ベゴニアに温もりを乗せて

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 少しばかし田舎の小さい葬儀屋で、あるモノの葬儀が執り行われていた。火葬して、死者を極楽へ送る。これを経てはじめて、憂いを断ち切れる。

 今日の葬儀屋は、いつもと少し違う空気に包まれていた。燃やすのは、人に限りなく似ているが、人にあらず。ここで執り行われるのは、オートマタの葬式だった。



「どうか彼女を、よろしくお願いします」

祈るように、ある老人が言った。老人は若くして体を悪くしているが故、50年前に購入したオートマタと片時も離れずに過ごしていた。伴侶のオートマタは度重なる修理でなんとか動いている状態だったが、ついに一言も発することなく、その動きを止めた。修理も不可能な程にボロボロになっている。

 老人は、その姿を見る度、涙を流した。年甲斐もなく夕焼けを見た日も、少し遠くにベゴニアの花を見に行った日も、そこで改めて共にあることを約束したことも、その鋼の体に確かな温もりがあったことも。忘れることなく、脳裏に焼き付いた笑顔も、悲しみも、全部。あらゆる思い出が湧き出て止まらなかった。

 葬儀の担当者と、全て打ち明けた老人。落ち着いて、数時間に渡る葬儀の説明が終わる。老人にとって、葬儀屋の同情が、「辛かったでしょう」の言葉が何よりも嬉しかった。例え形ばかりだったとしても、話を聞いてくれる人がいるというだけで嬉しかったのだ。

 数日後、葬儀が始まった。参列者は老人の家族のみ。小さな小さな葬儀だった。老人は、花に彩られたオートマタの顔を見た。寝ている姿そのまま、動き出しそうだが、もう動くことはない。その事実をもうとっくに受け入れたはずなのに、結局また泣いてしまった。思い出はもう散々思い出したというのに、何度も何度も頭の中に戻ってくる。一緒に料理をした日のことも、ラジオを聞きながらくだらない話をしていたことも……。過ごした一日一日を思い出せるようだった。

 ヒトの葬儀と何ら変わらず、工程が進んでいく。今は火葬の段階だ。老人は骨壷を持ち、心の中でただ、一言、感謝を伝えた。老人に人生の後悔が無いわけでもなく、ここから死ぬまで完全に忘れ去って別れられるわけでもない。だが、一区切りは付けられた。

 燃えた後の、真っ黒いオートマタのパーツ。ヒトの葬儀で骨を拾うのと同じく、老人はそれらを骨壷に納める。傍から見れば鉄くずを骨壷に納める、あまりにも奇怪な光景。願ったのは「ヒトと同じように別れを告げたい」ということだけ。例えオートマタだろうと、誰にとっても価値のないガラクタだろうと、老人にとっては価値の付けられないほどに大事なものだ。ヒトとオートマタの違いは、機械でできているか否かの違いでしかない。骨の代わりに鉄くずが生きた証となるという、ただそれだけの違い。世間的にはオートマタを伴侶とするのは珍しい。親族や周囲の人間から奇異の目で見られることもあった。今この瞬間は、自身の伴侶が機械だということを実感する瞬間でもあったが、それでも、老人にとって「オートマタ」は「ヒト」であった。



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 数ヶ月後、老人の家のすぐそばに小さな墓ができた。老人は、ただ花を手向ける。生前、二人が好きだったベゴニアの花を数本だけ。祈る中、乗せるのは永遠に忘れることのない幸せな時間。二度と戻ることのない、思い出の時間。

 弱く、温かい風が季節を運んでいた。風に花は飛ばされることなく、ただそこに、微かに揺れる。

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