「夏美……ごめんね。お母さんが弱くて、何も出来なくて、本当にごめんね。」
母は大きな盃の中のものを一気に飲み干す。
「これで太陽の輝きとなる準備が整いました。我々は毎日欠かさずあなたを見つめます。見つめ続けます。」
訳の分からないことを言いながら、向日葵達は母を見つめていた。
「ママ!だめ、行かないで!」
「静かにしろ!」
駆け寄ろうとしたが、取り押さえられてしまう。
向日葵達に連れられて母はよろよろと歩いていく。
「こちらへ。最期の間にご案内します。」
「行かないで、ママ……ママ……。」
途中、足を止めて私の方へと振り返った。
「夏美は強く生きるのよ。」
鼻のない顔で微笑んでいる。
それが、私の見た母の最期の顔だった。
何も考えられなくなった私は、走馬灯のように昔のことを思い出していた。
「巫女、次はこちらの者です。」
これが何人目か、もう覚えてない。
多分、まだ終わらない。
向日葵がこちらに歩み寄る。
上を向いて脈打つように動く茎が私に押し付けられた。
「今年の巫女はいい。明日の畑仕事にも精が出そうですな。」
花弁が私の頬に触れた。
茎が探るように動く。
内臓を何度も引っ掻かれるように感じた。
「巫女、こちらの者も。」
別の向日葵が私の頭を押さえつける。
「今までで1番良い巫女だな。これは。」
葉が私の唇に触れた。
茎が奥にまで来る。
喉を何度も引き裂かれるように感じた。
生暖かい息やベタついた唾液のようなものが体にかかる。
湿った音で鼓膜が揺らされ吐き気を催した。
2本の向日葵はただ私だけを見つめ、単調な動きを繰り返す。
そして、種が弾けた。
「うっ……。」
「いけませんよ巫女、種は来年の豊穣に関わる神聖なものなのです。」
溢れた種を押し込まれた。
ベタついて喉に引っかかるようなそれを、飲み込まなければならない。
「太陽の儀はまだ続きます。巫女、どうか向日葵にお恵みを。」
沢山の向日葵が私を取り囲んでいる。
誰も助けてなんかくれない。
周りの皆はただ、私を見つめていた。
苗が水田から顔を出し、その小さな葉を心地の良い風で揺らしている。
風を目で追うように周囲を見渡せば、多種多様な花達で彩られた村がパノラマのように目に映った。
フジ、ツツジ、ハナミズキ……通り慣れた道は、私が好きな花で満たされている。
瞬間、私の嫌いな花が目に映った。
吐き気がする。
「夏美、水。」
「今持っていきます。」
「10人分くらい頼みたい。陽菜にも手伝ってもらえ。」
「分かりました。」
早くそれから離れるため、早足で井戸へ向かう。
なだらかな坂を登っていくと、村全体の様子を一望することができる場所についた。
少し休もう。
長閑に広がる田園風景を眺めながら爽やかな新緑の香りを胸いっぱいに吸い込めば、束の間でも穏やかな安らぎを得られるのだ。
花咲き誇る道と同様、私はこの景色も気に入っていた。
うろつく向日葵に目を瞑れば、だが。
向日葵達は露出した大きな2本の根で歩き回りながら、葉を器用に使って田植えをしている。
花弁を動かして談笑しながら作業をしている様子は、まるで人間のように見えた。
気持ち悪い。
あちらの田んぼでは雑草対策の為に除草剤を撒いている向日葵もいる。
あまり使われると困る。
早めに取っておかないとだめだな。
再び歩き出そうとすると、足音が近づいてきた。
「水汲み手伝うね。一緒に行こ。」
「ありがとう、助かるよ。行こうか。」
陽菜だ。
私の元へ駆け寄ってくる。
「こういう力仕事もさ、村に1人でも男がいれば楽なのにね。」
「ないものねだりしたってしょうがないよ。」
「まぁね。農作業してもらえるだけでもありがたいかぁ。」
この村に男はいない。
19本の向日葵と、私含めた10人の女だけだ。
「もし大変なら私1人でやるよ?無理しない方がいいと思うよ。」
「大丈夫、陽菜だけじゃ大変だし。私は平気だから。」
「ほんとに無理はしないでね。産後間もないんだからさ。」
陽菜は私の腹を不安げに見つめている。
「全然平気だって。」
「夏美に何かあったら、あの子が大変じゃない。」
白々しい。
「知ってるでしょ?どうせあれ、贄だから。」
「だとしても最期まで幸せに生きて欲しくない?」
「陽菜は優しいんだね。」
太陽の儀で生まれる人間は全て女の子で、その場合は種の産湯の後に村人として育てられる。
しかし、向日葵が生まれれば豊穣祈願のための贄になるのだ。
どうやら良い雨が降るから、らしい。
どうせ殺されるのに優しくしろ?
あれらの子供というだけで嫌なのに加えて、もう幾ばくもない命なら可愛がる理由などないだろう。
陽菜の偽善者っぷりに反吐が出る。
「あのさ、陽菜は太陽の儀とか贄とか、本当に必要だと思う?」
「……夏美だから正直に言うけど、分からない。ずっと前からある文化だから、多分根拠とかはないと思うんだ。」
「そうだよね。ならさ 」
陽菜、これが最後のチャンスだよ。
「こんなのおかしいって一緒に言いに行こうよ。私1人じゃだめだから。こうやって話を聞いてくれるの陽菜くらいだし、あなただけが頼りなの。」
「……それは難しいよ。そんなこと言ったら私達どうなるか分からないよ?」
「今を受け入れるしかないってこと?」
「つらいけど、それしかないと思う。」
やっぱりね。
結局、あなたも同じだよ。
「ははは、変なこと言ってごめん。」
「いや気にしないで!私と夏美の仲だからさ、何かあったら遠慮なく言ってね。力になるから!」
よくもまぁ、そんなことを言えたものだ。
陽菜は“友達”だから、特別なやり方にしてあげようかな。
談笑をしているうちに、私達は井戸にたどり着いた。
「やっと着いたね、夏美は疲れ大丈夫?」
「うん……ちょっと疲れたかも。」
「じゃあ少し休んでなよ。お水汲むのは私がやっておくからさ。」
「ほんとにありがとね。」
近くの倉庫に目を移す。
「ごめん、頼まれてること思い出したから倉庫行ってるね。」
「休んでなって言ってるのに。」
「水汲みより軽めの作業だから大丈夫だって。」
私は足早に倉庫へと向かった。
「すぐ戻ってくるからね。」
「ゆっくりでいいよ、無理しないでね。」
薄暗い倉庫の中で目を凝らす。
「……あった。」
探しているものが見つかった。
除草剤を手に取り、隠し持っていた水筒に移し替えた。
これは向日葵達が農作業で使っているものだ。
植物が除草剤を撒くなんて変な話だが……それはまぁいい。
水筒いっぱいの除草剤を見て、思わず笑みがこぼれた。
今までの集めた分を合わせれば、もう十分足りるだろう。
なんとか間に合った。
豊穣の宴は明日の夜に行われる。
待ち遠しい。
村が下品に飾り付けられ、花の美しさを台無しにしている。
加えて向日葵達の歌が聞こえ、私の嫌悪感は耐え難いものになっていた。
豊穣の宴の始まりだ。
「盃を交わし、皆で雨を願おう。」
「宴の後は儀だ。巫女の子を贄に捧げ、太陽の儀を執り行う。」
「豊穣を祈ろう。」
向日葵が私の肩に手を回す。
1枚の葉が這っているだけなのに、5本の指で撫で回されるように感じるのは何故なのだろうか?
小さい頃から、見慣れた向日葵が見知らぬ男に感じることがあった。
何も入ってない胃袋から、何かを戻しそうになる。
「乾杯だ!」
向日葵達が宴の酒をグッと飲み干した。
やった、やったぞ。
「うっ……。」
1本の向日葵が倒れ、枯れた。
「おい、どうした!」
「苦しい……。」
2本、3本と倒れ、枯れていく。
成功した。
私は酒樽に枯葉剤を混ぜたのだ。
向日葵どもは酒が好きなので、毒殺は容易だと踏んでいたが……ここまで上手くいくとは思わなかった。
笑いが込み上げてくる。
「夏美!薬を!薬を持ってきて!」
あぁ、この婆さんは酒飲まないんだったなぁ。
「何してるの!早くしなさ 」
女達は致死量まで飲まない可能性もあることは考えていた。
だが、力の強い向日葵が一掃できれば枯葉剤なしでも問題はない。
刃物で十分だ。
悲鳴が聞こえる。
逃げ出そうとする女も、後を追いかけて背中から刺した。
向日葵19本、女8人、全員を始末できた。
この場に残っているのは……。
「な、夏美……どうして?」
腰を抜かした陽菜だけだ。
「なんで……なんでこんなこと……。」
「向日葵が気持ち悪いから。」
「え……?」
「気持ち悪いんだよ。品定めするように見て、偉そうなこと言って私を犯して。」
「な、何を言っているの?」
「巫女に選ばれないと分からないことかもね。」
陽菜を見つめる。
「分かんないよ!向日葵が嫌なら、向日葵だけ殺せばいいじゃん!なんで、人間の私達にまでこんな……。」
「それはね、同じだからだよ。」
「どういうこと……?」
「ただ、見てるだけ。」
私は陽菜に歩み寄る。
「人間も向日葵と同じ。陽菜達は私達がどんなに辛くても、助けて欲しくても、それを見てるだけだったよね。」
「そんなこと……。」
「豊穣のための儀式だなんて、ただの建前。それは陽菜だって分かってたでしょ?私達は向日葵の都合のいい道具として、慰み者として、巫女に選ばれた。」
「……。」
「友達にしか相談できる人がいなくて、何回も陽菜に相談した。でも、最後まで『こんなのおかしい』って声をあげてくれなかったよね。」
「それは、この村の文化だからそうするしか……私だって夏美が巫女に選ばれだ時はすごくショックで 」
「そんなの嘘だよ。」
包丁を持つ手に力が入る。
「私、知ってるんだよね。」
「な、何……?」
「陽菜、私が巫女に選ばれた時さ……すごく嬉しそうにしてたよね。」
「っ……違うよ!違う!そんな訳ないじゃん!」
「顔に出てたよ。余程嬉しかったんだよね、自分が巫女に選ばれなかったことが。選ばれた私のことなんて、どうでも良かった。違う?」
「違うよ、夏美!お願いだからやめて!」
「陽菜含めて全員、見殺しにしたんだよ。私のことも、私のお母さんのことも。」
「夏美、私は 」
「うるさい。」
陽菜の腹に、包丁を深く突き立てた。
「かっ……。」
「“友達”ならさ、私が感じた痛みも分かち合ってくれるよね?」
腹に刺した包丁を探るように動かす。
内臓を何度も引っ掻かく。
「陽菜は特別に、私がしてあげる。」
「やめ……て。やめ 」
「痛いよね。でもここだけじゃないよ。」
私は包丁を腹から抜いて、口内に入れた。
「飲み込まないとだめらしいよ。」
包丁を奥にまで刺す。
喉を何度も引き裂く。
「痛い?」
陽菜は何も答えなかった。
「つまんないの。」
汚れた包丁を放り投げる。
少し疲れた。
これで、全員かな。
……いや、まだだ。
まだ向日葵が1本だけ残っている。
私は自分の家に戻った。
ベッドの横にあるカゴを見る。
いた、小さな向日葵が。
どうやら寝ているようだ。
これで、最後。
私は根を掴み、廊下に叩きつけた。
私の子供のフリをする向日葵が泣き始める。
「うるさい。」
私はそれを蹴り上げた。
更にうるさくなる。
不愉快だ。
さっさと終わりにしよう。
「枯れろ。」
それを、踏みつける。
砕ける音がした。
また、踏みつける。
潰れる音がした。
何度も、踏みつける。
飛び散る音がした。
何が砕けて、何が潰れて、何が飛び散っているのか。
「枯れろ、枯れろ。」
それはよく分からない。
ただ、向日葵はとっくに枯れて動かなくなっていた。
そして、足についた向日葵油の匂いは人間の血によく似た臭いがする。
それは確かだった。
雨が降り始めた。
贄の話はあながち間違いでもないのかもしれない。
だとしても、この「豊穣の雨」とやらの恵みを享受できる者は残されていない。
雨に打たれる向日葵は、もうどこも見てはいなかった。
私は、成し遂げたんだ。
「やったよ、お母さん。」
最後にすべきことが、まだ残ってる。
私は水筒を手に取った。
自分が飲む分の除草剤を残しておいたのだ。
私も母のような湿疹が出たり消えたりし始めている。
こうなれば、もう長くはないのは知っている。
もう、何も悔いはない。
「お母さんに会えるかな。」
私は水筒を一気に飲み干した。
「お母さん、迎えに来てくれたんだ。」
「ねぇ、聞いて、聞いて。」
「私、強く生きたよ。」
「私達を虐めた向日葵達を枯らしたよ。」
「私達を見殺しにした女達を殺したよ。」
「褒めて欲しいな。」
「撫でて欲しいな。」
「お母さ 」
……どうして?
悲痛な顔で泣いている。
それが、私の見た母の最後の顔だった。