向日葵畑のサナトリウム
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こんな便りが届いた。


覚えていますか。
帝都の北の向日葵畑。そこに建てられた療養所サナトリウム
貴方はよく、暁星屋百貨店で買ったカステラを持ってきてくださいましたね。
蠱惑の甘味。あの味を覚えてしまっては、食堂の味気ないご飯では満足できなくなってしまいました。
また、貴方とお茶会をしたいものです。

療養所サナトリウムから出られない私を気遣って,貴方はいろんなお話を聞かせてくださいましたね。
海の向こうの国々のおはなし。異人さんの生活、石造りの大聖堂、風変わりな動物。
貴方の口が紡ぐそれら全て。向日葵畑の外の、煌びやかな大世界!
嗚呼、貴方の横で、無限に続く世界旅行の光景を、何度私は夢想したでしょう。

覚えていますか。
療養所サナトリウムで同室だった女の子。キラキラした栗毛の、帝都の大きな会社の御令嬢さん。
可愛いお人形を持っていて、私にもよく見せてくれました。
私と比べて症状が悪くて頻繁に治療室の方にいましたが、体調の良い日は、貴方も交えて一緒に遊びましたね。
彼女は帝都の財界の煌びやかな世界について、色々なことを教えてくれました。社交会の作法マナァ舞踊広間ダンス・ホールの躍動。ここからでも天気が良ければ帝都が見えますが、そこでの紳士淑女の生活を想像するだけで胸が躍りました。

そんな彼女ですが、つい先日手術を受けると言って集中治療病棟に移ってしまいました。
今では私はこの部屋で一人きり。夜闇の濃さを久しぶりに痛感しています。
彼女は、義躯を装着するのでしょう。ご家族の意向で生身のまま治療を続けていたようですが、症状は悪くなる一方でしたから。
ここのお医者様方は、肺や心臓を始め様々な義躯についてもお詳しいです。きっと良いものを選んでくれるでしょう。
「いつか、素敵な殿方と舞踊会ダンス・パーティに出てみたいの」
そう言っていた彼女の夢は、きっともう直ぐ叶うでしょう。私も、彼女が優雅に舞う姿を見てみたいわ。

覚えていますか。
私、お二人といるととても楽しかったのです。けれど、お話をして頂いてばかりで、いつも申し訳ないのだと。
そう言って、大声で泣いてしまった日のことを。私の今のこの体では、向日葵畑から出られないのだと、恨言を言ってしまった日のことを。
だからね、今度、義躯の手術を受けようと思うんです。出来損ないの肺を、お医者様と技師様が選んでくださった鉻鋼クロォムメタルの肺に入れ替えるのです。

それに私、視力も悪いでしょう?一緒に眼球も入れ替えないか、と言われていますの。
折角入れるのなら,異人さんと同じ蒼い目を入れてみたいわ。それを通して見る世界は,今の私の見ている世界と違うのかしら。
貴方の隣で同じものを見て、いつか答え合わせをしてみたいわ。

ねぇ、手術の日は、お見舞いに来てくださいね。
貴方に励ましていただけたら、私きっと何だって乗り越えられます。

大正150年5月  翠華から貴方へ。愛を込めて。


さて、困ったことに、差出人の女性 -翠華氏- にも書かれている内容にも、とんと思い当たるところがない。
しかし、ここに書かれていることは何故だかとても切実なものと思えた。手紙の内容について考えると、頭蓋の奥がひりひりとする。
悪戯の類だと言ってのけるには、どうにも引っ掛かるものがそこにはあった。

幸いにも,差出人の住所は簡単に調べがついた.帝都北の高原の向日葵畑の中心の、肺や喉を病んだ人々の療養所サナトリウム
この時代、病の克服のために義躯を用いることは珍しくない。しかし、この施設に入院する者は様々な事情で義躯の装着が難しいらしい。
差出人の女性はどうやら生まれつき体が弱かったようだ。病に犯され体力は減る一方で、手術の成否は五分五分だという。

手紙に記されていた手術の日は、数ヶ月前に過ぎていた。
彼女は結局どうなったのだろう。会ったことも話したこともない、薄幸病弱の少女が気に掛かる。
丁度本日は休日であった。特に人に会う予定も、出かける予定もない宙に浮いたような1日である。
この手紙のことを抱えたままでは.何処に行って何をしても気が散ってしまうだろう。
自分の足で調べるしかないと決心がついたので、公共電鉄で療養所サナトリウムへ向かった。

晩夏の向日葵畑は人の気配もなく、勢いの減じた蝉時雨がどこか遠くから聞こえるのみだった。
風が吹き、向日葵を揺らす。夏の終わりを感じさせる様に、それらは皆俯き始めていた。

滑らかな白い壁の建物群が見えてきた。駐車場には高級車が何台か停まっていて、自動人形オートマタの警備員が巡回していた。
それは私に気付くと和かに近付いてきて,接客手順プロトコル通りの対応をした。
患者の面会に来たと伝えると、一番日当たりの良さそうな建物を紹介して去っていった。

建物の入り口には「ノギ高原療養所 患者棟」という文字と糸車の様な意匠マァクが彫られている。
受付の女性に手紙の件を伝えると、驚いた顔をして応接間へ通してくれた。直ぐに所長が来ると言う。
出された紅茶を飲みながら、手紙の内容を思い出す。暁星屋百貨店のカステラ。国外の旅行譚。病気の御令嬢。涙で濡れたお茶会。
その全てに、確かに私は覚えがない。ここに来たのは初めてであるし、国外へ行った経験もない。
果たして如何なることだろうか。何やら訳知りらしい所長に話を聞いてみるほかない。

紅茶を飲み終えた頃、白衣を着た老人が入ってきた。見たところ生身の様だが、鍛えられ日焼けした体で少し気圧された。
物腰と口調は穏やかで、私に届いた手紙の話を親身に聞いてくださった。
一通り私が話し終えると、少し考えてから彼は話し始めた。

「成程、確かに差出人の少女は、ここに入院していた人物です」
「翠華氏は確かに実在したのですね」 顔も姿も知らぬ女性ではあったが、確かに実在したことを知り、心拍数が上がる。
「手紙に書かれている内容も、看護師に確認したところ真実の様です」
「しかし、私には全く心当たりがございません。それに、彼女の手術にも間に合わなかった」
「いえ、彼は確かに間に合いました」
「彼?」
「はい。この手紙の本当の受取人です」
「どういうことでしょう」

私がそう尋ねると,所長は1枚の写真を取り出した。一目で高級と分かるスーツに身を包んだ男爵。その横には、ワンピースを着た色白の女性が並んでいる。
彼女が翠華だろうか。とすると、この男性は。

「そこに写っている男爵が、その手紙の本当の受取人でございます。彼は翠華氏をよく訪ねておりました。名の有る学者様で、世界各国で活躍されていたようです。彼女へのお見舞いは、寸暇を縫ってのことだったのでしょう。」
「彼は今,どこに」
「もう、おりません。翠華氏の手術の日、帰宅される途中に交通事故で亡くなりました」
「そんな。しかし、それでは、翠華氏は」
「手術自体は成功しました。しかし…男爵の訃報を聞いて、心を病んでしまわれました。かつて男爵に出した手紙と同じものを何通も書いては、涙で濡らして破いておりました」
「…無理もないでしょう。ですがそれでは、この手紙が私に届いた理由は」
「申し訳ないのですが、我々にもわかりません。先日、突然便箋に手紙を入れ、我々も知らぬ宛先に投函したのです」
「そしてそれが、私に届いたと」
「そのようです。ですが貴方は翠華氏とは面識がなかった様ですね」
「ええ。写真の女性にも、この手紙の内容にも…私の記憶にはありません」
「もし貴方がよろしければ、翠華氏に会っていかれますか」
「………このまま帰っても、悶々と怪しむばかりです。お願いできますか」

所長に連れられて隣の建物に移った。
暮れかけた夏の日差しがまだ眩しい。密かな人の気配と生活音。病室の空いた窓から受像機テレビジョンの音声が聞こえる。
気怠い午後の雰囲気。何か忘れているような感覚。死を内包した夏の魔力だと、何かの本で謳われていたのを思い出した。
建物の入り口には例の糸車の意匠マァクと「集中治療棟」の文字。幾つかの窓には鉄格子が嵌められていた。
受付に入り階段を登る。誰ともすれ違うことのないまま、3階にある病室に着いた。

患者名の名札には「翠華 Suika」と書かれている。
その下には幾つかのシンボル。よく分からないが、患者の状態を示すものだろうか。今は緑色に灯っている。
所長は扉の前で振り返って私に声をかけた。

「どうぞお入りください。彼女が待っております」
「所長さんは入られないのですか?」
「ええ。彼女はあなたと2人きりでの面談を所望しているようです」
「…そうですか」

緊張しながら病室の扉を開ける。中は6畳程の広さで、漂白されたように白い家具が置かれていた。
壁際の簡素な机、床に固定された角のない椅子。壁に埋め込まれた受像機テレビジョン。割れないよう配慮された特殊照明。
そして、鉄格子の嵌められた窓際。柔らかそうな寝台に少女が座り、本を読んでいた。

身長は150センチ程度。色白で、細い体躯。長い艶やかな黒髪には少し寝癖がついている。
私が部屋の扉を閉めると、彼女は読んでいた本に丁寧に栞を挟んだ。そしてゆっくりと,私の方に顔を向けた。
彼女はにこりと微笑み、その蒼い眼で私を見つめる。
沈黙が流れる。窓の向こうで微かに防災無線が聞こえる。赤み始めた日差しが差し込んでいる。
部屋の中の沈黙と、窓越しの持続音ドローン

耐えきれず、私から切り出した。

「あなたが翠華さんですか。私に手紙を送った」
本を置いて、彼女は口を開く。
「ええ、来ていただいて感謝します。躬禄ミロク754号」
「…ど、どうして私の登録名を」
「あなたはかつて男爵が所有していた自動人形オートマタでした」
「そんな馬鹿な。私は、初期起動当時から現在の勤め先で雇われています。そのような所有権の譲渡は記憶にありません」
「記憶? 愉快なことを仰いますね。自動人形オートマタの記憶なんて、あの人に掛かれば如何様にも出来ますわ」
「か、仮にそれが事実だったとして、どうして私が呼ばれたのでしょう。私には、男爵の記憶は何も残っておりません」
「そうでしょうね。でもね、私が欲しいものはちゃんと持ってきてくださったわ」

自分の荷物に反射的に目が行く。片手で持てるサイズの鞄だけ。中身は日常道具に財布にあの手紙に…。
彼女の欲しいものとは、何だ。

ひたひた、という足音に気づいて彼女の方を見る。
寝台から彼女は音もなく降りていて、ゆっくり私に近づいてきた。
その足取りは何処か優雅で、動揺さえしていなければ見惚れてしまったかもしれない。
思わず後退する。閉まった扉に背中がぶつかり、予想以上に大きな音を立てた。
彼女から目線を外せない。発声機関は不思議と枯れたように動かず、形容し難い恐怖が足をすくませる。

私の目の前に来た彼女は、不意にお辞儀をするように頭を垂れた。
何を、と思う間もなく、彼女は右手を眼孔に充てがった。
ぐい、と掌を押し込んで、彼女はその蒼い眼球を眼孔から取り外した。
ぷちり、と細い電線が外れる。義眼だ。
異人の目…果たしてそれで彼女は何を見ているのか。そんな呆けたような疑問が浮かんだ。
彼女は無言で義眼に爪をかけ、小さな電子素子チップを取り出した。
自動人形オートマタ用の情報記録素子と同じ端子…。まさか。

「これは、男爵が密かに遺した研究成果です。電子素子チップに封じた記憶と自我を,自動人形オートマタに移植する。未だ成功例は報告されていませんが…きっと彼なら成し遂げたはずです」
てらてらと光る電子素子チップを照明に掲げて、うっとりするように彼女は言った。
「い、嫌だ、やめてください。そんなものを差し込まれて、い、今の私はどうなるのですか」
「あなたの自我は後付けされた仮初のものです。当然消去されるでしょう」
「ふざけないでください。私は一個の人格として、ここにあります」
「元々あなたは男爵の実験用に購入されたのですよ。自我の後付け、上書き、定着、その実証。今のあなたの自我消去も含めて、本来の用途です」
「た、助けて下さい!所長さん!そこにいらっしゃるのでしょう!?」
ドアを叩くが返事はない。外から施錠もされている。
「止まりなさい、躬禄ミロク754号。大丈夫よ。あなたは自動人形オートマタですもの。壊れても,また何度でも直してあげますから」
彼女が空いた片手で私の顎をくい、と触る。
体が動かない。いつのまにか命令系統が変更されている。

「さぁ,男爵。私と一緒に世界を見てまわりましょうね」
彼女は電子素子チップを愛おしそうに持って、夏の夕日を背に微笑んだ。

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