「皆さんどうか、お静かに願います。えぇ、結構です。それでは、昼食の後ではございますが、本サミット最後の報告になりますエージェント・新渡戸からの報告をお聞きください。 えぇ、それではエージェント・新渡戸、お願いします」
「ただいまご紹介に預かりますエージェント・新渡戸という者です。日本から来ました。よろしくお願いします」
「私からご報告申し上げるのは『記憶処理技術』に関してになります。お手元の資料37ページを御覧ください」
「世界で最初に行われた記憶処理は西暦[不明瞭]年13月の事になります。えぇ、歴史に名立たる"ジェーン・ドゥ"の発見にまで遡ります。」
「皆さんご存知の通り"ジェーン・ドゥ"の回収からは多くの情報を得ることが出来ました。人類の系譜、経緯、過去、そして未来。ですが、調査の結果、"ジーェン・ドゥ"は回収当初"記憶喪失"にあったと考えられます」
「はい。仰るとおり記憶喪失と一言にしてもその種類や症状は異なりますが、詳細は掴めず、ただ"部分的記憶喪失"という事実しか発見することは出来ませんでした。申し訳ありません」
「話を戻しましょう。ジェーン・ドゥ発見に於いての障害がこの"記憶喪失"であり、その打開策として記憶処理技術が開発されました」
「現在では記憶処理の方法は多岐にわたっていることが確認されています。薬剤、精神セラピー、光線、画像、文字列など様々ですが、世界最初の記憶処理は"薬剤"だと分かりました」
「当初のジェーン・ドゥの記憶喪失は先に報告した通り詳細は不明ですが、恐らくはP T S D 心的外傷ストレス障害によって引き起こされた物だと推察されています」
「物理的なショックか、あるいは精神的ショックか。それは分かっていません。何しろ彼女は[不明瞭]年もマリアナ海溝の底で氷漬けでしたので、どちらの可能性も否定はできません」
「人は時としてあまりに大きな物理的、あるいは精神的ダメージを負った際に自らの脳機能と精神を護るためにその記憶を封じ込める事があります。それがジェーン・ドゥに起こった記憶喪失と考えられます」
「しかし、記憶喪失と言ってもそれはあくまで記憶の"封印"であり、"抹消"ではありません。脳の奥深くに『それを思い出してはいけない』という記憶としてしっかりと刻みこむのです」
「いえ、話は逸れていません。ここからが本題です」
「では、どのようにして彼女の記憶を引き出したのか。そこで記憶処理技術が考案されたのです」
「脳の中にある害をなす記憶を封じ込めるのもまた脳である以上、脳に対する干渉がその記憶の封印を解くと彼らは考えました。そしてそれは実行された」
「脳機能内から大脳皮質および一部の海馬に直接作用し、"記憶を封じ込める記憶"に該当するニューロン系を選択的に攻撃し、その電気信号や伝達系統を遮断し破壊する薬剤の研究がなされました。一般的な医学、薬学は勿論。生物学、化学、精神医療、更にはロボット工学、物理学、人体工学、素粒子物理学などありとあらゆる分野と連携した研究が行われ、翌年には既に試験段階に入っていたものと思われます」
「結果的にその研究は大成を収め、ジェーン・ドゥの記憶復元に成功しています。その2年後に、彼女は死亡したわけです」
「死因はおそらく無理な記憶操作によって引き起こされたストレス障害か、或いは"沈む"以前の無理な保存方法にあったのか、諸説提唱されていますが真相は"彼ら"しか知りません」
「いずれにせよ、そうして生み出された記憶処理技術はやがて他の洗脳術や暗示、または記憶形成術などと併用され、人の脳の記憶に『蓋をし、かつ蓋を彩る』ことにも成功します」
「最初に研究された『記憶の蓋の破壊』が成功した挙句、"彼ら"が考えたのがソレです。ある種のパラノイア治療に使われた例もありますが、先のが現在までもっとも一般的かつ多く使われてきた記憶処理技術の本来の使用用途でしょう」
「そしてこの報告から我々が懸念すべきは、その記憶処理技術の最初の使い方『記憶の蓋の破壊』という点にあります」
「本サミットにお越しいただいた皆様のエージェント、工作員のほとんどは予め潜伏前に強固な"記憶保護"を行っていると伺っています」
「問題は、その記憶保護が彼らにどこまで通用するかということです」
「記憶保護の内には所属元や目的などの情報が含まれると考えますが、如何せんそれは『蓋』に過ぎません。強固な洗脳も、暗示も、薬も全て同様です」
「つまり、我々が行ってきたあらゆるエージェントへの秘匿工作は、無意味であったのではないかと。これは忌忌しき事態です。」
「いずれ、対策を講じる必要のある問題かと存じ上げます」
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「ありがとうございます。しかしこの調査報告書のため、エージェント・樋口という人間が犠牲に」
「そうです、彼らに発見されました」
「ですが、彼の報告は仲介人を通じて我々の元へ送られてきました」
「死人。いえ、死んでいるかさえ分かりませんが、なきエージェント・樋口の功を讃えるのは忌々しい"彼ら"のやり口かもしれません」
「ですので、我々は生きた仲介人に、その賛辞を送る所存です」
「その名は、あー、いえ。コードネーム」
「Doc.Bに」
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「ありがとうございました。改めてご紹介申し上げます。日本生類創研からお越しいただいたエージェント・新渡戸でした」
「これを持ちまして、第51回『対財団組織代表委員会』を閉会したいと思います。世界各国よりお越しいただきありがとうございました。滑走路までの護衛スタッフが扉の外で待機しております。どうぞお気をつけてお帰りください」
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「それでぇ、収穫は有ったのかい?」
「そう…。先方も、心底驚いたろうよ。真実と嘘は良い食べ合わせだろうからねぇ」
「そうかい、如何、よくやってくれた。危ない橋だったろうが…まぁ、帰り道には気をつけてくれ」
「あぁそうそう、先方の老人どもの写真は…。よくやった。それは先に財団へ送ってくれ。すぐにでも連中の顔を拝んでおきたい」
「では エージェント・新渡戸」
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「それでは、私もこれで」
「あぁ、実に良い成果だ。O5もさぞ喜ぶだろう。これで奴らの進行ももうしばらく遅らせれよう」
「はい。これで、所々の研究と調査も、幾分円滑に行くかと」
「それじゃ、樋口君も引き続き奴らの動きに注意していてくれ。私も財団も、忙しいんだ」
「分かりました」
「それじゃ、今日はこれで解散としよう。どうだね?客人用の葉巻もあるが?私はこいつ セブンスターでいい。否、こいつがいい」
「いいえ、結構。私が貴方を撃ち殺したくなる前に、帰るとします」
「そうか…。そうしてくれ」
扉を閉める後ろ手に、舌打ちが一つ聞こえたが、聞こえないに決めた。