Sometimes Happiness Is Merely Painful Escapism

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窓から陽光が差し込む、調度が少なく壁の白いシンプルな病室。ベッドに座って窓の外を眺めている女性を見る。彼女はここ数年、私が診療とセラピーを担当している女性だ。
髪の色素は老化から抜け始めており、顔や手にはシワが目立ち始めている。その表情はとても穏やかで、不自然なほどに柔らかく微笑んでいて、ただ目だけが魚のように濁っていた。
彼女の病名は"統合失調症"、の、はずだ。少なくともつい先週のカウンセリングまではそうだった。今の彼女は単なるスキゾフレニアとは言い難い病状にある。さながら喜怒哀楽の真ん中だけが欠落したように、喜楽しか表現しなくなった。
今も窓の外の小鳥を見てにこにこと微笑んでいる彼女は、さながら笑顔の仮面でも着けているかのようだ。

カルテによると彼女の病は初めそう深刻ではなかった。統合失調症患者としては比較的軽度な症状だったらしく、私の前に担当していたセラピストは彼女の雑多で強度の強くない不安から解消していったという。
しかし、しばらくすると増える不安の強度が強くなり始めた。彼女の中である程度論理的に現実と妄想を関連付けることで、生まれる不安に根拠を作り始めた。同時に逆行性の部分健忘にも罹患したようで、その辺りでセラピストが匙を投げ、私が彼女の担当になった。

私は彼女のセラピーに催眠治療を選んだ。彼女は心を固く閉ざしており、面と向かって対話することでの治療は難しかったからだ。幸いこの方法は上手くいった。牛歩の如き進捗ではあったが、1つずつ彼女の不安を解していった。
特に彼女の知り合いの女性とコンタクトが取れた時のカウンセリングは非常に好ましい反応を得られた。私に対する信頼が見え始めたのだ。これで状況は好転する。通院を続けながら彼女の不安の原因となっているものと引き離せればと、私は彼女に休職し療養をとるよう勧めた。

事態が急転したのが昨朝、彼女の家族から連絡があった。彼女の様子がおかしいと。すぐに診察の予定を入れ、やってきた彼女には異様とも言えるほどの穏やかさがあった。
それは病状を脱した人間のそれではなく、むしろ振り切ってしまったそれだ。固く閉ざされた扉が開いた代償に、閉じ込めていた不安もそうでない不安も、不安として認識できなくなってしまっている。
どうしてこうなったのか、私は彼女を心配する彼女の家族を見てその理由を悟った。彼女は療養に入る前までは一人暮らしだったが、療養に入る際に息子夫婦の家へ引っ越していた。

息子夫婦は彼女を決してないがしろにはしなかった。しかし、懸命に彼女の世話を焼く彼らは今の彼女にとっては過干渉だったのだ。ストレッサーから離そうとして、逆にストレッサーの近くに閉じ込めてしまっていた。私の判断ミスだ。
私が息子夫婦に彼女の入院を勧めると、彼らは治療のためならばとそれを受け入れた。もはや、彼女は自分でそれを判断できる状況になかった。大抵の事柄ならば彼女は一切の否もなく受け入れてしまうだろう。

ただ、今の彼女の微笑みを見ると、本当に治療すべきなのか迷いがある。精神科医としてあるまじき迷いであり、そして精神科医ならば誰もが通る道だろう。異常な幸せの最中にある人間は本当に狂っているのだろうか。幸せを奪い、また彼女を不安の渦中に落としてまで彼女を治療すべきなのか。
私の理性はあらゆる理屈をつけてそれを否定する。そんなものは人間の幸福ではない。医者ならばこの異常もその後の不安も治療してみせるべきなのだと。彼女が正常の中で健やかに生きられるように、私はこの暗闇と戦い続けるのだと。

例えその正常が、唯の痛々しき真実に過ぎなくとも

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