舞・台・俺・山
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俺はやまびこなのだが、君達はやまびこを知っているだろうか。山に向かって叫ぶと返ってくるというやつなのだが、嘆かわしいことに近年は「山の斜面に声が跳ね返ることがやまびこの正体だ」なんて説明が人の世でされている。いや、別にそれが間違っているというわけではない。この科学全盛期、もはやそれを否定できるような時代では無くなっているのが分からない俺ではない。むしろ君達よりも俺の方が体でそれを感じている分強く分かっていると思うんだ。
それはともかく、やまびこというのは俺とか俺みたいな奴らが反対側から叫んでいるんだ。何でかと言われてもそういう風に生まれたんだからとしか言えない。だがそんな風に自分でも目的も分からずにただ叫んでいただけだから、その間に人の世は先にも言ったが科学全盛期。俺のことを見るやつなんて誰もいなくなっちまった。言っちゃえば寂しい。人間は発展の裏で何か大切なものを失ってしまったんじゃあないかな。
ともかく、俺がなんでこんな言い訳じみたことを言っているかと言うと、これから話すことについて俺が立たされている境遇を知ってもらってる方が理解しやすいと思ったからだ。というわけでここからが俺が話したいことだ。どうせなら聞いていってくれ。

俺は自分のこれからというものを考えていた。このまま叫んでるだけで俺は生き続けられるのか、そうじゃない道を選んだとしてそれは"やまびこ"なのか。自分の存在が信じられなくなるだけでそこまで考えるのかと言われたら、そこまで考えなきゃいけないことになっているんだと答えたい。
実を言うと最近特にだが他の妖怪とかち合う機会が減っている気がするんだ、多分。何より他のやまびことめっきり会わなくなった。昔はもっといたんだ。5人が山の向こうから叫んだら俺達は5人で返してた。だが今はどうだ、5人が叫んだら1人は俺、もう4人は斜面が返してる。これは結構淋しい。
で、これが何でかって言えばもう俺達のことを信じる人間なんてほとんどいないからってことなんだ。俺達は信じられなくなったら終わりだ。もう一度言うぞ。俺達は、信じられないと、終わり。大人になって近所の神社に祀られてた神様と話せなくなったとか、そういう話あるだろう?あれが進むと話せないどころじゃなくなるんだ。まあもちろん全部が全部そういうわけではないが、ざっくり言えばそういうことになる。

と、長々話して申し訳ないが俺は自分というものを模索していた。まずい、これさっきも言ったか。大丈夫、今からちゃんとやったことを話す。
まず俺が何をやり始めたかというと劇団に入ったんだ。何故劇団と思うだろうがちゃんとしたワケがある。たまたま読んだ雑誌に劇団をやってる妖怪へのインタビューが載っていたのを見たんだ。たしかのっぺらぼうだった気がするが、新たな時代の表現方法って感じだったが何かピンと来たところがあった。よし、これだっていう。
そっから行動に移すのはそんなに時間は置かなかった。今のままではまずいのはそうだし、駄目なら駄目で別に移ればいいってのはあった。よしじゃあ演劇やろうと言っても残念ながら俺には一緒に起ち上げる仲間はいない。消えちまったからな。だからすでにある人間の劇団に入ろうってなるのは自然な流れだとは思う。もちろんこのままじゃあない。人間に化けてだ。てなわけでここからは俺がその劇団に入ってから何したかを話そうと思う。

「お世話になります!幽谷山彦です!よろしくお願いします!」が第一声だった気がする。"かそややまひこ"だ。"かそだに"でも"ゆうこく"でもない。まんますぎると思うだろうがそもそも"やまびこ"が化けて出てるなんて誰も思わないだろうしなんならそう思われた方が良いぐらいかもしれない。芸名?と聞かれたからそんな感じですとは答えた。
俺が入った劇団は割とアットホームな感じで新入りの俺にも優しかった。もちろん裏方の作業とかも結構やったがなるべくなんかの役はあてがってもらったり、練習にもがっつり付き合ってもらった。そう、本当にがっつりと。あー先に言っておくがこれは彼らを糾弾するものではない。逆に俺自身の苦悩、というか懺悔、というか吐き出しに近いものだ。
何度も言ってるが俺は"やまびこ"だから声は張れる。だから本読みはすごくうまくいく。これはさすがにそこらの人間には負けられない自負はある。あとこれは後から気がついたが台本を見るという行為が自分へ声をかけられてるのと同じような感じがするからやりやすいというのもあると思う。
問題はここからだ。劇は台本を読みながらじゃできない。ちゃんと台詞を覚えて適切なタイミングで演じる必要がある。当たり前のことだ。俺はこれがまったくできなかった。今までずっと誰かの声に対して、要は受動的な態度だったから自分で覚えて喋るってことをまったく受け付けない脳みそになっていることにようやく気づいた。
最初の時の雰囲気が凄まじかった。あれ、あいつ本読みではあんな出来てたのに今全然喋らないんだけど。でも優しいから誰も言わない。でもさすがに雰囲気は変わる。一回ならいい。でも俺は何度も同じことを繰り返した。本当に優しいから怒られはしないがマズい空気にはなる。その時の無力感ったらありゃしない。俺はただただ辛かった。

だから「幽谷、声優やってみないか」って団長に言われた時はついに戦力外通告されたかと思った。俺がわなわなしてると続けて「お世話になってる監督さんが人集めてるからちょっと手伝ってきてほしいんだ。ほら、お前声張れるじゃん。スポーツのアニメだし、いいと思うんだよ」と説明された。
なるほどと思ったがそれと同時にアニメねえとも思った。これは本当に若気の至りというか素人ゆえの浅い考えだったというのは今だからこそ分かる。当時の俺は全然ノリ気では無かった。これでも舞台俳優というものに誇りをもっていたし、それを今更声優ですかいという気持ちがあった。どうしようもないな。でもまあ断れるような身分でも無いしそれでお世話になってる人に迷惑かけるのも良くないじゃないか。ということで俺はアニメの業界というものに足を踏み入れたんだ。

初のアニメスタジオ入り。周りは知らない人ばかりで、なんとなく気落ちしてることを悟られないように元気よく挨拶をした。なんとなくなんだけどスタッフは普通な感じで返してきて、他の声優は声低めだった気がする。みんな若そうだったし俺みたいにあんまりノリ気じゃあないのかもしれない。ただそれを露骨に出してしまうのはどうかと思う、仕事なんだから。俺の方が人間的に出来てるかもしれない。あ、これ差別表現かもしれない。でも俺が人間じゃないから許してくれ。
で、俺の役は主人公チームと対戦する野球チームの選手。とは言ってもシーン自体は1分も無いくらいのダイジェストっぽいものみたいだが。台詞も"走れー!"しか無かった。これでいくら貰えるんだろうか。声優って大変な仕事だ。
それでひとまず自分の番を待ちつつ準備をする。準備すると言っても堂々と声出ししたら迷惑だしあくまで精神面くらいだが。他の声優は気怠げな挨拶からは想像出来ないほどちゃんと演技をする。腐っても役者、ってことか。ちょっと見直したわ。
そしてそろそろ俺の番。収録用のマイクってのは人数分用意してるわけじゃない。変わり番こで使うから、今使ってる奴が捌けた後にさっと入って演技をする必要がある。これ地味に高等テクニックなんじゃないか。
お、前の奴が下がった。俺、行きます。マイクの前に立って与えられた台詞をぶっ放す。「走れーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」そしてさっと次に譲る。割とうまく回せた気がする。そして一仕事終えて後ろを振り向くと若干ポカンとしてる声優&スタッフ。ん、どうした?……あれ、待てよ。俺さっきどんな風に言ったっけか。ちょっと記憶を反芻してみる……まずい、明らかにやりすぎた。多分想定の10倍ぐらいの爆音になってる気がする。これはさすがに録り直しだな、ちょっと頼も「オッケイ!!!!」OKなの?!え、いいの?!まあ監督が良いならこちらから言う事はないけどさ。
ああ、もしや所詮木っ端声優の演技なんてそんな重視されないってことか。そうだとしたらなんかいやだな。こっちにだって一端のプライドってもんがあるし。と、そこを退散するまではそんなことばかり考えていた。

だからまた俺に声優の仕事がきた時には心底驚いた。どうやらあの俺の演技が監督にばっちりハマったらしい。あれ本当にOKだったんだ。まあ団長が機嫌いいのはいいことなんだが、俺は舞台の方をちゃんとやりたいからあんまり納得出来ていないというかなんというか。でも結局今のままじゃ永遠に劇団に迷惑かけそうだし、求められることをやる方が多分いいんだろうなと思ってまた声のお仕事に向かった。
この前と同じスタジオに行くと件(妖怪ではない)の監督が満面の笑みで俺を出迎えてくれた。本当にどうしてそこまでハマったんだろうか。
今回の役はこの前と同じアニメに出てくる別のチームの監督役。熱血っぽいから台詞がそこそこある。「よし!!その調子だ!!」「怯むな!!!相手だって余裕はない!!!」うん、我ながらいい演技が出来た気がす「ちょっと待った」え、何?どうしました監督?「幽谷君、僕がほしいのはこの前みたいなやつなんだよ。覚えてない?君の持ち味はあのハリのいい大声なんだよ。」足りなかったか、結構大声出した気はするんだけどな。まあそれならやってみるまでだ。
ということでもうワンテイク、モブキャラにやることなのか。「よし!!!!!!!!!!その調子だ!!!!!!!!!!」「オッケイ!!!!」監督が最高の笑顔でそう言った。その後の演技も似たような感じでやったら監督はさらにさらに口角が上がり、終わる頃にはありえんばかりの満面の笑顔だった。
「幽谷君、本当にありがとう。君の演技は他でも活躍が期待出来そうだよ。これからも何かあればよろしく頼むよ。」監督は言う。こんなに褒められたのは始めてだ。複雑な気持ちではあるが悪い気はしない。安定とは言えないが、これで定期的な仕事が手に入ったのかもしれない。

だが待ってくれ。俺は何のために演技をやっているんだ。妖怪としての新しい表現方法……って言うのも今考えればなんなんだろうか。とりあえずまだ消えてないからこれが負の方向に働いてるわけじゃなさそうだが、今一度見つめ直す必要があるかもしれない。
と、言いたいところだがあの監督はだいぶ俺のことを言いふらしたようなので、色んな人から声がかかるようになった。知らないアニメ、知らない監督、知らない声優、色んな人と色んなところで声のお仕事をする機会が山ほど増えて、もはや舞台俳優の面影は無くなってしまったのではないか。
その分声優としての技術はメキメキと上がっていった。恋愛アニメでは繊細な喋り方を覚えた。ギャグアニメでは間の取り方を知った。ロボットアニメでは何故か監督に殴られた。なんだあのハゲ、いつか絶対やり返す。
なんだかんだで俳優としてもいい感じに出来るようなレベルになったのではとも思ったのだが、そんな暇を与えてくれないほどに声優の仕事が増えた。せっかく昔に比べてもちゃんと台詞を覚えられるようになったのに。今考えれば律儀に全部する必要も無かったかもしれないけど、なんとなく断れずに黙々とやり続けた。そして気がついたらキャリア30年のベテラン声優になっていた。

30年経って何が変わったかと言われれば、一番に"声優が表に出るようになったなあ"というところに尽きると思う。声だけで勝負していた時代はどこへやら、今や歌にダンス、ドラマの仕事なんてものもあったりするほどだ。
いやドラマはいいのか、演技だし。なんなら俺もドラマとかはやりたい。俳優出身としての血が騒ぐ。ただこう今なんとなく声優と俳優って分けて考えてるけど表現方法が違うだけで区分としては同じはずだよな。もしかしたらそこが一番大事だから別の名前かもしれないけど。
ちなみに俺は頑張って舞台俳優ですと名乗っていたけれど、Wikipediaに"声優、俳優"って書かれていたのを見てから諦めている。俺は声優だ。
まあさっきの話に戻るけどそうは言ってもその歌とかダンスってのは若い子の仕事だし、俺みたいなジジイはそういうのを見て知り合いの音響監督とかとすごいねーって言うぐらいだった。最近の子ってアイドルかって言うぐらい美人やイケメンばっかりだしね。本当にアニメ好きなんだね。偉いと思うよ。
とまあそんな他人事みたいに言ってるけど、ついに時代の魔の手は俺にも及んできたってのがここからの話。きっかけは女性向けゲームのキャラクターの仕事が来たこと。
どうやらアイドル役らしいんだけど俺の歳で?とは思った。ああ実年齢は大体数百歳なんだけど、人に化けてる時のはおおむね普通の人間と同じくらいの成長、いや老化速度で見た目とかを変えてるんだ。だから大体その時は5、60歳ぐらいと思ってもらえればいいかな。
それでキャラクターの資料を見たらいわゆるイケオジって感じで、元々は熱血な警察官だったけれど訳あって早期退職してアイドルになったそうだ。なんちゅう設定だ、無理がないか。でもまあこのソシャゲ戦国時代に天下を取るにはこれくらいの無茶苦茶な方が目立つのかもしれない。
いやそれにしてもこれはすごい。俺以外の声優は決まっていて、みんな20歳からいっても30歳前半の子ばかりだった。馴染むのかこれ。まあただゲームの仕事というのはアニメと比べてちょっと割がいいというのがあるから、よしやろうということで引き受けたんだ。
ここで資料にあった"リアルイベント等で歌うこともあります。"という説明を見落としていなければ、もしかしたらここでの決断も変わっていたかもしれない。

ゲームは無事にリリースされて、どうやら人気も上々のようだ。どうも一人ジジイがいることが目を引いたようで、なんだかんだ自分が貢献しているのは悪い気はしない。
そんなある日のこと、マネージャーから長期の予定を聞かされた。何をやるんだと聞いたらライブに向けての練習だと。ん、ライブ?とその場で聞き返したがそう、あの見落としていた箇所のやつだ。リリース一周年記念のライブのための練習で、割とがっつりとした時間が取られていた。週に3日、それが大体ライブまでずっと続く感じ。
内容的には歌う上に踊るのか。これ普通の人の老人ならぶっ倒れるんじゃないか。いや今はいない人間の心配してる場合じゃない。本当に歌うのか、俺が。
その時の俺はいままでの声優としてのキャリアから来る戸惑いと責任感の板挟みになっていた。もちろん最終的にはやることになるし、言ってしまえばやって良かったと思うからいいのだが。多分若干フリーズしていた気はする。まー仕方ない、やるか。

ということでやってきました、レッスン場。気を利かせてくれたのか、事務所にほど近いところに場所を構えてくれた。悪いね、俺普通の人間よりも体力あんのに。
レッスンでは主にダンスとそれに合わせて歌うことを鍛えるようで、今日はそのダンスを覚えようというものだった。俺が入るとすでに若い子が1人柔軟体操をしている。リリイベとかでも会ったことがあるが、この子は境くんと言って、俺が演じる役とユニットを組んでいるキャラの担当声優だ。まだ二十歳もそこそこぐらいで俺なんかと一緒にいると窮屈ではないかと思うけど、あんまりそういう素振りは見せない。気を使わせている気がするがこれから仲良くなっていきたいなとは思う。うーんこういうのもお節介なのだろうか。なんかこうイヤな悩みなんだなあ。
まあそれはともかくなるべく景気よく声をかける。すると同じように挨拶を返される。気持ちいい、こういうコミュニケーションいいと思うんだ。俺も一緒に柔軟をしていたらしばらくするとダンスの先生が来た。すごい細マッチョ、こういう鬼いそう。
さっきも言ったけど今日はダンスを覚えるのが目的なんだけど、これがまあ大変。台詞を憶えるのとは訳が違う。もう忘れてるかもしれないけれど、舞台俳優やってんだから芝居憶えたりするだろうと言われそうだが、ほらその時は台詞すらも憶えるの下手すぎてそこまで行ってなかったから経験がほとんど無いんだ。
ということで体をどう動かすかを憶えることに苦労した俺は随分迷惑をかけてしまった。そういうことは何も言われてないけど『本当にこのおっさんをライブに出すのか?』という風には思われている気がする。申し訳無い、しかも老いてるからでなく単純に妖怪としての性で苦戦しているんだ。これは時間かかると思う。すまないがよろしく頼むよ。

で、実際に時間はかかった。ライブまでの半年間で最初の1ヶ月ぐらいをダンスを覚えることに使ってしまった。言うほど時間かかってないように思うだろう。そんなこと無いって言われるかもしれないが、まあとりあえずは俺の論調で行かせてほしい。
単純に言えばものすごく練習をした。それはもう、ものすごく。まず一回も休まなかった。妖怪は風邪ひかないんだ。そして自主練を遅くまでやった。妖怪は体力あるんだ。前に他のとこの子も合わせて7人ぐらいで練習してた時の話をしよう。マジでも名目上でも年上ではあるから、みんなを引っ張っていこうと思ってめちゃくちゃ張り切った。その結果、俺の周りは汗だくの新人声優の山が出来た。後から考えれば、先輩が踊ってんのに後輩休みづらいよな。正直ごめん。まあそんな感じでやりすぎて色んな人から怒られたけど妖怪としてのアドバンテージを使わないとアイデンティティを忘れてしまいそうだからまあまあと宥めて無理矢理納得してもらった。
ってことで歌もダンスもそれなり以上に仕上げて今日がその本番だ。昨日の事前練習ではついに担当声優が勢ぞろい。たまに会っていた子もいるんだけど一堂に会することは無かったから、こうしてみるととても気持ちがいい。何人だっけか、多分20人くらいはいると思うけど。いやあそれにしても、俺浮いてる気がするんだよなあ。
最初の全体曲のために舞台裏に待機していると観客席の方からざわざわとした声が聞こえてくる。お客さんが段々と入ってきてるのが分かる。さすがに緊張してくるけど他の子がいる手前、先輩として余裕あるように見せなければ。ここは半分意地でもある。そしてスタッフさんから準備するように言われる。ついにお披露目だ。このせり上がる感覚、もっと舞台とかやっていれば慣れたものだっただろうけどそうなる前にほぼ声優になっていたからなあ。しかしこういうのって今も手動なんだとは少し驚きがある。
そんなことを考えてたらついに舞台上に到着。目の前は色とりどりのサイリウムでキレイに仕上がっている。俺の役のカラーの激しい赤も見えるからそこでテンションも上がる。ちらりと隣の境くんを見ると同じように嬉しそうな顔をしていた。結構メンタルは強いのかもしれない。
そして歌が始まる。自分の視点では全体像がどうなっているかが分からないのが惜しい。ただ観客席からの溢れんばかりの黄色い声からしてさぞかしいいものなんだろうというのは分かる。そして歌い終わったら次の自分の出番まではしばらく待機だ。俺と境くんは中盤くらいだからそこそこ時間はある。こういう時に練習とかしておいた方がいいかもしれないが、あんまり体力を使ってしまってもなんだし、それに俺がやったら境くんにも強いてしまうことになるだろう。ここは他の子の活躍を見つつ、大人しく待っていることにした。
舞台裏には舞台上の映像が流れており、他の子はそれを見てわちゃわちゃしていたりしていた。なんかここもカメラが回っているらしく、今どんな気持ちですかって聞かれたから緊張はするよねって答えた。後でこのライブをブルーレイで売るときの特典映像にするらしい。
そんなこんなしていたら自分達の出番が来た。さすがの境くんも緊張していそうだから、楽しんでいこうよと声をかける。しばらく黙っちゃったからまずいと思ったけど、そうですね、まずは僕らが楽しまなきゃっすよね、と言ってくれたのでなんとかなったかなと思う。
前の子達がはけてから、少し経ってスタッフさんの合図でついに舞台に上がる。それと同時に曲が流れ始める。緩急の激しいポップとそれに合わせた激しめのダンス。この半年間の総決算と言わんばかりに歌い踊った。目の前は俺の赤と境くんの青の光で埋め尽くされている。すごい、今全員が俺達を見てくれている。これが求めていたものかもしれない。そう思うとさらにテンションは上がってなおのこと声を張り上げた。得意分野を遺憾なく発揮できてとても気持ちがいい。そして全身全霊を込めて歌い上げたら盛大な拍手に包まれた。ああ、これが声優なのか。やってて良かったと思う。
それで歌も佳境に入ってコールパートに入った。「「お前達、出動の準備は出来てるかーー!!」」『イェェェイ!!!!!!』「イェェェイ!」いやあ楽しいなあ…あれ、なんかみんなポカンとしてないか。もしかしたら変に声が下がってたところがあるかもしれない。最後まで気を引き締めて行かねば。そして残りのCメロを果たして歌い終えて、大歓声の末にトークタイムに入った。ここからは少しだけノーカットでいかせてもらう。

「ありがとうございます!」
「いやあ皆さんありがとう、お疲れ境くん。」
「お疲れっす!」
境くんが一息入れたあとに続ける。
「僕らのユニット曲、イノセント・ヒーローズをお聞きいただきありがとうございます。」
俺も境くんの言葉に合わせてお辞儀をする。客席からは改めて拍手が起こる。境くんが続けて言う。
「あのー、真面目な話をした後にするのもなんなんで先にお聞きしたいんですけど…幽谷さん。」
「え、俺?」
「幽谷さんなんかこう…コールにコールしてませんでした?」
「コールにコールってどういう…ああ」

脳裏に浮かぶポカン口の観客席、確かに俺はイェェェイ!に対してイェェェイ!を返した。全くもって不可解、ではない。久しくやってなかったから忘れてたけど、これまんま"やまびこ"じゃないか。無意識の内にやってしまっていたがなんてことだ、だからやたらと楽しかったのか、ははは。
なんてことを考えててたが今はあくまでライブ、舞台上でなく後でゆっくり考えればいい。あ、ちなみにこのライブは大いに盛り上がって終わった。いやあ、またやりたいな。

てなわけであれから落ち着いて考えてみた。考えてみたと言ってもやっぱ叫び返すの楽しいよなあということなんだが。人間、妖怪だけど、普通に生きていると誰かに叫ばれることってのはそんなに無いと思うんだ。特に山に向かって叫ぶレベルの大きさとなると、怖いお兄さんがカツアゲする時のようなものじゃ全然足りないんだ。
やっぱりコール、コールは本当にすごい。あれは人間が出来る中でも結構限界に近い大声だから。いやあ、軽い気持ちで演芸の世界に入ったけど、まさかこんな経ってから、もはや自分でも忘れかけていたものを思い出させてくれるなんて思いもしなかった。アイドル声優、中々にいいものじゃないか。

とまあ、これが俺の話したかったことなんだ。何を言いたいかって言えば、今この世の中で俺はまた自分がいていい山を見つけたよってことなんだ。そんなこと話してどうなるんだって言われても困る。長い世間話みたいなものと考えてくれ。
ちなみにさっきのライブ、2ndも決まっているから是非とも見に来てほしい。最初はライブビューイングから行ってもいいかもしれない。大丈夫、たとえスクリーンの向こう側からでも君たちの叫びは確実に届いてるさ。俺はやまびこだからな。

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