歯医者さんのお菓子
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彼女の心臓はその胸の中で盛んに脈を打っていた。それは彼女が少しだけ、心臓が飛び出てしまうのではないかと怖がるほどに。
彼女の内なる冷静な声はそんなことはあり得ないとわかっていた。けれども彼女が歯医者にもう一度足を運ぶことになるなんて予想できなかったから、今日はもっと多くの現実法則が破られてしまうかもしれない。

機械の駆動音が、心臓が飛び出てしまうという空想から彼女を引き戻した。
彼女が歯医者を好きだったことなど一度もない。何も見えず、いったい何が起こってるのか正確にわからない状態で知らない人が自分の口内を治療するなんて想像は、彼女を何だか不安にさせた。

しかも、あの痛みは彼女を錯乱させるだろう。
だから彼女は友人の勧めに従うことにした。町に新しい歯医者が来て、みんな彼のことを声高らかに絶賛していたのだ。
タバコやコーヒーで歯が黄ばんでいた友人でさえも、今やその歯は白く輝いていて、笑みが止まらないように見えた。

「心配しないで。ほとんど何にも感じないですよ。たぶん、ちょっとしたプレッシャーだけ」

歯医者には変な訛りがあって、まるで言葉の全てにひどく集中して話さなければならないようだった。

彼女は何も感じなかった。プレッシャーも、チクチクした痛みも、刺すような感触も。でも彼女には指の感覚すらもなかった。それに足の感覚も。彼女は医者と話すことすらできなかった。

「落ち着いて、愛しい人。歯はすぐに傷の一つもなくなるよ。完璧にね」

彼が彼女の顎から歯を引き抜くと、体に電気ショックのようなものが走ったが痛みは感じなかった。

歯医者は彼女に寄り添うと、まるで落ち着かせたり慰めたりするように手袋をはめた手で彼女の腕を軽く叩いていた。彼女は彼の指が普通よりも長いことに気がついた。
彼は歯磨き粉の広告のような歯で彼女に微笑みかけたが、それはキラキラと眩すぎて彼女の目は見えなくなった。
「すぐだよ、愛しい人。怖がらないで」

彼はもう一方の手の親指と人指し指の間に彼女の歯をつまんで掲げ、祖父のような笑みを浮かべ続けていた。最初は彼が痛みの原因を見せたがっているのかとも思ったが、彼の手は唇の間にその歯を持っていくと、気持ちの悪いゴリゴリという音を立てて口で歯をすりつぶした。
彼はそれを飲み込み、唸り声を上げた。そうしてまた微笑んだ。

「愛しい人。君は僕のものだ」

今や彼女も笑っていた。彼女は彼のものだ、なんて素晴らしいこと。

歯医者は嬉しそうに鼻唄を歌いながら仕事へ戻ると歯を一本一本引き抜いて、その全てを黒い金属の箱に慎重に保管した。
数時間はかかっていたが、彼女は酔いしれてしまっていた。彼女はこの歯医者が今まで出会った中で一番の医者であることがわかっていたのだ。たぶん、彼は全世界の中ですら一番の医者だった。

彼女は彼が冷却ペーストを歯茎に塗る様子を見ていたが、最終的にその数分後には新しい歯が生えてきた。
それは痛くはなかったが、ただくすぐったくて彼女はクスクスと笑い始めた。

「愛しい人、行っていいよ」彼は彼女にそう言うと、手を貸して起き上がらせた。彼はもう歯医者に来る必要がなくなると彼女に保証した。その歯は永遠のものとなったのだ。彼女が死んだ時に歯を回収するのだろう。

輝くハツラツとした笑顔で彼女は医者へと別れを告げた。
明日にも彼女は娘を連れて戻ってくるだろう。

彼女は歯医者を好きだったことなど一度もないが、愛していた。

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