飛び立てる哉緋色鳥
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 ええ、本日は暑い中ようこそお出でをいただきまして、誠に有り難う存じます。講釈師と落語家の合同の催しというのは、なかなか機会がございませんですから、これを機に我々も落語家に転職を…というのは冗談でございまして。
 今回の会の題目と言いますのが、「怪談」でございまして各々、最高峰のものを申し上げて参りました。私も勿論、文句なしの素晴らしいものを持って参りましたので満を辞して御披露をと思いますが。まあ、この次でございます圓朝1師匠の「真景累ヶ淵」2の前座と思し召されよとお願い申し上げまして、お話を始めさせて頂きます。
 
 さて、お話の時代と申しますのがいまから百年ほどの昔でございます。
 十一代徳川家斉公の御時でございますが、この時代と言いますのは江戸のちょうど折り返しというべき頃でございました、少しずつ世の中が変わりつつあった時代の事でございます。
 このお話の舞台となりますのは、一万九千石を拝領しましたお大名の古原志摩守のご領地でございます。時代の流れと申しましょうか、この頃大名家の所領と申しますのは幾分にも細分化されておりまして古原藩も如是という次第でございます。
 さて、この古原家にお仕えをしておりますお侍に、左坂藤右衛門利春という方がおりました。このお方は主家より百石を下されて、奉行所の吟味方という職についておりました。吟味方と申しますのは今でいいます警察官と検察官を同時に兼ねるような役でございまして、科人を引っ捕らえて罪を吐かせまして、お奉行様のお沙汰にかけるというのが仕事でございます。
 左坂利春という方はその御役目に特に通暁しておりまして、科人を審訊して物事を明らかにする事にかけては天下随一とそう云われてございました。ですので年がら年中あっちこっちから引っ捕らえられて来る科人をえいやえいやと、おおわらわで捌いているような方でございます。
 そんなある日の事。利春の下に一人の科人が捕らえられて参りました。名前を長間真佐と申しますその男、一応士分の人でして禄を貰っております。
 如何なる科で連れて来られたかと、利春が役人に問い質しますと「突然刀を抜いて下人達に斬りかかった」とおよそ正気の沙汰とは思えぬ仕儀でございまして。これは当人の口から直接聞きとらねばならぬと、そう考えました利春。他の仕事を他人に任せまして、真佐が囚われております牢へと参ります。
 「おい、出ろ。其方に聞きたい事がある」
「は、はい」
真佐はすっかり青菜に塩の様子でございまして、こう縮こまってしょげております。
「其方、突如抜刀して下人達に手傷を負わせたとは真であるか」
「その事なんでございますが、全く拙者覚えがございませんで」
「何!其方偽りを申すでない。既に何名も其方の狼藉を見ておるのだぞ」
「はい、はい、それは承知の上でございます。ですが、拙者は断じて下人達を斬り捨てようなどとはしておりませぬ」
うーむ、と利春考え込んでしまいます。利春程の経験豊かな者になりますと、拷問などに頼らずとも大体相手が嘘を言ってるのかがわかるそうなんですね。そして、その時の利春の見立てと云いますのが
「どうも嘘をついているようには見えんな」
とこんなもんでございまして、どちらが真かと問われましたらやはり答えはうまく出せないと云う。仕方がありませんから、拷問の手配もしておく事はしておきますが、取り敢えずは直接見聞するにしかずと思いまして利春、真佐の屋敷へと出向くことと致しました。
 真佐の屋敷は主人を失って悄然と建っておりましたが、一応中に人の気配はございます。
トントントン
「どなたかいらっしゃいますか」
「はーい、暫しお待ちを」
ガラガラっと戸を開けて出て参りましたは、腕に白布を当てております男でございます。
「当方吟味方の左坂利春と申す者。先日の長間真佐殿の一件で、話を聴きたく思い参上仕った」
「ああ、吟味方の。どうぞお上がりなすって下さい」
「其方、手傷を負っておるようだが…」
「へい、この前お殿様にやられてしまいまして…」
なる程この男も被害者であるかと、了解をいたしました利春、まずは実際に現場を検分したいと案内を申しつけました。
 さて利春、先程の下人の長兵衛という男に案内をされまして、通されたのは主人が事を起こす直前までいた部屋でございます。縁側に面しておりまして床の間がある書院造。凡そ読書をするために設えられた観のある部屋でございます。
 庭に面しておりまして風通しも良い。ただ、血で真っ赤に染まった畳が間違いなくここで変事があったことを示しておりました。
「この血の量、そなただけのものとは思い難い。他に誰ぞ手傷を負ったものがあるのではないか」
「はい。その日お殿様は来客をお迎えでございまして、何やら書物についてお話をなすっておいででした」
「その書物というのは…」
「これで御座います」
長兵衛が差し出しましたのは、これまた血で染まった書物で御座います。書名は血と掠れで判読は難しくなっておりまして、よく分かりません。更に、飛び立った血でくっついてしまったんでしょうか、いくつかのページは開かなくなっておりました。
「誰ぞ、この書物を知るものはおらぬか」
「あっし達は、文盲でございまして…。この本はこの前お出でなりました、久喜屋十郎兵衛様がお殿様に、とお売りに来たものでございまして…」
「その十郎兵衛なる者は何処に?」
「お殿様に真っ先に斬られまして、今生死の境を彷徨っておいでとか」
「左様か」
うーむ、これは困ったと利春考え込みます。事情を知っている者は今話を聞けそうなものではございません。仕方ないから、と長兵衛からその本を借り受けまして一旦奉行所へと戻ります。
 さて、奉行所へと戻った利春、改めて真佐と相対しまして事件の話を致します。
「其方、真に覚えがないのだな」
「はい。左様で」
「では其方、事件が起きた時何処におったのか」
これを問いますと、真佐黙こくってしまいます。利春ここが攻め所だと、一気にパシーンと言い募ります。
「其方が其れを申せぬとあらば、やはり其方は人を斬り付けたのであろう。お上の慈悲につけ込もうとはなんたる不届き至極。ご詮議の上打ち首も覚悟されよ!それが嫌だと申すなら、事が起きた一昨日四月十九日、何処に居たか申すが良い!」
「ひっ!四月十九日、四月十九日は…あれ。左坂様、今、一昨日と申されましたか?」
「左様。そう云った」
「今日は、今日は一体何日で」
「何?今日は四月の二十一日に決まっておろう」
「いえ、いえ。それはおかしゅうございます。確かに拙者は四月十九日、家におりました。しかし、しかし…」
「しかし?はっきりと申すが良い」
「拙者は間違いなく、数週間別の場所で時を過ごしておりました」

 普通に考えますと、科人の出任せとしか思えないでございましょうが、どうも嘘とは思えない。そう考えました利春、真佐に対してその「別の場所」について問い質します。それについて真佐が答えたとされる文言が、こう残ってございます。

 「夕焼けよりもなお赤き 枯れ野に巡る我が身にて 翔ぶは己の望みなり 猛き緋色の盲鳥 我が身幾度も喰い尽くし 飛びゆく思ひの赤き空 囚われし我の悲しさよ」

 その言葉を書き留めました利春、ふと思い立ちまして先程真佐の屋敷から借りてきた書物を真佐の前に出します。
「其方、この書物に見覚えはないか」
「あっ…」
ところが、これが利春の第一の失敗でございました。彼はここで、その書物を見せるべきでは無かったのです。
 「あっ…あ"あ"あ"あ"あ"あ"!」
書物を見るや否や、真佐突如として恐ろしい叫び声を上げ、立ち上がって利春に掴みかかります!
「其方!乱心したか!」
慌てて利春、近くにあった角棒でもってバシーン、と真佐を殴り飛ばします。真佐「ぐええっ…」と苦悶の声を上げてバターンと地面に倒れ伏します。
 しかし真佐、尚も頭や顔を掻き毟り乍ら苦悶の声を上げてのたうちまわっております。利春は、真佐が同心達に押さえつけられ、牢へと引っ立てられていくのを見ているより他、ありませんでした。
 翌日の朝、真佐は牢で死んでいるのが見つかりました。その顔は恐怖と苦痛で歪み、体の骨はあらぬ方向に曲がっていたそうでございます。
 ところが、事件はまだ終わってはおりませんでした。それどころか、此処からが利春にとってより恐ろしい地獄の始まりであったのです。

 真佐の一件から暫く経ったある日、利春は同心から急を知らされます。一体何事かと思って聞くところによれば、「商人久喜屋十郎兵衛が乱心し、手近の刀でもって次々と人を斬り、最期は自分も血を吐いて死んだ」と云うとんでもない話でございます。
 急ぎ久喜屋の方へと向かいますと、見るも無惨な状況でございました。仏の身体こそ片付けられておりましたが、あっちこっちに血が飛び散って、使われたであろう刀が転がっております。そして、利春がふと襖の方を見ますとそこには…
 血でもって巨大な目玉が描かれておりました。

 これは後で分かったんだそうですが、その血のついた畳を並べ直してみると、巨大な一匹の鳥の図柄ができたそうでございます。
 利春の胸中いかばかりか、げに恐ろしき大変事、己の手には余るとも、人に任せるわけには参らじと必死で調べを進めて参ります。店の下人や女中やらに聞いて回りますと、こんな答えが返ってきたんだそうです。
「主人様は、傷も塞がらないのに急に立ち上がられて、それで、『緋色の鳥よ、未だ発たぬ』とかなんとか云って斬りかかってきた」
 また「緋色の鳥」、でございます。忌まわしい真佐の一件。またしても利春はしてやられてしまうのでございましょうか。否、断じて否と利春心に決めて急いで奉行所へと戻ります。そして真佐の家の書物をバーっと開く。開かないページも気にせず指を突っ込んでバリバリとこじ開けていく。
 そうしますと、あるページに辿り着きました。其処には、片やには緋色の墨で描かれた鳥の図柄。そしてもう片方には、同じような文言が何度も殴り書きにされておりました。この文言については、また後で詳しく申し上げようと思いますが…。他のページは殆どがすっかり読めなくなってしまっておりまして、そのページだけがほぼ完全な形で残っておりました。
 兎に角、これだ、と利春はその文言を手近の紙に書き写しまして、同心達に配ります。
「見よ。この文言は真佐の家の書物に殴り書きをされていたものである。幾度も書かれていた事を見るに、恐らくはこれこそ、かの狂気より逃れ得る手段であろう」
そう云ったそうでございます。しかし、これが第二の失敗でございました。やはり利春は、失敗してしまった。それも致命的な失敗でございます。
 それからの数日間、利春にとっては悪夢の如き日々でございました。何人もの人々が狂気に呑まれて、人に危害を加える。「緋色の鳥」、「緋色の鳥」…皆一様にこう申します。見立ての通り、例の文言を紙に書き連ねれば狂気からは抜け出せます。しかし、皆その後はろくに受け答えもできぬ人形の如くになってしまいます。辛うじて話のできる者もありますが、いずれも要領を得ない。何週間か、はたまた何ヶ月かこことは異なる場所にあったと譫言のように呟くばかりでございました。そして、段々と狂気の中にある時間が長くなって参ります。一時経てば元に戻ったのが、次の日にはその倍。その次にはさらにその倍と云った調子でございます。
 利春も疲れ切って、真夜中屋敷へと帰ります。妻と子供はとっくのとうに寝てしまって、一人行燈の灯りを頼りに考えを巡らせる。すると、ふと例の書物が目に入ります。そして疲れのままに、利春はその文言を「口に出して」読み上げてしまいました。
 すると目の前が急に暗転し、自分が何処にいるか分からなくなってしまう。そして次に目を覚ました時、利春が居たと申しますのは…
 夕焼けよりもなお赤い、何も無い枯野でございました。

 ここは何処だ、私は家にいたはずだ。そんな疑問は不思議と頭から消えている。そして心の内には、「翔びたい」という、不可思議な願望がありました。
 翔ぼう、翔ぼう、とそう申しまして利春ばっと赤い空へと飛びあがります。これまた不思議なもので、翼を得たかのように自由自在に飛べるんだそうですね。そして翔び続けていると、ふと目の前に何かが現れた。あれは一体なんだ、そう目を凝らしてじっと見てみますと…
 あれこそまさに、「緋色の鳥」でございました。一面緋色の巨大な盲の鳥でございます。目など何処にも無いというのに、真っ直ぐこちらへ向かってくる。逃げなくては、逃げなくては…!利春は必死で体を動かします。そして理解しました。「あの文言は逃れる為のものではなかった。寧ろ、鳥が現れる為の物だったのだ」と。
 まさしくその通り、「緋色の鳥」の狂気はその文言を「声に出して読み上げた」者を捕らえるものでありました。故に利春は、その恐ろしい文言を多くの人に広めてしまうという、まさに「致命的な」失敗を犯してしまったのでございます。そして、もう一つ。何故狂気に侵された者達の時は現実のそれとズレていたのか。単純な事です。狂気の世界と、我々の世界とは時間の流れが大きく異なると云うだけの事です。そして、狂気から醒める時が伸びているのも簡単な仕儀。「鳥が成長している」と云う事なのです。多くの人を狂気に侵した鳥は、確実に成長を続け、より長い間人々を狂気の内に閉じ込めるようになってしまったのでございます。
 
 さて、この後利春がどうなったか。史書に記録が残っております。
「文化××年 五月。古原家吟味方与力左坂藤右衛門利春が突如乱心し、自邸に火を放って妻子を殺め、その後街の各所に火をつけて回りながら、無差別に人を斬りつけた。亡くなりし者、手傷を負いし者数知れず。捕らえられた利春は打首獄門に処された」
記録はここまででございます。しかし、その土地に伝わる話に曰く…
「晒された首の口元は、笑みで歪んでいた」と。

 この後、この不始末を問われた古原藩はお取り潰しとなり、多くの役人が連座して処罰を受けました。また利春によって殆どの記録は抹消され、今や殆ど残っておりません。このお話は、僅かに残った破片を我々の大師匠に当たります四代目の伯玄が繋ぎ合わせ、自分の想像を加えて書き直したものでございます。まあ、ほぼ全てが創作でございますので、ご安心下さいませ。
 ただし…、「緋色の鳥」にまつわる恐ろしい事件があった事、そしてその狂気に侵された者があった事。これは事実でございます。果たして左坂利春は、その恐ろしい呪いに終止符を打てたのか。そんな不気味さを残して、本日は読み終わりでございます。

    明治二十二年 六代目神林伯玄 口演

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