのですか?!」

それは問題がないんだ。僕は点数パネルの方に目をやった。さっきの戦いには勝利したので50点、そして味の評価である20点、観客からの評価は29点で、合計104点。対して椿さんは負けたので0点、味では24点、観客からの評価で81点、合計105点。微妙な差で僕が負けている。

僕が一点差で負けている。

「払川さん」

僕がこう呼ぶと払川さんは舞台の上に立ち上がった。

「いろいろと不都合なことが起きています。この大会、何一つ計画通りにいっていません。」
「そうですよね。そのお方は一体なんなんですか?」
「これは、この試合のルールを変えた人間です。さきほど決着がつきました。時間稼ぎご苦労様です。」
「とんでもない。僕は時間稼ぎなんてしてません。対戦相手にも失礼じゃないですか?その言い方は」
「ふふふ、それもそうでした。」

「審査員の皆さん、落ち着いてください。僕も何が起きているのかさっぱりわかっていません。多分これは、闇寿司とは異なったまた別の悪があるということなのです。しかし、それはなかなかつかみどころのないものでして…」

「ちっ違う。俺は企画運営に関わっていない。正直俺もわからないんだ。」
「いいえ、それは良くありませんよ。あなたは点数の操作ができるように試合の元々のルールを変更した。いえ、あなたというのはまるでそれ以外の要素を切って捨てるような言い方でしたね。それは違います。四本テレビは組織ぐるみでこのようなことを行う組織なんでした。」

なぜ四本テレビはクイズ形式のバトルからこのような3つの要素を必要とする点数形式に変えたのか?そしてなぜ観客に割り振られた点数が100点だったのか?その答えは点数の操作を容易にするためということなんだろう。

「私は大会そのものをおじゃんにしてしまうようなことは言いません。私たちが求めるのは主に2点です。1つ目はこれを私たちの勝ち星として処理すること、2つ目はこれを全て黙っていることです」

《椿姫》は地に伏して泣き声をあたりに響かせている。さすがにかわいそうな思いだった。まさしく現実に裏切られたものだったのだろう。しかしこれは善悪の問題ではない。おそらくは。彼女を雇っていた神崎食品はやれるだけのことをやったのだ。政治力もきっと彼らの世界では重要なのであろう。重要であればこそ、それに従った罰則がなければならないとも思い始めた。

「優先放映権も私たちのものです」

払川さんがそう言いかけたときだった。かんぴょう巻が彼の頭に直撃した。しかしそこは熟練の秘書である払川さんだった。彼はかんぴょう巻を口に加えていて、そのかんぴょう巻は数秒後にはそこから消えていた。

「舐められたものですね。」

僕は思わずくじらちゃんの方を見る。くじらちゃんはまだぼーっとしながらこちらの方を見ていた。くじらちゃんの方にも鉄火巻きが飛んでくる。くじらちゃんはほとんど防御力がないと言ってもいい。僕はかなり離れた場所にいたので間に合うことがなかった。もちろん全速力で、くじらちゃんの方に飛んでなんとか守ろうとしたが、どう見ても届かないのは明らかだった。僕はその残酷な状況に戸惑っていた。かつてないくらいの感情だった。くじらちゃんがいなくなったらどうして生きればいいのだろう?

「《白鯨》を殺す」

「《白鯨》を殺す」


「今は亡き主人のために」

「闇のために鯨を捧げる」


「私は信じない」

「そこにはもう闇がいないことを」


「皆が待望している」

「彼の復活を──」

忍者装束を着た2人組が双子さながらの絶妙なコンビネーションでくじらちゃんの命を狙っていると気づいたとき、僕は冷静になって止めなければいけないのはそちらの方だと考えた。僕はさっきから出しっぱなしにしていたラーメンを放って、双子の攻撃を逸らそうとしたのだ。

「あなたは誰だ?」

「お前は胡太郎、《白鯨》の兄だ」


「なぜラーメンを使っている?それは闇だ」

「あなたも闇なのか?」

彼女たちは攻撃のための手を止めた…。僕のラーメンを見ている。まるでかつての主人を見るかのような表情で、そのラーメンから立つ湯気を睨んでいた。

「………………」

「………………」

「私は田園詩新華」

「私は田園詩真弓」


「「あなたが私たちの主人だ。伏してお願いします。」」


その後について話そうと思う。僕が四本テレビの外に出たのは外がもう暗くなっていた頃のことだった。京子さんが四本テレビの入り口の前で倒れているところを見かけて、払川さんは急いで駆け寄ったけども起きなかった。くじらちゃんはそれを見て、京子さんの口に手を突っ込んだ。京子さんの口からは納豆のようなものが現れた。

「納豆巻きだ」とくじらちゃんは呟くと、さっきから僕についてきてる忍者の双子の方を見た。いや、その双子の後ろに隠れていたもう1人の女の子の方を見ていた。双子は双子ではなく三つ子だったのだ。

「なぜ私のことに気づいた?」

くじらちゃんは京子さんの口から出た納豆を少し口に含み、こう言った。

「納豆の臭いが誤魔化せていない。納豆使いがどこかにいるのだと思った。」

双子──いや、三つ子のブレーダーはいわゆる伊賀忍者というやつで、百地丹波の血筋を引いた正統的な血統であるらしい。今の忍者は彼女らが言うところによる「主人なき下僕は使い手のない道具」で、百地忍者の血筋は最近になって仕えるべき主人がいないことに困惑していたらしい。彼女ら以外にも忍者はいたようで、現代に生きる忍者たちはそれぞれ別の道を歩んでいった。忍者としてのあらゆる技術を捨てて解散したものや、あるいは「究極の主人」であるところの日本政府に使えるような集団もある。中でも百地忍者は闇寿司の長である「闇」と呼ばれる存在に仕えていた。しかしあるとき「闇」は失踪してしまう。近年起きた闇寿司と正統的な寿司の軋轢は、闇寿司側に起きたリーダーの不在による混乱によるものであるそうだ。京子さんはそれを聞いて少なからず驚いていた。

それだけにこれは知っている人には驚きと困惑をもたらす情報であったらしいとわかるが、僕にはなんのことかイマイチわからない。まあつまり双子の忍者はいま、仕えるべき主人がもう一度いなくなっている状態なのだ。とにかく、僕がジーコでラーメンを取り出したとき、それが闇寿司のリーダーである「闇」の象徴であると勘違いしたことが、さきほどより彼女らがついてくる原因であるらしい。

「今から私たちの主人はあなたです」

「どうか」


「どうか命令をください」

「どんな命令も遂行いたします」

「京子さんこれって…」
「いろいろと酷い偶然が重なってしまったせいで変な奴らに付き纏われるようになってしまったみたいだな…ゲホッ」

京子さんはまだ辛そうにしている。払川さんはこの状況にもう我慢できないようで、これまで控えさせていたという秘書を呼び出して京子さんの治療をするよう命令していた。払川さんは僕に言った。

「お前はなんであれ闇の力を使ってしまった。ここから先後には戻れんぞ。」
「やめて払川。私が教えたんだ」
「何よりも闇寿司を憎んでいるはずのお嬢がなぜ白乃瀬にこのようなことを命じたのですか?…私はお嬢のやっていることがだんだんとわからなくなってきているのです。」
「払川、闇が失踪していようがわたしには関係ない。倒すべき敵を見据えているだけなんだ。あいつらは存在してはいけない」

| [末摘花京子の人間まんざい]| [未定] »

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