白貂虫
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えぇ、御運び様で誠に有難うございます。昨今、首都東京近辺でも、工場の排煙というのが大変に問題となってございます。
ダイオキシンですとか、光化学スモッグですとか、私達は芸人でございますから、難しい化学のお話はとんと分かりませんけども、あんまり無遠慮に出し続けていいもの言うわけではございません。現に四日市では、酷い喘息が流行っているそうでございますから、気を付けねばなりませんな。

さて、本日申し上げるのは虫のお話でございますけれど、虫と申しますのは昔からよく常識を超えるお話がよく聞かれますな。
ウロの中の虱なんてそんな話でございまして。血を吸って肥った虱を、紙に包んで木のウロの中へ放り込んで、半年後に見てみたらまだ生きていたなんてな話でございますが。
今から申し上げますのも、そうした今では有り得ないような虫の御話。一つ、お付き合いの程を宜しくお願い申し上げます。

元和二年、西暦で申しますと1616年頃。出羽国の北部、今で申しますと秋田県のとある川の辺りの村で起きました奇怪な御話でございます。
この秋田と云いますのは、この日本の中でも大変に特別な土地でございまして。と申しますのも、何と土地から石油が出ると云う。
石油といったところで、我が国の需要にはとても足りませんが、それでも出る事は出る。ですから油田と云うのも一応あって、まだ採掘をしているそうでございます。
ところが時は江戸の頃。まだ石油はおろか石炭さえ使われていない時代。石油なんてもんはアレは燃やせなければ単なる黒い嫌な匂いのする水で御座いまして、いやそれだけではございません。その土地は川の流れに石油が混じり込んで、水路を通して田圃やら畑やらに入り込む。あんなのが入り込むと作物が駄目になってしまいます。ですからその川沿いの村は皆迷惑しておりました。

ええ、その村の本百姓で伝兵衛という人が居りました。田の事については人一倍厳しいお方。お隣の三吉共々村人に米の作り方なんぞを指南する事も多い人でしたが…。
「おうい伝兵衛さん!伝兵衛さん!」
「何だい三吉」
「まあた臭水じゃ!田圃に入り込んでやがる!」
「何!?またか!あん畜生め、また稲がダメになっちまうでねえか!」
そうして二人で畦道走って行きますと、ああこれは酷い、川から田圃につながる用水路に黒い水が浮いて、うすく膜を張っております。油と云いますのは水と混ざらず、比重も軽いので上に溜まります。だから入り込むとすぐ判る。
「此奴め、水と混じっちまったら油の代わりにもならん。水を掻き出すのも手間がかかってしょうがない。何とかならんもんかな」
「臭水は多分川の上の方から流れてるんじゃないか」
「川か。かといって川の流れを堰き止めちまうわけにもいかねえ。用水路で臭水だけを取るなんて器用な真似はもっと出来やしねえ。ああ、なんともならんなこん畜生!」
などとぼやくばかり。まあ、ぼやいたところでなんとかなるなんてな話でもございませんが、兎に角迷惑なのは変わりがない。何とか策を立てなければなりません。
用水路に板を立てて穴を開けて、石油の混ざらない水だけを取ろうとやってもみましたが、これもまたうまく行かなかった。板が外れたり、水が上手いこと溜まらなかったりで結局入り込んでしまうと云うわけ。
溜池なんかを作ろうとしても、地形が山勝ちですし、水路の開削をする手間も馬鹿になりません。
如何ともし難いと伝兵衛が悩んでおりますと、三吉が云います。
「下流の田圃であれこれしたってうまく行きっこねえなあ」
「じゃあどうしろてんだよ」
「もっと上流の方へ行ってみりゃいいじゃねえか。川登ってって、穴みたいなもんから出てるかもしれねえ。それがわかればそこだけ塞ぐなんてなこともできるじゃねえか」
「よおし、そりゃいい案だ。やるだけやってみようじゃあねえか」
なんてな話がまとまりまして、伝兵衛と三吉。後は村に住んでおります小作人の与作に、土地持ちの熊蔵と云う四人連れ立って、これから山の奥へと分け入って参ります。

川に沿って山を登って参ります四人組。登りながら川を眺めますと、やはりあいも変わらず黒い筋が一つ二つ川の水に混じっております。
「ああ忌々しい臭水だ。稲はダメにするわ油の代わりにはならんわ、どうにも役に立たんわい」
「あんなものが何だって村の上から湧いて出るのか。誰かが埋めたんじゃねえのかな」
「天麩羅でも揚げて残ったのを埋めたんだろう」
なんてな事を好き放題に申しまして、山を登る。
さてこうして登ってゆきますと、半時ばかり登ったところでしょうか。切り立った小高い崖と滝に出くわした。滝壺が池みたく広がって、それが幅狭くなって、下の方へ流れていくと云う。
「伝兵衛さん、こりゃこの上まで行くのは無理ですな。ちょいと高すぎでしょう」
「回り道探すにも、獣道だ。危なくって通れやしませんよ」
「ウムム、仕方ない。また別の道を改めて探すより他なしといったところが」
と、面々諦めてトボトボ帰ろうとする。
「はぁ、飛んだ無駄骨折ったもんだ…おん?おい皆、あれ見てみろよ!」
「どうした熊蔵…おおん?川っぺりになんか浮いてるみてえだな。俺ァ眼が悪いから見えねえんだ。誰か、見えたら教えてくれな」
「ええと、何だありゃ、白い毛むくじゃらの…貂か?」
「何!?貂だって!毛皮剥がしたら金になるじゃねえか」
熊蔵が川辺を目を凝らして見つめますと、確かに何やら白い毛に覆われた小さい塊がある。昨今の都会の方にはお馴染みがないでしょうが、昔山々には貂と申します動物がおりまして、これが大変に良い毛皮を持っている。それで毛皮にして売りますといい値で売れる。俗に「貂狩りは二人で行くな。残る一人に殺される」などと申しますが。
さて四人組。兎に角はその物の正体を見極めようと思い立ちまして、川の浅瀬を渡って対岸へ参ります。そして近くでまじまじと見てみますと、一尺足らずの小さい体躯に白い毛皮があるが、手に取って裏を返してみますとこれが何と芋虫で御座います。これは嫌で御座いますね、何と申しましても虫を裏返すと云うのは本当に身の毛がよだちます。長い毛が濃く生えてるわけですから、中の芋虫の体躯がわからない。虫嫌いな私ですから、よく気持ちがわかります。
「うわぁ!何だ此奴!貂かと思ったら、気色の悪い虫じゃねえか!」
「げっ!こっちに向けんじゃねえよ!」
「誰だ貂だなんて云いやがったのは!そもそもこんな小せえ貂が居るわけねえだろう!」
「調子のいい奴らだな、ついさっきまであーだこーだ云いやがってたのによ」
なんてな風をあれこれ云い合いまして、結局熊蔵が乱雑に川の中洲へその虫を放り投げちまう。
「けっ、白貂みてえななりしたやな虫だぜ全く」
なんて毒づきながら虫の行った先を見ておりますと、これが何とも変な動きをいたします。
水の中を器用に泳ぎまわって、浅瀬の方へ行き、流れてくる石油の方に来ると、まああるのかもわかりませんが口のような物を器用に使ってそれを飲み出すような仕草をしております。
「おい、見てみろや。あの虫、臭水を呑んでやがるぜ」
「おお本当だ。よくあんなもんが本当に飲めるなあ。信じ難いねぇ」
熊蔵と三吉が二人して見ておりますと、そばに立っておりました伝兵衛、
「おい与作、ちょいと手伝えや」
「何をです?」
「ちょいとな、穴掘ってくれ。いやなに、浅くって構わない。ちいとばかし試したいことがあってな。川から水引いて小さい溜池作るんじゃ」
「何を試すんです?」
「いいからやってみろい」
と申しまして、二人して小さな溜池を拵えます。伝兵衛上手いこと工夫して、溜池にも石油が流れ込むようにいたします。
「よしよし、後はあの虫を捕まえるだけだな。三吉さん、一つ頼むよ!」
「ええ、俺は嫌だよ。あんな気色の悪いものにさわるなんざあごめんだよ」
「良いじゃねえか。そっちから行ったほうが近いだろうしな」
「ひえー、嫌な役目背負っちまったよまったく。ええ、まだ水は冷てえしよ、ほれ、投げるから受け取れ」
「馬鹿。いきなり投げるやつがあるか!おっととと…へー、よしよし。此奴をな、この池ん中へ放すんだ。与作、そこに岩置いて水塞げ。ああそうだ、よしよし」
そうして伝兵衛が虫を離しますと、本当に池の中を泳ぎ回って、水面の石油をどんどん飲んでいく。それで少しばかりすると、池の中の石油をすっかり飲んでしまいまして、水はしっかり澄んでいると云うわけ。
「おお、こりゃ良いじゃないの。この白貂虫、あの臭水を飲むぜ。お陰ですっかり水が綺麗になってやがる」
「へえ、良いもん見つけたねえ」
「この辺探したらまだ居るんじゃねえかな。一つ、探してみようか」
そうして話がまとまりまして、四人でもって川のそばをいくらか探してみる。
探してみますと、何匹か纏まってるのを見つけましたから、それを連れてきて滝壺に放す。そうすると盛んに臭水をそれらも飲み出す。
「おお、良いもんだねこれは」
「全くだ。本当に貂と同じくらい役に立つじゃあねえか」
これまた調子のいい話。兎に角も、この四人、村へ戻りまして人々にこの話をいたします。そして村人も集まって山の中からこの虫を集めて、川の方へと連れていく。いつしかついた名前が白貂虫と申します。
「臭水呑みの 白貂虫や 触らなければ うつくしや」
などと云う都々逸もできる次第で。これでもって、万事上手くいったと皆思っておりました。

さて二月ばかり後の事。
「なあ熊蔵さん、ちょいといいかね」
「どうした伝兵衛さん」
「あのなあ、如何にも水路の水が減ってきたような気がしねえかい。色も何だかおかしいし、妙に生臭くっていけねえや。どうにも稲にも活気がなくなってきてやがる」
「ええ、そりゃ如何だろうな。三吉さんや与作にも聞いてりゃあいい」
三吉と与作のところに行っても、また同じような事を申します。
「こりゃどうもまた、上の方で何かあったんじゃあねえかと俺あ思うんだ」
「三吉さんもそう思うかえ」
「伝兵衛さん、また一つ見に行ってましょうか」
「よおし、与作よく云った。また見に行ってみようじゃあねえか」
また前の四人でより集まって、川の上流へと参ります。川の方に出てみますと、これは確かに水の量がやけに少ない。中流域で相当の量があったはずが、今となっては上流の浅瀬くらいの深さしかない。あたり一面最近まで底だったってんで、ツルツルの石だけがずーっと残ってると云う。
流石にこれは嘘だろうなんて思っておりましたら、ちゃんと文献に残ってたんでございますね。このお話の元になった文献がございますけども、本当にそう書いてある。
まあ兎も角も、四人やけに浅くなった川を登って行きますと、あの滝壺に出ます。そしてこの滝壺で四人が見たものと云いますのがこれがとても恐ろしいもので御座いました。
「伝兵衛さん!伝兵衛さん!あれ、あれ見てくだせえ!」
「何々…うわ何てこった!滝壺があの白貂虫で埋め尽くされてやがらあ!」
何と、滝壺に話した白貂虫が、おっそろしい速さで増えに増えまして、何と滝壺を埋め尽くし、今で申しますとダムのように水を堰き止めているのでございます。
狭い滝壺に何匹も白貂虫が詰まって、水が殆ど堰き止められている。そしてその水も、滝壺の中で虫のする糞が混ざっておりますから大変に濁って汚い。
「うへえ、これじゃあとてもじゃねえが米なんてできやしねえぜ」
「でも一体どうするよ、あんだけの数だ。どうにかして除く他ねえだろうが、この二月でもってあんだけ増えちまったんだ。生半可な策じゃあどうにもならんじゃろうな」
「取り敢えず村に戻りましょう。皆で知恵を出し合えば、きっと策も出ましょう」
さっきまでとは一転青菜に塩の風体で、四人とも山を降りてゆきます。
さてこの後、いかにして事態を収めるか。此処で一つ、皆様ご思案の上で続きを聞いていただきたいと思いますが。

さて、村に戻った四人組。肝煎の家を借りまして、村人を集めて話し合いを持った。
ところが集まっても良い知恵が浮かびません。何しろ、今と違って科学や交通の発展しない時代ですから、寺の和尚や何かに相談しても無駄ですし、お城から学者の先生を呼ぶ事も出来ない。
「与作、なんぞ良い知恵のないものかの」
「伝兵衛さん、それは難しい事で御座います。何しろ、あっしは文字さえろくに読めませんで」
「熊蔵さんはどうだい?」
「どうと云われても、これまた難儀するところだのう」
「伝兵衛さん、人に聞いてばかりでなくて、自分で思案を出してみたらどうだ。元はと云えばあんたが撒いた種じゃあないか」
「何!三吉さん、あんただって乗り気だったじゃないか」
「まあまあ、喧嘩したって、ねえ。収まりがつくわけじゃありませんから」
などとこうしている間に三日三晩経つ。家に集まって話し合いをしたは良いが、その内皆自棄になって宴と変わらなくなる。その中で伝兵衛他四人組だけがずーっと通夜みたいな顔して考え込んでるわけです。
さて、四日目の夕刻の話。肝煎の家の前に誰か客がある。出てみると旅支度をした威厳のある侍が傘を片手に戸口に立っております。
「御免、御免」
「あい、何方ですか」
「拙者梅津半右衛門1と申す。故ありて一人、この地に罷り越した。一晩宿を借りたい」
「御家老様でいらっしゃいますか!これは大変なご無礼をいたしました。直ぐに、お泊まりの支度をさせていただきます」
「いや有難い。実は某、藩命を受けて領内各地を回っている最中。ところが地理不案内故に、供回りと逸れてしもうたのだ。はっはっは」
さてこの梅津半右衛門、諱は憲忠と申しまして、かつて佐竹家中にこの人あり、この大坂冬の陣では「佐竹の黄鬼」と謳われて、二代将軍秀忠公より感状に太刀を賜った剛勇の人でございます。
さて半右衛門、部屋に通されますと言われた通り村人が皆集まって何やら話し込んでいる。
「皆、何を左様に話しておるのじゃ。この様にひと所に集まるとは只事でもあるまい。直答許す。遠慮は要らぬ、某に申すが良いぞ」
「これは御家老様。誠に有り難き仰せに御座ります」
「其方名は何と申す」
「この村の者で伝兵衛と申します」
「よし伝兵衛。何故に皆悩んでおるのか申してみるが良い」
「はっ、実はかくかくしかじかで…」
そう半右衛門に申し上げる。半右衛門じっと考え込んで、
「ウムム、聞く限りは信じられぬ事であるが、家中に聞こえたこの某を欺こうとはよもすまい。なれば暫しこの村に逗留し、一つ力を貸そうではないか」
「へえっ、誠にありがたき仰せにございます」
さて、こうして半右衛門の力を得られることになった村人達でございましたが、内心では「さしもの御家老様とて、どうにも出来ないのではないか」などと思っておりました。

翌日朝になりまして、伝兵衛と半右衛門、そして村に着いた供回りやら村人達やらが、ゾロゾロと滝壺へと参ります。
水の量はさらに減って、もう湧き水がちょろっと流れ出すくらいの量になっておりました。
「あれでございます」
「おお!これは…」
半右衛門が見た時、既に滝壺からは白貂虫が溢れ出し、所々に水が垂れ流しになってございます。所々川には戻って行きますが、到底昔の量には及びません。あたり一体虫で満たされ、その数何千何万と数え切れないほどでございます。
「成程之は、急ぎ手立てを講じねばなるまいな」
そう呟いて半右衛門、少しの間考えまして、何かを閃いて様で手を打った。そして伝兵衛と肝煎に、
「よいか、これこれのものを用意して、一つはこちらへもってこい。今一つは村にて支度させい」
「へ、いったいそんなものどうするのでございまするか」
「案ずるでない。某に策ありと云う事じゃ。それよりもはよう支度せい」
「ははあ」
これから二、三時ばかり経って、伝兵衛他村人達が戻って参ります。
「万事、御指図の通りに。足りぬ分は近郷近在からかき集めました」
「ウム。家老の命とあらば、何処も従わざるを得まいて。それでは、空の俵を此処に持てい!」
そう云って半右衛門、空の俵を持って来ると自ら滝壺の方へ入り、片端から虫を掴んで俵に詰めて行きます。
「良いか皆の者、これから山狩りをする。山一帯に分け入って、虫を残らず俵に詰めい!詰めたらば、村へ運び、用意させた肥を土と共に流し入れ、俵の口をよく締めよ。但し、滝壺を塞いでおる虫にはまだ手出しはならぬぞ!」
「は、はあ…」
一体何を考えているのか半右衛門。百姓供回りも従う事は従いますが、考えが全く分からない。
兎に角云われた通りにと、辺りに散らばって虫を各々俵に詰める。そして大分詰まったら村の方へと降ろして指示の通りに肥溜めから取った肥と土とを流し入れて密封する訳です。
さて半右衛門、これを三日三晩かけて徹底的に行わせます。すると村の中には、虫を詰めた俵が何百俵と堆く積まれることになります。
「御家老様、御家老様。このままでは村が俵で溢れかえってしまいますぞ」
「案ずるでない伝兵衛よ。もう直ぐじゃ、もうすぐ貯まる故な」
そして四日目の朝。遂に半右衛門が村人達に命じます。
「皆の者、川辺に俵を積み上げて、上から土をかけてよく突き固めよ。それが成ったら、堰を切る!」
此れでようやく皆合点が行きました。何と半右衛門、白貂虫を詰めた俵を持って巨大な堤を築こうと云うのです。
「虫は数は多い故、土やら糞尿やらと共に詰めれば俵を満たせよう。混ぜておけば、じきにそれらもいずれ同じく土となろう」
今でこそ、細菌の働きで持って生き物の死骸が分解されると判りますが、当時はそんな理屈は分からない。しかし、農民の知恵と云うのは受け継がれるもの、半右衛門とて無論承知でございました。
そうして皆が堤を作っている間も、滝壺で増える虫を集めて同じ様に俵を作らせ続けます。ですから実質延々俵が無くならぬと云うので、作業は滞りなく進んで参ります。
そして一週間後、遂に堤が出来まして、滝壺に詰まっていた虫を取り除く段になりました。その時は半右衛門自ら虫を除き、留められていた水を流させたと云う事でございます。そして流れた水は堤のお陰で見事に防がれ、川は元の通りと相成りました。
この後半右衛門は、藩主の命を受けまして今の仁井田と言う処にて、新田開発をする事となりましたが、この時此処で余った俵を使ってかの仁井田堰の土台を作った、なんてな話がございます。

さて、これにて御話はお仕舞いでございますが、最後に一つ溢れ話を。
実はこの堤が出来てから、暫しの時が経ちました頃。この堤からひどい悪臭が出るようになったそうでございます。そして、科学が開けて参りまして調べてみますと、なんと薄いながらもダイオキシンが出ていたそうで。しかも時折水にその匂いがついてしまったと。虫を肥ごと埋めたが原因か「臭きを埋める川」2と申します。
成程、之を以ってこの川を「草生津川」と云う様に成った次第。
本日の御一席、読み終わりでございます。

原案 四代目神林伯玄『白貂虫草生堤』
作 六代目神林伯玄
口演 五代目神林伯道 
昭和四一年春 伯楽亭寄席にて

令和二年 七月二十六日 左坂勘四郎記

編者補記
草生津川について、四代目伯玄が説話を基に創作した小説を下敷きにした演目で、信憑性不明の言葉遊びを地名起源とする作品である。編者が本作を神林派より提供された際、次の様な話を当時を知る人から聞いたので此処に記す。「楽屋に手紙が届いてこうあった。『只今、生産性と安全性の高い改良種を、原種を元に開発中です。ご期待下さい 日本生類創研』」

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