褞袍姿の客
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街路樹の常緑達が朝露の中に僅かな夜を搔き集めている最中、朝焼けは陽光を引き連れてくる。
その様子を眺めていた男は格子戸に住処をこしらえた蜘蛛を払い除けて暖簾のれんを掛けた。

店名を確かめる様に暖簾を一瞥して男は店の中に戻った。自身の仕事場に戻った男は手を洗った後に客を待つ。その間、煌めきを湛えた柳葉包丁を見つめて心を研ぎ澄ます。

ハナダイが鱗を桜色に染めて脂を蓄える紫陽花が散るに相応しい季節になると様々な客が男の腕を求めて足を運ぶ。好事家、美食家、政治家。何にしろ店の椅子に座れば男にとって全て単なる客であり、以下も以上も無い。男はただ己の理念に従って寿司を握る。

開店から半刻が過ぎる頃、1人の褞袍姿どてらすがたが玄関格子戸を静かに開けて暖簾を潜った。店主の男はやって来た客が身に着けている褞袍のきめ細やかな布地を一目見て、日々の衣食住に不自由無い人間が最初の客なのだと感づいた。格式の高さが伺える黒を基調にした店内の内装に縮み込む様子は無く、店主である男の顔を見つめると褞袍姿はただ一言だけ。

「……いいかい?」
「ああ、いらっしゃい」

店主の男から気のいい歓迎を聞けた褞袍姿は、麦藁帽を脱ぐと帽を持ったまま胸元の位置に手を当てて一礼した。
店の椅子に座るよう促された褞袍姿に店主は何を握ろうか問うた。この店を訪ねる客は皆、既にネタを知っている。寿司が楽しみだといった様子の褞袍姿は早速、最も好まれるまぐろを頼んだ。店主の男は驚いた顔をした後に言った。

「無いよ」

寿司屋の店主であるにも関わらず鮪を無いと言った。しかし、褞袍姿は落胆で肩を落とさない。それどころか注文を続ける。

「穴子」
「無いよ」

注文を止めない。

あわび
「無いよ」

止めない。

雲丹うに
「無いよ」
たい
「無いよ」

褞袍姿の目は細くなる。繰り返し注文を続けるたびに細めて行く。
やがて、江戸前寿司屋であれば備えがある筈の魚介は全て名が挙がった。そして、そのどれもが店に無い。褞袍姿は細めたままの目を吊り上げて口を開いた。

「カルビ」

男の店は寿司屋である。

「…よし!」

店主の男は頷いた。柳葉包丁を手に取らず、フライパンを手にするとタレに付け込んだ1枚の上等な牛肉を油の引いた鉄の上に敷き始めた。破竹の様にあぶらを熱で歌わせて香しさで肉を着飾る。男は焼き具合を見つつ、シャリを素早く握り、頃合いになればフライパンから菜箸でカルビを連れ出すとシャリの上に寝かせてやった。仕上げにバーナーの淡く青い炎の炙りでめかし込めば完成。

「さあ、食べてくれ。カルビ寿司だ」

カルビを頬張り、黙して堪能し続ける褞袍姿。極上の味を喉仏の下へと通すと饒舌に感想を放った。

「素晴らしい。やはり思った通りだ!寿司と呼ぶに値するか分からないと世間に言われながら己の腕を疑わず、寿司を握り続け、江戸前寿司の無謬むびゅうをあざ笑うが如く鉄人となった板前……やはり味は本物だ!」

褞袍姿の細く釣り上げた目は歓喜と興奮の涙を蓄えながら震えていた。素晴らしい素晴らしいと讃えながら頬を上気させる。続いて、カリフォルニアロールやハンバーグ寿司、エビアボカドを注文する。そのどれもが褞袍姿の舌を満足させる品だった。堪能した褞袍姿は喜びに溢れ流した涙もそのままに、店主の腕前を褒めちぎる言葉の数々を浴びせかけると、懐からハンカチを取り出してから俯いて丁寧に濡れた頬を拭った。顔を上げると褞袍姿の顔は先程と大きく様変わりして、何も感じ取れない無表情に塗れていた。

「店主、お願いがある」
「何ですかい?」
「貴方の腕を見込んでの頼みだ。これをネタにして1貫だけ……握っては頂けないか?」

褞袍姿は懐から拳2つ程の大きさをした包みを取り出した。茶色の紙で丁寧に包まれているのが判る。褞袍姿から包みを受け取ると男は封を開けた。中には瑞々しく紅色を光らせた一切れの肉があった。

「どれ程腕が良くても通常の寿司を専門に握る職人では握れない。貴方の様に変わった寿司を握り、且つ優れた腕を持つからこそ活きるネタです。詳しくは言えませんがある愛縁から手に入れまして……お握り下さいませんか?」

男は肉塊から目を離せない。これほど極上のネタに成り得る素材を手にした事は男に無い。色艶やかな表面からは凄まじい誘惑を感じざる負えない。
褞袍姿は口角を徐々に上げる。
肉塊が「握れ」と男に呼びかける。このネタで握れば今までにない最高の作品が出来るだろうと男の本能は理解する。
褞袍姿は口角を徐々に上げる。
これ程までに惹かれた経験は無いと男は過去を反芻して思う。魅了されていると感じる。「握れ」と呼ばれている。
褞袍姿は口角を上げて店主の男に問う。

「……握って頂けますね?貴方が握る寿司を過去にすると約束します。さあ、お返事をっ…!」

店主は暫しの沈黙を挟むと一言だけ。

「今、何て言った…?」
「…はい?過去にすると私は……」
「……せ」

店主の男の声は絞り出す様にか細かった。

「もう少し大きな声で……」

店主の返答を心待ちにして、最高の一貫に思いを馳せながら褞袍姿は聞き返す。店主の男は言った。

「出せ」
「……出せとは何を?ああ、お金ですか?ありますよ。御心配なされなくても大丈夫ですから、料理人には礼儀を尽くさなければならないと勿論心得ていますよ」
 
「違うッ!!お前のスシブレードを出せッ!!」
 
「…はぁっ!?」

男から放たれた答えは褞袍姿の意図とかけ離れていた言葉で構成されていたッ!!それは、スシブレードッ!!多くの者がその輝く脂の乗った栄光に魅入られ、時には覇道を得る者もいれば夢破れ栄華の前に散り行く者もいるッ!!スシブレードとは己が信念だけを手に、己が身を砕き、己が寿司を放つ市場最強のスポーツであるッ!!

「スシブレード!?一体何を…!?」
「持っていないのかお客人……構わん。それよりも俺が握れる中で最高の寿司をお客人はまだ食っていなかったよな…?」
「あ、ああ!だからその…包みの肉で握れば最高の寿司が……」
「今から存分に寿司を喰らってもらうぞッ…!!」

男は腹を立てていたッ…!!
男はその昔、技術を凝らして日々の研鑽を積み上げたにも関わらず握った寿司をことごとく邪道と切り捨てられ続けていた!!その過去は男の身を憎しみで焦がし続け、いつか必ず怒りを晴らすと決意させた!!
やがて、スシブレーダーの誇りも名も捨て、たった1つ残した己の技術だけでスシブレードの禁術を捻じ伏せると最強にして最悪の寿司を作り上げるに至ったッ!!強さだけを求めたその寿司はこれ以上ない程に男にとって最高傑作であると共に、今や男の全てである技術その物だ!!それを褞袍姿は過去にすると言ったッ…!!褞袍姿は寿司を握れるか?否である!!どんなに優れて美味しかろうと独創的なだけで邪道と非難された過去を持つこの男の前で、如何いかなるは寿司なりやと語るのは最も行ってはならなかったッ!!

男の手には2つのレンゲッ!!2つのレンゲは黒い陶器を挟むッ!!陶器の内部には黄金色に満ちた潤沢なスープと麺が龍のように白い湯気を立ち昇らせているッ!!

「そ、それは…!?」
 
「ラーメンに決まっているだろッ…!!」
 
「寿司じゃないじゃないか!!」

2つのレンゲから高速で放たれるラーメンは高速回転しながら褞袍姿の土手っ腹目掛けて直進するッ!!スープと麺とネギ、煮卵、チャーシューの質量全てが一体となる凄まじいスシブレードシュートはたった一撃で肋骨を粉砕し、内臓を破裂させ得る破壊力を持つッ!!ノーガード且つ近距離のシュートをまともに受けた褞袍姿は店の壁を突き破り、後方へと吹き飛ばされたッ!!

「寿司じゃない…?暖簾を見ていないのか、此処は闇寿司だッ…!!」

フィールド上で芳醇な出汁の香りを漂わせながらラーメンは禍々しいオーラを放ち続けていた。玄関格子戸の前に掛かる暖簾は「闇寿司」の3文字をはためかせ、営業中を知らせている。

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