「何してんスか、『シド』さん」
「料理」
「料理ィ?」
機動部隊に-9"モータルオフィサー"の野営地。隊員たちは──“モータルオフィサー”の隊員は全員Dクラス職員だ──ひと所に固まりつつも、各々休息のために財団から支給された携帯口糧レーションを食んでいた。
会話は少ない。長い行軍の後だし、何よりレーションはどうしたって味が単調だ。変化のない味わいが、疲労感を引き立てていた。
そんな折に、好奇の目を引く隊員が1人。シリアルバーを砕いている彼に、しわがれた声の問いが投げかけられた。──「なぜそんな事をするのか」と。
「料理ってのは、祈りと似ている」
「ダジャレですかぁ?」
並んだ二語が押韻していることを受けての揶揄は、しかし響いていない。
職員コードの上から三桁──410をもじって『シド』と呼ばれたDクラス職員は、ただ手元に視線を向けてレーションを砕き続けていた。
「そういう風に軽んじるやつから死んでいくんだよ。飯メシも救世主メシアも」
「いやいやシドさん……神は死にましたよ、1998年に」
この世界ではもはや陳腐クリシェなセリフだ。神は死んだ──文字通り。
1998年に財団とGOCが信仰心の怪物を下したことで、歴史は新たな局面フェーズを迎えている。即ち神ヴェール無き時代。人類を異常から守ってくれる者はいなくなった──救いの手を望むべくもなく、人類の前途は混沌の様相を呈している。
「レーションなんて結局腹ン中入りゃあ同じじゃないスか、結局噛み砕くんだし。無駄なこたぁ止しましょうよ」
「そうでもないんだ。砕いたシリアルバーに、同じくレーションのチョコレートをこれも同じように砕いて混ぜる」
手慣れた、けれど丁寧な手付きで、一式の携帯セットの中から取り出したチョコレートを手頃なサイズに割っていく。そして、チョコをシリアルバーの包装の中に放り込んで、カサカサと軽く揺らした。
「レーション製チョコチップクッキーモドキの完成だ」
「お、おお……?」
それとなく注意を向けていた隊員たちが「そんなのでいいのか」と滲むような声を漏らす。
それを気に留めず『シド』は両手を合わせた。
「いただきます」
砕いたチョコとバーの欠片の塊を口に放り込み、軽く咀嚼する。ザク、ザクと音を立てる様が耳目を集めていた。
「んっ、んっ……はー! うまい」
嚥下し、飲料で流し込む──そして満足気に一言そう言って。
聴衆に流し目で視線を送り、いたずらっぽく彼は笑った。
「羨ましけりゃ真似してもいいぞ」
「いやいや……誰もやらねっスよ」
「アタシやってみよっかな」
「おれもおれも」
「やるのかよ」
疑惑の目を向ける者もいる一方、食いついた者もいる。
好奇心を唆られたようで、何人かの隊員が物は試しとばかりに自らの配給分を砕き始めた。
「おお……クッキーに味がする!」
「水が、うまい……」
そしてファーストペンギン達は存外にも喜色を湛えた声で鳴いた。
「なんか……この後も頑張れそうな気がしてきた」
「ああ」
その言を聞いて、我が意を得たりと笑む。
「だから祈りと似てるんだ。死地から生きて帰れる理由──苦しくても走れる理由、眠れない夜を凌げる理由は、多い方がいい」
誰に聞かせるでもない声量で、数刻前の発言の真意が言葉にされた。
機動部隊に-9"モータルオフィサー"の隊是は生還だ。旧来式の補充に加え、時代柄、超常災害の多発や国際関係の複雑化によって増加した難民が危険な任務と引き換えに『雇用』されているDクラス──財団への忠誠心や能力の質には期待できないにしても、しかしこの部隊の任務あたり生還率は8割を超えている。
それはひとえに、この隊のカルチャーに裏打ちされていた。これも、あくまでその1つ。
聞こえていなくてもいい。言明にされなくとも、隊の皆はその精神を共有している。
「だから何だよ」
が、冷ややかに彼らを見る者もいた。
「えらくシケた面してやがるな、『ミオ』」
「……隊長」
騒ぐメンバーたちの群れから少し外れて食事をするD-44430──下二桁をもじって『ミオ』──に、同じく離れて見ていたD-2930──『ニック』、『ニコラス』と呼ばれる、この隊の隊長だ──が、そのつまらなそうな食事風景を揶揄して話しかけた。
「……別に」
苛立たしげに、『ミオ』はそれだけ言い捨てた。だが次の息は、また言葉として空気を揺らした。
「別に、メシなんざウマい必要ないでしょ。馬鹿らしい」
「ほう?」
"モータルオフィサー"の隊長は片眉をピクリと動かして、言う。
「メシが美味くて何が悪い?」
「何が悪いって……そりゃ、アンタは戦争犯罪だっけ? そんでアイツは詐欺師、あっちのアマは故郷の仲間を見捨ててこの国へ高飛び。ろくなもんじゃねえよ皆。なに呑気にメシ食ってんだ。それが許される立場じゃないだろ、ここにいる奴、全員」
底辺職Dクラスに配属され──あまつさえこんな特殊な部隊に組み込まれるような人材だ。正規の手段で口糊を凌ぐことができない、犯罪者アウトローか流れ者アウトサイダーくらいしかここにはいない。
お天道様に顔向けできる生き方をしてきた人間は機動部隊に-9に配属されない。この部隊は脛に傷持つ者をこそ歓迎する。
「かく言うお前は、どうしてこんなとこまで来たんだっけか?」
「──俺は元々短期雇用ショートランのDクラスだ。トーキョースラムには財団サマくらいしか仕事がねぇんでね」
"モータルオフィサー"には出自を問われたら必ず自身の来歴を明かさねばならない──そんな不文律がある。多種多様の廃棄人材が集まる上で、お互いを信頼するための、生き残るためのカルチャーだ。
『ミオ』は答える。東京を襲った大災害によって文明の失われた東京近郊に、被災難民たちが作り上げたスラム──そここそが彼のルーツだ。
「ああ、それで『大事故』のときに生き残ったんだっけか。歳を食うと耄碌してな」
外部向けに適時出される短期雇用──そのうちのある回で、余震の続く東京事変の第6波による影響で人員が大量に損失する事態が発生した。通称『大事故』と呼ばれるそのインシデントの、数少ない生き残りが『ミオ』だ。
それを受けて『ニック』が彼にスカウトを飛ばしたのだ──「知ってるだろ」と睨む視線を受けて、なお隊長は動じない。
「誘いにホイホイ乗ったのが間違いだった。虫酸が走るぜ、いつもいつもよ」
「そうか?」
短期雇用と違って機動部隊は長期的な仕事だ。だから誘いを受けた。
だが、それで得られた職場環境は彼にとって快適とは言いがたかった。
「あんたらと同じメシ食ってると思うと虫酸が走る。俺はこんなふざけた奴らと仕事するために地元の仲間を見殺しにしたわけじゃない」
「……そうか?」
罪過ある身でのうのうと呑気な顔して都合のいいことを抜かす奴らと同じ釜の飯を食って生きている。スラムの仲間や、似通った境遇の同僚たちの悲鳴を背に逃げ延びて掴んだ明日がこれか。
そんな恨み節を受けて、はじめて"モータルオフィサー"の隊長は部下を睨み返した。
「何も仲間の屍の上で生きてるのはお前だけじゃねぇ。俺らにだって少なからず仲間を差し置いて生き残った経験はある……そこに関しちゃ俺たちは同罪だ」
「……」
機動部隊に-9“モータルオフィサー”の生還率は約8割──裏返せば、脱落率も約2割。5人いれば1人はいなくなる。それを繰り返してきたのがこの部隊だ。見送った屍は、多い。
「生き残ったことが悪いのか? 生きることが悪いのか? もしお前がそう考えるなら俺は隊長としてこの場で即座にお前に終了措置をくれてやることもできる」
「それは……違う」
財団独自の言い回しで提示された介錯の選択肢を、肯んじるには生き残った意味は重い。
「違うだろ? 俺たちは罰を受けるため生き残ったわけじゃない。奴らだって罰したくて死んだわけじゃないだろ」
恨み言を言いながら死んでいった仲間はいない。世界や人生への未練を訴えこそすれど、憎悪を遺していった者を──少なくとも『ニック』は知らない。
「ただ」
だが。それでも拭えない影もある。
「俺らが生き残った事実だけはついてくる」
「……それが罪だってんだろ」
「ああ。俺らは罪人だ。十字架を背負ってる」
トーキョースラムに法はないが、良心に悖ることはしてこなかったつもりだ。それでも、罪を負った。
その事実はなかったことにはできない──保守義務のため定期的に施される記憶処理でも、配属前のことまでは忘れさせてくれない。
「だから……犯した罪の置き場を見つけるまで、俺たちは生き残らなけりゃならない」
人類史は進む。だから罪人たちに立ち止まったまま果てることは許されていない。自身の背負った荷物の届け先まで歩いていかねばならない。
「そいつはどこにあるんだよ」
目的地はどこなのか、続く質問と、それから回答はシンプルだった。
「ここにある」
機動部隊に-9"モータルオフィサー"、その設立精神は贖罪だ。隊是も日々の任務も、全てはその出発点に立脚している。
「俺らはここでちょっと良い奴になるためのチャンスを待ってる。ここでの戦い全てが俺らみたいなのがちょっとでもマシになるためのモンだ。そのために生き残るし、生き残った分また続ける」
そうして、罪人たちの長は自身の糧食を『料理』し始めた。
言葉と言葉の間隙に、破砕音が小さく鳴る。
「だからこそ、人生と世界を楽しむんだ。ろくでもないなりによ。そしてくたばれ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、だ」
「…………」
「わかったら辛気臭い面でメシ食うのやめろ。俺のメシまで不味くなるだろうが」
長い説教を料理とともに終え、カサカサと音を鳴らして成果物を手に持つ。
『ミオ』も、つられて自分の糧食を手に取った。
「懺悔の祈りなんざメシに口つける前、手合わせるくれぇの軽さで良いんだよ」
口をつけようとしたところに放たれた台詞に、何を言っているのかと発言者の方を見遣り、そこに続いた「俺らの望む神様なんていやしねぇんだ、存分に使い潰せ」という言葉で何を促されているのかを悟った。
手を、合わせる。
「いただきます」
そう唱え、戦って、生き延びて、いつか許されるための一口を、食んだ。