朱殯
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閲覧禁止資料:安藤(他) 2022/09/23

注記:これらは大部分が複数の資料の集合であり、未だ私の整理、検討、分析が不十分ですが情報源とその信ぴょう性、何らかの関連性に注意して閲覧して下さい。

『愛媛県の怖い話』より 「床下収納」

これは20年前、Iさんがまだ中学生だったときのことである。

その日、夏の真っ只中、彼女は一日だけ愛媛県の松山市にある親類の家に泊まった。どこにでもある住宅地の小高い一角にある、まあまあ立派な家だった。

その家に住まう親戚、叔父叔母夫婦は変わり者であったと記憶の中でうっすら覚えている。
よく夜中に二人揃って泣いていたり、料理に火を使わずに買い置きの物ばかりを食べていたという。

その家のあまり人の手が入っていないであろう、キッチンの下には床下収納、というよりも大きな地下室があった、という。親類の人曰く、この家を建てた当初の家の人が作った…、のかもという風にIさんは聞かされていた。

滞在日の最後の夜、寝付けずにいたIさんは用を出すのと水を飲みにトイレ、その後にキッチンに行こうとした。トイレでことを済ますとリビングに向かおうとした。すると、何か扉を開いたような音ともにその家の親類、Iさんには叔父叔母にあたる、が手に何か白い物を持ちリビングから出て寝室に戻って行ったの見かけた。

それを見て、いつもの食事用に使う食器とは別に、キッチンの台所に何故か白いビニール袋に皿や椀、コップを入れていたのを思い出した。

何をやっていたのだろうという気持ちが頭をもたげ、見てみようとキッチンのあるリビングの入口に足を掛けようとした途端、突然何処からか、地響きとも地鳴りとも取れる様な音と、地面から何か重たい物を少しずつ引き摺る、もしくはずらしているような振動が足に届いて来た。

何故か親類から夜に喉が渇いたら自分達を呼ぶようにと言い聞かされていたことも踏まえ、Iさんは怖い物見たさで音と振動が何処から発されているのかを確かめに、リビングに入りキッチンに近づいた。

するとふとその音と響きが止んだ。自分が部屋に入る止んだことにIさんが驚いていると、今度は床を叩く音が部屋中に鳴り響いたが、それもほんの数秒で収まった。

突然のことに驚いていると、Iさんはふと視線をキッチンの方から感じ、玄関に置かれている懐中電灯を取り出してすぐに戻り、その方向に向けた。


Iさん曰く、キッチンの床板が外れており、男の顔が飛び出ていたという。

完全に肉と皮が腐っている様な灰色になり、鼻から下が半分以上剥がれ、茶色い歯と頬骨が顕になっている。そして髪の毛と頭皮はほとんどなく、茶色がかった頭蓋骨が眉の上から露出していた。少なくとも何か服を着ていたとか、裸だったとかは記憶から抜けてるそうだ。



どれ程の時間が経ったのだろう。徐々にその顔全体が大きくなった、とIさんは感じた。
首から上を乗り出し、床を無視して自分の方に向かって近づいて来た、ということに気づくのには少し経ってから、立っている自分の目とちょうど真向かい合うように相手の目が、顔が同じ高さに、数歩先にあると理解したのはその次であった。


Iさんが目を覚ましたのはもうすでに日が昇って家人が起き上がった頃だという。Iさん自身には何もなかったものの、自分の倒れている足元までビーズのような物や金属片が混じった泥が続いており、その跡がキッチンの開いている収納の扉の所から発しているのを見て、寝ぼけた訳ではないことを思い知った。

茫然とするIさんの元に丁度起きて来たのだろう、叔父叔母が「大丈夫?」と不思議そうに顔を覗いた。

Iさんが口から起きたことを出そうとした途端、親類は泥の跡を一目見ると、あぁあれねという口調で
「まあね、締めっぱなしだとだめだからね。開けないと気が付いて下さらないからね。少し待ってて、すぐ戻って朝ごはん作ってあげるから」

そういうと叔父叔母はキッチンの収納の扉を開き、その中に消えた。

Iさんがあまりに自然な流れに困惑していると、少し経った後に叔父叔母が出てきた。出てきたは良いものの、何か手に持って動きずらそうにしている。

ふと、叔父叔母が床に持っていた袋を重そうに床に上げた。

白いビニールの中にぼんやりと浮かぶそれは、陶器の皿やコップであった。しかしながらそれはひどく汚れていた。表面がビニール越しでも茶色というよりも黒色に変色し、その中に大量の白い粒が蠢いている様が写り、加えて肉がだめになったのを強くした臭いが届き始めた。

そしてその臭いが昨晩嗅いだそれと全く同じだと思い出すのに時間は掛からなかった。

一方叔父叔母はそれを普通の生ゴミのように引きずり勝手口から外に出ていった。

真っ白な頭のままあとをつけると、用水路の前でビニールごと中の食器を地面に叩きつけ粉々にし、そのまま中身を開けるとことなく流れの中に落としていたという。

Iさんはその一連の動作を見、先ほどの淡々とした口調に、何か些細な出来事の様に扱っていることに、日常的な所作である様に悍ましさを拭い取ることが出来なかった。


結局のところ、その日は昼を待たずに家を出た為に、Iさんは更に詳しくは聞けずじまいだそうである。

親類は二人とも既に他界しており、家自体もIさんの体験の五年後には親類の引っ越しから行っておらず、あれが何であったのかはついに分からずじまいであったそうだ。





そうですね、もう一時半になりましたね。授業を始めたいと思います。

今回の講義は、「見るなの禁」についてお話ししようと思っております。
 
この「見るなの禁」というのは様々な物語にありまして、ギリシア神話ですとオルフェウス、パンドラの箱、旧約聖書ではソドムとゴモラ、日本だと鶴の恩返しに浦島太郎、イザナミとイザナギが代表に挙げられます。

あ、サブカルチャーですと「振り返ってはいけない小道」、「くねくね」が該当すると述べた方が身近でしょうか?

これらのように、「見るな」と言われたのにも関わらず見てしまい、別れを余儀なくされるか、もしくは災いが降りかかるという話の類型はとても多いのです。
 
ここでは日本における「見るなの禁」が描写されるイザナミとイザナギ、トヨタマヒメを例に進めて行きましょう。
それと考古学の専攻の方が結構この授業を取って下さっているみたいなので、イザナミと黄泉の国では古墳との関わりと折り合わせて紹介します。

『古事記』の『日本書紀』の記述によると、イザナギは黄泉の国に行った亡き妻であるイザナミを連れ戻そうと黄泉比良坂を通り根の国へ行くのですが、イザナミの「黄泉の国の神と相談の間、絶対に自分を見てはいけない」という約束をイザナギは破ってしまい、体が腐っているイザナミを見てしまうのです。
そしてイザナミは激怒し、イザナギは逃走、この世とあの世の境の「とざし戸」は閉められ、人間が死ぬようになったとされています。 
 
この神話を横穴式石室と関連付ける視点は大昔からあります。「とざし戸」を玄室、黄泉比良坂を横穴式石室の羨道、威信財、桃の種や獣骨、貝殻等の動植物遺存体と土器等の遺物の存在、すなわち被埋葬者への供献儀礼と「黄泉戸喫(よもつへぐい)」、死者の国の食べ物を食べたら二度と戻れないという記述と重ねたのでしょう。

加えて多くの場合、石室の内部空間とは閉ざされた棺ではなく、追葬や儀礼を行うために開かれた空間となっており、入り口から埋葬施設が直接確認できるようになっています。そして儀礼や埋葬時を除き必要時以外は入口を板石等で閉めるのです。 
   
この遺構の構造を黄泉の国の洞窟のような表現、「とざし戸」やイザナギがイザナミが腐っている様を見てしまうという描写に繋がっていったのではないかと言われています。
それにイザナミが腐っていく様を殯と重ね合わせていると考える人もいます。
 
トヨタマヒメ、いわゆる「山幸彦と海幸彦」ではどうでしょうか。
ホヲリ、つまり山幸彦は海になくしてしまった釣り針を探すために海底 に降りると、トヨタマビメという美しい姫に出会って結ばれます。三年後、トヨタマビメが現れ子どもが生まれそうであることを告げると山幸彦は産屋を造らせましたがトヨタマヒメは途中で産気づいてしまい産屋に入ります。その際、トヨタマヒメは山幸彦に対して、子どもを産むときには本来の姿に戻るので、決して小屋を覗かないように忠告します。
けれども山幸彦はこっそり覗いてしまいます。すると妻は巨大な鰐になっていて、それに驚き逃げてしまいました。トヨタマビメは実の姿を見られ恥ずかしく思ってしまい、産んだ子どもを置いて何処かに去ってしまいました。

この二つのエピソードに共通するのは喪屋・殯と産屋という、閉ざされた空間に侵入するということでしょう。

一見すると死にまつわる場所と生にまつわる場所で全く関係のない物に見えるかも知れません。ですが古事記では、イザナミは出産の折死んでしまったり、「とざし戸」を挟みイザナミが一日に千人殺し、イザナギが一日に千五百の産屋を作ると言挙げし合う描写が代表的な、生と死が連続した状態にある構造が見てとれるのです。
加えて鎮火祭の祝詞では「夜七夜、晝七日、吾をな見たまひそ、吾が奈妋の命」の記述のようにイザナミの出産自体が「見るなの禁」であるかのように描かれています。

以上から「見てはならない」のは喪屋、産屋、機織屋などのある種の異界であり、「見る行為」とは、この場所と異界を繋げて越境し、 異界をこの世にもたらす禁じられるべきことと捉えられていたのでしょう。





愛媛県警/事件事故速報より抜粋

■住宅街における交通事故(8月10日 松山南署)
本年8月10日夕方、松山市内の住宅街において、救助にあたった救急車が事故を起こし、救急隊員A男、機関員B女、大学生C男、解体工D男、無職E男、中学生F男、高校生G女、警官H男の計8人が死亡したもの。





太田祐さんへのインタビュー
はい、あの事故のことはとても覚えてます。あんなことがこの町で起こるだなんて、今でも信じられないですもん。というか、何をしてももう忘れたいですよあんなん。

…というか自分、一応当事者ってことで良いんですかね?途中からまでしか見ていないんですけど大丈夫です?

あ、そうですか。なら話します。


あの時、自分は里帰りで東京の大学から戻って、そこら辺をぶらぶらしていたり、高校の頃の恩師に挨拶したり、昔の友人の所に遊びに行ってたんです。
それでいよいよ夕ご飯食べに家に帰ろうと思って、来た道を戻ってたら急に男の人の大きな悲鳴がすぐ近くのどこからか聞こえたんですよ。

何事だと思ってたら女の人が俺に駆け寄って、「男の人が直ぐそこの家の玄関に倒れている、直ぐ一緒に見に行って欲しい」って大慌てで駆け寄ってきて。

で、連れられるまま家の前に屯っている野次馬を押し退けて、その家の玄関に着いたんです。そこには頭から血を流している男が靴入れの棚に背もたれていて。意識はあるようだったんですけど、息も絶え絶えで、今にも気を失いそうでしたね。

それで「一体何があった?」て聞いたんですけど、彼女も分からない、急に叫び声が聞こえたから見に行ったらこうなってた、て捲し立ててあまり分からなかったんです。
でもどうやら家の中から逃げてきた、家の中で何かに襲われたような印象を持ちましたね。

急いで救急車を呼ぼうとしたら、別の方がもう呼んでたみたいで、じゃあもういいか、家に戻ろうかと離れかけてたんです。女の人にもう少しいた方がいいんじゃないて言われたんですけど、救急車が来たからもういいかなと思って。それに野次馬って元から苦手でしたし。

それで家までの道の途中まで差し掛かったら急にブレーキ音みたいな、いやこれはブレーキ音ですね、それと同じに何人かの悲鳴と湿っぽい物が潰れるような音、それに衝突音が響いて。

急いで何があったのか確かめに戻りましたよ。




あまりに酷い、としか言いようがなかったですよ、あれは。

門塀って言うんですかね?家の入り口の壁の。そこに警察官の人がへばり付いていたんです。

いえ、倒れかかってたんじゃないんですよ。何かプレスされたみたいに、ほら、海外の料理動画で牛肉のパテを軽く押し潰して空気を抜くのがあるじゃないですか。
あれみたく胴体の腰から上と首と右腕以外平べったくなって、それに首のところが塀と重なって、前に飛び出て、でもう少しで千切れそうでもう。

その目の前には近所の野次馬の一人だった、多分近所の中学生の子だったと辛うじて分かりました。
というのも頭とお腹からかけて轢かれたせいなのか丁度真ん中がズタズタで顔ももう窪みになって消えちゃったんです。それに中身も中学の制服の裾からはみ出てるんですよ。

目を背けようとして、見ていたのとは反対の道路の方に顔を向けたんですけど、その通りに三人の人がうめき声をあげてたんです。でももう助かりそうにないなってのが、例えば頭から灰色の塊が出てたり、顔が取れちゃったりなんか手足以外服ごとぐちゃぐちゃで。どうすればそんなふうになるんですかね?

それでまた救急車、いや警察呼ばないとパニックになって、でも何故か、多分色々と情報というか色んなものが詰め込まれてしまった結果、逆に冷静にこう思ったんです。最初の救急車はどこだ?多分救急隊員の人が中にいるから助けないと、ていう風に。

するとすぐに、ちょっと離れた場所からまた凄い衝突音、その時はガードレールか壁に救急車がぶつかったんだろうと思って急いで音が聞こえた方向に走ったんです。

でまあ猛スピードだったんでしょうね、車を避けられなかったであろうおばさんとか男の人とかが顔とか胸とかを凹ませて横になってて、もうどうしようもなかったんですから。
それを横目にしつつ、救急車の後ろが見える所に、そこは袋小路みたいになってたんですが、何かおかしいことに気づいて近寄ったんです。

救急車の、怪我人とか病人の人を乗せるために後ろが開くじゃないですか、あれが全開だったんですよ。その中にも人がぐったりして動いていないし。

でも、車の前の状態の方がもっと酷かったんですよ。
袋小路になってたって言ってたと思うんすけど、正面の壁にそのまま衝突したカンジで運転席ごとぺちゃんこになって、窓ガラスのあった場所から赤い汁が流れて救急隊員の人の腕も飛び出ちゃってて。血が救急車の外側全体にべったりして、しかも手のひらの形をしているのがわかって、もしかしたら潰れても少しの間生きてたのかなって考えてしまって。でも何で反対側にも付いてるのかなって。


…あれから何日も経ちますけど、精神科のところにずっと通いぱなしなんですよね。パニック障害ってやつです。考えが止まらなくなったり手が震えたり上手く喋れなかったり、鼻とかも前より働かなくなったりしてるんですよね。

ああ、もう大丈夫ですか。人に話したかったんで、そんなに気にならないでください。ありがとうございます。






2022/09/19 松山市内の不動産会社へのインタビュー書き起こし

え、あの、曰く付きの家の話でしょ?松山市内の住宅街の?勿論知ってますよ知ってます。

最近は自分の業界の周りだと似たような噂話ばっかり聞いてて、ああ流行りの噂なんだなぁ、みたいなことを思っていましたからね。

ただの噂、フィクションみたいなものです。そんな怖い話って頻繁にある訳ないですし、自分の知っている話もよく聞く様な話ですよ?そんな気にするような事柄なんですかねぇ。

……あー、とりあえず関係があるかな?って感じの物件は聞いたことがあるんですけど、その時の担当じゃなかったですし、まあ警察とかの人からの伝聞なんでよく分からないですがね。

ほんの数ヶ月くらいまで取り扱ってた物件なんですが、男の方がお亡くなりに、というか不審死した物件なんですわ。

異臭騒ぎがあって、近所の方が怪しいと思って家に着て発見したらしいんですよね。

でね、それだけでしたら最近問題になってる社会問題、的なカンジでしょ?
おかしいのはその人がそこに住んでいない、赤の他人であったことと、その時の部屋の中なんですよ。

何でしょうね、土嚢って言うんですかね?それが部屋のそこかしこに積まれてたんですわ。それこそガラス窓やら扉とかもあるんですけど、それも分からなくなるくらいぎっしりと。
しかも中身は土じゃなくて、どっかの河原から拾ってきたんでしょうか、河原石がぎっしり詰まってるのが四方八方に重ねられてんです。

後は、何故か部屋の入り口にカーテンが張られてて…、これはあんまり怖くないですね。

兎に角意味不明な様子だったらしいです。それにもっとおかしいのは遺体が見つかった場所で。

えぇ、どうも部屋でその人が見つかったんじゃないんですよ。
おかしい事に、浴室の中なんです。勿論お風呂入っている時に倒れてそのまま、っていう話じゃない様でした。
浴槽の中でなんですけどね。結構長い浴槽があったらしいんですが、その所に寝そべってたらしいですわ。

死因は心臓麻痺らしく死後数日経過したそうで、変なことに、体そのものはグズグズになってたんですけど、何故かウジとかは沸いていなかったらしいですね。
あ、すみません。これ別に話さなくても良い話でしたね、失礼しました。

私が知ってる似た話は、ざっとこれくらいなもんですよ。お役に立ててれば幸いです。



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注記上記の写真は准教授から提出されたものであり、右側のホテルに滞在したとの説明があったので掲載した。
メモ:2022/02/23 明治大学准教授との会話音声の抜粋

お久しぶりです。
前のシンポジウム以来でしたね。

あの出来事は、確か去年の秋だったと思います。

その日は愛媛大学の講演会で、私は幾つかの小規模の研究の紹介とポスターガイドの担当を行いまして、その講演会が終わり、道後温泉の居酒屋で参加していた研究者の方々と呑んでいました。そうそう、確か先生も五郎兵衛谷古墳1号墳出土の三累環頭鉄剣の化学分析のポスター出していましたよね?あれ非常に興味深かったです。

そこで、古墳時代後期の海浜型前方後円墳と墓制を研究していらっしゃる方で久味さんという人がいるんですが、この様なことを仰っていたのです。

「今現在、発掘調査の進んでいない古墳群があってそれの調査員を大学と教育委員会の方で募集しているのですが先生は興味がありますか?」という風に。

私はすぐその提案に二つ返事で答え、より詳しい事情を聞きました。

どうやらその中の幾つかの古墳は途中まで埋蔵文化財センターが発掘調査していたようですがある時期を境に止まってしまっていること、教育委員会の埋蔵文化財課がかったのですが発掘調査と史跡整備の計画を立てていることといった詳しい事情を知りました。

その後は二次会、三次会と過ぎていき、気がつけば朝方になってしまい、急いでホテルに戻ろうと足を進めました。

朝方ですが周りには同じく朝まで飲んでいたり、夜仕事の後で帰宅すると思われる人々が少なからずいました。しかし、その人混みの中に妙な人影を見たのです。

最初は何か目立つ格好の人がいるなと気にしていなかったのですが、ホテルの方向に向かうに従って激しい違和感に襲われました。

人影はとても赤かったのです。

赤い服を着ているわけではありません。服装はもうすでに思い出せない、というよりも服を着ていたかどうかすらも分からなかったのですがソレは真っ赤としか言い表せないのです。
それに周りにはポツポツ人が屯っていたのですが、誰も関心がない、というよりも見えていない、何も無いように振る舞っているのです。

どれほど時間が経ったことでしょうか。不用心に注目し続けていたからでしょうか。急に赤いソレが顔を上げ、こちらに向けました。それで手遅れながら実感しました。

あっちもこちらと目が合っている。見つかった、と。

そしてその場から逃げようとしました。もう酔いは覚めてしまい、真っ直ぐ逃げようとしたことだけは覚えています。

ちょうどホテルに駆け込んでフロントまで辿り着いたことも記憶にあります。この年で長らく走るような急激に体力を使う作業はしてなかったので、息も絶え絶えで自分の部屋の前になんとか辿り着きました。

息が少し整えることができるようになり何もないか確かめると、腕にべっとりと赤いものが塗られていました。
でも血のようなぬめぬめとした感触ではなく、トイレの洗面所の水道でも中々取れません。何らかの塗料だったのでしょうか。

どうすればその塗料を取れるのかを考えながら一旦部屋を出ようとしました。ですが周囲に気を配らすことを怠っていたのでしょう。
別の通路を通っていた方とぶつかってしまい転んでしまいました。

しかも手の甲を擦りむいてしまったため、痛みで動けずにいると、途中で斜め横から手を差し伸べられました。

ありがとうございます、と感謝の意を述べ、咄嗟に手を掴んだところでおかしいと思いました。
直ぐに何がおかしいかわかってしまいました。

人がいない通路で、ぶつかった本人はすぐ先を歩いているのに丁度良いタイミングで手を差し伸べられたこと。

その人は一切何も言葉を、いえ、人間らしい気配を発していないにも関わらず、私は何も考えずに手をとってしまったこと。

何故かその差し出された手が私の部屋から来ていること。

そして何より、差し出された腕が熟れた柿みたいで、目が痛くなるほど真っ赤であること。

不意に目線を横に上げました

動けませんでした





それで気がついたのは市内の病院のベットの上でした。
後で話を聞くと、突然明け方に何かから逃げるような叫び声が聞こえ、声のする方を見ると私がホテルから飛び出して半狂乱になりながら市内をぐるぐると逃げるように走り回っていたと聞かされました。それ以外の様子、赤い人に関しては誰も見ていないそうです。

しかし、血液検査の結果を見た医師の方から唐突にここ最近工業地帯や化学薬品に関連する場所に行ったかを問われたことは未だに疑問に残っています。

最終的にはすぐに警察に通されたものの、結局薬物反応も一切見つからず、ひどく酒に酔っていた私が幻覚を見たということに収まりました。

けれど、あの硫黄に似た匂いと、私の腕にねっとりとへばりつく、得体の知れない血のような色は、今もまだ私の腕にも、瞼にもべっとりと塗られている気がしてならないんです。






愛媛のニュース

50代男性が不審死 松山
 愛媛県松山市の住宅で8月下旬、50歳の男性の遺体が見つかっていたことが29日、愛媛新聞の取材で分かった。松山署などによると、死後数日が経過しており、家の鍵や窓が壊されていたこと、遺体の状況などから何らかの事件に巻き込まれたと見ている。

 関係者によると、男性方を訪れた同僚が異変を察知し、室内に入り、遺体を発見したという。
 
 周辺住民らによると、男性は近所付き合いは積極的で、地元の行事や集まり、ボランティアに頻繁に顔を出していた。



佐々木喜善 1924 「ザシキワラシの話」より抜粋

(七九)伊豫國新居郡神戶村のM氏と言ふ鑛山技師の家に、赤シヤグマと言ふものが出て、臺所に直してある娘さんの辨當のお茱などは、夜の間にちやんと食つてしまってあつたりした。時々座敷て、人寢沈つた時騒ぐので、行くと何物も居ない。其れは頭の毛の赤い子供の樣な物だ云々。






令和2年度 松山市埋蔵文化財調査年報 より抜粋

概要 令和2年度の埋蔵文化財調査事業は、発掘調査11件(前年度継続1件)、試掘調査105件、年報・報告書刊行2件、出土物整理・保存処理を実施した。
〔発掘調査〕発掘調査は公共事業4件、民間事業2件、国庫補助事業4件である。なお、現地説明会はコロナウイルスの影響で執り行っていない。
公共事業(4件):下難波、小野町、東垣生町、南吉田町で調査を行った。下難波腰折遺跡2次調査A区では、 古墳2基(5号・6号)を検出した。とくに5号墳では石室内から多量の須恵器や鉄器、装飾品が出土したほか、子持ち器台の装飾須恵器が出土した。装飾須恵器は、松山市南部の古墳に比較的多く副葬されるが北条地区では稀な出土である。小野町牧山遺跡3次調査では古墳1基が検出され、前方部が削平されてしまったものの、石室が2基(2号・5号)が確認された。遺物は3号室では盗掘によって残存していないものの5号墳ではTK209型式の須恵器が、2号室では五鈴鏡と獅噛三累環頭大刀柄頭が検出したことから6世紀末の築造と推測され、小野地区では初の事例となった。東垣生八反地遺跡6次調査では、調査地や周辺地域における室町時代以降の水田区画や規模等を解明することができ、水田様相の一端が明らかになった。遺物では、古墳時代後期、奈良時代の須恵器(坏蓋・坏身・甕)、平安時代中期から鎌倉時代(10~13 世紀) の土師器や須恵器、黒色土器、瓦器のほかに施釉陶器や陶磁器、鉄器、木器、動物遺存体(動物歯) 等が出土した。掩体壕確認調査では、掩体壕構築以前から現在に至るまでの土地利用の変遷や掩体壕内部と外部の地下構造、掩体壕の構築方法を確認した。





『愛媛県の怖い話』より 「赤い人 その1」

これは愛媛県に住むDさんが実際に経験した話である。

Dさんは校外学習からの帰り道、親しい友人と一緒に住宅街の道を歩いていた。

途中、コンビニで買ったホットスナックを食べ歩きながら談笑していると、友人が急にいぶかしげな顔をした。

不思議に思っていると、突然こんなことを言い出した。

「このあたり、やけに虫が煩くないか?」

改めて周りを見渡すとまるで大量の生ごみでも捨てられているかのようにハエが宙にとどまっているのが理解できた。

しかし、当たりにそれらしき物は無い。

というよりも畦道の途中で、Dさん達以外に何かがある様子は確認できない。

食べ歩きしているのに、と不快になりながらも早足で帰り道を進むと、前方から人がやってきた。

二人は狭い道のため、道を開けようと道の片側に寄ったのだが、何故かあちら側も同じく目の前に移動してきた。

そして相手を直に見る距離まで近づいたとき、二人とも言葉を無くしてしまった。

向こうからやってくる姿はそこだけ絵の具で塗り潰したかのように真っ赤であった。体全体がぐずぐずになっており、特に顔、というより頭は爛々と光る目玉を除いてペンキで塗り潰したかのように周りの風景から浮いていた。
そのことに気づいた二人はその場から動けないでいると、そのナニカが急にこっちに向かってきた。
走ってきたと言うよりも、その姿だけがズームしてきたように感じたと語っている。

Dさんたち二人は急いで先程まで居たコンビニまで戻り、そこで改めて互いの両親に連絡をし、送り迎えしてもらった。

後日同じ道を通ったが、何も無かったという。
ただ、地面が赤っぽい塗料が塗られていた様な気はしたそうだが。

Dさん個人にとってはそれ以降おかしな出来事は無かったが、その日の翌朝から学校に来ても、友人と会うことは二度となかった。
その後しばらくして、家庭の事情という形で友人は転校し、その後の行方は分からないと言う。

しかしながら、転校したと聞かされる前夜、その友人からDさん宛にメールが届いたという。
何で今まで連絡しなかったのか、そもそも何故夜遅くに、と訝しんだDさんはメール画面を開いてみた。



「今も床から赤い人が湧いて出てきた。」


それっきり、何もわからずじまいだと言う。




2022年9月21日

以下は上記の日付にYoutubeに投稿された2つの動画の書き起こしである。
投稿者は愛媛県にて撮影されたであると記載しているが詳細は一切不明である。

動画の内容は二人組の男性が空き家に侵入している様子を撮影しているものであるが、複数の箇所で異変が発生する。


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1本目の動画内容

男性A:ちょっと大木先輩、勝手に家に入らないで下さいよ!軍手とか用意して行かないとダメですって!

男性B:騒がないでよ、大丈夫だって。県の埋文にも空き家の管理者の人にだって許可もらってんじゃん。それに本格的な調査じゃなくて確認だけだよ。
開いてここかどうか確かめたら今日は帰って、今度埋蔵文化財の方に本格的に実測図とか出土遺物見せて貰える様に相談する、ってそう何度も言ってるじゃんか。

男性B:というか何で動画撮ってんの?廃墟探索とか心霊スポット行ってるんじゃないんだからさ。
…確かに事故でとんでも無い事になってたって話だけどさ。

男性A:いや、勝手に許可取ってないことにされたりとか、物が無くなったとかでこっちのせいにされたら怖いですし…

男性B:あー、まあ確かにそれは怖いから撮っててもいいか。そうと電気通して貰ってるから、スイッチ探してくれ。

男性AとBが玄関の明かりをつけるためスイッチを探し、男性Aが点灯する。

男性B:付いた付いた。確か庭の方だったよな。よし、先に庭の方を見に行こうか。

男性A:行きましょう。

以降3分間は学業の事などの会話を行っていたのみのため省略





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2本目の動画内容

男性A:えっと大木先輩。もう日が暮れちゃいますし、帰りますか?裏庭の石棺の寸法と両袖単室だってこと、石室の石材の単位の確認と計測はもう済みましたし。

男性B:え、まだダメに決まってんだろ。もう少し見たいものがあってさ、もう一つ石室があるはずなんだよ。確か床下に埋まってんじゃなかったけ?それだけやって帰ろうぜ。

男性A:いや、そんな話どこに載ってたんですか?初耳なんですけど。

男性B:先生から聞いたんだよ。裏の露出している石棺とは別に、家の下に横穴式石室が埋没して天井部から入れるんだってよ?

男性A:いやいや、ダメですって。というか無理ですって。そもそも地下に埋没してるなら家の基礎で埋まってるんじゃないですか?もういいじゃないですか、石室なら今掘ってるじゃないですか。

男性B:それがさ、台所にある床扉から中を見れるらしいんだよ。どうもさ、家建てる時にそこが古墳だって知らずに家建ててぶち開けちゃったもんだから行政に連絡するのが億劫になって、収納庫って誤魔化したまま放置しちゃってるらしいんだよ。ずさんで笑えるよな。

男性A:それだとしたらますますダメじゃないですか。というか整備なんてされてないんですから蛇とか蜂とかに刺されちゃったらどうするんですか?危ないですよ!

男性B:あーもうわかったわかったから。めんどくせえな。じゃあ上から中覗くだけなら文句ないだろお前も。(舌打ち)たっく、卒論に仕えると思ったんだけどな。

男性A:去年も似たようなこと愚痴ってませんでしたっけ。

二名は台所に移動する。

男性A:え、ここなんですか?べらぼうに汚いじゃないですか。

画面にはフローリング中に泥・赤い塗料によって非常に汚れている様子が確認できる。

男性B:なんだろうなこれ?なんかベタベタしてるし、いたずらされたか?ンな訳ないか、鍵しまってたよな。

男性A:ちょっとちょっとやばいですって。もう気持ち悪いですよ。なんか変な臭いもしますし。

男性B:硫黄っぽいな。でもアスベストみたいなモンのせいだろ、まあマスクはつけてるけどずっとはいられそうにねえし、ダメだったらそろそろ出るか?

男性A:そうですよ、早く帰り―

玄関前に戻ると、唐突に男性Aがうろたえる。

男性A:待ってください、何か見えませんか?

男性B:え、何が?

男性A:さっきの場所ですよ、戻りましょう。

男性B:あ、おい、待て!

男性Aは走って映像は暗転し、足音のみが聞こえる。

男性B:おい馬鹿!どこに行くんだ!

男性Bは映像機器を拾い、台所のあるリビングに戻る。

男性B:冗談やめろよ!受けねえんだよそういうの!ホント今日お前何なんだよ!

突如台所の方向から嗚咽・泣き声が聞こえる

男性B:町田、お前なのか?お前何いきなり泣いてんだよ…

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男性Bは恐る恐る床の扉を開ける

男性Aの頭頂部が見える。男性Aは号泣している

男性B:…何やってんだ?

男性A:(泣き止めて)え、いや、先輩も無礼になりますからちゃんとしましょうよ。(再び泣き始める)

男性B:え、無礼?だから何してー

男性A:あ、もう、ほらぁ。

突如、赤い腕が男性Aを掴み、引きずる。

男性Bの悲鳴と共に映像機器が落ち、映像が停止する

以上が動画内の内容である。
動画内に写っていた二人の男性の身元は香川大学の大木健斗氏(23)と愛媛大学の町田兼久氏(20)であることが判明し、町田氏に関しては8月に捜索願が出されていたことが判明した。

また動画内で両名が訪れていた家屋に関しては不動産、並びに公的記録において該当する物件はまだ確認できず、現在も事実確認を行なっている最中である。





『えひめの記憶』 データベースより抜粋
   
奇 穴 発 見 報 告 
本月十日、農夫ガ小野ノ小高キ処ニ至リ窪ミ有之場所ノ落葉等取除キ候所、不思儀ノ穴ヲ見認侯ニ付取調候所莫大ナル穴ノ模様ニ有之侯得共山頂ニ如此穴ヲ造ルハ不思議ノ至ニ御座候間不取敢此段報告仕侯也  
明治廿七年九月十日
小野村    三 山 徳三郎  

小野警察署御中 埋 蔵 物 発 見 届 
一、曲玉壷ノ如キモノ取交  四個 
一、太刀ノ腐リタル如キモノ 壱本  
一、玉           数十個 
一、兜ニ似タルモノ     壱個 但シ是ハ悉皆破損数十個ニ相成居候 
一、鏡           二面 
一、人骨ノ如キ骨      三集マリ 

右ハ本月十七日 両日中前記物品当温泉村小野町牧山ニテ埋蔵品発見仕候間別紙理由書相添此段不取敢御届仕侯也      
温泉郡小野村    三 山 徳三郎 
明治廿七年九月十七日
愛媛県知事  小牧昌華殿






安藤氏の書き置きメモの一部

2022年8月12日

松山市街、特に小野を中心に原因不明の失踪が連続して発生している


関連、理由はまだ分からないが何か繋がっている気がしてならない?
下記に関連が疑われる行方不明者記録の抜粋を記載する

20日追記:もっといるかも知れない



番号 受理署 氏名(年齢) 性別 行方不明年月日 人着 当時の状況 写真
1 松山東 真鍋裕翔さん(28歳) R4.06.02 身長等:175cm、ロングヘア、中肉 服装:黒色のジャンパー、黒色の音楽バンドのロゴ入りシャツ、長ズボン、白色スニーカー 所持品:リュックサック 行方不明者は、令和4年5月28日午後2時30分頃に友人宅に友人と共にいたのは確認されていますが、その後、連絡が着かなくなったため、不審に思った友人が訪問し、いなくなっていたものです。 PDF
2 新居浜 高橋ジャスールさん(28歳) R4.06.17 身長等:180cm、体重、90kg 服装:茶色コート、青色シャツ、黒色ズボン、革靴 行方不明者は、「誰かに追われている。」と言い、家を出たまま帰宅せず、行方不明になっています。 PDF
3 松山東 篠原美奈子さん(39歳) R4.07.11 身長等:150cm、体重、やせ型 服装:茶色シャツ、黒色ズボン 行方不明者は、「仕事に関する用事ができた。」と言い、勤務先を出たまま帰宅せず、行方不明になっています。 PDF
4 新居浜 石川明日さん(15歳) R4.07.27 身長等:165cm、体重64kg 服装:上下学校のジャージ 行方不明者は、体験学習の帰りに家族と待ち合わせのため公園で友人と別れた後、行方不明となっています。なお、8月13日、愛媛県松山市小野の雑木林の中で財布、携帯電話と共にリュックサックが発見されています。 PDF
5 松山東 村上セツさん(85歳) R4.07.26 身長等:140cm、やせ型 服装:ベージュ色セーター、白色ズボン 行方不明者は、松山市の娘夫婦を訪ねるために外出したまま帰宅せず、行方不明となっています。 PDF
6 西予 町田兼久さん(20歳) R4.08.09 身長等:176cm、中肉 服装:白色シャツ、紺色ズボン 行方不明者は、友人と共に出かけた後帰宅せず、所在不明となっています。 PDF
7 松山東 峯田淳さん(41歳) R4.08.12 身長等:160cm位、やせ型 服装:救急隊員作業着 仕事中に所在をくらまし、行方不明になっております。 PDF





下記は所在不明となっている高橋君と友人の大野アブドゥラ氏とのLINEでのやり取りを特別に閲覧させて頂いたものである。

    جسورو& عبد الله    
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2022年6月15日(木)
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不在着信
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メッセージの送信を取り消しました
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おい
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見てるか
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なあ
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電話にも出ろって
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どうした?
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ミックにもマスジドの方にもいないんだろ?
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さっきの電話は何だよ?
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大丈夫か?何があった?
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2022年6月16日(金)
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助けtd
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今追わrdてる
話せないかくれてる
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今どこにいんだよ
すぐ向かえに行く
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小野だけどくるな
殺される
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殺される!?警察呼べよ何やってんだ
やっぱりそっちに行く
小野のどこだ
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もう間に合わない
やばいやばいやばい今隣にいるこえかきこえ?る逃げないとy1ばい
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おい大丈夫か?
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今警察に電話した
俺も車でそっちに向かっている
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頼む返事してくれ
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本当にすまない、いなくなったかも
امرأة سخيف
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でもまだかなりやばいから警察に伝えてくれて助かる。今青い屋根の長い平家に駆け込んだ
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途中で足をひねって動けない
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お前無事なのか
何があった?
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いや、ずっと見続けなければならなかったから
てか警察かお前が見えたら話すさっきまではメール打ってるだけでもやばかったから落ち着きたい
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落ち着きたい、、、てお前ふざけんなよさっきまでのパニックは何なんだよ
というか何を見続けなきゃならなかったんだ。
というか平家って小野の何処の平家だよ迎えに行くから教えろよ
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いや、ずっと密室にして見続けないとダメって先生に言われたんだよ
あと、すまんmapがスマホのアップデートがまだとかで使えないから外から中学校の正面が見えるから写真で確認してくれ
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だから何をだよ
いや、んなことより普通に中学校の名前とそこからどう行けば着くのか教えろよまずは
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すまんパニくってたから名前とかどういう道かはあまり覚えてないだ
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あれ、自撮りになってる
もっかいやらせてくれ
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ごめん間違えて送った
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メッセージを削除しました
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なんで
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何でまたここkに
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でた





追記上記のLINEにおける削除された箇所を大野氏に質問したところ、激しく拒絶、パニックに陥ったため、急遽中断した。






下記の書類は愛媛県埋蔵文化財センターから特別に閲覧させてもらった書類の一つである。本件と関連が疑われる箇所を除き、個人情報の保護のため削除を行っている。
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下記の文章は小野で発生した事故の生存者である救急救命士であった宮野陸氏とのインタビュー内容をまとめたものである。

宮野氏は現在も自宅療養中であり、一種のせん妄状態に陥っていると事前に親族の方から伺っていたが、インタビューの結果、別の要因があると推測した。

えっ、あ、あ、別に無理して話さなくていい、ですか。
なんで大学の先生がこんなこと聞くかわかんないすけど、あ、ご家族が…
警察の捜査が不十分だから自分で…

…わかりました。でも怒らないで聞いてくださいよ。

あの時は自分は先輩たちと共に小野町の家での救急に従っていたんですけど、現場につくと女の人が、電話をした人なんでしょうけど、駆け寄って、まくし立てて男の人が二人家の中で倒れているって。

それで玄関に入ってすぐのところに若い男の人が倒れているのを見つけたので、自分と飯田は反応と外傷の確認を行い、峯田と岸部は奥の台所の方にいるって女の人の案内で先に進んでいったんですよ。

自分たち若手は玄関の方の人を担架に乗せて、救急車に搬送したんですけど、急にその人の意識が覚醒して暴れ出したんですよ。でちょっとしたら宥めることができたんですけど、ずっと「見続けないと出る、こっちに来る、生まれちゃう」と繰り返すばかりでこっちの質問には答えられていませんでした。

暫くして岸辺が戻ってきたんです。
でも一人だけで救急車の運転席に座りました。

それで変に思って、「もう一人の怪我人の方と峯田はどうした、何故戻ってない」って。

すると、


「今、二人とも寿いでるから戻らない」

一瞬、自分も飯田も彼が何を言っているのかまったく理解できず、もう一度聞き直そうとしたんです。

「いや、救護に向かってたんじゃないんですか?」

「いや、失礼なことしてはいけないよ、せっかく来て下さったのにそれを無かったことにしようとするなんて」
だから失礼じゃん!わざわざおいで下さったのに、お世話しないといけないのにさぁ!!
そして岸辺はアクセルを全開に踏みました。




自分は当たりどころがよかったのか頭を少しぶつけただけでしたが、意識を取り戻した後に辺りを見渡すと、飯田と患者は二人ともぐったりして動かなくなって、一方で岸辺は壁に運転席ごと潰されて、元の形が無くなってました。

呆然とする私は、そのうち視線に気がつき、窓ガラスの方に視線を動かしました。

そこには先ほどの女の人が立ってて、俺を見て。笑ってこう言ってました。

「おすひのすそに、つきたちにけり」




…あれ以来、嶺田さんは消えてしまいました。

もう思い出したくないんです。




「葉佐池古墳の一号横穴式石室から出土した三体の人骨のひとつ(B号)には、 腐肉にたかる生態をもつヒメクロバエ属の蛹の殻が多数付着していた。当該の人物はハエの繁殖期である夏を中心にした春から秋にかけて亡くなったらしい。そして死後数日を経て、腐食ただようなかでハエが遺体に産卵したと考えられる。蛹殻の状況から、卵が羽化したことも確認された。ハエは暗闇では活動しないことから、遺体はある程度の光景があり、ハエが容易にたかることのできる環境下に置かれていたことになり、そこが暗闇の石室内ではないことを語っている。そこに殯の期間が想定される。このようなハエの蛹殻は、鶴見山古墳出土の銅鏡にも付着していて、遺体が副葬品とともに棺に納められ、蓋を開けた状態で殯がおこなわれたことを推察させる。」

辰巳和弘 2012 『他界へ翔る船―「黄泉の国」の考古学』 新泉社より抜粋



いやさ、そもそもさ、古墳時代には確かに殯の風習は確実にあったけどさ、古事記にあるような喪屋が実際に使われたとか、古事記の黄泉の国=横穴式石室な訳ないんですって。

というか簡単に言ってしまえば、これは古墳、石室研究の第一人者の和田晴吾先生が主張していることなんだけど、7世紀までの 棺は古墳時代の初めから一貫して「据えつける棺」で、石室内に「持ち運ぶ」石棺は7世紀の横口式石槨の登場まで登場しないんだよ。
多分、葉佐池の方も遺体を運ぶ戸板の可能性が高いだろうね。

つまり、殯を行うための型式は7世紀以降の特色で、それまでは納棺と埋葬はイコールだったんだ。まあ、追葬関連の儀礼もあるから断言はできないけど。

というか、殯っていうのはただ死人が本当に死んでるのか確かめる儀式なんかじゃなくて、死者のために悼み、奉仕する儀礼だよ。つまり、彼岸の魂を招来させるのではなく、魂を沈める鎮魂を目的としたものであるのが現在の主流の見方なんだ。
だから、石室そのものを喪屋に見立てて遺体が腐るのを見続けるのはあまり考えられないんですよ。

というか、今の話振り返ると、牧山遺跡を担当している久味さんの分析も同じくらい的外れですよ。

そもそもあの人が言っている遺構から出土している遺物も古人骨にもそういった殯の痕跡も、それ以外の動物遺存体も検出されませんでしたよね?それにベンガラや水銀の塗布の復元も精査を行っておらず、葉佐池古墳と結び付けるには横穴式石室の型式も、組み立て式木棺の痕跡が確認できていないことも、被葬者の性格そのものも何もかも違うじゃないですか。
色々とこねくりまわしてますけど、結論ありきすぎませんか?

というかわざと遺跡の解釈自体を間違えてませんか?もっというと遺物に手を加えたとか違う機能を当てはめようとしたとか。






「喪屋とほぼみてよい建物を発掘調査で確認できた事例はごく少ない。逆に言えば、喪屋を墳丘上に営むのはむしろ例外的とみるべきで、一般的には、被葬者が生前に生活していた建物の近くか、埋葬される古墳の近くに、喪屋が建てられて殯が行なわれたのだろう。」

和田萃 1995 「葬送儀礼と埴輪群像」『日本古代の儀礼と祭祀・信仰』塙書房




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上記が私が編集した安藤博士の収集資料です。


まあ、何かに興味を示し、ソレを見る、振り返るという行為は相互的です。存在を解釈、結びつけることです。例えば、何もない空間に何かがあると考えてしまったり。ある対象に自分の頭の中の解釈を考え、さもそれが事実であるのかのように振舞ったり。関りがあるものも無いものもごちゃまぜに組み合わせちゃって別のモノになってしまったり。そこに留まればよかったのに進んでしまったり。
意識し続け、見立てることでこちらに来させることができるのです。

愛媛大学法文学部 人文学部履修コース/埋蔵文化財調査室 久味伊予

ところで削除された写真に関してですが、高橋くんのスマホは持ってるので、見ることができます。
ここまで来て下さったのですから、是非見て下さい。
うませてあげてください

『神祇令』散斎条
凡散斎之内、諸司理事如旧、不得弔喪、問病、食宍、亦不判刑殺、不決罰罪人、不作音楽、不預穢悪之事。致斎、唯為祀事得行、自余悉断。其致斎前後、兼為散斎。

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