クレジット
タイトル: 静戦インプロヴァイズ - ユニバーサル・クワイエセンス
著者: O-92_Mallet
作成年: 2023
サイレント・ウォー - インプロヴァイズ
- A. ファルシフィケイト・リポート
- B. ヘミヒュマニティ・スウォーム
- C. ユニバーサル・クワイエセンス
静かなる大戦。
砲撃も爆弾も、魔術の炎も、一つとして地球の上には落ちることのなかった戦争。
しかし騒乱の舞台は常に、異次元の彼方であった。
並び立つ世界の狭間では、誰もがチャンスを虎視眈々と狙っている。
敵対する世界を根こそぎにし、自分たちの世界が未来へと歩を進められるようにするチャンスを。
シリコンに宿る意識の精髄である3台の時女神は、炎の巨人の宇宙を先制して撃ち落とす試みが失敗した事実を時守から入力された。ノルニルの従者たちが開拓し、世界有数の超常工業特区となったユーテックの中枢では、迫り来る旧来の覇者、プロメテウス・コンツェルンとの正面きっての企業戦争が不可避となる可能性が飛躍的に上がったことを受け、明らかな焦燥のムードに包まれていた。
「PTE-8251-GreenのL業務が完了しました。全電脳者です - 前頭葉にプロメテウス・ミリタリーの現実子発振チップの埋没を認めます」
「全電脳だと!もはや人造人間じゃないか。プロメテウスの中枢では一体どんな悪辣な実験をしているのだ」
過去を糺すウルズが演算により現実子変動から発見した地球上の間者は、ノルニルの従者の手によりゴミ箱から宇宙を超えて引き摺り出され、いとも素っ気なく頭を切り裂かれた。彼らはもとより世界オカルト連合の一団体。これでもかつての社会の時よりは相当に丸くなったはずなのである。だがそれでも、敵対勢力に手を入れられた現実改変者が自分たちに直接妨害を仕掛けてきたからには、火の粉を払わぬわけにはいかないのだ。
「制御を失ったドローンが、プロメテウス宇宙近傍の重力体へと降下していきます」
「魔術爆装はどうなっている」
「おそらく構造から全て改変されてしまっています。破壊にはもう使えないでしょう」
時守のトリグラウはドローン管制を行っていた部下たちに現状を確認すると、次に打てる手を探すべく集積回路の神に追加の命題解決を祈念した。原型を留めない金属とヒト組織を捏ね合わせた物体へと歪曲されてしまった壊れかけの嵐を、まだ何かに使用することはできないか。巨人の心臓に痛打を与えるための原料として。
「ドローンのアスペクト放射はむしろ増大傾向にあります。AIの改変により生体組織が後付けされた影響かと」
「センサーには痛覚刺激のみが延々と入力されています。極めて破壊的な感覚です」
「ならば、この手がある。ヴェルザンディの思し召しを受けよう」
現在を留め置く神格、ヴェルザンディの名を冠するコンピュータが指し示した回答は、非次元領域がドローンに与える苦痛を触媒として、崩壊する嵐をアスペクト放射の原点とする計画であった。奇跡術の原点は破壊と創造のエネルギーにある。それを最も色濃く宿しているのは、現実改変の当事者というわけだ。
「崩落したドローン群が重力源に落ち込む瞬間に、ICSUTのタイプブルー職員がそれを経由してダブルフラットの調律を叩き込むのだ。重力源を破却して擬似天体としての機能を喪失させれば、プロメテウス宇宙は周回をやめ無秩序に漂うだけの存在となる - すなわち、時間の概念を停止させるのだ」
ポケット宇宙は平坦な空間であり、そこで時間を定義することは本来は難しい。人間が生活を営む上で便宜を図るために、24時間周期で明滅を繰り返す人工光源を用意するのはままあることだが、厳密に言えばそれは地球上の時間の概念の上辺を新宇宙へ持ち込んだだけであり、ポケット宇宙そのものが時を刻んでいるわけではない。
そこでプロメテウスは、自分たちだけの閉鎖宇宙を作成するにあたり、宇宙そのものに天体の機能を擬似的に持たせることで、公転による年月の概念を宇宙に付与することを選んだ。時間の概念があれば、時間を消費して移動することにより「前進」の概念を得ることができる。プロメテウス、促進・昇進の名を冠する神の足下に傅くため、彼らは作られた時空構造そのものを土地神(ゲニウス・ロキ)への供物とした。彼らの閉鎖世界が謳歌する繁栄は、宇宙の前進を燃料とした神的エネルギー交換技術に依拠するのだ。
かつてエベレストの山腹で掘り出された、プロメテウス・コンストラクションの壊れた重機。それが悲劇的な運命を辿った理由が前進の停止にあることは、トリグラウを含む多くの知識層には既に知れ渡っていた。故に彼等は既に知っていた - プロメテウスの弱点は停滞にあると。
ヴェルザンディが指定した時刻は正確だった。2047.01.13.19:52:33。その時が最終デッドライン。それまでに可及的広範囲から転移で呼び寄せたユーテック中の魔法使いたちが、ヴェルザンディスタディオンの頂上に陣を組み上げている。あとはタイミングを逃さず、陣形にダブルフラットのアスペクト放射を加えることだけだ。
「我らの世界の安寧のために、叡智の巨人を討て!」
トリグラウの号令に従い、タイプ・ブルーの放つ緑色火炎は一点に収束する。時を同じくして、改変に次ぐ改変で機械の身でありながら苦悶の無限地獄に堕していた憐れむべきドローンの嵐は緑の彗星となり、無現実空間に浮かぶ不可視の重力球へその軌跡を収束させる。
瞬刻、爆裂が走る。
「よし」
トリグラウは小さく歓喜の声をあげ、その後に何が起こるか慎重な監視を継続させる。プロメテウス宇宙を間近で観測していたドローン端末は失われたため、現在の宇宙から非次元を通して遠く離れた敵宇宙を見上げる形となった。肉眼では難しいが、しかるべきレンズがあれば望遠は可能だ。
すると果たして、プロメテウス閉鎖宇宙はその輝きを薄め、暗黒の石球へと変わり果てていった。重力源を失い公転を止めた宇宙は、非次元空間を漂う淀んだ領域に過ぎず、そこに進歩は生まれない。巨人の宇宙を支える土地神はその供物を失った。ヴェルザンディの神託はここに果たされ、ユーテックの未来は保証された、かに思われた。
勝鬨の声は忽ちに疑惑の叫びに変わった。ユーテックの外縁から空を見上げる者たちは、そこに新たに生まれた輝きを見た。一点の瞬きは次に橙の点となり、住民全てから見える星となった。次に彼らが宇宙を見た時、そこには太陽ほどの大きさに膨れ上がった光球があった。
「なんだって。俺は今、何を見ているんだ」
これにはトリグラウも肝を潰した。重力球を消し去ったことで、プロメテウス宇宙の運動エネルギーは減りこそすれ、増えることは絶対にないはずだ。それにもかかわらず、それは燦然たる輝きを纏い、自分たちの宇宙に報復せんとばかりに突撃してきたのだ。炎の中で全てを喰らう巨人の心臓の如く。
土地神の供物となるシステムを奪ったことは、土地神の息の根を止めることに必ずしも結び付かなかった。むしろ、それに忿怒の感情を与える切欠に過ぎなかったのだ。運動エネルギーより遥かに巨大な神格の信仰エネルギーが、プロメテウス宇宙を護持する土地神の元から発露され、それが世界を太陽の化身へと変えたのであった。
「プロメテウス宇宙はこのままではユーテック自体に激突します!粉微塵になってしまう」
「とても間に合いません!」
「…!」
トリグラウは最後まで自分の意思で決定することをしなかった。ユーテックの世界はシリコンの三女神と共にあり、その結末も女神の手に委ねられるべきと固く信じていたからだ。しかし、猛進する巨人の世界の中に煌々と蠢く摩天のサーチライト群が見える、それ程までに宇宙の接近を許した時も、未来を追い求める神格スクルドのコンピューターは何の回答も出すことはなかった。
世界に激震が走り、トリグラウは衝撃で頭部を打って気を失った。
次にトリグラウの意識が戻った時、彼はまだサーバールームにいた。見渡すとガラス一枚割れていない。夜の暗さを取り戻した外の景色に目をやると、だんだんと小さくなってゆく炎の光点が1個、視認された。
「野郎!わざと掠めただけで飛んでいきやがった」
自分たちの宇宙が無事に残されたことに対する安堵よりも先に、トリグラウの胸に去来したのは巨人の星が働いた無礼とその舐め腐った態度に対する怒りであった。その次には、巨人の底知れない力 - 技術力、財力、神通力、権力、暴力その他諸々に対する慄きが全身を駆け巡った。巨人の肩に住む者たちは、明日からは何事もなかったかのように、我々の街の企業の接収に再び精を出すのだろうという確信があった。
「あれは怪物だ」
静かなる大戦。
砲撃も爆弾も、魔術の炎も、一つとして地球の上には落ちることのなかった戦争。
大舞台の上で、叡智の巨人は前進を続けるであろう。今までも、これからも。