静戦インプロヴァイズ - ファルシフィケイト・リポート
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静かなる大戦。

砲撃も爆弾も、魔術の炎も、一つとして地球の上には落ちることのなかった戦争。

しかし騒乱の舞台は常に、異次元の彼方であった。

ただし、現実の世界が異界への攻撃手段として全く使われなかったかと問われると、答えはNOだ。

丁度、このエピソードのように。


雪の降り頻るストックホルム。街灯とイルミネーションから作られる暖色の街角には、ふわふわとした防寒着に身を包むカップルや親子連れの往来が広がっていた。街路の傍に浮かぶ厚みを持たない薄紫の電光掲示板は、長閑さに覆われた景観の中で数少ない異物となる、物騒なニュースを読み上げる女性キャスターを映していた。

「…1月13日本日、プロメテウス・エレクトロニクスは、ユーテックのシグルンシュトラッセに本拠を有する3つのバトルボット開発企業を買収したと公式に発表しました。…」

往来の人々の中に、モニターへ注目を向ける者は疎である。毎日の時間を跳躍路の往復に消費するようなビジネスマンでなければ、ユーテックの企業がプロメテウスに次々と敵対的TOBを仕掛けられている背景も、所詮は遠い異世界での出来事に過ぎないためだ。

「…次のニュースの前に訂正です。先ほど3つのバトルボット開発会社とお伝えしましたが、13の誤りでした。お詫びして訂正いたします。さて次のニュースですが…」


「サンドラ、お前というやつはまた誤報をしたのか」

その日の報道社では毎度の説教が繰り広げられていた。カンカンな上役の男に向けてバツの悪い顔を見せているのは、先ほどモニターに映っていた若いニュースアナウンサーだ。

「大変申し訳ございません、再発の徹底防止に努めます」
「もういい、わかったから仕事に戻りたまえ」

上辺だけの謝罪を跳ね除けられて、上役からの小言はあっという間に打ち切られた。いつもの事すぎて、互いに係争するような内容はとっくの前に尽きてしまっていたからだ。サンドラは次の出演時間まで、リポーター達が探し当ててくる新たなネタが原稿に組まれるのを待つこととなる。

「不思議だよね、サンドラさんのニュース読み上げ」
「地球のニュースは絶対間違えないのに、地球以外の場所の事を話させると毎回のようにどこかを読み間違えるんだよな。なんか苦手意識でもあるんじゃねえのか」

同僚達の嘯きを背に受けながら、サンドラはオフィスの机へと戻ってゆく。


一方その頃、ビビッドカラーのネオンサインとケーブル、それと乱雑に絡まるコンクリートで編み上げられたユーテックの郊外では、どこかから打ち上げられ飛翔していく夥しい数のドローンが目撃された。それらは直進ルートを飛び、地表の遍く光源を淡く反射する漆黒の空へと消えてゆく。

大抵の場合、人間の住むポケット宇宙の広さは街2〜3個分の平地に過ぎない。地表があれども地面は球体ではないし、浮かぶ天体もせいぜいが光源の必要に迫られて用意される人工太陽くらいのものである。なので、空へと飛ぶ自律飛行機は、ほどなく宇宙の果てへと辿り着き、その先にある絶無の空間へ - ポケット宇宙どうしの間に広がる無限の非次元領域へと潜ってゆくのである。

「作戦は決行された!ユーテックの当局はプロメテウスのポケット宇宙に風穴を開けようとしている。特ダネになるぞ」

違法建築が繰り返された地表のコンクリート塊から空を見上げて、前線記者は自らの電脳記録の暗号化を開始した。送り先はスウェーデンのオフィスにいる原稿チームだ。あとは彼女の顔をちょっとばかり念じるだけで万事終了。プロメテウスシヴァ研究所が導入したサイオニック規格の電脳通信は、傍聴され放題の電磁波を過去のものにした。優位性は自分たちの側にある。


「臨時ニュースです」

電子の海へ、リポートの放流を開始する。

「2047年1月13日、ユーテックから多数の剛体ドローンが飛翔したのが確認されました。…」

サンドラの手元にある原稿には、数箇所に赤の筆記具で強調がなされている。

「…記者によりますと剛体ドローンはアンダーソン・ロボティクスとラプターテックの合同で制作されたものと見られ、人工知能による制御を受けてポケット宇宙領域外の非次元空間を通過する機能を有しています。…」

重要な点は次だ。サンドラはデスクの下に隠した手に握りしめたライターを着火する。ライターは緑色の火を灯し、サンドラはそれを横目で捉える。撃鉄は起こされた。

「…軍事アナリティクスより提供された資料は、アンダーソンの人工知能がどのような刺激によっても行動を停止しない冷徹さを持つことを示しています。ドローンの目標はプロメテウスの宇宙ポケットであり、宇宙外縁部の破壊による現実性流出を攻撃の意義としていると考えられます。…」

仕事はこれで完了した。数刻ののち、ユーテックの砲手たちは虎の子のドローンが非次元空間のゼロ-ヒュームの前に苦悶し、散逸し、そしてプロメテウスの宇宙には何の影響をもたらす事もなく自壊することに気がつくだろう。

サンドラは非常に誤報の多いアナウンサーとして知られている。報道を誤った内容に変貌させるリアリティ・ベンドこそが、彼女の真の業務である。プロメテウスの閉鎖学術研究都市で生を受け、隠密性・秘匿性を追求して複雑な条件のトリガーを与えられた彼女のようなデミグリーンは、既に地球の内外あらゆる場所に潜伏しているのだ。


スタジオを後にしてオフィスの連絡通路を歩く一人のニュースアナウンサーは、敵地の前線で働く記者陣の活躍に労いの思念を贈る。そのあと、朝と同じようにカンカンの真っ赤な顔を振り翳すであろう上役に対する新しい言い訳を考える。現実改変の行使は電脳回路の著明な活性化を招き、彼女はその発露先を必要としていた。定型句はもう飽き飽きだ。

サンドラはデスクに向かう前に、さっき使ったライターを捨てるため公用のダストボックスに寄った。炎の触媒は一度の仕事で使い切ってしまうので、ライターの油は空っぽだ。用済みの物品を投げ落とした籠から、次の瞬間に伸び上がった無数のアームが彼女の肉体を捕らえた。

ダストボックスの底は抜け、あるはずのない煉獄の狭間へと引きずられる刹那、燃える緑の炎を浴びながらサンドラは最後のリポートを聞いた。

『ウルズの神託は果たされた。ここにPTE-8251-Greenの捕縛を宣言する』


静かなる大戦。

砲撃も爆弾も、魔術の炎も、一つとして地球の上には落ちることのなかった戦争。

しかし、暗闘は舞台裏で静かに繰り広げられる。今までも、これからも。


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