雪の空に月は無くとも
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観自在菩薩かんじーざいぼーさつ行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはらみったじ照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくー……」

禿頭の仏僧が木魚を叩きながら般若心経を唱えている。この光景を見るのも何度目となっただろうか。闇寿司四包丁、飾り包丁のショーシャンクの葬式が行われている。彼は協会に撃ち殺された。あっけない死であった。

色即是空しきそくぜーくー空即是色くーそくぜーしき受想行識亦復如是くじゅそうぎょーしきやくぶにょぜ、……」

ショーシャンクは俺が闇寿司にスカウトした四包丁だった。奴は表の寿司屋で職人として雇われていた時から包丁での飾りつけにこだわっていた。普通の握りですら飾り切りをしようとするものだから、雇用する店からすれば使い物にならなかった。しまいに彼は飾り包丁なんて見栄えだけで役に立たないと罵った親方を殴りつけて、店を追い出されたそうだ。表の寿司屋に磨いた技術が認められず貶された彼の話を人づてに聞いた時、俺は他人事に思えなかった。それから配下の者にショーシャンクを探させた。見つけた時には彼はコンビニバイトにまで落ちぶれていた。彼は闇寿司もスシブレードも知らなかったが、軽くハンバーグを回すと興味を持ったようだった。一週間後、彼は闇寿司のラーメンを受けた。スカウトしたときは表の平和な世界から離れ闇の道を進むことに葛藤があったようだが、ラーメンを空にしたときその目に迷いは消えていた。

ショーシャンクは闇寿司に似つかぬ繊細さと、そしてこだわりを持った男であった。俺が与えた二つ名の通り、彼の飾り包丁の腕前は闇寿司随一であった。日本刀のような切れ味を持った太刀魚、クッションのように切られたハンバーグ。攻守自在に精巧なスシを作る職人であった。飾り包丁を入れられないラーメンなどは興味を一切示さなかった。

そのこだわり故、奴は他のルール無用の闇寿司の連中とつるむことは少なかった。「へいらっしゃい」の後に手を広げるポーズをするというあの古びたルールを全力でやっていたのは闇寿司でショーシャンクくらいのものではないだろうか。強力な闇寿司が開発され皆がそのスシを使い始めても見向きもせず、自身の美意識のままに包丁の腕を磨いていた。

不生不滅ふしょうふーめつ不垢不浄ふくふーじょう不増不減ふぞうふーげん是故空中ぜこくーちゅう……」

一度、ショーシャンクの奴とサシで飲んだことがある。その時俺は何故闇寿司においてもこだわりを維持できるのか、どうしてそこまで自身を貫けるのかと問いかけたことがある。奴は少し考えた後、ぽつりと"団子"とこぼした。思わず聞き返したが詳しいことは教えてくれなかった。ただどうやら奴の中に何か確固たる信念が形成されていることは感じた。

そんなショーシャンクだが年に一度、包丁を必要としない何の変哲もない団子を使うことがあった。包丁など使わない手捻りの団子だ。普段握るスシに比べ格段に弱かった。ショーシャンクの奴に団子ではなくいつもの飾り切りのスシを使えと言っても彼はその日だけは団子を回し続けた。

協会との抗争の日が十五夜であったのは奴にとって不運だったとしか言いようがない。俺は月見団子は使うなと強く訴えた。ショーシャンクはやはり取り合わなかった。今思えば無理にでもメンバーから外すべきだったのだろう。そして彼は月見団子を回し、殺された。彼が闇寿司ファイルに書いた理論は全く通用しなかった。普段使う飾り切りされたスシを使えば協会の奴らなどたやすく蹴散らせただろうに。

無無明亦むむみょうやく無無明尽むむみょうじん乃至無老死ないしむろうし亦無老死尽やくむろうしじん……」

読経はまだ続いている。

四包丁を送るのももう5人目となる。グロテスク、ベア、ジャージー、バラン……。そのたびこの老僧──縁切包丁のニルヴァーナに弔わせた。年齢で言えば四包丁で次にお迎えが来るのはコイツでもおかしくないのだが、この強欲爺は一向にくたばる気配を見せない。憎まれっ子世にはばかるというやつだろうか。

この葬式はグロテスクの葬式に比べれば出席者は多いが、それでもこの出席者は多いとは言えない。

究竟涅槃くーぎょうねはん三世諸仏さんぜーしょぶつ依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ……」

時というのは残酷なものだ。あれだけ記憶に留めておきたいと思ったグロテスクでさえ、もう顔と声を思い出せなくなってきている。忘れまいと誓ったこのショーシャンクも、いつかはこの俺の記憶の中から薄れて消えてしまうのだろうか。忘れるということは脳の防衛機能で、辛い苦しみを抑えるためだと誰かが言っていた気がする。クソ喰らえだ。闇寿司を率いた時から俺は闇に向かうと誓ったはずだ。正道も邪道も全て喰らってやると決めたはずだ。

かつて勝の葬式が行われた際、身分が分からぬよう隠れて参列した。俺に弔う資格が無いのは重々承知しているが、あんなのでも唯一の兄弟だ、線香くらい挙げてやろうと思ったのだ。式は壮大なものであった。参列者は数百人を超えていただろう。寿司界隈の著名人もちらほら見かけ、中には東京都知事の姿もあった。皆、勝の死を悼んでいた。私は焼香を行うと足早に葬儀場を立ち去った。

羯諦ぎゃーてー羯諦ぎゃーてー波羅羯諦はーらーぎゃーてー波羅僧羯諦はーらーそーうぎゃーてー……」

ショーシャンクの葬式が終わり葬儀場から出た。この恐山の寺院は人里離れており、夜闇はひときわ暗い。その分、天に光る月は酷く眩しく見える。

葬式に訪れる人数でその人間の価値が決まる、などと言う気はさらさらない。勝も亡くなった四包丁も弱かったから死んだ。同じだ。死ぬときは誰だって死ぬ。それでも、どうしても比べてしまう。闇寿司の道に進み、そして逝った奴らはこの自身の葬式、行き着いた終着点を見たらどう思うのか。それを考えずにはいられない。

空に浮かぶ月に問いかける。
ショーシャンクよ、お前は俺に付いて来て良かったのか?







男は雪降る夜の道を歩いていた。いつから歩いていたのかは男にもわからない。気づいたら歩き続けていた。吐く息は白く、黒い割烹着を着た肩は雪が薄く乗り始めている。いつまで歩き続けるのだろうと思い始めたころ、地面の感触が変わったことに気が付いた。舗装された石畳にガス灯。いつの間にか街の中に入っていたことに男は驚いた。そのままあてもなく男は歩き出す。何故ここにいるのか、ここはどこなのか男は自問するが答えは見つからない。

やがて男は、街を歩く一人の少女を見つけて話しかけた。

「あら?もしかしてこの街に始めて来た方ですか?」
「あ、ああ。いったいここは……?」
「ここは酩酊街。忘れられるものが辿り着く、停滞と酩酊と忘却の街です」
「はぁ……」
「私はけやき……日奉けやきといいます。あなたの名前は?」
「私の名前は……ショーシャンク。私は……」
「どうしました?」
「私は、私は……誰だ?」
「ああ、覚えてないんですね。この街だとよくあることですよ」

けやきと名乗った少女はショーシャンクの周りを回り始めた。そして腰に付けた包丁を見つけた。

「何か持っているじゃないですか。じゃあこの子に聞いてみましょう」
「聞く?」
「少しお借りしても?」

少女は包丁を手に取ると、ふんふんと頷きだした。

「ははぁ、なるほど。ショーシャンクさん、あなたお寿司屋さんだったんですね。この包丁、ずいぶん使ってくれていたようで」
「スシ……そうだ、私は寿司職人だった。私は闇のおやっさんの元で……協会との抗争に……そうか、私はあの時撃たれて──」
「大丈夫ですか?」
「あぁ。──ありがとう、君のおかげで思い出したよ」
「どういたしまして」

少女はにっこりと笑みを浮かべた。

「……おっと。そういえば私はお使いから帰るとこだったのでした。このまま立ち話も何ですし、どうでしょうか、私の働いてるお店に来ませんか?」

ショーシャンクは快諾した。そろそろ歩くのにも疲れていたころだった。


少女に先導されて、ショーシャンクは一軒の酒場ののれんをくぐった。酒場の客はまばらであり、何人かいた客の机の上にはグラスや酒瓶がいくつも転がっていた。店の角席に座っていた犬が目を覚ましショーシャンクに目をやった後再び眠りについた。

「いらっしゃい、ご新規さんね。何をお飲みになります?」
「そうだな……熱燗を」

席に着き雪を振り払うショーシャンクにおしぼりを渡した後、女将は徳利に火をかけた。温まるまでの間、ショーシャンクは女将から酩酊街について色々と説明を受けた。

「なるほど……忘れられる者が集う街。やはり私はあの時協会の者に撃たれて死んだんだな」
「ええ、そうでしょうね。この街に辿り着いたならそういうことでしょう」
「でも女将さん、自分のことを思い出せるなんて珍しいですね」
「そう、ね。大体の人は忘れていってここで酩酊に沈むから」

女将は後ろに下がり、徳利とおちょこを持ってきた。

「お通し、ちょっと変わってるけどいいかしら?」

そう言って女将はショーシャンクの前に一品置いた。

「……これは」
「向こうの世界だと今ごろ十五夜だそうでしょ?こないだ少し作りすぎちゃったのが余ってるのよ」

それは三方にのった団子だった。あの夜空の下でショーシャンクがかつて見た、動く月見団子とうり二つであったのだ。団子をじっと見つめるショーシャンクに女将は心配そうに声をかける。

「やっぱり、嫌でしたかね?団子なんて」

はっとして女将の言を否定するショーシャンク。

「いやいや、そういうわけでは。懐かしい物を思い出したんだ。昔、この月見団子に似たものを見たことがあって。ちょうど私が裏の世界に進むか迷っていたころだったなぁ。今思い返しても不思議だ。まるで生きているように動いていたんだ」

酒で熱された杯をそっと持ち、ショーシャンクは口元にゆっくりと手繰り寄せた。

「あら、偶然もあるものね」

ショーシャンクの手が止まる。

「偶然?」
「たぶんその子、うちの子よ。酩酊街から送り出した子に寂しがり屋のお団子の子がいたのよね。自分に良く似た真ん丸の月が見たくて出ていったの」

ことりと杯は机に置かれた。

「ススキを振ったりとかしてなかった?」
「……ああ。ゆらゆらさせていたよ。満月に向かって」
「そう。あちらでもお元気そうで何よりね」

ショーシャンクの横に座っていた少女は彼の顔を横目で見上げ、ひどく驚いた。彼の目尻から涙がつつと流れていたからだ。

「……ありがとう。あなたがあの月見団子を送り出してくれたおかげで、私は生きてこれた」
「色々あったみたいね?聞きましょうか」
「私は……日々の生活に悩まされていたころ闇寿司に誘われ、あの異常な力を見た。闇寿司に強く心惹かれたが、その道を進むことは平常の世界から離れることと相違なかった。私は悩んだ。確かに今の生活は自分の求めているものではないが、果たしてあの異常を受け入れ平常を捨て去っていいのかと」

手元の団子に視線を落とすショーシャンク。

「そんな時、あの月見団子に出会った。あの時は幻覚だと思ったが、明らかに異常な物体だった。そしてススキをゆっくりと揺らしたときに強く心を揺さぶられたのだ。昔は心に余裕がなくその理由がうまく説明できなかったが今はできる。私はたとえ闇寿司という異常から離れても、平常に思える世界に異常なんていくらでも転がっているってことに気付いてしまったんだ」

少しの沈黙。それは2人が彼の意見に肯定している証でもあった。

「だからこそ私は平常を捨て去ることに迷いが消えた。それと同時に思ったんだ。平常に異常が含まれるならその逆もしかり。私は闇寿司の中でも変わらず平常で居続けようと思ったんだ。あの月見団子を見つけた時の心を忘れず、変わらないように。毎年十五夜になると月見団子を使っていたのは、その心の平常が変わっていないことを確かめるためだった」

少女はよくわからないような顔をして尋ねる。

「それって……変化を嫌ったってことですか?」
「ああ、そうかもしれないね。でも私はそれを貫いてここまで来た。変わることが多い世の中で変わらないことが自分の心の中にあってもいいと思わないか?なあ女将さん」
「ええ。私も同感だわ。きいちゃん、停滞は必ずしも悪いことではないのよ。変わらない事、それは心地よさだったり人の支えになったりすることもあるの。停滞せず全てが変わっていってしまったら、私は寂しいわ」
「そうだ。君もいつかわかるよ。変わらないことが時にはどんなに大事かっていうことが」

頭をポンと叩かれる少女。頬を掻きながら一つ問いかけた。

「じゃあさ……ママ、じゃなくて女将さんは何が変わってほしくないの?」
「それは簡単な質問ね」

「愛」

ぷっ、と少女とショーシャンクは噴き出した。

「ああ、女将。それは面白い答えだ」
「おかしかったかしら」
「いえいえ。女将さんならそう答えますよね。いい答えです」
「そうだな。……俺も思えばこの包丁と自分の腕、そして月見団子に愛を持てたからこそ、ここに辿り着いたのかもな。……おっとそういえば乾杯がまだだった。つきあってくれないか」

女将は自分の杯を掲げた。少女も湯呑を用意する。

「我らの月見団子に愛を込めて、乾杯」


「ごちそうさま。また来るよ」

のれんをくぐるショーシャンクは思い出したように少女に声をかける。

「そうだ。あの動く月見団子がもし戻ってきたら教えてくれるかな」
「いいですけど……この街での待ち人は期待できませんよ?停滞の街ですから」
「そうか。まあ期待はしないでおくよ」

首を回して鳴らすショーシャンク。歩き出した彼を少女は呼び止めた。

「何か用かい」
「ショーシャンクさん、あなたに一応お伝えしておこうと思いまして」

少女は喧騒が聞こえてくる酒場の扉を閉じた。冬空の下、2人が向かい合って立つ。

「あなたはこの街で昔を思い出しました。ここは忘れるための場所だから、あなたが思い出したことを辿ればきっとこの街を出てあちらへ戻ることができます」
「いや……やめておくよ。死ぬのは一度きりで十分だ」
「なにか後悔していることとかないんですか。異常の世界に平常を産み続けて色々大変だったでしょう?何か残してきたとか違う人生を歩みたいとか。平常の世界に戻ることも」
「後悔ねぇ」

ショーシャンクはピクリと眉を動かした後、ふっと笑った。

「そんなものないさ。私は自分の道を自分で決めてきた。迷うこともあったが、しっかり悩み抜いて変わらず道を貫いてきたつもりだ。闇寿司でおやっさんの背中を追いかけたことも、団子を使い続けたことも。来た道が悪かろうと、行き着いた先が何であろうと、この終着点は私が選んだ私だけの愛する終着点なんだ。後悔なんてするはずがないよ」

まあ先に逝ったのは少し申し訳ないけど闇のおやっさんなら許してくれるだろう、とショーシャンクは小声でつけ足した。

「あなたならそう言うと思ってました。それじゃあ、これからどうするおつもりです?」
「そうだな。この街についても包丁は忘れずに持ってきてしまったんだ。寿司屋でもやるかね。それともいっそ団子屋でも開こうか」
「ふふっ。オープンしたら行きますね」
「楽しみに待っていてくれ……とは言えないか。ここは停滞の街だから」

二人は目を合わせ、どちらが先ともなく笑い出した。ひとしきり笑い声が続いた後、酒場の戸は再び閉じられ外には一人の男が残った。ショーシャンクは少し歩くとふと空を見上げた。天は暗い雲で覆われており、際限なく雪が降り落ちてくる。闇夜を照らす満月は見えることはない。それでも彼は大きく手を広げて月を仰いだ。その姿はかつて彼が律儀に守っていた、戦いを始める時のポーズのようにも見えた。降りしきる雪に袖が濡れるのも気にせずその顔は満足げであった。

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