綾を破って
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 えー、言葉っていうのは不思議な力があると云います。人を喜ばせたり、逆に悲しませてしまったり。私ら講釈師や落語家ってェのは、その言葉で以って御見物の皆様方を楽しませる芸でございます。今回皆様には、そんな言葉が起こしたとんでもないお話を、一つ申し上げようと思います。

 今から大体一六〇年ほどの昔でございますが、江戸の末のお話です。このお話の主人公と言いますのが、当時八丁界隈のお客をほとんど集めてたっていう稀代の講談の名人、四代目神林伯玄でございます。愉快な江戸っ子の中でも、取り立てて頭の出た男として、今尚名が伝わっております。
 このお話は、その伯玄の名前が知られるようになったきっかけのお話でございます。

 四代目神林伯玄、以下伯玄と呼びますが、このお人は江戸の小さな屋敷に住む御家人の息子でございました。昔っから話の達者な子で、講釈やら落語やら聞きに行く金のない貧乏人の子供達相手に、自分も聞き齧ったような演目を口演していたそうでございます。
 そんな所へやって参りましたのが、当時弟子不足に悩んでおりました三代目の伯玄で御座います。貧乏人の子供相手に喋る御家人の子。我々にゃああんまり理解できませんが、何か、感じるものがあったんでございましょう。父親に頭ァ下げまくって何度も何度も、自分の弟子にしてくれる様頼んだそうで御座います。当の本人も、丁度良いや、これで暮らしのアテがつくとのほほんとしておりました。そうして弟子に致しましたら、これはなんとも才覚がありまして、講釈師としての格も上がって参ります。そして三三の歳に師匠の名前を継いだ訳でございます。
 
 さて、この伯玄。早速天性の技量でもって、それなりに御見物を集める様になりました。少なくとも、何か内職をせんとも、その日の飯には困らなかったそうでございます。そして、初めて弟子なんてのもとりまして、そこそこ名前も売れてきておりました。
 折しもその時、江戸では何もない所に急に、「ねこがいる」と怖がるなんていう変な病が広まっていたそうでございます。これが難病で、小石川に診せに行っても治らない。それどころか、小石川のお医者様にもうつっちまうという有様で、御公儀も手を焼いておりました。

 そんな時、伯玄が弟子の稽古を見てやっておりますと、急に弟子が頭ァ押さえて蹲っちまったそうで御座います。具合が悪いってんなら仕方ねえ、とその日は稽古を取りやめたそうなんでございますが、その次の日も、その弟子は布団から出てこないんだそうです。業を煮やした伯玄が、その弟子ンとこまで行って、
「如何したんだ、お前」
と訊いてやりますと、その弟子が、
「ねこが…ねこがいる…」
なあんて云い出すんでございます。伯玄が部屋ん中見回しても、猫なんてどこにもいやあしません。
「そんなもん、何処にもおらんぞ」
「いいえ、師匠。居ます、居ます…ねこはいます…」
こらァラチが明きません。遂に痺れ切らした伯玄、思い切り怒鳴りつけたそうです。
「講釈師なら、高座に虎が来たって喋り続けろ!」
普段温厚な伯玄が、こうも激しく怒鳴って吃驚したんでしょう。弟子は魂消てしまって、そのままパタリと布団に倒れこんじまいました。流石に怒鳴り過ぎたか、と伯玄が焦っておりますと、暫くして弟子が目ェ覚ましてこう言ったそうです。
「師匠。稽古の時間、まだですか?」

 あのねこの病を怒鳴りつけて治したってンで、伯玄の名前は大いに知れ渡りました。あの威勢の良い江戸弁と、山の手言葉が微妙に混じった声でハラから怒鳴られると、さしものねこも蜘蛛の子散らすように逃げて行きます。いつの間にやら、伯玄のとこには、講釈の客よりもねこ病の治療を頼みにくる者の方が多くなっちまった様です。仕方ねえから、と出張って声枯らして怒鳴り付けますと、ねこは逃げていってたちどころにみんな治る。伯玄の家には、近所の人からの礼物やらご馳走やらが届いて、扱い切れないほどだったそうでございます。
 さて、伯玄の名声を聞きつけまして、かの大商家越前屋の甚右衛門が、娘を治してくださいませと伯玄の下に頼みに来たそうです。今回も仕方ねえかと、また出張っていきますとやっぱり娘さん、布団で寝込んでる。越前屋の娘と言えば、江戸でも指折りの器量良しで御座いましたが、その容色も、怖がって顔真っ青にしてりゃあ映えないわけでございます。旦那方には外に出てもらって、とっとと終わらせるか、と伯玄が息吸い込みますと、
「待って下さいまし、待ってくださいまし」
そう伯玄に呼びかけるもんがある。ふっと見てみますとそこにいましたのは、毛の生えてない人の目を持ったまっちろい「ねこ」でございました。今まで伯玄はこんな猫なんざ見たことございませんでしたから、驚いて、
「なんじゃ、お主が猫であるか」
とつい侍の口調で問いかける訳です。ねこは頷きまして、
「はい。ねこです。よろしくお願いします」
と礼儀正しく挨拶をする。猫が挨拶するってェのも変な話でございますが、なにより猫とまともに喋り出す伯玄の方もよほど変な人でございましょう。ねこは話を続けまして、
「私どもは、ずっと昔。とある国のお侍様の飼い猫でございました。ところがそこで戦がありまして、ご主人様方はみんな殺され、私どもも屋敷の井戸へご主人様方の骸と共に投げ込まれました。そして300年の後、ようやく私どもは井戸から出ること叶いましたが、何故か人に憑いておりませんと、仲間が増やせず、生きてもいけない様になってしまいました」
「故に、人に憑いて己の姿が見える様になる病を流行らせたと申すか?」
「仰せの通りでございます。私共は取り憑いた人にしか見えませぬが、取り憑いた人が私共の話を広めますと、その話を聞いた人の所に子供を送り込むのです。私共が子を産めるのはその時限りでございまして…」
「つまるところ、追い払われる事が続いたり、噂が広まらなくなると、子を成せず、いつかは血が絶えて了うとそう申すのか?」
「はい。そうでございます。追い払われてしまいますと、私共は井戸へ逆戻り。さらに、貴方様の声を怖がって、皆江戸から逃げ出し、今や、江戸にいるのは私だけになって了いました。どうか、お慈悲を下さいませ…」
ねこはそれこそ狭い額擦り付けて、伯玄に頼み込みます。しかし、依頼を受けたからには追い払ってしまわねばならない。伯玄考え込みまして、ねこにこう告げました。
「ならば俺に取り憑け。人前で姿見せなきゃ、それで許してやる」
これをきいたねこ、大いに喜びましてサッと伯玄の背後に飛びます。すると娘さん、急にねこが消えたのを訝りまして、
「あれ、さっきまで居たのに…」
と不思議そうに伯玄の方を見返します。伯玄が、
「もう退治した故、安心なされよ」
と娘さんに告げますと、娘さん大層喜んで伯玄に何度も礼を申し述べたそうです。

 その後伯玄、この一部始終を講談用の脚本に整えまして口演しましたところ、中々に好評でありまして「猫殺しの伯玄」という、綱吉公が墓から出てくる様なあだ名を奉られましたそうでございます。
 ちなみに、どうしてねこは伯玄に怒鳴りつけられて退散したのかっていうのは、人によっていろんな話をしますんでまちまちなんですが、中でも一番有力っていうのが一つございます。なんでも、伯玄というお人は怪談噺が大変に達者な方でございましたから、その時の技術を使ってねこを追い払った、と云う事でございます。
 成程、「怪談噺」の「怪」と云いますのもそう言ったものには弱い様でございます。

 さて皆様、伯玄のお話、ここではまだ終わりません。もう一つ、江戸の怪異を払い退けた不思議なお話がございます。
 時に伯玄が三九歳。弟子が二ツ目になりまして神林伯太郎を襲名した時の事です。

 その時江戸では「チギリ」という怪異がよく取り沙汰されておりました。なんでも、「血の色をした霧が人間を襲い、襲われた人は服だけがその場に残る」なんて云われておりました。
 その名前の由来と言いますのが、「襲われるのがよく男女の組」で「それも夜の逢引の最中」と云うのに「赤黒い色の霧で、まるで血の様だった」と云うのが加わりまして、「男女の契り」と「血の霧」を掛けて「チギリ」と呼ばれる様になったそうでございます。
 江戸っ子ってェのはなんでも笑い飛ばしちまうなんて言いますよね。黒船なんかもそうでございましたが…。今度の事も、色々と笑い飛ばそうとしていたそうですが、さすがに同じ様な事が何度も続きますと、笑い飛ばす余裕も無くなってくる。遂に恐ろしくなった江戸っ子の一人が、「ねこ病」をなんとかした伯玄師匠なら、とわざわざ屋敷まで来て頭を下げたそうなんです。
 態々出張ってきた相手を無下にするわけにもいきませんでしたから、渋々伯玄も調べを進めるわけです。すると、結構面白い事がわかったと云うんです。伯玄が伯太郎に語った所によりますと、
「この『チギリ』には、心があるんじゃねえか」
と云うんです。如何してそう思うのか、と伯太郎が聞きますと…。皆さん、わらっちゃァいけませんよ、大真面目に言ったそうなんですね。
「女の着物の方を見てみろ。サラシやら褌やら、簪やら櫛やらが無くなってるじゃねえか。態々下着や小物を女の方からだけ持ってくなんざ、おかしいと思わねえか」
そうここで伯玄、何を如何考えたのかさっぱりわかりませんが、「『チギリ』には心がある」と考えさらにその上に「女好きの助平」という仮説まで乗っけてしまったわけでございます。

 さてさて、愈々伯玄「チギリ」と対決する覚悟固めまして、夜の江戸へと繰り出して行きました。お供には、伯玄たっての願いという事で、例の越前屋の娘さんのお咲と云う人が同道しておりました。なんでも、「『チギリ』は女好きだから、美人が居ると釣られてやってくる」なんて平然と伯玄は言い放ったそうでございます。
 そして伯玄とお咲が向島の方に差し掛かった時、愈々やってまいりました。
 海の方に赤黒い水がサッと出てきたと思うと、その上にこれまた赤黒い霧が現れまして、まるで花道の七三1行くようにツツツツツツッとこっちに近づいてまいります。伯玄お咲を後ろに庇いながら、「チギリ」を待ち受けます。そして「チギリ」が後もう少しで届く、となりましたその時!
「おいこの助平野郎!俺の話を聞きやがれ!」
そう伯玄が大音声で叫びますと、ピタッと霧が止まります。間髪入れず、伯玄言葉を続けます。
「おいお前、なんだってよりにもよって逢引中の男女を襲うなんて無粋な真似をしやがるんでェ。お前は隅田川の舟の簾を覗く、両国の大橋の連中に頭下げて謝らんと済まれんぞ!」
今度は張り扇取り出して、地面をパンパン叩いて、すっかり高座の気分でございます。これが伯玄の凄い所でございまして、どこにいようと口さえ開けばその場が高座になって了います。
「良いかい?逢引してる男女があったら、そいつを遠くから温かい目で見てやるって云うのが人情じゃないかね。風紀を乱すってんで、八丁堀2にちくる無粋モンもいるこたぁ居るが、江戸っ子なら、皆んなそんな事あしようとせん。うら若い男女の恋を祝ってやろうとするのが心意気ってモンだ。それがあんたときたらなんでェ、そんな逢引してる二人に嫉妬でもしたのか知らねェが、まさか取り込んで殺めちまうなんて酷い事をするもんじゃないか。これじゃあまるで、赤っ面の斧定九郎だよ。3中村仲蔵4を見習ったらどうだい?ええ?さらに許せねえのは、女のサラシやら褌やら小物やらを、執念深く持っていく所だヨ。何処まであんた女に飢えとるんだい?八丁堀の女湯に行く与力よりも酷いじゃないか。あっちは御公儀の仕事だが、あんたは殺めた挙句の盗みときた。なんか言いたい事があったら、その霧から姿見せて、お白洲に出てきたらどうだい!?」
お咲すっかり取り残されて、ポカーンとしながら威勢よく喋り続ける伯玄を見ています。また、夜中にこんな風に喋っておりますと、近所の住民やら野次馬やらがやってきます。そう云う連中からすると、若い綺麗な娘さんを、あの神林伯玄が庇ってるとこんな風に見えるわけでございます。なので、
「よっ、伯玄!よく云うじゃねえか!」
「頑張れ!あんな助平野郎に負けるな!」
「『チギリ』の野郎はとっとと海に帰りやがれ」
と威勢の良いヤジが飛び交い、さながら歌舞伎の大向こうでございます。その声受けて、伯玄ますます調子に乗って、よく回る口を動かし続けます。
 気が付きゃ一時5は喋ったでしょうか。さしもの伯玄も疲れた様で、口が回らなくなってまいります。しかし、疲れていたのは「チギリ」も同じだった様子でございまして、伯玄にボロクソに罵られた挙句、周りからも罵声やら何やらを浴びて限界だったのでございましょう。伯玄の足の辺りまで霧の高さを下げまして、その後いそいそと海へ戻ってまいります。後に残りましたのは、犠牲になった娘さん達の、サラシやら褌やら簪やら櫛やらの山でございました。
 「チギリ」が消えて周り中の江戸っ子達はやんややんやの大騒ぎでございます。ところが殊勲の伯玄、喋り倒して疲れたのか、地面に倒れ込みます。慌ててお咲が「伯玄様大丈夫ですか?」なんで介抱してやりますが、この時、膝枕をしてもらいながら伯玄が呟いた台詞が、後世に残っております。
「もう二度と、こんな事やらんぞ」

 このお話も、江戸中に広がりまして「神林伯玄」の名前がますます売れる事となりました。口演は毎回羨ましい事に満員で、弟子の志願者も引きを切りません。しかし、「江戸一の名人」と讃えられた伯玄も、天命には勝てないのでございましょう。文久元年、西暦で申しますと1861年、満四一の年に生涯を終える事となりました。その後、伯玄の名前は弟子の伯太郎が襲名しまして、今なお残っております。

 さて、この伯玄にまつわるお話、嘘かまことか、今だによくわかっておりません。「四代目神林伯玄」という名人がいたことは確かでございますが、果たしてその話が嘘かまことか…。そして、伯玄に取り憑いた「ねこ」の行き先や、「チギリ」は今どこにいるのか…。そんな不思議を残して、本日は読み終わりでございます。ご清聴、有難うございました。

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