物見遊山のお話で……えぇ、人というものは凡そ珍しいものが大変にお好みでございます。中々自分の国ではお目に掛からぬものがあると聞くと、羽織引っ掛け飛び出してすぐ見てやろうとそんな心積り。
とは申しましても、中には少々如何わしいのもございまして、昔両国の回向院でどこそこかのお寺の出開帳というのをやったことがございます。この出開帳というのは、有名な神社やお寺のご本尊をお借りする、きちんと申し上げますとそれで来世の為仏縁を結んでやるというので、江戸へ持ってきて拝観料を取って見せるというもの。
これが昔はとても流行ったもので、今と違って交通の便も不自由ですから、普段見る機会の無い地方の尊い神仏を拝むついでに何か珍しいものを見られたらと思って両国まで出かけるというわけです。
さて、回向院の門をくぐりますと、お連れ申したご本尊だけがちょこんとあるのも寂しいものですから、おまけの様に見世物小屋やら土産物やらが市を成しております。この見世物小屋というのが曲者で、表に出てる者は威勢よく、
「さァさァお出でなすって、お代は観てからで結構!世にも珍しき河童の見世物でござァい!」
などと並べておりますから、もののついでにも思って入ってみると、風呂桶みたいな水槽がどでんと仕切りの向こうに置いてあって、濁った中に何かうっすら浮いている。
「なんでぇ、あれが河童かぇ!」
そう言ってみると、
「あれは世にも珍しき音を好む河童なれば、水の中に銭が飛び込む音をことに好む……」
側についてる坊さんが重々しくいうので、天保銭一枚出してヒョイと投げ込むと、ちょっと皿が浮くくらいまで出てきてまた水に潜ってしまう。憎たらしいもんだから小石でも投げつけてやろうってぇと、
「何をしやがるんでぇ!」
「河童が喋った!」
なんてなことはありませんで…。
時に延享五年の頃。この年は七月に帝の代替わりがあったというので、寛延に改元をしますから寛延元年とも申します。
江戸のある長屋に、生まれ持っての珍し物好き、物見遊山が趣味という八兵衛という男がありました。
「いやァね、熊吉さんヨ。俺ァこの国の珍しい物、面白い物、怖い物てェのは凡そ見切ってしまった。去年は浄瑠璃の『義経千本桜』も見た、去んぬる六月にゃァ、これまで運悪く見る機会に恵まれなんだ朝鮮国の通信使も見た。あれァ実にいいもんだったがね、俺ァ寂しくって仕方がねぇ。これで神州六十六カ国、悉くのものを見尽くしたと思うと、愈々国禁を犯して、かの震旦や天竺へ旅打つより他にねぇと思うがどうかね」
「そりゃああり得ねぇ話だぜ八兵衛さん。昔の人は天竺震旦に比べてこの日本国、如何に狭いことやらと云ったというが、それにしたって北は蝦夷から南は薩摩に至るまで、六十六カ国悉く旅したなんてな奴は聞いたことがねェ」
熊吉にしてみれば、八兵衛の見栄なんぞは慣れたものでございますから、もう取り繕うこともしませんで、お前さんなんぞの身で日本悉く見たなんてなことは云えねェだろうとハッキリ云っちまう。八兵衛もこれに怒るでもなくって、だがねとコウ反論をした。
「自慢じゃァねえが、俺は北は陸奥国、南は筑前国まで旅をした。凡そ五街道で足を踏み入れたことのねェ道はねェ。そこの宿場で、話に聞くものは皆んなこの眼に入れてきたンだ。如何にこの国広しとはいえ、もはや俺の目を驚かすものなんぞはもうあるめェと思っても、強ち見栄とは云い切れまいヨ」
「よく云いやがるぜ此奴ァよ」
とは申しましても、熊吉も八兵衛の話は面白いもんですから、疎ましく思っているわけじゃァない。仕方ねェから、何か彼奴の目に留まるものを知ってる奴はいねぇかとそう思って、長屋の側に庵を結んでいた、名前を徳庵と申します老僧のところへ出向いて、何ぞ話の種になる様なものはございませんかとコウ聞いてみた。
「世の中に蔓延る奇々怪々のものを見てみたいと欲するか」
「いやぁ、俺が欲しいってんじゃなくてね、八兵衛の野郎がかくかくしかじかで……」
「ふぅむ、眼に入れたと申すなら、今度は耳に聞かせてみてはいかがかな」
「耳に聞かせるてェのはどういう事で」
「これは少し前、儂が出家をして修行がてら、あちこちを托鉢で渡り歩いていた時の話じゃ」
和尚ぴたっと居住いを正し、眼をカッと見開いて、熊吉を見据えて腹の底に来るような低ーい声で語り出します。
「草津宿から先の中山道、美濃国関ヶ原宿と垂井宿の間にこう鬱蒼とした松林の道がある。そこは夜になると人家もまばら、辺り一体真っ暗になって前に進むも後ろに引くも難しいところじゃ。儂は少々手違いをして、宿場を出るのが遅れてしまい、垂井に着く前に日暮れを迎えてしもうた。これはいかん、提灯も持たず懐の小刀は夜の闇に紛れる犬には役に立つまい。托鉢の椀を打ち鳴らす音にも、気がつく人は少なかろう。これは松の根方に寝そべって、阿弥陀仏のご加護を願うより他にあるまいと思うて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とそう唱えておった……」
「ほうほう」
「するとじゃ、か細い声で『モシ、そこの御出家様、お泊まりではありませんか』と声がした。ギョッとして顔を上げると、薄暗い中に提灯を下げた宿の女がおった。はてここに宿などあったかと思うと、少しばかり離れたところに、宿屋の提灯が光っておった。狸にでも化かされたかと思うたが、たといそうであったとしても、野犬盗賊の類に襲われるよりはマシと思い、儂は宿に入った。……宿に入ってみると、中はこぢんまりとしていて、どうやら民家を建て直したものの様でな、二間ばかり客の泊まる部屋があって、あとは共同使いの囲炉裏と竈門、雪隠があるばかりじゃ。儂が中に入ってみると、他にももう一組客がある様で、酒を囲んで騒いでおった」
「何て云ってたんですかい?」
「『もうじき白象がここを通るから、明日朝一番で関ヶ原宿へ向かって、お目にかかろうじゃねえか』。『象てのはどんな生き物なんだい?』、『象というのはな、こう鼻が長くって四つ足で立って、小山の様に大きな生き物サ……』とまぁこんな具合じゃ。丁度その頃、大清国の商人が白象を日本に持ち込んでな、それを大御所様、公方様にお目にかけようと云ってはるばる長崎から江戸へ連れて行く最中だったのじゃ。お前も見たじゃろうが」
「へ、へぇ……」
「儂は逆方向、つまりは関ヶ原の方から垂井に向けて歩いておったから、既に象は見ておった。今更のことと思い、飯を食ろうたらすぐに部屋の布団に潜ってしまった。そのままうつらうつらとして、きっと眠ってしまったじゃろうて。ところが、夜半。傾く月が南を越えて沈み始めた時分……ずしーん、ずしーん!という地鳴りのような揺れでハッと叩き起こされた!何事かと思い側を見回すと、『ぎゃぁー』っと隣の部屋から恐ろしい断末魔じゃ。急いで部屋を飛び出し隣の間に行こうとすると、バタバタと出てきた連れどもとぶつかって、奴らぶるぶる震えて、『象が出た、象が出たー!』などと騒ぎ回った挙句、宿を飛び出してどこかに行ってしまいおった……。翌朝、恐る恐る部屋を見てみると、なんとも酷い有様じゃったわい……。部屋の中はめちゃめちゃに壊されていて、辺り一面から草の混じった糞の匂いが漂っていてな、床は人の頭ほどある大きな足跡で穴だらけになっておった……そして、部屋の真ん中には踏み潰されたのか、無惨な姿になった男の骸があったのじゃ……詳しくは語るまい、もはや、人の形はしておらなんだ」
「ひ、ひえっ…」
「じゃが、儂はその男を踏み潰した物怪を直に見たわけではない。儂がこの身に覚えたは、地鳴りのような恐ろしい響きに、男がめりめりと潰される時の断末魔だけじゃ。故に、耳にて聞くものとそう云った。恐らくは部屋に居った者は何かを見たのであろうが、儂は恐ろしゅうてならぬわい」
「こ、こりゃどうも、和尚さん、ありがとうござんした……」
熊吉ガクガク笑う足に鞭打って、すぐさま長屋にとって返し、八兵衛に先ほど聞いた話をかくかくしかじかと聞かせてやります。
「和尚がこのように奇妙な目に遭ったと云うが、おまいさんはどう思うかね」
「そいつァ面白れェじゃアねぇか。俺は件の象も長崎で見たことがあるがね、アレが人を踏み潰すとなりゃそりゃ大変なことだぜ。全身の骨もめちゃめちゃになって死んじまうわなァ」
「まさかお前さん行く気じゃなかろうね」
「行くに決まってるじゃねェか!おら、とっとと支度をしねぇ!明日にゃ板橋宿に向けて発つぜ」
「えぇ、嫌だよ俺はよ!俺ァまだ死にたかねえや」
「喧しい!俺とお前の仲じゃねえか、俺たちゃ鶏糞の交わりとあぁ云ったのは嘘かお前」
「鶏糞でなくて刎頸だろうがよ…」
「いいから早くしねぇか!」
「あいた、痛い!」
八兵衛すぐさま熊吉を扇でひっ叩き、追い立てて旅の支度をさせます。この頃の旅と申しますのは徒歩で関所を越えて行かねばなりません。今と違いまして鉄道の様な便利なものはございませんから大変時間のかかるもの。
ましてや通りますのは中山道六十九次、江戸から板橋宿を起点に内陸の木曽路を抜けて草津の宿まで向かって漸く東海道に合流すると申します。その距離実に百三十五里三十四町、間には碓氷峠、和田峠など十三の峠、「ひときれは都をすてて出づれども」などと古い歌にも詠まれましたる木曽のかけはし、無数の難所山路を越えて抜けてを繰り返し、漸く草津に参ると云う次第。
和尚が目指して道を歩いておりました垂井宿は、中山道と美濃路街道の分岐点に位置し、前には赤坂宿を擁し後方には古戦場関ヶ原。近在には神君家康公御着陣遊ばされた桃配山、春王安王の悲劇で名を知られます金蓮寺がございます。かつてベトナム国より参りました白象は垂井から美濃路を抜けて名古屋江戸に向かいましたが、正しくその追分道標が今なお残ってございます。
さて、江戸を出ましたるこの二人、板橋を起点にはるばる中山道を越え、信濃国馬籠宿から美濃国へ入ります。今の世で申しますと長野県木曽郡の辺りから岐阜県中津川市の辺り、そこを更に西へ西へと落合、中津川、大井など十四宿を越えると漸く垂井宿に参ります。垂井から関ヶ原宿の間の道に件の松林の道がございますことは最前申し上げた通り、長いことかけて何にもない道の真ん中を目指す旅というのは誠に奇矯なことと申せましょう。
「熊吉、熊吉よ。ようやく垂井の宿だ」
「いやぁ、やっとお泊まりかい?もう足が疲れて疲れて…」
「莫迦云え!この宿場は素通りして、すぐに関ヶ原までの松並木に行かなきゃならねぇんでィ!」
「八っつぁん、モウ無茶はよしねぇヤ」
「ここまできて男八兵衛引けるわきゃねェ。もしドウしたってお前さんが行かねェと云うのなら、ここで別れて江戸へ帰れ!」
「旅費も手形もみんな取り上げた癖に何を云いやがるんでぇ…」
とまあこの様な調子で、二人は垂井宿を素通りをしてずうっと関ヶ原宿までの道を参ります。ところが流石にここまで急ぎ足での歩き詰めとなりますと、流石に疲れも響いて参りまして、足取り重く一歩一歩が遅くなり、かの松並木に着く頃にはすっかり辺りは真っ暗な闇夜に包まれておりました。
今と違いまして街灯の無い時分、灯りは手元の提灯一つ、行く道来た道どちらを見ても闇、闇、闇でございます。時折ひゅるうと吹く風がざわざわと下草に松の木を揺らして音を立て、僅かに見ゆる月明かりに、松の枝の影がぼんやり映ると云う風情。木の枝がばっと広がりねじくれ曲がって伸びる姿は、遠く数里先まで宛ら阿吽の二尊が立ち見下ろしているかの如くでございました。
「話によりゃアこの松並木に件の宿があるてェんだな」
「俺ァそう聞いたがね……見てみりゃ一面何にもねェ、宿の灯りも見えず、時折見えた灯りと来りゃ川端で飛び交う蛍ばかりじゃないかえ」
「流石の俺もこんなところで野宿は御免蒙りてぇな。野犬か何かに襲われっちまったら八兵衛一生の不覚、骸を野辺に晒し哀れ兜の下のキリギリスということに」
「莫迦云ってンじゃねぇや。とっとと歩け八公」
「何云いやがる熊公!」
「もーしー……そこのお二方……」
「「わぁぁっ!」」
暗闇から唐突にか細い声、驚きその方を見ますと、今にも消えそうな頼りない提灯を手に持ちましたる娘が一人、身は柳の様に細く手は雪のように白く見えましたが、その様は美しいと云うよりも棺桶から這い出て来たかの様。
「な、何か用事かえ、お嬢さん」
「お泊まりではございませんか……」
「え、え?」
すっと娘が指を指しますその先には、茅葺き屋根の軒先に赤色の提灯を下げた民家が一軒ございます。提灯には大きく「旅籠」と書かれておりまして、飯を炊く煙ももくもくと出ておりました。
八兵衛しめたっ、これこそ件の宿屋に相違あるまいと思い、
「お、そうだ!俺たちゃこれから関ヶ原を目指すとこだったが、急に日が暮れっちまって困ってたんだ。お前さんとこは旅籠宿かい?」
「はぃ……お食事は朝夕二食、お代は極めてお安く致しております……ささ、どうぞ……客間は二間しかございませぬ故、早い者勝ちです……」
不気味な娘に手を引かれるような心持ちで、二人は件の宿に足を踏み入れます。入ってみますと話に聞いていた通り、民家を宿屋に改装したと見えまして、狭っこい二間の客室の他には、共用の囲炉裏と竈門とがあるばかり。
「こちらへどうぞ……」
「こら狭い部屋だねぇ、長屋の一間と同じくらいかえ」
「古い民家を改装したものですから……」
「荷物を置いてどっこらせ……飯を食ったら俺たちは寝かせてもらうぜ。明日の朝早くに関ヶ原宿まで発たなきゃならねぇからな」
「かしこまりました……」
程なくして出された食事は粟や稗を混ぜ込んだ雑穀飯に菜っぱの漬物、銀シャリに慣れた江戸っ子の二人にはこれは辛い食事。とは云え安い宿ならこんなものかと己で納得をして食事を終えます。すると、娘が狙い澄ました様に布団を運んできましたから、さっさとその中に潜り込み行灯を消して寝入ってしまう。
「おい熊、熊よ」
「八っつぁん、なんだえ」
「お前さん目的を忘れちゃいねぇだろうな」
「えぇ、目的、目的ね。覚えてますともえぇ、えぇ」
「じゃ、象に踏み潰されるのァお前さんの役だな」
「勘弁してくれよ!?」
などと云い合いながらも、丑三つ時が近くなってくるとどちらからともなくぐうぐうと高鼾をかきはじめ、部屋も宿屋もシーンと静まり返ります。
辺りに吹く風が時折ガタガタと戸を震わせる他は何の音も無く、それどころか宿に務める者の気配さえ消えてしまったかの様……とその時!
俄に起きたずしん、ずしーんという腹の底に響く様な恐ろしい地鳴りの音と激しい揺れが辺りに広がり、二人を叩き起こしたッ。
「な、な、何事でぇ!」
「うーん、うーん…」
熊吉ひゃァっと飛び起きて前を見る。すると、粗末な壁からにゅうッと長白い鼻が出たかと思うと、ずぶずぶと今度は手足が生えてくる。程なくして全身明らかになりましたのは、頭が白象で身体が人に近いと云う化け物、ぐっと握りしめた拳は人の頭よりも大きくぶうんと振りかぶったらば風を切って大きな音を立てます。
「八っつぁん!起きろ、起きろい!出た、象が出たァ!」
「むーん……」
眼前の化け物が思い切り二人を殴り殺そうと振りかぶったその刹那、むくりと起き上がったる八兵衛、目を見開くや朗々と叫んだ。
「時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ」
すると、今にもぶうんと殴り付けようとしておりました白象ぴたっと拳を止めますと、八兵衛の前に膝をつき、頭を下げてはーっと平伏致します。そして、そのまま姿は薄くなりまして、すぅっと闇に溶ける様に消えていきました。
「時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ」ー時に享保十四年。かの広南より参りました白象をご覧になった、中御門帝の御製と伝わります。この歌を聞いた白象は、御前にて自ら膝を折り帝に深く頭を垂れたとか。
正しく、「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」と云う次第。「御製(おおみうた)」と題しますこの一席、読み終わりでございます。
原案・作 四代目神林伯玄
口演 初代神林伯鶴
大正十三年十二月十六日 伯楽亭にて
編者補記
四代目伯玄中期の作品。初演は嘉永三年で、伯玄襲名前の伯瀧時代に執筆された。(随筆「伯翁葦葦言」)
随筆によれば、伯玄は生涯のうちに三度江戸から上方まで長期旅行を行い、うち二回は東海道ではなく中山道を抜けている。
この作品の基となった怪異は天保11年(1840年。伯玄21歳)の条に見え、彼が実際に体験した内容が記録されているが、その多くが演目中に反映されている。(主人公八兵衛について、そのまま伯玄本人を主役に据えたバージョンも存在する)
なお、実際の怪異と「御製」との関係性は不明である。