独唱“アメイジング・グレイス”
評価: +43+x
blank.png

懐中電灯の明かりを頼りに照明の無い廊下を進み、サイト管理官の執務室に辿り着いた。扉には、鍵がかかっていない。
ノックをしても返事は無いけれど、お構いなしに室内に入った。無人の室内を、壁面のタッチパネル式モニターが青白く照らしている。
パネルの中央には”touch here”の文字が点滅している。文字に触れると画面が暗転して、年配の男性の3Dモデルが現れた。特別開発サイト-81██管理官にして我らがプロジェクト・ベイスのチームリーダー・長流部葉だ。
普段の白衣姿ではなく、スーツを身に纏っているモデルだ。
スーツ姿を見たのは、これが二回目だった。一度目は、ここにプロジェクトチームのみんなとやって来た最初の日で、それ以降は白衣を着た姿だった。きっと、フォーマルな装いのつもりなんだろう。
サイト管理官は、いつものように微笑みながら、静かに語り始めた。




諸君、我々は失敗した。

…うん、こういう堅苦しい言い方は慣れないな。いつもの通り喋らせてもらうよ。
僕たちは失敗した。そう、失敗したんだ。
人類の命運を賭けた僕たちのプロジェクトは、僕たちの努力は無駄に終わったんだ。
この後に残された、僕がやるべき仕事は少ない。
なぜ僕たちが失敗したかの反省会と、この後どうするかを水鐘くん、生き残った君に指示することだ。

まず、どうしてこうなったのかを考えよう。

原因はいくつもあるだろうけれど…そもそもの話、このプロジェクトは始まった時点でもう終わっていたのかもしれない。
全ての発端——SCP-2203-JPによって、世界は白い花と、雪と氷に覆われた。瞬く間に文明は終焉した。
それでも、人類文明を未来に残すために、財団は足掻いた。ありとあらゆる手を使った。
例えば、地下深くのサイトに食料と発電設備を持ち込もうとした。例えば、千年耐えられる耐冷記録媒体に可能な限り財団と人類の記録を残そうとした。例えば、異空間への入口を開いて人間と記録を送り込もうとした。例えば、数千年後の地球へ時間移動をしようとした。
正直なところ、何をするにも時間も資源も人手も足りなかった。だけど、数千年かけて築き上げた人類の英知を未来に残そうと、みんな必死だった。

人間の人格と記憶を仮想空間に移す計画…僕たちのプロジェクトもその一つだった。

この計画自体は、実現性はそれほど低くはなかった。なにせ、仮想空間に人格と記憶を移す技術自体は、既にこの僕が確立していたからね。資源と人手があれば、早期に実現できただろう。
問題は、その資源も人手も全然足りなかったことだった。
仮想空間を維持するためには電力が必要だ。そしてこの氷河期は数百年……いや、千年以上続くだろう。そこまで長くサーバーを動かし続ける電力はないし、そもそも千年という時に耐えられるサーバーが無い。
そんなサーバーを作ろうにも、開発に必要な電力も資源も、ほとんどが避難シェルターの連中、この終末を少しでも長く生き延びたい奴らに持っていかれた。
やっぱり、人間という種を未来に残す方が重要視されていたんだね。

それでも、上層部はどうにかしようとした。
まずはエネルギーの問題だけど、これは簡単に結論が出た。
普通の人間なら、生きるだけでエネルギーを使う。それが低温下なら暖を取るために、電気や石油、ガス、薪…更に大量の資源を必要とするけれど、それらは全く足りなかった。
それならば、低温下でも暖をとらずに生きられる職員が研究をすればいい。
つまり、耐冷適性のある職員が研究を行って、暖房に使う資源を千年維持できるサーバーの開発のために割り当てる。
サーバーが完成すれば、他の避難シェルターの連中を仮想空間に移して、彼らの肉体が使う予定だったエネルギーを、サーバー稼働のエネルギーに使って仮想空間を維持し続けることができる。
人類は仮想空間で生き続けられる。

こうして、ほとんど行き当たりばったりの、やけくそのような計画が始まった。
壺中之天の故事、内に楽園を有したという後漢の時代の仙人の壺に因んで、計画はプロジェクト・ベイスと名付けられた。楽園を入れるための壺を創るのが僕たちの仕事というわけだ。



まず、専門分野を問わずに、耐冷適正のある職員が集められた。そしてその殆どは、獣人だった。

ああ、獣人って呼び方はハラスメントになるんだったね。訂正するよ。
毛皮を持っていて、生命力の強い職員達が優先的に選出された。医療や化学、畑違いの研究者も多かったし、研究者ですらない機動部隊員までいたけれど、兎も角、暖房無しで動けるという一点で人材が搔き集められた。
毛皮のない職員は、君と僕の二人しかいなかったね。
僕は人間の人格を仮想空間に移す技術の開発者だったから選ばれた。頭蓋に機械を納めた肉体や、頭蓋から出された脳の方はともかく、肉体の無い仮想空間の僕なら寒さは問題なかったしね。
ちなみに、僕は二代目なんだ。
君が選ばれたのは、高温・低温に肉体が影響を受けないという異常性を持っていて、普段から冷凍庫に入り浸っていたし、狩猟が趣味だったから体力的にも問題が無いとみなされたからだ。
こうして、毛皮を持つ者と持たない者の比率が逆転した、僕たちのプロジェクトチームが結成された。元々の役職が一番高かった僕がプロジェクトリーダーに選ばれ、君は補佐に任命された。君なら、万が一暖房が故障しても生き残れる可能性が一番高かったからだ。
それだけの理由で毛皮の無い二人が高位職に就いたのだけど、それも、後々に失敗の原因の一つになってしまった。

地表が氷点下になる直前に、僕たちは山梨県山中にある、このサイト-81██にやって来た。プロジェクトリーダーの僕がサイト管理官を兼任することになった。
ここは山中の天体観測施設に偽装された研究用サイトだった。地上2階、地下6階まである寒さに強い構造から選ばれたんだけど、このサイトが拠点になったことも、失敗の一つだった。そこが栃木県や埼玉県とかなら、違った結末になっていたのかもね。

地下6階層のうち、地表に近い階層を断熱層がわりの倉庫にして食料や資材なんかの備蓄品置いて、僕たちは地下4階から6階で新しい生活を始めた。
地下だから比較的寒く無いとは言え、暖房は使えない。
電力は研究開発に必要な分と、僕を動かすのに必要な分以外にはほとんど使えなかった。照明もラボ以外にはほとんど使えなかったし、メンバーの個室は基本的に真っ暗だった。
食事も、加熱しなくてもいい缶詰かレーヨン、ビスケットの類だった。
まあ、快適とは言えなかっただろうね。
一応、メンバーには個室が割り当てられたけど、そのうちに眠る時には自然と身を寄せ合うようになった。そうすれば暖かいもんね。君も、君自身は冷気なんて平気なはずなのに、毛皮に埋もれて眠っていたっけ。
あれ、僕だけ仲間外れにされた感があって、羨ましかったんだよ?
文句は初日から出たけれど、それでも、みんな真摯に研究開発に取り組んでくれた。
畑違いの研究にも熱心に取り組んでくれたし、研究職じゃないメンバーも、清掃や設備の手入れなんかの裏方として頑張ってくれた。
プロジェクト・ベイスは、当初は順調に進んでいた。



転機が訪れたのは、やっぱりアレだろうね。
ひと月ほど経ってから、地上に熊が出るようになった。
外観からするとヒグマだった。熊だから、まあ、氷点下数十度の地表で生きていても不思議ではないのだけど、奴らは3m近くあった。これはヒグマにしては巨大だった。
そして奇妙なことに、奴らは何匹もいた。普通、熊は群れたりしないし、一カ所に何匹もうろつくこともない。そして、熊たちの何匹かはサイトの中に入り込んで、そのうち一匹があろうことか地下層にまで降りてきた。そのままでは備蓄の食料が食われるのは明らかだったし、熊がいては資材を取りに上がることもできない。
もともと、害獣や他の異常存在、GOIの侵入は想定されていたし、銃の備えもあった。メンバーには機動部隊員もいたし、狩猟経験者の君も銃の扱いに長けていた。いくら巨大でも、熊の一匹や二匹ならば、容易く駆除できるはずだった。

まったく予想外だったのは、熊が口からビームを吐いたことだ。
多分、日本生類創研あたりが創り出したのが逃げたか、逃がされたかしたんだろう。
不意打ちを食らった一人の右腕が吹き飛んで、ビームで破壊された壁に一人が潰された。熊は異常存在アノマリーだった。
熊一匹に使うには多すぎる火薬と銃弾が消費された。最終的に、この熊一匹のために2名のメンバーが死んだ。4人が負傷した。君も負傷者の一人だった。熊ビームが肩を掠めて、随分血を流したね。
ビームって、要は超高速で飛んでくる粒子群だからね。どんな高熱にも耐えられる君の異常性も、粒子の衝突による単純な破壊力の前では無力だった。
人材だけでなく、備蓄品や燃料、サイトそのものの一部も失われた。
研究は一時ストップされて、他の熊の侵入を防ぐために、地表への出入り口は防火壁を下ろして封鎖された。ビームを吐く熊相手にどこまで有効か分からなかったけれど、壊れた設備や資材でバリケードも作った。

そして、僕たちは死者の弔いという、新たな問題に直面した。
財団のルールでは、僕たち職員の死体は火葬されるか、それができなければ破壊されることになっていた。
でも、閉ざされた地下では火葬なんて不可能だった。焼却炉も無ければ燃料も無い。かといって、埋葬するために地上に出れば、死者もろとも熊の餌になるだろう。
昔のことを知っている年配のメンバーは、遺体を破壊しようとした。口には出さなかったけど、彼らは死者が起き上がることを恐れたんだろう。
でも、若い世代は反対した。仲間のために熊と戦って、ボロボロになった死体をさらに傷つけるのが忍びなかったんだろう。
僕も反対した。僕だって昔のことはよく知っているし、僕自身もあの時は収容されかけたから、古株たちの気持ちもよく分かったんだけどさ。
やっぱり死体を傷つけるのは、彼らを冒涜するような気がしたんだ。僕たちは仲間じゃないか。
君もそう思ったんだろう? だから、君も反対したんだろう?
話し合いの末、遺体は地下1階層の空き倉庫に安置されることになった。そこならば、地表に近くて気温は氷点下を大きく下回っていたし、凍らせてしまえば遺体が腐敗することはなかったからね。衛生上も望ましかった。
仮に死体が蘇生しても、凍り付いていれば動くことも歌うこともできないだろうと思ったんだ。

死体袋に遺体を入れて、みんなで地下一階層まで運んだ。その場で簡単な葬儀も行われた。みんな喪服ではなく防寒着を着て、熊を警戒して何人かは大型銃を肩から下げた、そんな物々しい葬式になった。
僕はサイト内の監視カメラを通じて、それを見ていた。

結論から言えば、この判断は間違っていた。
死者を弔っている真っ最中に、古株たちの危惧したとおり、凍り付いた死者は再び起き上がった。そして、血も体液も筋肉もカチカチに凍結しているくせに、”アメイジング・グレイス”を歌い始めた。
そして、歌い終えた死者は、予想に反して腐敗せずに、再び”アメイジング・グレイス”を歌い始めた。まるで、壊れたテープレコーダーのようだったよ。
おまけに、撃ち殺された熊までもが歌い始めた。

完全に想定外だったよ。
歌い終わった死体は急速に腐敗するはずだからね。もともとそういうものだったのか、二十年近く時が経って異常性が変質したのか、それは分からない。
いずれにせよ、この極寒の世界では、死者は安らかには眠れない、それが明らかになった。
凍り付いた二人の死者は腐敗することなく、延々と歌っていた。
生前、あの二人は仲が悪かったはずなのに、まるでデュエットしているかのように同時に歌い始めて、同じテンポで”アメイジング・グレイス”を歌っていた。途中から加わった熊の、低く唸るような歌声は、紛れも無く”アメイジング・グレイス”で、二人とテンポを合わせて歌っていた。

実を言うとね、僕はそれを見て感動したんだ。
生前の関係はどうあれ、死んだら肉体は仲良く歌ってるじゃないか。それどころか、敵対していた熊まで、長年の友人だったかのように、息を合わせて歌っているじゃないか。
魂は分からないけれど、少なくとも肉体は、死ねば生前のわだかまりから解き放たれて、本当の意味で仲間になれるんだと、そう思った。
美しいと思った。もう肉体の無い僕は、それが羨ましかった。

他のみんながどう思ったのかは分からない。誰も、何も言わなかったからね。
でも、君なら僕の気持ちは解るんじゃないかい? 君が死ねばきっと、君の異常性によって身体は凍らないから、歌っても歌わなくても腐敗するだろうからね。君も、死んでも仲間達と歌い続けることは出来ないからね。
話が脱線したかな。
そして、最終的に死者達は君の放った散弾銃で、頭と胸を吹き飛ばされてようやく静かになった。
死者達はその後、二度と歌わないように、みんなの手で丁寧に、丁寧に粉々にされた。



その日から、プロジェクトの進行が滞り始めた。
死傷者も出たし、熊対策の警備も必要になった。熊との戦闘で資材も設備も少し失われた。僕も省エネのために、常時スリープモードになって三日に一度しか起きられなくなった。
そして、何より問題だったのは、みんなが終焉を意識し始めたことだった。
仕事をしたがらないスタッフが出てきた。黙って手を動かすメンバー達も、明らかに士気が下がっていた。
何と言えばいいのかな。みんな何かを恐れていることは分かったけれど、何を恐れているのかが僕には解らなかった。

財団職員であるなら、任務中に命を落とすことは覚悟ができているはずだし、このプロジェクトだって、自分の意志で参加したはずだ。人類のために劣悪な環境で働かずに、家族や友人と静かに最後の時を迎える選択だってできたのに、みんなこちらを選んだはずだ。
そう言って僕はみんなに注意をしたし、励ましたし、活を入れたし、時には𠮟った。
それでも、みんなは働かなくなっていった。



そして、みんなおかしくなっていった。
みんなの眼は…30年前に、あいつらが僕に向けた眼差しと同じだった。

自分は正常側だと声高に主張する奴ら。
自分とは違う者を異常アノマリーと呼んで排除する奴ら。
同僚たちを異常アノマリーと呼んで収容室に入れた奴ら。
電脳世界への想いを熱く語っただけで、僕を異常アノマリーと呼んで収容室にぶち込もうとした奴ら。
毛皮をまとった連中が、毛皮の無い僕を、あの連中と同じ目で見るんだ。
次第に、みんなは僕の指示に従わなくなって、好き勝手なことを言い始めた。
死者は火葬しようという意見が出た。
プロジェクト自体を断念して、他のサイトに逃げようという意見もでた。
全部あきらめて、最期の時を暖かい場所で静かにすごそうなんて提案もあった。
当然、その全てに僕は反対した。
僕は、孤立していった。

みんなから、いろいろ言われたんだよ。
“お前は俺たちを異常アノマリーだと思っているんだろう。”
”俺たちがこのプロジェクトに集められたのは、獣人アニマリーを避難シェルターに入れないための方便なんだろう。”
そんなことを色々言われたんだよ。
もう、僕はみんなからはサイト管理官でもチームリーダーでもなく、敵とみなされていた。

“みんなが恐れているのは死ではなく、この期に及んで自分が異質な存在だと、世界から指さされて排除されるのを恐れているんです。”
これは君の言葉だったね。
世界の終焉で、人類のために命がけで働いたのに、死ねば世界から”お前は異常アノマリーだ”と言われて、延々と歌い続けることになる。そして、最後には仲間の手で粉々に砕かれる。
ニッソの熊と同じになる。
それが我慢ならないのだと、君はそう言ったね。
君たち自身があの時、”アメイジング・グレイス”を歌い続ける仲間を”異常アノマリー”だと思ってしまったんだと、そう言ったね。
同じ飯を食って、同じ場所で寝起きして、同じように毛皮をまとった仲間だと言うのに、自分とは違う存在、異常アノマリーだと思ってしまったんだと。

僕は、そんなことは思わなかったのに。
僕も、君も、みんなも、もともと”異常アノマリー”じゃないか。いったい、何を今更気にすることがあるんだ。
何度も話し合ったけど、このことについては、君とはついに意見が合わなかったね。

それでも、君には感謝しているんだ。
君には毛皮がなかったけど、みんなと身を寄せ合って寝起きしていたし、負傷しながら熊と闘ったから、まだ仲間だと思われていたんだろう。
僕とは違ってね。
だから、君は毛皮たちと僕の間に入って、どうにかプロジェクトを進めようと頑張ってくれた。

本当に、ありがとう。

それでも結局は、君の努力は全てが無駄になった。

ピリピリと張り詰めた空気は日に日に高まって、メンバー同士でも些細なことで諍いを起こすようになった。もう、誰も身を寄せ合って眠らなくなった。
そしてついに、自殺者まで出てしまった。
死体は散弾銃で自分の頭を吹き飛ばしていた。遺書には、遺体を燃やして欲しいと書かれていた。
もちろん僕は認めずに、遺体を凍らせて粉々に破壊するように指示をした。
この命令が、最後のトリガーになっちゃった。

多くのメンバーが反発した。
何人かの強硬派は、遺体を燃やすための燃料を手に入れようと地下1階の貯蔵庫に向かった。
それを止めようとしたメンバーも少なからずいた。有難いことに、僕の言うことは聞かなくとも、まだプロジェクトを進めようとするメンバーはいたんだ。
彼らは、地下一階層で小競り合いを起こした。
火葬に反対したメンバーは、僕の仲間だと罵られた。不本意ながら、それは彼らにとって最大の侮辱だっただろう。
激高した両者の口論は暴力の応酬に繋がり、すぐに武器を持った殴り合いに発展した。
そして一発の銃声が起こって、プロジェクト・ヘイズの失敗は確定した。
誰が口火を切ったのかは解らない。そんなことは大事じゃないし、今更その誰かを責めることもできない。
もう歯止めが効かなくなった。銃撃戦が始まって、死者が出た。設備も貯蔵品も被弾した。
初めはどちらにも付かなかったメンバーもいたけれど、争いを止めようとして、あるいは自衛のために、彼らも武器を手に取った。ほとんどのメンバーが地下一階から二階にいた。銃撃戦に加わった者も、どさくさに紛れて食料や資材を盗んだ者も、地上へ出ようとバリケードを壊し始める者も出た。もうめちゃくちゃになった。
資材も人材も、プロジェクトを続けるために必要な何もかもが失われた。



もう、事態を収束させることはできなかった。僕にできることはほとんど何もなかったけれど、放置すれば人も資材も全部が失われるのは明らかだった。
だから、僕は、僕にできる唯一の事を——サイト管理官の権限で、地下の防火壁をすべて下ろして、全ての扉をロックすることを決断した。
君たちは、地下の上層に閉じ込められた。

撃ち合っている中で閉じ込められた者は、そのまま銃撃戦を続けていたけど、すぐに銃声は聞こえなくなった。
君は幸い、何人かの負傷者と一緒に倉庫に隠れていたね。
初めはあちらこちらで怒号や悲鳴が聞こえた。それはそのうちに泣き声に変わった。
君も、みんなも扉を開けてくれと言った。寒いとも、痛いとも言っていたけど、誰が何を持って、何をしようとしていたのか、もう分からない状態だった。どのみちプロジェクトの続行は不可能だったし、扉を開けることはできなかった。

20時間が過ぎたころから、また銃声が散発的に起こり始めた。おそらくは、誰かが自決をしたんだろう。
40時間が過ぎたあたりから、一つ、二つと”アメイジング・グレイス”が聞こえ始めた。銃撃戦で早々に死んだか、自分の頭を吹き飛ばすことに失敗した気の毒な誰かなんだろう。
”アメイジング・グレイス”は増えていき、銃声の数より多くなった。気の毒に、銃撃戦で負傷した者が、手当てを受けられずに力尽きたんだろう。まるで輪唱のようだった。

120時間が過ぎてようやく、怒鳴り声も泣き声も聞こえなくなった。
銃火を免れた者も、寒さと飢えには耐えられなかった。
確認できた生存者は、君だけだった。君は冷気は平気だし、倉庫にいたから飢えもどうにかなったんだ。君を補佐官にしたのは正しかったと証明されたわけだ。

君が生き残ってくれたのには、内心ほっとしたよ。



さあ、ここまでが、反省会だ。
ああ、振り返ってみれば、間違えたところがいくつもあったんだね。

例えば、サイトが熊の出ない場所にあったなら。
例えば、サイト管理官が僕ではなくて水鐘くん、君だったなら。
例えば、遺体を燃やしたり埋めたりできる環境があったなら。
例えば、毛皮の無いメンバーがもっといて、僕が孤立しなかったなら。
このプロジェクトは、上手く行ったかもしれない。

でも、僕たちは失敗したんだ。それは揺るがない事実だ。人類がこの氷の時代を生き延びる可能性が、ここで1つ潰えたんだ。
僕はこの後、防火壁を開いて、ロックを解除しよう。そして自己破壊プログラムを起動しよう。どのみち、僕を起動させ続けるだけのエネルギーも残されていないからね。
君がこの部屋に辿りつく頃には、僕という仮想空間の人格は消滅しているはずだ。君が今見ているメッセージは、録画されたものだよ。

僕はプロジェクトの責任者だし、プロジェクト失敗の引き金を引いたのは僕だからね。みんなの命を奪ったのも、結果的には僕だし、その責任をとる意味もある。
でも、一番の理由はそれじゃない。
笑わないで聞いて欲しい。僕は、みんなと仲良くなりたいんだ。
みんなからは散々嫌われていたけれど、それでも僕たちは仲間じゃないか。30年前のように、仲間はずれにされたままで終わるのは、悲しいじゃないか。寂しいじゃないか。
僕らはみんな同じ”異常アノマリー”じゃないか。
せめて、死んだ後ぐらい、みんなと同じことがしたいんだ。輪唱の輪に加わりたいんだ。
この録画の後で、僕が歌う”アメイジング・グレイス”が始まる。リピート設定されているから、どうか止めないで欲しい。僕は仮想空間にいるし、肉体がないから、死後に歌うにはそうするしかないんだ。

でも、水鐘くん。君にはどうか生き延びて欲しい。
僕の死後は、自動的に君にサイト管理官とプロジェクトリーダーの権限が受け継がれる。
君はプロジェクトの新たな責任者として、他のサイトへ逃げて顛末を報告するんだ。
外の熊のことなら、心配はいらない。
僕が”アメイジング・グレイス”を歌うと同時に、地表への防火壁が開かれる。僕らの“アメイジング・グレイス”に熊は引き寄せられる筈だから、それを囮にするんだ。それで君は、外に逃げられる。
君なら、外気温に関係なく生きていける。
他のサイトに行くまでの食料だって、まだ残っているはずだ。

どうか、僕たちのことを忘れないで欲しい。





長い独白が終わると画面が暗転し、再びサイト管理官が、いや、長流部博士が姿を表した。
今度はいつもの白衣姿で、猫耳のアクセサリを頭に着けて微笑んでいる。
長流部博士は微動だにしない。それは動画ですらなく、画像だった。遺影のつもりだろうか。
スピーカーから、調子の外れた朗らかな”アメイジング・グレイス”が始まった。
一瞬、頭に血が上って、手に持った散弾銃を遺影にぶち込みたくなったけれど、どうにか自制できた。
私は、執務室を出て、暗く無人の廊下を進んで、地表に向かった。

これでいい。あの男は、あのままずっと独りで孤独に歌っていればいい。
あの男は、本心から私たちの仲間でありたいと願ったのだろう。でも、あの男は結局は徹頭徹尾、私たちとは異質な存在だった。
その言動の一つ一つが、彼らを傷つけたけど、それも決して悪意があるわけじゃなくて、善意から私たちに接したんだろう。
だからこそ、あの男は決して私たちとは交わらなかった。

あの男のせいで、私の友人たちはみんないなくなった。
私が生き延びて良かっただって?
負傷して、私と一緒に倉庫に閉じ込められた友人は二人いた。二人とも私の目の前で死んだんだ。
一人は、怪我の治療も出来ずに苦しんで息絶えたんだ。
もう一人は、動くことが出来なくなって、寒さと痛みに耐えかねて、拳銃で自分の頭を撃ち抜いた。私は、二人の最後の希望のために、散弾銃で死体の頭と胴体を吹き飛ばしたんだ。

上半身の吹き飛んだ二人と、何十時間も狭い倉庫の中にいた。
倉庫の中で見つけた僅かな食料を齧っていると、扉の向こうからは怒鳴り声や泣き声に交じって一つ、また一つと”アメイジング・グレイス”が聞こえてきた。みんな、私の知っている声だった。
怒鳴り声も泣き声も少なくなっていって、歌声は逆に増えていった。
ようやくロックが開いて倉庫から出られると、あちらこちらで、死者が眠ることもできずに歌っていた。
倉庫で見つけた懐中電灯を頼りに、暗い廊下を進んで、部屋の中を見て回った。
銃弾で穴だらけになった仲間がいた。
こめかみに風穴の空いた仲間もいた。彼らは私のように閉じ込められて、冷気と飢えで身体を衰弱させて、増えていく仲間の歌声に心を壊されて、自ら命を絶ったんだろう。
どこにも怪我のないまま凍り付いた仲間もいた。彼らは悪夢を見ながら眠っているようだった。
凍死がどれほど苦しいのか、私には死んでも分からない。彼らに聞くことはできない。
死者はみんな歌っていた。私は一人一人、彼らを撃って黙らせていった。
一人を黙らせても、まるで輪唱のように、どこかで他の死者が歌い始めた。
それを探して回って、疲れたら”アメイジング・グレイス”を子守歌代わりに眠って、目が覚めたら”アメイジング・グレイス”の歌声が増えていた。

自決に失敗して、死にきれない仲間も一人いた。
もう彼女を助けることができなかった。
私は、彼女の頭も吹き飛ばした。他にどうすることもできなかった。
どれくらいの時間と弾薬を使ったかわからない。
今はもう、彼らは誰も歌ってはいない。

あの男だけが、ここで独りで歌い続ければいい。
あの男を、彼らの側には行かせない。
電源が残っている限り、聞く人もなく、そこでずっと、一人で歌い続けていればいい。
仲間を囮にして、私は一人で逃げろだって?
よくそんなことが言えるもんだ。
プロジェクトは失敗した。無責任にもリーダーは一人で逃げ出した。後始末は全部補佐の私に押し付けられた。
誰が、そんな奴の指示に従うものか。
私がサイト管理官だって? プロジェクトリーダーだって?
いいだろう。
それならば私は、ここでその職務を全うしてやる。
外敵を排除するんだ。

私の目の前には、地上への扉を塞ぐバリケードがあった。防火扉は既に開き、組みあがったバリケードの向こう側には、凍り付いた死者たちの臭いと、地下から微かに聞こえる独唱におびき寄せられた熊達がいた。
彼らにとって、こんなバリケードは障子に等しいだろう。
私は散弾銃に弾を込め直して、バリケードに向けて構えた。

咆哮とともに、熊が大きく腕を振るって、バリケードが吹き飛んだ。
何匹もの熊がなだれ込んでくる。熊たちは私を見ていた。
先頭の熊めがけて引き金を引いた。熊が上体をのけ反らせたけれど、仕留められてはいない。
次の引き金を引くよりも早く、後方の熊たちが口を開いた。

閃光が視界を埋め尽くした。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。