日没
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「よし、開いたぞ!」
 上下紫のツナギに薄茶色のサングラスをかけたドレッドヘアの黒人の男が声を上げる。
「それで、どんなお宝が入ってんだ?テディ、お前が魔法の呪文を唱えてる間にこっちの作業は終わっちまったぞ」
 捲り上げたシャツの袖から黒いファイアーパターンのタトゥーの見える白人の男は、黒い縁の厚い眼鏡を上げながら呆れ気味に声をかける。
「そう、急かすなよトミー。今から開けてやるからよ」
 はあ、そうか。と、一つため息をついて、トミーは頭を垂れた。

 財団アメリカ支部所属エージェントであるトミー・コーウェンは日本に居た。
 日本支部の解体が決定し、収容されていたオブジェクトや資料等の回収任務の為、収容回収チームの一員として最早過去の失敗例の一つと化したサイト-8181で仲間達と共に任務にあたっていた。
 この日の彼らの任務は資料の回収であった。オブジェクトは既にそれぞれ各国支部の適切な施設に移転され、後は日本支部が存在した事実を隠蔽するだけであり、これはその初期段階だった。
 トミーは長年仕事を共にしてきたセオドア・ブロンソンと二人である資料室の整理を任されていた。
 作業は順調に進んでいたが、途中一つだけ怪しげな金庫が見つかった。
 資料室内にある金庫類の鍵は全て渡されていたが、その金庫はどの鍵も嵌らなかった。
 そうとわかった途端、テディは玩具を買い与えられた子供のように興奮し、すぐに解錠作業を開始した。
 テディは解錠マニアとでも言うべき癖の持ち主だった。
 鍵のかかったものや何かの秘密等を自力で暴くことを至高の喜びとしていた。
 そんなテディの目の前に鍵の無い金庫が現れたとなればこうなると、トミーも十分承知の上であった為、残っていた二百近くの金庫から一人で資料を取り出す羽目になってしまっていた。

「さあて、俺はアリババになれるかなあ?ひらけゴマ!」
 期待に満ちた表情でゆっくりと扉を開けていくテディ。いいからさっさとやれと思うトミー。
 両者の噛み合わない気持ちを乗せて開けられた金庫の中には、若干黄ばみ始めている一冊のノートだけがあった。
「なんだこりゃあ」
 これにはテディも一気に冷静になった。自分達が聞かされていない金庫にノートが一冊。いくらかつての日本支部サイトであったとはいえ、エージェントとしては警戒するには十分過ぎた。
「どうするトミー?」
「離れてろ。俺が取り出す」
 トミーが恐る恐る金庫内に手を伸ばし、ノートを取り出す。その間、テディは腰に着けた緊急用シグナルに手をかけていた。
 じっくりとノートの表紙と裏表紙を眺める。青い厚手の表紙には何も書かれていない。意を決し表紙を捲る。各ページにはお世辞にも綺麗とは言えない筆跡の日本語の文章が並んでいるとトミーは報告する。
 いぶかしみながらもページを流して読み進めていき、全てのページに目を通し、断定した。
「これ、ただの日記じゃねえのか」
「お前日本語読めたっけ?」
「いや全然。けど定期的に日付みたいなのが出てきてるだろ?ほらこの辺」
 テディが横からノートを覗き見る。
「あー、確かに。こりゃあ日記だわ」
 ある程度の日本語の識字力を持つテディには一目で確信出来た。
「テディ」
「わーかってるよ。今日の晩飯は俺の奢りな」
 二人の間での取り決めで、解錠するのはいいが中身がくだらないものだった場合に迷惑料代わりに食事をご馳走することになっていた。勿論これは二人がくだらないと思ったものだけに限られる。
「で、どうするこれ?」
 ノートを閉じ、仰ぐような仕草を行いながらトミーが問いかける。
「まあとりあえず、他の資料と一緒に持って帰るのが妥当だな」
「じゃあそれで」
 そう言うとトミーはノートを資料の詰まったダンボールに勢い良く投げ入れ、テディと共に残りの作業に戻って行った。
 零れ落ちた、ある一ページに気づかないままに。


最初に消えたのは桑名博士だった。
去年二月、実験結果を一人でまとめていたとき、突然消え去ったらしい。
桑名博士はその可愛らしい見た目とは裏腹に、研究に関しては厳しく真面目であった為、研究者としての評価は高かった。その評価ゆえに様々なオブジェクトに関わることになり、時折オブジェクトの効果で別次元や別時間軸へ迷い込むことがあった。だから、他の研究者達も当初はまた何かの影響でどこかへと飛ばされたのだろうと考えた。

だが、桑名博士は未だ戻ってきてはいない。すぐに原因を調査し始めたが、桑名博士が直近で関わっていたオブジェクトにはそういった効果は発見されなかったという。
これだけならばここまでこの状況を気にしなかっただろう。桑名博士には悪いが、あくまで一人の研究者が失われただけならば影響は然程無い。だが、その二週間後に物部博士が消えた。

物部博士は気難しいが財団に対しての忠誠心が他の職員より遥かに多い人物だ。彼が財団に何も残さず消えるのはなかなか考えにくい、あるいは残せなかったとしか思えない。この頃から少しずつ不穏な空気が漂い始めたのを今でも覚えている。
前の桑名博士の件と合わせて物部博士の捜索も続けられたが、今に至っても何の結果も出ていない。それどころか被害は拡大するばかりだ。

エージェントカナヘビ、エージェント差前、長夜博士、それに前原博士。
これだけの人物が僅か二ヶ月で消失した。
物部博士もエージェントカナヘビも一人でいるときに消えたことから、暫定的にツーマンセルを研究者エージェント問わず徹底的に行われたが、前原博士がエージェントDと共にいるときに消失したことから、これは撤廃された。
消失するには何らかの条件があるはずだと誰もが考えているが、それさえもわからない。
この辺りの時期になるともしかすると自分が消えるかもしれないという強迫観念から、言動がおかしくなっていた奴も少なくなかった。この影響で俺の周りでも退職を申し出る奴が何人かいた。

その後も消えていく職員は発生した。
骨折博士、銀襟主任、水野研究員、天王寺博士。
これだけ事例があるのにも拘らず、何も掴めていないのは財団としては異例としか言いようが無い。
しかし俺はこの現象の解決になりかねない一本の蜘蛛の糸を掴んでいる。勿論これは既に対策班には報告済みだ。しかしだ、記憶を簡単に操作出来る俺達にとって、口伝えだけではあまり効果が無いと俺は考えている。だからこうして金庫にわざわざ日記を残したって訳だ。他のページは見なくていい。重要なのはここだけだ。

2013年11月25日、天王寺博士が俺の目の前で消えた。そのとき俺は天王寺さんと二人で天王寺さんの部屋で酒を飲んでいた。こんな状況でこれから俺達どうすればいいのかという話をしていた。どうなろうがやることやるしかねえよなと、互いを励ましあっていた。そんなときに天王寺さんが消えた。
だが、消える寸前に天王寺さんが聞こえるかどうかぐらいの小声でこう言ってたのを俺は聞き逃していなかった。

「これもうあかんわ」

天王寺さんは間違いなく何かをわかっていた。そして諦めていた。それが何なのかさえわかれば、この件は解決できるはずなんだ。
だからもし俺が消えたり、あるいはもっと最悪な状況になったとき、この状況を理解してくれる誰かに頼みたい。
この状態を終わらせてくれ。

2013年11月30日 財団日本支部所属エージェント 今宮幸雄

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