日差しは窓から差す
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 財団のサイトには……というか私の務めるサイトには、中庭がない。そのため外気を直接取り込む窓は、最も外側の通路や部屋にしかない。オブジェクトが収容違反したときに簡単に逃げられないためなのだろう、と私は思っている。それはおそらく正しいことだが、今となってはそれに腹が立つ。もう1週間は外の空気を浴びていない、外の日差しを浴びていない。

 それ以外にもサイトの構造には不服な点が多い。研究室は真ん中に近いくせにカフェテリアは端っこにあったり、そのくせ購買はやけに近くにあったり、同じ見た目の鉢植えが方々の角に置いてあったり。

 サイト自体が大きな一つの収容室と考えろ、とは上司の言葉だったか。確か収容違反時の対処方法について説明をしていたときに飛び出した言葉だ。随分と配慮に欠ける。私たち職員まで収容されていると? しかしそれを言い出すことは、下っ端の私にはできなかった。

 いや。はた、と手を止める。収容されていない、などとなぜ言い切れる? 思えばこの1週間、事務作業を次から次へと押し付けられてまともに他人と話していない。その割には同僚とやけに一緒にいる。

 まさか。心は9割が否定していたが、残りの1割の不安から、一応壁に触れてみる。不安が広がる。この壁はこんなに硬かったか?

 周りを見回す。同僚と上司の姿に変わりはない。強いて言うなら突然挙動不審になった私に怪訝な顔をしているくらいだ。自分の手を見る。どこにもおかしなところはない。しかし、異常性が視覚で判別できるものとは限らない。

 少し考えて、思い至る。そもそも本当に収容されているのなら自分でどうこうは出来ないし、するべきでもない。今私がやるべきなのは、この残り最後の書類整理を終わらせることだ。手際良く手を動かす。それが終わるのに、そんなに時間もかからなかった。

 そして仕事が手早く終わってしまえば、疑惑も手早く首を出す。この白い床は収容室によく似ているし、この天井のスプリンクラーも収容室と同じものだ。そういうことばかり考える。もう仕事は終わったのでいつでも上がれる。だというのに、私の足はなかなか立ち上がることを選択できずにいた。

 ただ、そんな状況でも腹は鳴る。そして、購買の惣菜パンはこの1週間で制覇してしまっていた。おにぎりに行くという手もあるが、カフェテリアに、日差しの差すカフェテリアに行くという手もある。

 私に異常性があるとしたら、それは一体なんなのか? 私がもしこの収容室のような研究室から足を踏み出したら何が起こるのか? 私の他の同僚も収容対象なのか? 研究者である私が選んだのは、とにかく検証してみることだった。荷物を片付けて立ち上がる。

 ドアの前、心臓が鳴る。背後、同じ時間に上がる同僚に急かされるように、重い一歩をようやく踏み出した。




 そうして私は日差しを浴び、夕食の席での笑い話を手にした。

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