半鐘七打の怪
rating: +25+x
blank.png

 えぇ、古来より「火事と喧嘩は江戸の華」と申しますけれども、これは強ち荒唐無稽なものではございませんで、それだけこの街には火事が多うございました。
 江戸開府より二百六十余年、史書に曰く大火と申しますものだけでも四九回、大火と云わず一丁二丁焼けたという程のものと云いますと、これは千回を超えて数え切れません。ですから江戸に住んでおりますと生涯に一度や二度家を焼かれるというのは、ごくごく当たり前のことでございます。
 まあ、開けて参りました今の世では、火事に遭う、ましてや家を失うなんぞと云うのは、人生に一度有るか無いかという珍しさ、ところが江戸では真逆でございまして、寧ろ一度もその様なことに遭ったことが無いという方が大変に珍しい、「田舎者、化けの皮まで焼け禿げて」、なんと云う。
 さて、此れ程迄に火事の多い処ですから、当然すわと云う時に伝える術がなくてはいけない、そこで江戸の其処此処にはこう高く火の見櫓が聳えております。これもまた、今の時代少なくなりましたが、昔は一町か二町に一つくらいは必ずあった。そして、いざと云う時に備え付けの半鐘や太鼓なんぞを叩いて、何処々々で火事だぞお、彼方へ逃げろおと伝える。実を云いますとこのやり方は大正の頃までは残っていましたそうで、火事至近となれば連打、鎮火とくれば二回カカーンとこう鳴らすと規則が決まっておりました。この連打と云うのを当時の言葉で擦半鐘、二点鳴らすのをおじゃんと云いまして、今の言葉で「おじゃんになってしまった」、と云うのは実はこれから来ていると申します。
 時に天和の頃、西暦で云いますと一六八〇年かそこらの頃、この半鐘に纏わりまして大変奇怪なことがあったと申します。これを留めましたる四代目の師匠曰く、『半鐘七打の怪談』と名を付けまして、今に伝えております。
 さて、その自分に江戸本郷の方に正仙院と申します寺院がありまして、直ぐ側に大膳屋というそれなりに大きな八百屋が建っておりました。これは店を作った最初の老旦那が上野国七日市藩の出身でございまして、江戸へ出てきて八百屋を創業すると云う時、同じ名前の七日市城というお城を伊勢の方で持っておりました弓道の達人、日置大膳亮にあやかって名を付けたと申します。
 今はこの大膳屋、辺り一体の八百屋では第一の大店になりまして、主人は子息の親父殿が引き継ぎます。そして、この親父殿が大変な子沢山、合わせて八人の子をこしらえてそれぞれ一郎次郎に三助とこう名前をつけて行った。そうして最後の娘八重子まで、五男三女の大所帯というわけ。それでもって、この八人各々で、店の切り盛りもやっておりましたが…
「おうい、六、六介やァ」 
「あいよ、おとっつぁん、なんだえ」
「ちょいと、包丁がどうも悪くなっちまってヨ。研ぎ屋を呼ぼうにも、この辺にそんなものァ居ねえから、ちょいと木挽町の馴染みンどこまで行ってきてくれねぇかえ」
「木挽町かい?また妙に遠い処で、それも師走のこの時期に…まあいいか。お七も連れて、ちょいと行ってくら。おい!」
「はい、兄さん」
 などと云いまして、六介と下の妹お七と二人連れでもって、今で申しますと銀座の方でございます木挽町へ師走の風も寒しという中向かいます。
 今の時分は芝居町と云いますと猿若町でございますが、この頃芝居を見に行くとなると木挽町でございまして、寛永十九年に木挽町四丁目に山村座が櫓を上げ、その後立て続いて河原崎座、森田座という様に三座並び立つ仕儀と相成ります。これを当時堺町の中村座と人形町の市村座に相対して、木挽町三座と申します。
 さて、二人無事に本郷から木挽町までやってきたはいいものの、やはり芝居町でございますから人々々の波でございます。あちこちに幟が立って客寄せ人が太鼓を叩く、直ぐ側では新しい役者絵なんぞにきゃいきゃいと娘っ子が集まって、やれ長太夫がいいの生島がいいのと騒いでる。
 特にその頃は、未だ忠臣蔵などはございませんけれども、近松門左衛門や井原西鶴といった元禄の巨匠達が歌舞伎や浄瑠璃の面で数多の傑作を出した時代でございまして、芝居というものが大変に栄えた時代でございます。
 これでは到底に、目的の店を見つけることなど難しい。サテ、どうしたものかと辺りを見ておりますと…
「おい、ちょいと静かにしねえ」
「何だえ…あら、半鐘が、半鐘が鳴って…!」
 サァ、これでもって愈愈混乱と相成ります。微かに聞こえた半鐘の音は益々激しくなり、遂には直ぐ側で打たれているかの如くカンカンカン!と響き渡ります。
「火事だ、火事だァ!」
 この芝居小屋と申しますのは、とかく失火の多い処、一旦火が付けば燃え広がって手に負えなくなる。そうなれば生きて帰るは至難の業ぞと、皆あちらへ押し合いこちらへ圧し合い、あれこれと逃げ惑う。
「おい、さっさと逃げねぇ!」
「兄さん、兄さん、待って、ちょいと待っておくれよ!」
 六介両人も逃げようと、六介がお七の手を引きサッと走り出す。さぁその時、
「うなぎとろ、うなぎとろ。噺家一人がかわらのさきで、うちあげられたるうなぎとろ」
「兄さん、兄さん!誰ぞ歌ってる!誰か、半鐘の中で歌ってる!」
「何ぃ?…おい、こりゃ本当だぜ。確かに、子供が歌ってら…」
 子供の声が半鐘の中に混じって響き渡りますが、逃げよう逃げようという人波の中で、その様なものは碌に聞こうとはしない。結局のところこの時は、誰もそんなことは気にしなかったわけでございまして…。
 さて、この半鐘のことでございますが、後から分かったところでは誤報でございまして、実のところ鳴った時にはどこも火事などなかった。そうなりますと、徒に火の見櫓の鐘や太鼓を打ち鳴らすのはこれは重罪ですから、犯人は誰だとご公儀の詮議がある。芝居町に与力同心などが繰り出してあれこれと探しますが、不思議なことに誰がやったかとんと分からぬという始末。
 結局謎は解けぬままに、しっかりと火の用心をしておけということと相成りまして、その年は明けたと云います。しかし、不思議なのはここからでございまして、この明けて直ぐの如月の初め、なんと森田座の煙草不始末から火が出まして、周囲八丁、河原崎座まで類焼するという大焼となりました。すると、その場にいた者の中には前年師走の怪事を覚えているものがありまして、
「ははア分かった。ありゃアこのことを言っていたんじゃアねえかな。そう考えりゃ万事納得がいくわいな、うなぎというのは『うなぎ太郎兵衛』と呼ばれた森田座初代のことで、河原の先てえのはそのまま河原崎座、それで噺家というのは売れっ子が八丁荒らしてェ渾名が付くからだ」
なんと云う。よくよく考えれば、確かにこれで合点が行くと云うので、この未聞の怪事は暫しの間江戸全府にて妙なことであると語種と相成ります。
 ところがまぁ江戸っ子と言いますのはこれは大層飽きっぽい、この噂も芝居小屋の再開に合わせて消え去ってしまいまして、また別の話で持ち切りとなる。他方、大膳屋の方に目を向けますと、その様な中でも万事商売は無事にうまく行きまして、世はことも無しと云ったところ。
 さてその様に光陰矢の如し、時節は飛ぶように過ぎて行きまして、天和二年師走末。件の怪事が再び戻ってきたのです。
「うぅ、さびいさびい。八重子、八重子」
「はいな、おとっつぁん」
「ちょいと火鉢を出しとくれな。いやあ、今日は寒くって、風も強くていけねえやな」
「あい。そういえば、七の姉さんはどこに」
「あん、あいつァ今日はちょいと、外向けに用事があるてんで出てってるよ。…ふぅ、いやあいけねえいけねえ、年の瀬の書き入れ時だから、少し当たって戻らなきゃあなぁ」
「あいあい…あら」
「どうしたんだい?」
「ちょいと、ちょいとおとっつぁん。聞こえない?ほら…」
「…!!半鐘だ、半鐘が鳴ってるんだ!」
 カァン、カァン、と間伸びをした音から、段々と近づいて参りましてカンカンカンとより激しくなってくる。しかし、窓の外から見る限り煙なんぞは見られない、ははアこいつさては、去年の暮れにも出たと云う木挽町の怪事だぁなと悟った親父殿。
「八重子、よくよく耳を澄ませるんだ。この後、妙な言葉が聞こえてきたら、よく覚えておくんだ」
「あい、六の兄さんと七の姉さんが出逢ったやつですね」
「そうだ!」
 …察しのいいと云うのは、まことに美徳でございますな。この二人がきちんと聞き取っておりましたので、この時何が云われたか我々はっきり解ると云う次第。伝わりますところ、この様なことでございまして…えぇ、
「質屋、質屋。質屋、片へ出づ。片へ出づとも、哀れほい無し」
 今度はしわがれた老人の様な声。文としては支離滅裂、ところがこの中に命を助ける何かがあるやも知れぬ、その様に思えば聞き取ることにも精が出ると云うもの。
 八重子が気を利かして書き取っておいたのを番頭さんなり他の子供なりに見して、如何なることぞやと考えてみる。が、こう頭を捻っても上手く意味が出てこない、そうこうしているうちに夜になる。
「一体全体何のことやら。この辺りにゃあ質屋なんてねェし…」
 と、この様に考えてはみたもののよく分かりませんで、ひとまず今日は寝てしまおうかとそう云うこととなります。
 そして、翌日正午。今度は真の半鐘が、けたゝましく江戸の空に響き渡ったのです。
「てぇへんだてぇへんだ!!」
「何事だ五助!」
「火事だァ火事!駒込の大円寺から火が出てヨウ、どんどんこっちへ向かってら!」
「何だって!!」
 天和二年師走二十八日、駒込大円寺より出火した火は、折りからの強風に煽られて忽ちのうちに大火となり、東西へ勢いを広げて参ります。火勢は辺りを舐め尽くしながら根津を越えて本郷まで迫り、遂に大膳屋のある町までに辿り着いてしまいます。ごおごおと燃え上がる炎が闇夜を照らし、辺りはさながら昼の如し。しかして周りには人々の悲鳴が響き、水を求めてお堀に飛び込んでみればその水は沸き立つ熱湯になっているという余りにも哀れを誘う有様でございます。
 早いうちに家財道具を纏めていた為に、大膳屋一家十人は無事に逃げ延びることはできましたものの、店も含めた辺り一帯は焼け野原、辺りにも人の遺骸が焦げ転がるという大惨事。
 この火事は後世天和の大火と呼ばれておりまして、三千五百人に及ぶ死者を出したと云われております。

 さて、お話を戻しまして。大膳屋の一家はそのまま近くの正仙院と云う寺へ逃げ込みます。この寺には他に逃げてきた人々があって、彼らが噂するところでは、
「かの半鐘の『質屋』と申すは、大円寺のこと。大円寺に限らず諸方の寺では、祠堂銭と云って、二分位で持って金を貸すところがある。故に、あそこも質屋と申して差し支えなかろう」
 親父殿などはそうした輪の中で噂話の真っ最中、ところが子供の若者達はそんなものに興味はありませんで、各々適当に出歩いて金の算段なり焼け跡の片付けなりに忙しい。
 その中の一人の七、女の仕事ということであちこちを回って炊事洗濯のお手伝いをしております。この程十六歳、昨年に比べて身の丈もぐっと伸びて振る舞いも大人びてくる。見目はこれまた麗しく、間も無く縁組も決まろうという年頃でございます。
 じゃぶじゃぶと着物を洗って干した後、さて戻ろうかと七が向きを変えた時、どーん、と誰かにぶつかってしまいます。
「あれ、ごめんなさいな」
「いやァ、自分の方こそ」
「あら…」
 そう顔を上げてみますと、これが何と美少年でございますな。年は見たところ十七、八。丸顔の中に、墨で引いた様な若々しい目鼻立ち、体付きも細くなよやかですがこれがまるで歌舞伎の女方の様。お七一目見た途端にポーッとなってしまう。
「あ、あの、お名前は…」
「寺小姓の庄之助と申します。お七さん」
「はい、庄之助さん…」
 えぇ、まこと一目惚れとは恐ろしいもので、「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」なんと云う、たった一度の出逢いでも恋の炎と云うのはメラメラと燃え上がる。
 今日この日より、お七寺小姓の庄之助に首ったけになり、庄之助の方もそのうちお七に絆されてくる。そうして、年明けまして天和三年の正月、漸く店の再建が成って、今日こうしてお引き払いと云う時には、既に秘密とはいえ心を通わせる無二の仲となっておりました。
 しかして、寺小姓と云うのは御仏にお迎えをするいわば僧侶の見習いの様な者ですから、飲酒肉食女犯と云うのは寺の硬い掟、如何に心を交わした仲とはいえ…少々下世話な話、逢瀬というのも中々に難しいところ。
 例えばお七の方から見ますれば、親父殿は堅物の商売人でございまして、寺の小姓と悪い云い方をすれば密通などというのは到底これは、許しては貰えませんで、庄之助なんぞは、女子に心を動かすというだけでも仏罰が当たりかねないというご身分でございますから、互いに一目ということさえも困難極まりないという。
 ところがこれが不思議なもので、この様な困難こそが二人の気持ちを果て無く燃え上がらせました。
 庄之助とお七とは密かに文を相交わし、親父殿にも住持様にも露見せぬ様に、何かと口実を付けては寺に行き、二言三言言葉を交わして去る。そして、そんな中お七は遂にこの人と夫婦になるのだと云う様に思い詰めてしまい、恐ろしいことではございますが、段々と精神の均衡を無くしてしまいます。逢いたい逢いたいと云う気持ちだけが募り、彼女は遂にある決断をするに至ると云う訳。
 天和三年正月十五日夜半、お七は密かに店を出て、勝手口の方に積んであった油や干草の側に行く。手に握っておりますのは火打ち石、なんとお七、火を放って家を燃やさば、今一度あの正仙院にて暮らし、庄之助と共に過ごせようと思いなして、ここ一週間の間に入念な支度を重ねていたのでございます。
 無論現代におきましても放火というのは大変な重罪でございますから、当時のそれは推して知るべし。幕府の法では付け火というのは例え未遂であっても市中引き回しの上火炙りというように固い決まりがございます。
 しかして、そんな恐怖でさえお七の心に歯止めをかけるには至らなかった。
 密かに行燈の油やなんかをくすね、馬場の飼い葉をそれに浸して乾かし、他方で風向きやら計算をして、正仙院とは真逆の方に燃え広がる様な日取りを狙っておりました。まさしくこの執念たるや、生成も斯くやと云うほど。そして、たった一つの心残りと申しますのが、件の半鐘の怪。もしや己の火付けの企み、カンカンカンと露見しやしないかと、心中冷や汗を垂らしております。が、此の処鐘はうんともすんとも云わず、幸いにして腹に秘めた計画は誰にも露見しはしなかった。
「ひひ、こうして、火を付けて、そうしたら今度は、あたしの手で、鐘を鳴らすの…庄之助さんに急を知らせて、ひひ、ひひ…」
 しゃり、しゃりと火打ち石を擦り合わせる姿、そしてその顔。夜だと云うのに白粉を塗り、紅まで差した顔は、ぼんやりと闇の中に浮かび上がって薄気味悪い雰囲気を漂わせています。
 見開かれた目は般若の如く、歪んだ口許は舌舐めずりする狼を彷彿とさせる。それでいて、髪は綺麗な島田に整えてありますから、一層対比的で悍ましい。
 かち、かちと石を合わせて遂にぼわり、と火がついた!
 やった、やったとそう呟きながら、お七振袖の裾を払いつつ火の見櫓へ走る走る。許され得ぬ悪事の折にも振袖姿と申しますのが、又乙女心の表れと、これはなんともいじらしい心意気でございます。
 さて、遂に櫓の下へと辿り着き、震える手で梯子に手をかける。櫓は未だに鳴ることなくシーンとしているまま、
「櫓の怪ってのも、大したことァないわねぇ。なんたって、あたしのこの火付けを見抜けないんだもの!」
 さぁ、鐘を鳴らそう。そうして手をかけたその時、
「だから云っただろう。『七や、七や…』って…」

 えぇ、お七の顛末は今更申し上げるまでもありますまい。付け火は小火のうちに消し止められまして、哀れお七は捕縛され遂に火炙りと相成ります。後の世に曰く八百屋お七、天和の大火はお七火事と申し、数多の物語に歌われてございます。
 かくして本日は読み終わり、お運びご一同様、誠に有難うございました。

原案・作:四代目神林伯玄
補改:六代目神林伯玄
演:四代目神林伯道
時期不明

令和三年十二月三十一日 収録

編者補記
四代目神林伯玄により、嘉永末に執筆されたと思われるお七ものの演目。彼が得意とした『火事』をテーマにした作品群の一つである。内容についてはほぼ完全な虚構であるが、伝統に従って類似の現象については後述の通り明確な記録が残されている。
随筆録には、同演目の基となったであろう怪現象の報告が弘化年間の記事に見え、「外ルト云フ事无シ」と記されている。
また、同書には彼が幼少期に遭遇した文政の大火(焼失家屋三十七万、死者二千八百人とも)との関係も示唆されているが、詳しいことは未だ分かっていない。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。