クレジット
タイトル: 新星の提言 - タブラ・ラサ
著者: StellationNova
作成年: 2026
http://scp-jp-sandbox3.wikidot.com/draft:9295244-30-16e1
記録#1
「外宇宙探査計画採用のお知らせ」
メールボックスの先頭に座る題名に、ゆっくり大きく息を吐いた。
採用のために積み重ねてきた努力と裏腹に、それが報われたことを告げる文言はあまりにも無機質で、短かった。あっけなさにどうしても実感が追いつかない。
ひとまず、親と友人に採用の一報を連絡した。友人の方からはすぐに返信が来た。
「本当に?おめでとう!せっかくだし今日は飲みにいかないか。最後になるかもしれないしさ。」
冗談じゃないと返しつつ、そう送ってしまう気持ちも理解できた。最期を見送る機会をみすみす逃したら、後悔してもしきれないだろう。私だってそうする。ここまで無礼な物言いはしないけれど。
自分が死ぬかもわからない場所に赴くことの重さは、まだ理解できていない。
外宇宙探査計画、通称地球探査。
「地球探査採用を祝って、かんぱーい!」
グラスの音が鳴る。一応祝いの会ではあるのだが、リスクのことを思うとここまで能天気に祝えるものかと思えてしまう。
「いやぁ、やっぱ人類の遺産探しってロマンあるよね。」
「はあ、ロマンって安全圏にいるやつの言葉だよ。メリットしか見てない。」
約6億年前にきらめく花によって絶滅した人類。恒星の光が時間経過により強まったことで、光を返す花と氷点を上回る気温が両立するようになった。そこに遺された技術をかき集めるのが主な任務になる。そこから掘り起こされた技術は大いに役立てられている。
最近では摩擦を大幅に減らす技術が一般に公開され、様々な分野に応用されている、らしい。あんまり目には見えないから便利になった実感がない。
「だからぁ、ロマンって言われても……」
「だってさだってさ、いくら危険っつたって自分だけの宇宙船乗って探検だぜ?かっこいいじゃん!」
だめだ、話が通じない。
酒が入った状態で現実を見ろという方が間違いなのだろう。向こうにとっては他人事だし。重苦しい雰囲気の中で見送られるよりはマシかもしれないが、エンタメとして消費されているような感覚で酒がまずくなる。
「志望したのあんたなんだろ?なんでそんなネガティブなのさ。」
「ネガティブというか、現実を嫌でも見せられたからというか。そりゃロマンの話も否定できないけどさ。ロマンで命は救えないわけで。」
少しの間を置いてこう言い返された。
「あんたなら大丈夫でしょ。」
余りにも純粋すぎるおだて。ラリーを打つ気も失せてしまった。
記録#2
あれ以降特に大きな事件も無く発射の日を迎えていた。平穏な日々ほど記憶として覚えていられないことに、少々もったいなさを感じている。刺激的な日々に思い出を上書きされるのはいいことなのか悪いことなのか。
発射の前日に最高責任者である所長と交わした会話を思い返す。
『現時点で地球から発見された詳細が不明なワードについてまとめた文書を宇宙船内の方に送信しておいた。機密情報も含まれるから詳細は向こうで確認してほしい。もし可能ならそれにまつわる新情報を発見してくれるととても嬉しい。』
『はい。』
『ただ、基本的に我々の役に立つ技術が見つかるかは、文字通り砂の山から鉱物をより分けるようなものだ。仮に持って帰ってきたものが今すぐ役立たないようなものでも構わない。欲張らず、焦らず、とにかく生きて帰ってくれ。』
『はい、わかりました。』
一人にはあまりにも不釣り合いに思える宇宙船の座席に括り付けられ、発射の時を待つ。端的に言って暇だ。今自分ができることはない。緩やかに緊張が高まっているのを感じる。とにかく自分はオールクリアであることをマイクに向かって叫び続ける。
気を紛らわす目的も兼ねて、詳細不明なワードリストに目を通す。が、基本的に特定のオブジェクトに紐づけられた特定のオブジェクト、みたいな説明が延々と繰り返されており、一見しただけで理解できるようなものではない。
その中、わかりやすさで一つ目を引くものがあった。
ˈkʌl.ə(ɹ)という発音をする単語らしい。カラー、発音が難しい。人類は光の波長によって見え方に差があったらしい。人類の一般社会に浸透していた概念である故、逆にそれを説明する文書が見つかっていない。珍しいパターンである。
そんなこともあるんだなと思っていると、ついに発射の最終確認に入った。
どれほど待ったか、振動が襲ってきた。次いで上から押しつぶされるような感覚。計器の中の数字がとてつもない勢いで上がっていく。
ああ、ついに始まってしまった。口の奥が痛くなった気がする。しかしうかうかしてられない。必要なことを言われた通りに次々こなす。先ほどまで遊ばせていた時間を充てさせてくれないかという、叶わぬ願いが自然と頭に浮かぶ。
……
目の前のことに集中ばかりしていると、いつの間にか時間が過ぎ去ったように感じることはよくあることである。亜光速航行のレーンにあたるワームバイパスが船を飲み込もうとしている。
"ワームバイパスに突入します。"
"幸運を。"
一息つけたのは、ワームバイパスに入り本部との通信が途絶した時だった。ここまで雁字搦めに指示に従ってきたが、ここからは逆に私のターンである。改めて、お世話になる宇宙船を見回すと、下見の時よりもやけに暗く感じた。そもそもこの部屋に窓はないのだから、外の光うんぬんは関係ないはずなのに。
自動運転に入った計器を眺めつつ、ひたすら真っ暗な外界を映す画面と共に食事を貪る。なんかやけにしょっぱい、これからしばらく頼りきりになるかと思うとしんどい要素だ。きちんと確認しておくんだった。
これからの出来事も、きっと思い出になることは間違いないだろう。それがいいものであることを祈るばかりである。
あまりにも慌ただしい時間だった。次に備え、眠りにつくことにした。
アラートの音で目が覚めた。
計器は間もなく地球の近くに設置されたワームバイパスに到着すると示している。計器以外何も変わっていないから実感も何もあったものではない。鈍った思考を叩き起こしつつ、衝撃に備える。
衝撃。外界の映像に光が現れた。映像記録を精査すると目的地はすぐに見つかった。一際輝く点、地球である。光の反射率を示すアルベドは太陽系の中でも群を抜いて高いため、遠くに映る恒星並にわかりやすい。
地球に近づけば近づくほど、その表面が鮮明になる。地球は凍てついた星などではなく、未だに生命に溢れている。表面は花に覆われ、高低差すらまともに読み取れない。窓がある場所に移動しその目で確かめる。もう宇宙船はかなり地表に接近しており、とにかく大きいという言葉が思い浮かぶ。これを覆い尽くす花のたくましさに感嘆するばかりである。
その中で一つ大きな山稜が走っている。地殻変動により成形された中央造山帯だ。かつて人間が繁栄した頃は大西洋という名の海だったらしいが、今やあの逞しい花すら生えない灼熱の地になっている。6億年という時間の重みを実感させられる。
今回の目的地は造山帯の反対側だ。観測用の人工衛星を脱離させ、ゆっくり速度と高度を落としていく。花は陸も海も関係なく繁茂しているため、目視できちんと地面があるかどうかを慎重に確認する。
軽い衝撃と共に計器の動きが止まった。ついに軟着陸に成功した。外の空気の組成を確認し、ハッチを開ける。外に出てみると空は普段より明るく、足元の花畑は柔らかい。普段想像するような未開の地とも全く違う感触だ。確かにこの土地は生きている。吹き抜けた風がやけに心地良かった。
記録#3
ひとまず周辺の土地の安全確認を済ませた後、探査活動を開始した。6億年の年月の前では基本的にあらゆるものが土に還ってしまうが、人間の中でも特に高い技術を独占していた財団という団体の痕跡はちらほら残っている。特に難壊性物質──財団は破壊耐性と呼んでいたが、現在では加工が可能になっている──と呼ばれる耐性の高い物質は特殊な波動を使えばそれなりに簡単に探し出せるため、見つけては掘り返し見つけては調べてを繰り返す地味な作業を行う。
しかし、見渡しても見渡しても地面が明るくてしょうがない。空よりも地面の方が明るいから、今までの感覚だと空に立っているような気分だ。ここまで明るい物体が死神の鎌の如くこの星の運命を左右してるとはにわかに信じがたい。
ただ、発掘された写真はもっと角ばった景色だったり背の高い植物が繁茂していた景色だったりを遺しているから、あまりにのっぺりした今の景色はきっと人間には絶望だったのだろう。
探知機が音を立てた。思考が引き戻される。小型の掘削探知機を地面に這わせ、地中に探査を行ってもらう。後ろを振り返ると、宇宙船はかなり小さくなっていた。踏んできた歩みは花の生命力に早くも埋もれてしまっている。宇宙船はこまめに動かして離れるなと言いつけられていたことを思いだし反省した。今はいいがいつの間に山を越えたとかで見失った時には、本当に孤独の身になってしまうだろう。通信機だけに全てを預けるわけにはいかない。
水を飲みながら周りを見渡してみても、宇宙船以外は世界の縁が少し揺らぐだけである。こんな状態から化石を掘り出せというのも中々無茶な話である。しかも太陽光の反射率をキープするため、大規模な掘削もできないときた。思ったよりもヤバい仕事を引き受けてしまったのかもしれない。
探査結果が着信した。どうやら浅いところに箱が埋まっているらしい。これなら生身でもいけるだろうと踏み、穴を広げないよう慎重に掘り進める。気分はまるでタイムカプセルだ。というか実際そうなのだろう。
表層は花の根がびっしり絡みついており、一回掘り進める度に命が傷つく音が伝わってくる。逆に花以外は微生物くらいしかいないからか、強い土の匂いが漂ってくる。
直に箱を見つけ引っ張り出す。思ったより大きい。6億年の年月の中でも凹み一つも付かない難解性物質の便利さに感謝しつつ、ゆっくりと箱を開ける。中にはすらりとした棍棒と、おそらくステンレスと思しき板が入っている。板の内容を翻訳機にかける。
AO-19476: 破壊耐性を持つバット
どうやらハズレのようだ。特に何かできるわけではないが、単純に壊れない棒として持っておくことにしよう。この発見と同時に、この仕事の過酷さを確信した。これは大分骨が折れそうだ。まあ、やってやろう。
記録#4
不思議な場所を見つけた。こんもり盛り上がった山の頂上が少し暗くなっている。天を衝くような中央造山帯の山脈ならいざ知らず、こんな高度で花が繁茂できなくなるとは思えない。さらに人工衛星に写真を撮らせてみても異常は見つからない。どうせ時間しかないのだから、仮の目的地に定め歩みを進めた。
山の麓にたどり着くと、探知機が反応を起こした。今回はただのアーティファクトのようだ。掘り起こしてみるとボロボロに砕けた物体が見つかった。触れば崩れてしまいそうな遺物をそっと検証すると、人間が発明した現実性アース──またの名を、スクラントン現実錨──であることがわかった。
妙だ。保存する意図なら無防備すぎるし、何かに使用していたのがそのままなら遺りすぎている。やはり山に何かがあるに違いない、足を踏み入れたその瞬間。
「……っ!」
久々に自分の声を聞いた気がした。突然辺りが暗くなり、冷たい風が吹き抜けたのだ。手元の温度計を見ると10℃程下がっていた。現実性メーターの針も振れている。
こんなものがあるなんて少なくとも宇宙からの観測では一切報告されていなかったはずだ。こいつはドデカい発見になるかもしれない。はやる気持ちを抑え、まずは足元に咲く暗い花へと目を向けた。
見たことがない花だ。花弁の数も、茎の太さも違う上、何より光の反射率が著しく低い。細かい計算を抜きにしても、これが世界を覆っていたとしたら、今頃地球は灼熱の土地になっていただろう。
しばらくして、花の検査結果が出た。基本無毒だが幻覚作用がある可能性があるらしい。無毒とはなんなのかと一人毒づいたが、それを確かめられるのは私しかいない。最悪の場合でも宇宙船が私をロールバックしてくれるから大丈夫。意を決して防護服を解除し、花に触れる。思ったより柔らかい手触りだ。
気づくと私は何も無い空間に立たされていた。
これが幻覚作用か。急いで自身をスキャンするが身体に異常はない。ひとまず無毒との言葉を信じ、幻覚の行く末を見守ることにした。
突如、視界に未知のモノが溢れ出した。少なくともここまでの生涯で見た覚えはない。上下左右を見回してみても、未知の概念から逃れられない。しかし不思議と、そのモノに対する恐怖だとか、好奇心だとかは溢れることはなく、心が安らぐような感覚だけがそこにはあった。きっと私だけではなく、母星に住む者皆がこれを知らないだろうという確信があった。この状況に合う言葉は、見つかりそうにない。
気がつくと私は元の場所で、あろうことかもう一度その花に触れようと手を伸ばしていた。慌ててバイタルチェックを行う。なるほどこれは、とんでもない劇薬だったかもしれない。
これを完璧にまとめて持ち帰ればそれだけで功績になり得るだろうが、思い返してもそれを言葉にする術が思いつかない。あまりにも自身のキャパシティを超えていた光景は、どんどん記憶から滑り落ちていく。せめて、それを表す名前があればいいのに──
バイタルチェックが完了した音が鳴る。特に異常はないらしい。無毒という機械の見立ては正しかったようだ。今度は防護服越しにかの花をゆっくりと抜き、保存容器に植え付ける。
次にすべきは、この山にいるはずの何かを見つけにいくことだ。こういうのは山頂にいると相場が決まっている。
感傷に浸る暇なんてない。
記録#5
山頂付近に音もなく私を乗せた飛行船が着地した。標高はおおよそ2000mを示している。晴れ渡っているのにどこか霞がかった山頂にて、地球で初めての出会いがあった。
そこには物憂げな雰囲気を湛えた、人間がいた。とっくに絶滅したはずの人間が。
現実性メーターはとっくに役に立たなくなっている。正確なところはわからないが直観的に主犯がこの人間なのは間違いないだろう。死にたくなければ逃げるべきだと理性が告げている。ただ、せっかく見つけた大発見をどうしても逃したくなかった。
その思考から導き出されたのは、挨拶と呼ぶには小さすぎるちょっとした身体の動きだった。大層なこと考えておきながら逃げるわけでも突っ込むわけでもないこの行動は最悪なのではという思考が頭をもたげた時、かの人間の瞳が私を貫いた。
死んだかも──
ぎゅっと閉じた目を開くが、なんともない。むしろこちらの動きを待っているかのようだった。敵意はないのか?本当か?
異を決して飛行船から降り、ゆっくり近づく。彫像のように見える身体も、私に照準を合わせるように歪んでいく。冷たい風が吹き抜けた。地球における言語は英語で大体どうにかなるという経験則に基づき、自動翻訳を英語にして拡声器を当てた。
「こ、こんにちは。あなたは?」
緊張でおかしくなりそうだ。こんなコテコテの挨拶、子供でもしない。
1秒はこんなに遅かっただろうか。相手の口が開く。
「私のことは……フラヴィアと呼ぶといい。」
ああ。ラッキー。
「私の名前はパンソーです。ええと、その、お話いいですか?」
「ああ。何が訊きたい?」
「えっと……」
とめどなく考えが巡ってまとまらない。この山は?なぜ私を殺さない?なんで生きてる?いつから生きてる?現実性は?今日のご飯は?
フリーズする私を見かねたのか、フラヴィアがゆっくり言葉をこぼす。
「これは私が生み出せる花だ。人間が触れると──お前、人間を知っているか?ちょうど私みたいな姿だ。」
「は、はい。実際見たのは初めてです。」
「私は人間じゃないんだが……まあいいか。遠い昔、人間が私のところによく押しかけていた。この花は人間が触れると夢幻を見せる花なんだが、お前も触れてみるか?」
「もう触れています。なんというか、とんでもないものを見せられたなと思いました。あれは何だったのでしょう。」
「さあな、見えるものは人によって違うから。人間はこの花が何を見せるのか研究したらしい。中にはまだ見たこともないˈkʌl.ə(ɹ)を見た者がいたらしく、それに名前を名付けていた。」
翻訳機が訳出を諦めた。耳で聴く限りおそらくˈkʌl.ə(ɹ)という発音だろう。示すものは一体何なのか訊くことにした。
「そのˈkʌl.ə(ɹ)とは一体何なのでしょうか。blu:とかgri:nみたいな種類があるのは知っているのですが、子細が私にはわからないのです。」
「ˈkʌl.ə(ɹ)がわからないのか?……説明が難しいな、お前は何で物を識別している?明るいとか暗いくらいはわかるだろう?」
「ええ、光の反射率です。」
「同じ反射率でも見え方が違うと言えば伝わるか?もはや反射率の違いよりもずっとはっきりするくらいには違う。」
私を見つめるフラヴィアの目つきが、少し変わった気がする。
「そんなすごいものを、人間は当たり前のように理解してたんですよね。人間の言葉の解読は完了して発掘した文章は繙けるようになったのに、その実人間のことはあんまりわかっていないんです。」
「言葉だけでは本質は理解できないだろうな。そこにあった文化だとか、暗黙の了解だとか、そういうのも全てひっくるめて文明というものがある。」
「間違いないですね。人間が滅んだ跡を探して少しでもそれを拾い集めようとしていますが、さすがに時間が空きすぎて難しい。6億年で多くのものが失われてしまいました。」
「もうそんなに経っていたのか。私は人の営みによって現れる幻想や伝承に興味を持っていたのだが、いつの間にか有象無象と共に幻想も伝承も消えてしまった。幻想はそれを思う物があって初めて成り立つことを実感した。」
「……もしかして生身で6億年生きてたんですか?タイムワープとかではなく?」
「そうだが?」
ノータイムで返された。自分と相手の間に風が吹き抜ける。
「辛くなかったんですか?そんなに独りで。」
「待つことには慣れているからな。それに全ての幻想が失われたわけではない。人類が滅んでも新たな命が芽吹き、進化し、新たな物語が始まる、という幻想が残っていた。その幻想もまた人間が吹き込んだものだ。」
「もう一度文明が生まれるという期待のために、そんなに?」
「人類は6万年くらいだと言っていたし本来そんなにかかるはずじゃなかったんだがな。桁を4つも間違えるとは、人類も大したことなかったな。」
なぜ信じたのか、という言葉を飲み込む。私がここにいることが、その幻想が噓っぱちではないことの何よりの証左だったし、そのことに幻滅せず待ち続けたフラヴィアと人類の関係性が垣間見えたからだ。
「今度はフラヴィアさん自身が伝承の伝い手になる番ですね。」
「もうほとんど覚えていないけどな。」
記録#6
フラヴィアとの会話はかなり盛り上がった。当然収穫も多かった。
ˈkʌl.ə(ɹ)という概念について知見が深まった。光の波長に応じて視覚に影響を及ぼしている概念ということは既にわかっていたが、私があの花に触れたときに見たモノはそれにまつわるものである可能性があるらしい。ただ、花に触れた時に見えるモノは触れた個体ごとに変わってくるらしく、これだけで概念を伝えるのは難しいだろう。
それよりも重要だったのは、フラヴィアが現実改変の力でこの地を守り続けていたということ。本来この地を飲み込むはずだった地盤移動や災害を無意識のうちに相当軽減していたらしい。地面に埋められながら姿を遺した現実性アースがその証拠になる。すなわち、この山の周辺に掘り出し物がある可能性が極めて高いことを意味する。
そして今成果が目の前にある。自ら掘り返した穴、その中にチタン合金製のハッチが顔を覗かせている。ハッチには財団のマークが彫られており、中に何かを封じ込めているのは間違いないだろう。
電磁波を使ってハッチ付近の検査を行ったが、侵入者を防ぐような装置や文言などは見当たらない。遠ざけるための封印というよりかは、護るための封印のように思える。
ハッチの開錠が完了し扉に手をかける。気分はさながらゲームの主人公だ。中に何があるのか期待するこの時間が探査の唯一の楽しみである。
重苦しい音を立てハッチが開く。中にある階段が光を浴びて輝いている。半分崖のようにも思える階段に軽く恐怖を感じつつも、今更止まる理由もなく拾ったバットでハッチを固定しゆっくりと下へ進む。階段の先には小部屋が一つだけあった。ちょうど入口から入った光が乱反射し、不気味さが明るみになっている。地面にはもはや何だったかもわからない灰が散らばっていた。
そして部屋の中央に箱がいくつか安置されている。材質を検査すると難壊性物質と返ってきた。別にこの材質を使うなら地面の直埋めでもいいはずなのに、なぜこんなチタン合金のシェルターという厳重装備が?一瞬不思議に思ったが、それだけこの箱に封じ込められたものが大切なものであることを示しているはずだ。胸が高鳴るのを感じる。
ちょうど太陽の光が真っ直ぐ階段に射しこんでいるから、おそらく地表よりも明るくなった階段に腰掛けて箱の一つを開封することにした。
箱はそこまで時間をかけずに開けることができた。中にはチタン合金の板が複数と地球のかつての姿を映した写真、それから厳重に封じられた液体が入っていた。まずは板に書かれた言語を解読する。
アイテム番号: SCP-1607-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-1607-JPを誘発する点眼薬は、破壊耐性を有する箱に封印しサイト-8135付近のチタン合金製シェルターで保管します。
説明: SCP-1607-JPは一定条件下で発生する██障害です。現在判明しているSCP-1607-JPの発生対象条件は以下の通りです。
- ██製の点眼薬の服用経験がある。
- 左右の視力が各1.0以上である。
- 太陽の高度が45°以上である。
- 以上の条件を満たした上で、雲の量が1%以下の晴天下で太陽を0.05秒以上直視する。
文章はこれ以降も続いていたが、手元の翻訳機では大量の翻訳不可を吐き出し読めたものではなかった。この点眼薬を差して太陽を直で見れば何かが起こるということ、特に命にかかわるような危険はないこと、そしてˈkʌl.ə(ɹ)に関連していることを読み取るのが精一杯だった。
一見では材質すらわからない瓶の封を開けると、有機の匂いがかすかに漂ってきた。これがおそらく件の点眼薬だろう、揮発性の液体をこの永い時間とどめ続けた技術に感嘆する。人類の保有技術の推定を上方修正しなければならないかもしれない。
読めないものを後回しにして他の箱も開けてみたが、残念なことにその中身は既に見知ったものであった。
さて、どうしよう。
未知のオブジェクトを発見した時は、可能な限り自分で調べるてはずになっている。もしかしたら大爆発して一帯を吹き飛ばす可能性もあるし、そうなら被害は少ない方がいい。この年代まで残っているということは大体人類が意図して残したものだから危険が少ないのも相まって、そんな慣例ができあがっていた。
だが、今回は説明が少なすぎる。さすがに無暗に失明はしたくない。よくわかりませんでした、で持ち帰っても怒られはしないだろう。
本当にそれで後悔しないかは、また別の話だろうけど。
……
貴重な当時の地球を写した写真も残っている。まずは生きて帰ることが先決だ。
いつの間にか日は傾いていて、部屋は暗くなっていた。
記録#7
いつの間にか私は船に乗り込んで、再びフラヴィアがいる山の頂上を目指していた。運転席に飾った容器の中の花がアクセサリーのように揺れ動く。
現実改変者に二たび相対する危険を冒す必要も、自分だけで未知を解明する必要もないはずなのに、自分はハンドルを握ることを選択していた。出発する前にロマンがうんぬんと言っていたのはなんだったのか。
二回目の着陸はスムーズだった。フラヴィアもすぐ近くに見える。
「フラヴィアさん、こんにちは、訊きたいことがあるんです。」
いわゆる一般常識が彼女に通用するとは思えない。だが、前の会話で薄々察していたことがあった。おそらく、彼女はあまり無視を貫き通せる人ではない。
「?」
「この板に書かれている内容に、地球固有の話が含まれているような気がしたので、詳細を訊きたいんです。」
「関係ないだろう、なんで私が」
「あの花を触った時に見たかもしれないˈkʌl.ə(ɹ)と関係あるんです!多分!」
フラヴィアはため息をついた。
「お前はなぜそこまでそれに執着しているんだ?」
あらかた板に刻まれた内容を翻訳してもらった後、フラヴィアは私にこう質問した。
「お前の文明には存在しない概念なのだろう?」
少しだけ虚を突かれたような気がしたが、思ったより自分の中で腹積もりは決まっていたらしかった。
「もう、人類がうんぬんとか役立つかより、この花に触れたときの光景が目に焼き付いたからなんだと思います。」
そもそも存在しない概念に対してそこまで感情を突き動かされた理由はわからなかったし、もしかしたら死ぬまでわからないかもしれない。ただ、いくつか確かなことがあった。
花が見せた幻覚から帰った時、私は思わず花に向かってもう一度手を伸ばしていた。
花を詰め持ち帰った瓶を、忘れないように倉庫ではなく目につくところに置いていた。
要は、未練たらたらだった。
「キレイだと、思ったんです。」
「そうか。ˈkʌl.ə(ɹ)すらもお前にとっては幻想的なものになっているわけか。」
「でも、毎回花触って幻覚を見るわけにもいかないので……。」
もう一度フラヴィアはため息をついた。
「もう私は必要ないだろう。この目薬におそらく命の危険はない。後は勝手にやってくれ。」
のろけていたら拗ねられてしまった。
目薬が効能を発揮するのは雲一つない快晴の時のみである。山を下りざるをえず、必然私一人きりである。地面に目薬が収められていた箱を置き、心を整える。
緊急用のセーフティーネットを起動し自分の目に点眼薬をかざす。心臓がバクバクしている、そもそも目薬の経験がないことを思い出し、恐怖に押しつぶされそうになる。しかし点眼薬はそんな恐怖もいざ知らず重力に従って目に入っていく。冷たい感覚に思わず瞼が閉じる。点眼薬をこぼさないよう慎重に箱に置き、後ろを向く。太陽のぬくもりを顔面に受けながら、ゆっくりと目を開いた。
一閃。
眼の奥にじんとした痛みが走り思わず膝を折り下を向いた。やはり太陽を直に見てはいけない。瞼の裏がじわりと湿っていくのを感じる。とりあえず命の危険がなさそうなことに安心し、ゆっくりと目を開く。
なんと。
箱の中の写真が輝いている。震える手で写真を手に取る。一枚一枚手繰ってみると、そこには未知の光景が広がっていた。
一際目を引く葉が。ただの影よりも深みがあるような影が。風に吹かれる木々が。吸い込まれそうな空が。風景を支配する日暮れが。たくましく育つ幹が。可憐に咲く花が。静かに波打つ海が。
あの花に触れたときに見た「ソレ」と共に存在した。
いくら眺めても飽き足りないと思った写真たちは、いつの間にか暗くなっていた。太陽を確かめようと顔を上げると。
空と花の境界線がはっきりしている!
見上げれば、空は既に別世界だった。あまりにも馬鹿らしい感想だと独り笑いがこぼれた。二次元に閉じ込められた生物が三次元を知ったような、あるいはさながら着陸したばかりの時のような、そんな心持ちだった。
眼が変化しただけで少なくとも命の危険はないはずなのに、船のハッチを踏む足がかなり慎重になっている。見慣れた暗闇を求め目をつむり、壁を手繰り寄せた。
手癖で空の写真を撮影して、改めて自分が置かれている状況を再確認するはめになった。映し出されたモノは得体のしれない何かの濃淡のみに様変わりしていた。よくよく考えたら当たり前だ、その概念がないものに表現できるわけがない。
どうしよう、報告する方法がない。手元の目薬は残り僅か。むしろ数億年の時を越えて揮発性の液体を残しただけでも偉業ものなのだが、十分とは言えない。この身は別にいい、なんとでもしようがあるはずだ。だが、この風景を伝えられないようでは命を賭けてまでここに来た意味が半分くらいなくなってしまう。
恐らく自分史上最も難しい感想文の執筆に頭を悩ませる内に、見慣れたはずの宇宙船がむしろ思考のノイズになっていることに気が付いた。単に見え方が変わっただけかと最初は思ったが、見れば見るほど違和感が増大するのを感じる。
深呼吸しても、心のざわめきは収まらない。何か秩序を失ったような感覚だ。これが新しい概念を手に入れたことの代償なのだろうか?いや、手に入れたことの代償というよりは、我々が掬えなかった構造のようにも思えてくる。
ふと、瓶の中に植えた花が目についた。乱雑な視界の中で、その花は空と同じ見た目をしていた。
──言葉だけでは本質は理解できないだろうな。そこにあった文化だとか、暗黙の了解だとか、そういうのも全てひっくるめて文明というものがある。
まだ訊いていないことが、あったらしい。
記録#8
「フラヴィアさん!」
視界に入ったフラヴィアは今までと同じく山頂にいた。常に緊張を切らさない姿勢に、勝手に永い時の重みを見出す。
「前に話したˈkʌl.ə(ɹ)とあの目薬、関連があったみたいです!」
こちらに気づいたフラヴィアはゆっくりと顔を向けた。そこに親しみはなかったが、初めて会った時のように視線に射抜かれる感覚は感じられなかった。
「そうか。」
「あの後実際に目薬を自分に使ってみたらその、視界が変わって。」
「……そうか。」
微かに声に呆れが入っていたが、それでもフラヴィアは私のつたない話を聴いてくれた。ただ、ある瞬間その表情が明らかに変化した。
「もしよければ、私たちのいる星でお話してくれませんか?この概念を広めるのにあなたのお話はきっと役に立つと思います。」
フラヴィアは少し遠くを見やり、呟くように答えた。
「もうお前らはお前らの世界を築いたのだろう?そこに私が入る隙は、もうないはずだ。」
「……。」
「私は激しい変化を好まないし、この場所を気に入ってる。お前らの利のために利用される気はないと、はっきりここで言っておこう。」
二人の間にわずかな沈黙が流れた。夢中になって忘れていた警告音が耳に入る。あまりに友好的すぎて忘れかけていたが、フラヴィアは強大な現実性操作能力を有している。迂闊な提案を行ったことに後悔の念が伝う。
だが、その言葉が嘘だったわけではない。必死に自分の言葉の真意を手繰り寄せる。断られたからって、はいそうですかで帰るわけにはいかない。
「羨ましいし怖いんです、単純に。知らないことを知ろうとする気持ちが止められないんです。私がここからいなくなってしまう前に知れるだけのことを知っておこうと、そう思ったんです。」
少しだけ勇ましい沈黙が生まれた。
「勝手にすればいい。私を巻き込むな。お前たちの世界はお前たちの手で作られたのだから、その解釈もお前たちのものだ。私が指図するものではない。」
多分最初に言った、激しい変化を好まない、言い換えれば面倒くさいの方が本心なのだろう。それでもあんまり悪い気はしなかった。この任に就いたからといって、人類全てをすくいあげる必要はないし、できるはずもないことを今になって自覚したから。だからこそ。
「わかりました。──足元にある花の種をいくらか貰ってもいいですか。」
「ああ。」
自分の思いに正直になることにした。あれを取り戻せないまま今後の人生を過ごすことなんてできないという直観があった。記憶も変わった肉体をなかったことにすることも一応可能ではあるが、そんなことをするつもりもないという確信があった。
裏返った空を切り取り、ビンに詰める。
記録#9
警告音と共に目が覚めた。音の種類からして宇宙船そのものではなく外界の異常のようだ。急いで運転室に向かおうと思ったその足は、窓の前ですくんでしまった。今までのっぺりだった花畑が「ソレ」に溢れていたからだった。
日暮れに似た花、火に似た花、昼夜の境に似た花。風に吹かれて大きな波を作り出す姿に見とれてしまった。私たちはこの星のことをまだまだ全然わかっていないのだなと改めて実感した。
それにしても不思議な気分だ。見慣れない視界のはずなのに心は晴れやかであり、もう何も心配する必要がないような心持ちだ。一旦外に出てじっくり花でも観察してみようか。
……
ちょっと待った。
地表にいる花は光の反射率がすこぶる高いはずだ。なのに目の前の花はところどころ暗くなっている。乱暴に一輪写真を撮りそれが失われた画像を生成したが、案の定光の反射率はかなり悪くなっている。
いくらなんでも何かがおかしい。あの光り輝く花を押しのけて他の植物が生えるのは困難だったはず。慌てて運転室に向かいながら脳内検索をフル稼働し、思い当たる原因を探す。そこで一つ、あることを思いだした。
星の死相?
何らかの原因で生命体が滅ぶ寸前に現れる楽園。濃淡様々な花畑が咲き乱れ、そこに住む生物は死を悟り穏やかになるという。しかし終末を迎えているとはいえ、今の環境からわずかな時間でこの星が滅ぶとは一体何が起こっているのか?
衛星から届いた映像を再生すると、中央造山帯にあり得ない量のマグマの光が走っていた。直後、地面が震える。直観的にこの後の展開を悟った。巨大な地震に飲まれるか、噴煙で全土が覆いつくされるか、いずれにせよここに留まっていたら死ぬことは間違いないだろう。
だが逆に、この死相が現れたということはわずかながら安全が保証されたことを意味する。帰る時間だ。
観測用に外に放置していた荷物をまとめるために宇宙船の外に移動する。期間でいえばどのくらいだっただろうか、1日の間隔も違うし長かったような短かったような気もする。ただあっという間という言葉は使いたくなかった。仮に記憶に留めておけなかったとしても、私が知覚したことは確実に自分の一生を構築しているし、知らず知らずのうちに自分に影響を及ぼしている。
感傷に浸りながら花畑を踏みしめる。昨日までとは違う花にどうしても気が散ってしまう。葉の形も、花弁の数も、しべの大きさも違う。この花がかつての地球に存在したかどうかは定かではないが、これも新発見に数えられるだろう。
星の死相が出たのならば、この花の寿命もそう長くはあるまい。星に持ち帰るために少しでも劣化を防ぐには、酸素をシャットアウトすればいい。その発想の元、透明な板に花を挟みこむ。せっかくなら今の景色を残すように。
回収を終え運転席に戻ると、固定されたビンの中でフラヴィアがいた山で採取した花が静かに息ついている。その花は雑多な視界の中で空のように落ち着いていた。フラヴィアもこの星とともに終わりを迎えるのだろう。本当に残念だが、残された時間は少ないし、あれほどの現実改変者を母星に持ち帰るわけにはいかないし、何より本人が望んでいない。私はフラヴィアとの会話を思い返していた。
──言葉だけでは本質は理解できないだろうな。そこにあった文化だとか、暗黙の了解だとか、そういうのも全てひっくるめて文明というものがある。
宇宙船が汚く見えたのもこのせいだろう。この概念を持たずに育った私たちは当然その概念を活かすことができない。概念を獲得したばかりの私が美醜を判断できているのも不思議な話ではあるが。
もしかして、このまま帰ったら大変苦労するのではないだろうか。おそらく母星に帰ったところでそこに広がるのは雑多な風景しかないだろう。手の中に握られたSCP-1607-JPを引き起こす目薬を机の上でくるくる回す。いくら密封されていたとはいえ、億年単位で放置された目薬はほとんど蒸発しきっていて、精々あと二回使えるかどうかぐらいしか残されていなかった。
改めて窓の外から花畑を眺めると、眼が釘付けになって離れない。手元のカメラには映らない風景は、優しく私の眼を焼き焦がしてしまったらしい。何となくこの風景を一生引きずってしまうような、そんな予感がした。
警告の履歴は半日前を指している。そろそろお別れの時間だ。
首を振り思考をリセットする。たまらず窓のカーテンを下ろした。気持ちを押し殺すよう席に戻り、離陸の準備を整える。ビンの中に植わった花が何か言いたげに揺れたような気がした。
ついにエンジンが起動し徐々に地面が遠くなっていく。カメラから送られる映像から花々が識別できなくなり、滑らかなキャンバスへと変わっていく。だがしかし、全てが均一になっているわけではなく地域ごとにグラデーションを形成している。地球に初めて来た頃のただただ光り輝いていただけの星とは大違いだった。
裏側に回ると、今度は逆に光を発さない噴煙がもくもくと中央造山帯から発生し続けている。徐々に噴煙は地球を飲み込み、丸々画一的に染め上げようとしている。
ごく間近に見る地球の滅び。直前まで過ごしてきた場所が死んでいくことに心の痛みを感じていることに気が付いた。火砕流は映像で見たことがあるが、暗い塊が麓を飲み込んでいく映像には緊迫感があり大いに恐怖したことを覚えている。それが星の規模で起こっていると思うと身震いする。モニターから目を背けた。
嫌だ。直観的にそう感じていた。わがままな感情でしかないし、目の前の惨状を変えるだけの力などあるはずがない。手元に残されたのは、データに翻訳して失われた残滓の集合体と、生きた花と、潰された花と、私。
とんでもないモノを受け取ってしまった。長い夢を見ていたような気さえしてくる。
震える手で自動航行のボタンを押した。最後に見た地球は、もう噴煙に飲み込まれていた。
記録#10
母星は、知らない姿をしていた。
経過時間はおおよそ5年。亜光速航行は時間経過を歪めるが、思ったよりは経っていなかった。むしろ、もっと経っていてほしかったのかもしれない。見慣れたはずの景色が変わるというものは思ったより精神に打撃を与えてくるものらしい。
「パンソーくん、帰還おめでとう。」
海に着地した帰還ポッドから私は回収され、しばらく宇宙センターの中で寝かしつけられている。心なしか強く感じた重力にようやく慣れてきた。
「一足先に帰還した探索者から、地球の中央造山帯に噴火の兆候が見られたから切り上げて帰ってきたという報告が上がってたから、ダメかと思ったが……いや、ネガティブな話はやめておこう。」
「まあ、悪いことばかりではありませんでしたよ。」
帰還した探索者は重大な新技術を抱えている可能性があるから、帰還当初は他者との接触を厳しく制限される。今目の前にいるのも宇宙センターで最も偉い人物である所長であり、帰還したというのに全く気が収まらない。
「記録を読ませてもらっているけど、どうやら視覚に関して発見があったと。」
「それは──」
自分の口からでないと話せない、そう思って体を持ち上げたが、所長の話はそれで終わらなかった。
「調べた結果、7年前に記録されたとある報告と類似していた。」
「え?」
沈黙が流れた。
「向こうの言葉でˈkʌl.ə(ɹ)と呼ばれていたものを指しているのなら同じ可能性が高い。」
そんな呟く声がどこからか聞こえてきた。力を失った身体がベッドに支えられる。別に発見の被り自体はよく聞く話だったが、いざ自分の身となると。
「そんな暗い顔しないでくれ、まだ続きがあるんだ。」
「……?」
「その報告では、ˈkʌl.ə(ɹ)そのものが何を指しているのかは、本人含めてわからなかったんだ。むしろ、理解を拒んだという方が正しい。」
「調査に非協力的だったということですか。」
「ああ。こんなものが持ち込まれたら、世界は変わりすぎてしまう、だからなかったことにしてくれと。いくら説得しても応じてくれなかった。結局その内情を知っているのは当時彼しかいなかったから、立ち消えてしまったんだ。だが君は違うのだろう?」
所長は一枚の紙を渡してきた。
プロジェクト番号: SCP-001-JP
重要度: 最高
プロジェクト概要: SCP-001-JPは、我らの種が進化の過程で失ったと推察される█に対して精査を行い、一般社会への公開を最終目標とするプロジェクトである。
この発見に際し重要な情報を持つ参考人として、外宇宙探査より帰還したパンソー氏を定めることとする。
「今の状況は違う。君は記録でˈkʌl.ə(ɹ)に強い執着を見せているし、我々が定義できない概念をもたらす花まで持って帰ってきた。そんな君にはぴったりだと思うんだけど、どうかな?」
厚意で置かれていたかの空の花が一輪、ビンの中から様子を窺っている。答えは決まっていた。
「喜んで、承ります。」
記録#11
「よく帰ってきた!地球滅亡のニュース来たときは死んだんじゃないかって気が気じゃなくて、本当に、良かった!」
久々の休日、半ば強引に友人に連れ出され食事に行くことになった。徐々に酒を巡らせだした友人は感情のたがが緩くなっている。
「ごめんよ、こっちも機密情報とかもろもろで大変だったんだ。」
「生きて帰ってきたくらい連絡くれたっていいじゃん!」
今回向こうに非は何一つない。途切れ途切れの声を急かすことも止めることもせず、言わせるだけ言わせることにした。
「もう覚えてないかも、しれないけどさ。出発前に言ったなんとかなるでしょって言葉がさ、ずっと後悔してて。その、ロマンがうんぬんとか言ったけど、こんなに危険だったんだって……。」
ゆるりと記憶の底から糸が編まれていく。そういえばそんな会話もあった気がする。
「いや、むしろ逆。なんとかなったからここにいるんだし、任務中はロマンに突き動かされてばっかりだった。だからもうめそめそしないで。」
慰めのための絵空事などではなく、根からの本心だった。自分は思ったよりも身の安全を軽視しがちだったし、好奇心に突き動かされてばかりだった。
「うん、わかった。ありがと。というかあんたがロマンに突き動かされるって、何があったのさ。」
「それは~言えないんだけどね。」
のらりくらりと核心を躱しながら話していると、むしろこの星を変える筆が私の手にあることの重さをより強く実感するようになった。今なら概念を広めることを拒否した者の気持ちも少しわかるような気がする。
「まあでも多分いい旅だったんだろうね。あんたなんかちょっと明るいというか、芯が強くなってる気がする。」
「そうかな?」
かつての人類は普通に享受していたのかもしれないが、私たちはそうではないもの。それを再解釈して伝えることが最大の手向けになる気がした。自我が丸出しの感情でしかないが、歩みを止めない原動力としては十分なはず。後はそれがこの星に受け入れられるようにするだけ。それが一番大変なような気もするけれど。
「その内すごいの発表するからさ、期待してて。」
私なら大丈夫だろう。筆を振るう準備と覚悟は、できている。



