東京湾の出世魚
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 折角の休日だと言うのに、その日の東京湾には午後から土砂降りの雨が降り出した。俺は午前中の釣果を抱えたまま、撤退を余儀なくされることになる。ため息一つ、クーラーボックスと竿をワンボックスカーに運び込む。

 鈴木 一誠いっせい。26歳、男、そこらへんにいるサラリーマンの一人。週に一度の釣りだけを楽しみに働くだけの、そこら中にいる二十代。客観的に見た自分はこうだ。今ならそこに"全身ずぶ濡れの"を付け足すこともできるが。

 アクセルを踏みながら、過去をゆっくりと思い出す。幼い頃の自分は  というか世の中のほとんどの人がそうだと思うが  サラリーマンなんて目指してはいなかった。俺の幼い頃の夢は、プロのスシブレーダー。そのためには努力も惜しまなかったし、小学生の頃は都大会で優勝までした。自分は将来スシブレーダーになるんだと信じて疑わなかった。

 しかし、中学に入った頃。ある事件に巻き込まれた俺はその時からすっぱりとスシブレードを辞めた。入っていたスシブレード部もやめてサッカー部に入った。サッカー部の奴らにはしばらく磯臭いとかで弄られたが、スシブレードで鍛えた運動神経を見せつけると、次第に彼らも俺のことを認めるようになった。

 そこから就職まで、寿司とは縁もゆかりもない人生を送ってきた。なのに、どうして俺は釣りなんかを趣味にしてしまっているのか。本当はまだ、海と寿司へ抱いた夢を捨て切れていないからだろう。そんなことは自分でもわかっている。だが、社会人としての立場に自分を縛ることで、俺はその情熱を無理矢理封じ込めていた。

 何故なら  スシブレードは、楽しいだけのスポーツじゃない。

 俺はそれを、知っているから。だからもういい、今俺が食べるべきは寿司じゃない。帰ったら釣果を刺身にして、それをつまみに酒でも飲もう。そう、思っていた。



 フロントガラスを、一貫の寿司が貫くまでは。

「は……?」

 飛んできたそれは  信じられないことに  未だ回転を続けていた。マグロはフロントガラスに空いた穴から、再び車外に飛び出した。シートに残った一粒の米と、フロントガラスを叩き割る威力からわかる。あのマグロ……玩具じゃない。世の中に出回ってる偽物と違って、本物の寿司、そのまま食べられるマグロ。つまり、この先にいるのは。

本物の、スシブレーダーだ。

「クソっ!」

 すぐさまここから逃げないと、巻き込まれる。世間に知られるスポーツとしてのスシブレード とはわけが違う。本物のスシブレーダーの戦いの前には、俺のような民間人などまな板に置かれた魚とそう変わらないのだから。

 Uターンするしかない。そう決意してハンドルを握り、アクセルを踏もうとした。しかし、俺は人影の正体を知り、すぐにその手を離すことになった。

「お前は」

 遠目からだが、それでも忘れるはずもない。あの人を馬鹿にしたような表情と胡散臭い白衣は。

「おや、おや。一般人を巻き込んでしまいましたか。見張りは何をしているのでしょう」

「"出刃包丁のウィーク"……!」


 それは11年前の、暑い夏の日のことだ。まだ若く何も知らなかった俺は、その日築地で行われた「U-15 Japan SUSHIBLADE CUP」で優勝し、調子に乗っていた。

 スキップなんてしながら、築地市場を一人でほっつき歩く。土地勘もないのにふらふら歩いていたせいで、俺は知らないうちに築地市場の奥深くまで入り込んでしまった。


 そこで、俺は寿司の闇を見ることになる。


「おや?見かけない顔のガキ……失礼。坊ちゃんですね。どこの子ですか?」

 そんなことを言いながらこちらに近づいてくる、黒髪に白衣の男。その背後には何人も、市場で働く人たちが倒れている。

 その時点で握れば良かったものを、俺はこの時強がってこんな答えを返したのだ。

「おれは鈴木一誠、スシブレーダーだ!」

 そう言いながら、俺は腰につけていたランチャーとプラスチックのスシブレード……"サルモン"を取り出した。馬鹿な話だ、本当に。

「スシブレーダー、ですか。ええ、ええ。いいですね、夢に燃えるその目。何も知らないその無垢な目!
  回しなさい」

 白衣の男が何かを取り出し、こちらに放つ。俺にできたのは、とっさに"サルモン"をシュートしてその何かを迎撃することだけだった。

 放たれたものがオリーブオイル漬けのイワシの握りだと気付くのと、俺の"サルモン"が弾き飛ばされて動かなくなるのは同時。そのイワシの脳天直撃を防いだのを最後に、全国大会を勝ち抜いた、俺のオリジナルカスタム"サルモン"は……鉄製パーツが真っ二つに割れて、もう使い物にならなくなっていた。

「反射的にそこまで動けたのは評価しますよ」

 そんなことを言いながら、その男は無機質な足音を響かせ、こちらへ歩いてくる。慌てて逃げようと後ろを振り返ると、そこには複数の人影が、ハンバーグやパフェなんかを片手に佇んでいた。

 そこで俺はようやく、今自分が置かれている立場に気付くことになる。そして気付いてしまえば、もう足は動かない。声を絞り出すのがやっとだった。

「な、なんなんだよ……!お前ら一体誰なんだよ!」

 その俺の問いに、白衣の男はこう、答えた。

「ワタシは闇寿司四包丁の一人、"出刃包丁のウィーク"。今知っておくべきなのはそれくらいでしょう」


 それから1ヶ月、俺は闇寿司の下っ端として働かされ続けた。「回らない寿司協会」のスシブレーダーが助けてくれなきゃあ、俺はそのまま闇寿司で一生を過ごすことになっていただろう。

 そしてこの経験のせいで、俺は夢を捨てた。その憎き仇が目の前にいる。あちらは俺のことを忘れているようだが……こちらは、忘れられるわけもない。このまま車で突っ込んで引き倒して  そう考えてから、ようやく。周囲を見渡す余裕ができて、ウィークが何をしているのか理解して、驚愕する。

 ウィークの味方と思われる人影が一、二、三、四……七。その集団に囲まれているのは一人。先程飛んできたマグロの主か。

 ……つまり、スシブレードによる集団リンチ。闇寿司の常套手段であるそれの現場だったのだ。驚くべきはそこではない。そのマグロは、既に俺の車から再び離れ、今も闇の寿司と火花を散らしている。さらに驚くべきことに、すでに四貫を葬っている。

 彼をサポートすれば、ひょっとすれば勝てるかもしれない。そんな短絡的な思考からアクセルを踏もうとして、しかし思い留まる。ウィークは、こちらを向いている。警戒されている。このまま突っ込んでもスシ・ヘッドショットされ終わりだ。

 もう打つ手立ては……いや。もう自分を誤魔化すのはよそう。一つだけ、打つ手はあるのだ。ただそれは、一番打ちたくない手でもある。

 逃げるか、挑むか。殆ど迷わなかったのは、きっと俺の中にはまだ、アニメで観たようなスシブレーダーへの憧れがあるからなのだろう。助手席のビニールに入っているおにぎりやら野菜やらの今日の晩ご飯。それらを漁り、シャリの形に成形する。闇寿司の元で働いた1ヶ月の経験を体が覚えていた。

 もうあまり時間はない、速さを優先する。サバイバルナイフを取り出し、釣果であるシーバスをぶった斬り、一切れの刺身にする。そこから少し考えて、おにぎりに、あのマグロが落としていった米粒を載せる。酢飯でないと回らない、そんな気がしたからだ。

 さあ。あとは。少し、息を、吸って  握る。そうすればもう、それは寿司だった。

 惣菜に割り箸がついてきていることに、運命に近いものを感じる。破ったパッケージをポケットに突っ込み、その割り箸を、丁寧に、しかし大胆に割る。

 それを箸で引っ掴み、お茶のペットボトルを左手に握る。回るかどうかの不安はなかった。ずっと封じ込めていた11年前の俺と"サルモン"が、その鎖を弾き飛ばし、言葉を叫んだ。

「3、2、1、へいらっしゃい!」

 解放。白身の寿司は鋭い直線軌道でフロントガラスの穴を抜け、マグロを狙っていたパフェの器を砕き、その動きを止める。

 何者だ、対応をなんて騒ぎ始める闇寿司の連中。しかしそれも一瞬のことだった。ウィークの指令で、一斉にこちらに向かってくる。

「慌てない、凡庸なスズキです。すぐに」

「躱せ、シーバスボーグSセイゴ

 名前は今決めた、どう伝えるかも今知った、こんな状況でのスシブレードは、というか、本物のスシブレードを回すのは初めてだ。だが、俺は、スシブレードの勝ち方を知っていた。手首で地面に当たる角度を調整し、スシブレードをホップさせて相手を避けるそのテクニックは、俺の得意技だったから。

 驚愕する奴等を傍目に、シーバスボーグSはアスファルトを駆け抜ける。"もっと速く走れる"、"まだ成長できる"、そう言っている気がした。

 なら、応えるまでだ。

「シーバスボーグFフッコ!」

 ……シーバスは、出世魚だ。セイゴ、フッコ、スズキと成長していくにつれ名前が変わる。味も変わる。そんな魚で作られたシーバスボーグも、当然、回っていく中で成長し、そのキレを増していく。増した速度で、ハンバーグやフライドポテトから距離を取る。

 不意打ちで一人は沈めたが、本来この手練れ達は初心者で対応できる相手じゃない、少なくともフッコでは。逃げに徹し、時間を稼いで、どうにか逃げられれば……。

「廻れ、アルティメット=Aエイジド=マグロ」

 そんな逃げ腰を弾き飛ばすかのような轟音。フロントガラスに叩きつけられたフライドポテトが、立っていた俺を再び車のシートに座らせる。

 その時初めて、ウィークの笑みに少し翳りが見えた。

 そう。そうだった。俺はあいつに借りを返さなくてはならない。逃げるなんてとんでもない。奴のアンチョビを今沈めるという不退転の決意を持って、シーバスボーグFを反転させる。間髪入れないハンバーグとの激突。あからさまな馬力の違いから、相棒が大きく弾かれる。

 "サルモン"を使ってた時に、重さの違うスシブレードへの対策は考えていたな、と思い出す。しかし、アレは重さと速さを兼ねたバランスブレイカーなんて想定していない。かろうじて追撃を避ける。とにかく今は、時間を稼ぎ、相棒の成長を待つしかない。

 その迷いが仇となった。横から飛んできたオリーブオイル漬けのアンチョビ軍艦が、シーバスボーグFを一瞬で弾き飛ばした。

 アスファルトで削られる白身、明らかに一撃で落ちた回転量。これを今までやらなかったのは、あのマグロ使いがこいつを抑えていたからだと遅れて気がついた。

 だが、その隙にハンバーグもマグロにやられていたようで。これで、形勢は1対2に逆転した。

 俺はまだやれる。そうだろ  

  シーバスボーグSZスズキ! 疾れ!」

 白身が煌々と光る。回転にキレが蘇り、その速度は上がっていく。一度弱ったからと言って、負けたからと言って、それがなんだ。一生は、何度でも、いつでも、いつからでもやり直せる。この出世魚のように。

「U-15王者舐めんなぁぁぁ!!!」

 若い頃よりも低い声、若い頃よりも少ない情熱。それでも引けない理由はいくらでもあった。正面から、アンチョビに向かっていく。

 その軌道、アスファルト上に撒かれていたオリーブオイル。スリップして、勢いを失う。無防備な体勢に、ウィークの軍艦は向かってくる。

 瞬間脳裏に過ったのは、過去の自分の相棒の、アニメの映像だった。

「シーバスボーグSZ! バーニングアタック!」



 激突。そして、燃焼。


 加速された寿司の空気摩擦により生まれた炎は油に点火し、互いを火達磨にした。こうなれば、点火しやすい海苔とさらに点火しやすい油を纏う相手より、加熱しても美味しい自分の方がダメージは少ない。しかし驚くべきことに、まだそれでも軍艦は回っていた。でも、もう決着はついた。あとは、任せればいい。

 赤身一閃。軍艦はマグロの一撃に弾き飛ばされ、そのウィークの口に入る。仰け反ったウィークは、そのまま東京湾に豪快な水柱を立てて落ちた。

 勝った。安堵、そして慌てて自分の相棒を迎えにいく。シャリもネタも焦げてしまっている状態で弱々しく回る相棒に礼を言ってから、またよろしく、と彼を掴んだ。

「なあ、アンタ。助太刀感謝するが、どこの所属だ? 闇じゃないとすると、協会か財団か?」

 と、そこに先程のマグロ使いが話しかけてくる。その問いに、俺は首を振る。

「いや、今日、はじめて寿司を回しました」

 驚愕に、彼の目が開く。無理もない、改めて俺も驚いている。

「そうか……だとしたら、アンタ大変なことになるぞ」

「?」

「これだけ正面から闇寿司に喧嘩を売ったんだ。これからしばらく闇寿司に追われることになるだろう。俺みたいにな」

 その言葉に固まる。勢いで、俺はどうやらとんでもないことに首を突っ込んでしまったらしい。

「いや、でも、ウィークはもう……」

「アイツがあの程度でくたばると思うか?潜水艦でも用意してるだろう、きっとまたお前の元に現れるぞ」

 その証拠に周りの構成員どももいなくなってるだろ、と、彼は冷ややかな現実を俺に浴びせる。

「……俺は、これからどうすればいいですかね。仕事とか」

「そうだな。とりあえずはここに行け。師匠には話をつけてやる」

 そう言って、彼は一枚の畳まれたチラシを渡してきた。受け取って俺は。よくわからないまま首を傾げる。

「いや、仕事は……」

「俺は根田一寛。スシブレーダーだ。またどこかで会えることを祈る」

 結局、彼はそれだけ言って、バイクに乗って去ってしまった。仕方がないので、チラシを開く。

   目に飛び込む、「回転寿司 勝」の文字。アニメの世界に登場する店の、文字。よく考えたら、闇寿司が実在するのだ。ありえない話ではない。

 ここに行けば、どうすればいいのかわかるという彼の言葉に、この店の名前は何より説得力を持たせてくれた。それに、どうせもう仕事はできないだろう。割れたフロントガラスと酢飯の匂い、愛車の有様に顔を顰め、湾を後にする。

 ハンドルを握りながら思い出す記憶。ウィークが東京湾に落ちる前、笑っていたような気がした。あれは、いったいどういう意味なのだろうか。

 嫌な不安を拭うように、俺は相棒を食べる。炙られたスズキは美味しかった。例え、目の前に不穏な通行止めがあっても。

to be continued…

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