なお青く
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夕景。

幼少の時分に両親に手を引かれて歩いた一本道を、あの頃となんら変わりのない鮮烈な茜色が染め上げていた。とっくの昔に死んだはずである酷暑の残滓が、風に紛れて私の頬を戯えていく。本来なら故郷に寄せる懐旧の念を感じざるをえないほど素晴らしき展望が眼前に広がっているのだが、時期に似合わぬ汗に濡れた私の身体はノスタルジーと息継ぎの間をしばらく彷徨しなければならなかった。

どうして私はこんなところにいるのであろうか。やけに喧しいヒグラシの声、中空を規律よく飛んでいくカラスの編隊。周囲には邪魔なビルも街灯もまるで見当たらず、夕星は白雲を見下ろしながら天球の褥で気ままに憩っている。私は疲労で霞んだ頭で、ここにいる理由を再考する。私は自分の生家へ向かっているのである。日本の辺境の殊更に狭隘な村の田舎までわざわざ電車を乗り継いで、やっとの思いでこの道まで辿り着いたのである。それはなぜであったか。どうしてこんなところにいるのであろうか。

私は生来、運命などを信じるような性分ではない。しかし、これはおそらくそれに相当する予感であった。なにか由来のわからない衝動が私をここまで運んできたのだ。私は昔から精神薄弱と思い込みの激しい男であったから、もしかしたらこれも私の一種の思い過ごしかも知れない。だが、私には決定的な予感が、予感というよりむしろ確信に近いような感覚が存在しているのだった。

私がこの場所を訪れるのは今年で二度目のことである。私は毎年ここへ母方の祖父母の墓参りに来ているのだが、以前にここを訪ねたのもその用事を済ませるためであった。私の祖父というのは私が生まれる前にぽっくり老衰で死んだらしいので顔さえ写真でしか見たことないのだが、私の祖母は私がしがない文筆家として世に出る直前まで存命であった。私はこの祖母に関してひとつの面白い話を覚えている。

私の記憶の中での祖母は常に温厚で上品な性格をしていたのだが、母曰く昔は芯も気も強い堂々たる女性であったらしいのである。それこそ典型的なカカア天下の家庭であり、祖父が声を上げて泣くところは見ても祖母が声を上げて泣くところは一度も見ることはなかったという話だ。もしかしたら、祖父がすっかり禿頭になってしまったのも祖母の怒鳴り声が怖かったからかもしれない、と母は笑って話した。

しかし、母は祖母についてこういうことも言っていた。声を上げて泣きはしないが、たまに夜中に一人ですすり泣いているときがあると。母は最初、その理由を怖くて聞き出せなかったそうだが、そのうち祖母が自ら教えてくれたらしい。祖母は一枚の写真を見てすすり泣いていた。どうしても、この写真を見るともうこの頃には戻れないような悲しい気持ちになるの、と。奇妙なのは、それが祖父とのツーショットや祖母の思い出の場所などではなく、ただ穏やかな春の空を映しただけの写真であったことだ。

実は、私も祖母から何度かその写真の話を聞かされたことがある。一度目のとき、祖母は実際にその写真を私に手渡して、もうこの景色は二度と撮れないのよと言った。母の言う通りその写真に人物は誰も映っておらず、煌びやかな春の情景がモノクロームで切り取られているだけであったが、祖母があんまりにも悲痛そうな表情をするので私は何も言えなかった。そこには郷愁の情に近いようなものも読み取れた。

祖母にとって、その写真は過去の象徴になっていたらしく、それから祖母はこの写真を私に見せるとき決まって一緒に昔話も聞かせるようになった。最後にこの出来事があったのは、私が高等学校に入学した年の夏であったか。そのとき文学に傾倒していた私は、「この空はここにはもうないのよ」という祖母の言を聞いて、「それは、東京には本当の空がないというのと同じことですか」と変な返事をしてしまった。それを聞いた祖母は微笑して、「わからないけど、世界のどこかにはまだあるのかもしれないねえ」と言った後、なにか肩の荷が降りたような表情をしながら今までさぞ大事そうに持っていたその写真を私にくれてしまったのだ。私は「これは、おばあさんの宝物でしょう」と言ったけれども、「いいのよ」とだけ言い残し惜しいような顔ひとつしないでその場を立ち去ってしまった。

今、私はその写真とともに生家の前に立っている。私の由来不明の衝動には、これが深く関係しているような気がしていたからだ。私がインターホンを押すと、母方の叔父とその奥さんが出迎えてくれた。叔父は祖父の亡きあと、家業の農家を継いでずっとこの家を守っている。「おう、お盆ぶりじゃねえか。しかし、今回はユウ坊ひとりなのかい?奈々子はどうした?」と不思議そうに母の所在を尋ねる叔父に、私はこれが私の衝動的な小旅行であることを素直に打ち明けた。

思いの他、叔父と奥さんは快く迎えてくれた。ご近所付き合いくらいしか楽しみのない田舎では急な来客は吉事に入るんだよと言って、温かい手料理も振舞ってくれた。だが、やはり私がいきなり連絡もなく訪ねてきた理由については気になっている様子だったので、祖母の昔話とモノクロームの風景写真がこの衝動的な行動になにか関係していそうなことを伝えた。けれど、二人ともあまり心当たりはなさそうな反応を示していた。私は生家の中に秘密があると思っていたので、ちょっと肩透かしを食らった気分になったが、私の単なる思い過ごしという線もあるため一先ずは納得することにした。

私は叔父と奥さんの好意に甘えて、一泊させてもらうことにした。風呂から上がって布団を敷いているとき、窓外からカッコウの声が聞こえることに気がついた。それは閑寂とした闇の中にあって、孤独に寂し気に鳴り響いていた。私は写真について語っていたときの祖母の表情を思い出して、もしかしたら私がこの景色に出会えるのも今日が最後ではないのかなあと感傷的な空想をした。でも、なぜだかそれは、きっと悲しいことではないように思えた。小旅行ですっかり草臥れた私の身体に、ゆったりとした眠気が徐々に馴染んできた。



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目が覚めた。家の中が騒がしかったので、微睡む眼を拭わぬままに叔父を探すことにした。叔父と奥さんは、家の庭で泣いていた。しかし、それは決して悲哀の涙ではなかった。それは誰にも邪魔できない神聖な、歓声と拍手の代わりに溢れ出た胸臆からの感動の涙であった。それは消し飛ばされた過去を、土に埋められた真実を、欠けた思い出を取り返したときの勝利の涙であった。それは奇妙な光景かもしれなかったが、まったく奇妙な光景ではなかった。きっと、今は全人類が感動に打ち震えているのだろうと思った。気づけば、朝の空気を胸一杯に吸い込んだ私も、静かに落涙していた。

叔父と奥さんと、そして私はその幸福な涙を気が済むまで流した。感動がおさまる前に涙が涸れ、喜びの波が引潮になった後、私は手紙を一筆認めることにした。それは言うまでもなく、祖母に宛てたものであった。私は祖母の墓前に手紙と写真を供え、叔父と奥さんに別れを告げてまた日常に戻ることになった。それでも、それはもう今までの灰色の日常ではありえないのだった。



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