追悼
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「博士、先日Neutralizedに分類されたSCP-267-JPの確認をお願いします。」

私の助手に当たる研究員がそう告げ、私の部屋を出た。渡された書類に目を向けそっと溜息をつく。どうして、こうもあっさりと異常性がなくなってしまうのか。どうして、こうもあっさりとオブジェクトが亡くなってしまうのか、どうしてこうもオブジェクトを忘れ去ってしまうのか。私には見当すらつかない。多くの職員は「そういう運命だったのさ」と言って済ましたりするのだが、私にはどうも納得がいかないのだ。

「我々職員はオブジェクトに感情移入してはならない」

財団に入団した時に言われた言葉。それが、この仕事をする度に脳裏に浮かび上がってくる。死にそうになっているオブジェクト、異常性を失いかけているオブジェクト、忘れ去られようとしているオブジェクト。それらに対して慰めの言葉や罵倒の言葉をかけてやる事は我々にはできないのだ。友好的で喋れるオブジェクトに関しては稀にNeutralizedとなる前に"助けて"や"痛い"、そして"忘れないで"等の言葉を投げてくる。現に今日確認するSCP-267-JPも最後まで「死にたくない」とか「前みたいに戻りたい」とか「忘れられた」とか言っていたそうな。オブジェクトがNeutralizedへと分類された場合、即座にNeutralizedの担当職員へと引き渡される。その時、前担当職員はどういう気持ちで渡すのだろうか、私には理解ができない。

「博士、こちらになります」

助手に誘導され、収容室の前へ到着する。そっと耳をやる。当然声や物音は聞こえない。かつてNeutralizedオブジェクトを担当していた御先管理員には、オブジェクトの声が聞こえていたという。私にはそのような力はない。ただ、そこにオブジェクトがあるという事実だけしかわからない。いや、もうオブジェクトに意識がないだけなのかもしれない。

扉が開く。そこにオブジェクトはある。周囲には再度の異常性発現を鑑み警備員が待機している。白い手袋をはめ、資料通りの手順で異常性を確認する。SCP-267-JPを引き渡した神山博士の話を思い出す。このオブジェクトは本当に死ぬ……いや、消える事を拒んでいた、嫌がっていた、悲しんでいた、と。今はその痛みから解放され、そこに佇んでいる。

「問題ありません。SCP-267-JPの報告書に記録されている異常性は発現しませんでした。正式にNeutralizedクラスへ分類する事を許可します。また異常性の再発も考えられますので、管理は厳重にお願いします」

全ての職員が「把握した」と言い残しその場を去っていった。全ての職員はそれ以上は何もしなかったし、憐れむ言葉を言う事もしなかった。私はに目を向けた。そこには意思のない物となったオブジェクトであった何かが佇んでいる。昨日まで喋っていたなんて分からないほどに。私は再び物に耳を当てた。当然何も聞こえない。「死にたくない」とか「ナンデ?」とか、そういう声も聞こえない。声だけでも聴かせてほしい、と願ってももう無駄なのだ。ただ、そこに物があるだけである。

「我々職員はオブジェクトに感情移入してはならない」

わかっている。私はオブジェクトに感情移入なんてしていない。私はと一緒にいるだけである。意思のないペンやノートと同じ"物"である。今この時間だけ物の声を聴こうと試みる事ができるのだ。聴けるわけないのだが。でも、意味のある行動だって、私は思っているのだ。

だから、私はオブジェクトに対してできなかった事を今やるんだ。

私は、その物に対して静かに黙祷を捧げた。

「声は聞こえないけれど、声は送る事ができるよね」という想いと同時に。

「お疲れさまでした」という言葉と同時に。

唯一これをやれるのはこの職だけなのだ。

だから私は、誇りをもって、この仕事を続けている。

そして私は、SCP-267-JPの記録を部屋に残し、立ち去った。

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