涼み積塔
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その夏の夜は、いっとう賑やかな様子でありました。
父も、母も、近所に住む秤屋の爺も、茶売りの丁壮あにさまも。みなが大いに笑い、酒を飲み、お囃子の音色が一体に響く。その日はどこに行っても提灯が吊るされていて、今が夜だというのが信じられないほどに辺りは明るく照らされていました。
いつ作ったものか、村のまんなかには大きな台が組まれていて、その周りは特にきらきら光っているのです。その上で、かりん、かりん、きらびやかな音を立てる鈴を持って、姉様方が舞う。お着物がふわりと跳ねるようになびく度に、とりどりの布がそれは綺麗にゆらめいていて、その舞姿に多くのひとたちが歓声をあげています。

周りでは色々なひとが、お店のまねごとのような出し物をしていました。
赤黒く日焼けした爺が、ひんのべ、ひんのべえ、と道行く人に声をかけながら、大きな鍋に入った美味しそうな匂いの汁を振る舞っています。すこし離れたところに近所のともだちがみんなして群がっているから何かと思えば、飴売りが水飴を伸ばしていました。
何処から呼んできたのか、へんな節を付けながら何かのお話をがなっているひとまでいます。妾には話の意味は良く分かりませんでしたが、近くの大人は酒に酔った赤ら顔でがらがらと笑っているので、きっと面白いものなのでしょう。
普段とは違った様子の笑顔を見ているだけでもわたしは、何だか楽しいような、わくわくするような気分になっていました。

その日は、たのしむための日なのだそうです。
それは、たのしい事をするための催しなのだそうです。

幼い妾が初めて見るその催しを、大人たちはおまつりと呼んでいました。


[みんなの長野広報 2008年7月号]

『夏本番!思いっきり楽しめるお祭り特集』より

この禰津地区では、なんと何百年も前から続いているお祭りがあるんだそうです!
鈴鳴神社という由緒正しい神社を中心に催される納涼祭は、その地に伝わる神様を称えて、楽しい歌や踊り、食べ物などを奉納するという行事から始まったと言われています。

そんな歴史もあってか、お祭りの屋台や出し物はとっても豪華!定番のわたあめやベビーカステラなどは勿論、そば粉を使った名物のおやきに、美味しい地酒も振る舞われます。
さらにお祭りの日だけの特設ステージでは、地元の吹奏楽部や特別ゲストによる演奏、生の巫女さんによる華麗な舞の奉納も見れちゃうんです!皆さんも是非、鈴鳴神社のお祭りで、楽しい夏の思い出を作ってみませんか?


お神楽がひとしきり終わったあと、先程まできれいな舞を舞っていた姉様のうち、特に妾を可愛がってくれるサキ姉が、妾のもとへ来てくれました。
左手ゆんでには、なにやら小さな桐の箱を持っています。
見てくれてたの、まあ可愛いお着物、そんなことを言いながらサキ姉は空いている手で妾の頬を撫でました。
妾はそのすべらかな指で撫でられるのが、それなりに好きだったのです。
すこし、くすぐったくもありますが。

「今日は、あなたもお揃いなの」
サキ姉が妾に言いました。

一ヶ月くらい前から、母が今日は特別だからと言って、白い綺麗なお着物を仕立ててくれていたのです。
そのお着物は、目の前で笑いかけるサキ姉が羽織っている千早のように、所々に刺繍がなされていました。

今日の昼に届いたその着物を着た妾を、母も父も嬉しそうに見ていたのを覚えています。
ここ最近、夜になると何やら二人でぼそぼそと話し合い、時には泣いてさえいた両親が元気になったのを見て、何となく誇らしいような気にもなりました。

母は体調が優れないからと言って家の中で留守居をしているのですが、父などは、今日は何でも買ってやるとまで言い出したのです。滅多にものを買ってくれない父がそんな事を言うので、私はすこし可笑しくもありました。

その事をサキ姉に話すと。彼女はいつもの優しい口調で、今日は目一杯楽しむのよと言い、妾に笑いかけました。

そしてまた妾を撫でてくれましたが、
さっきよりも随分と、撫でる力が弱いような気がしました。


『長野県民俗誌稿』 長野県史編纂委員会

第四稿 祭祀

[中略]

特に長野県小県郡の禰津[ねつ/やつ]村に残っている祭祀儀礼は、村落共同体の特徴が習俗に色濃く反映されている例として概観することが出来る。

そもそも、この村は現在も「ノノウの里」「日本有数の巫女村」と呼ばれているように、古くから巫女による祭祀が生活に根付いていた。そのため、そこで行われるマツリも、多くの巫女で形成される共同体であるが故の文化的特徴を有していたとされる。

第三節 巫女の神託とイワイデン信仰

長野県中部に多く分布する信仰形態に「イワイデン」というものがある。これはいわゆる氏神信仰であり、山中に小規模な祠をつくり、周辺に住まう同族の人々が合同で氏神を祀る。

ここ禰津村においても、類似した信仰が見られる。同村に暮らす女性の殆どは巫女(ノノウ)の資格を有する者であったとされるが、彼女らは合同で、共通の神を祀っていた。
巫女とは神と人間の仲介を行う職業である。彼女らは神憑りによって自分たちが祀る神の意思を聞き取り、その意思に従ってマツリをしていたとされる。

当時に彼女らが何を祀っていたのか、神が禰津村の人々に何を望んだのかは、その神社の管理者や一部の村民に伝わるのみで、今なお判然としていない。
現在、祠の周囲には神社が形成されているが、今も祠は禁足地となっている。


妾はサキ姉に、その手に持っている箱は何なのかと尋ねました。
妾の顔よりひとまわりほど小さいその箱は、黒い紐で重々しく結われていて、見るからに大事なものが入っているのだろうという感じがします。

「ああ、これはね」
サキ姉は、その黒くて太い紐をしゅるりとほどいていきました。
ほどいた紐を持った右手で、箱の蓋を掴みます。
かし、と木が擦れる音がして。
妾は、箱の中を覗きます。

中には、きれいな刀が入っていました。
刀といっても、いつも母が塩魚つけどみを切るときの庖丁よりも小さく、刃の切先も鋭くはありません。
持つところと刃の間にある、まるい板のようなところからは、幾つもの鈴がつり下げられています。
もしこれを持って、それこそ刀のように振ったら、並んだ鈴がきれいな音を鳴らすことでしょう。

これは一体、何を切るためのものなのか。妾が尋ねると、
きれないものをきるんだよ、と。
サキ姉は、そう言いました。

意味は、よく分かりませんでした。

それにしても、きれいなものです。
良く見ると、至る所に細かい装飾がされてあって、鈴も刃も丁寧に磨かれています。
きっと、位の高いものなのでしょう。
こんな箱の中に入れて紐で結っているのですから、大事に大事に扱われてきたに違いありません。

そういえば。
少し前から妾の家に出入りしていた若い男のことを、突然に思い出しました。
両親と何やら難しそうな話をしていた彼も、腰に大きな刀を携えていたのです。

あれも、何か不思議な力を持っているものなのでしょうか。いや、箱には入っていなかったので、違うかもしれません。
誰だったでしょうか。詳しい名前は思い出せないのですが、この地には馴染みのない名字だったことは覚えています。
ええっと、あれはたしか────

「おおい」
振り向くと、困ったような顔で父が立っていました。
そういえば、いつの間にか父をおいて一人で行ってしまったようです。

慌ててサキ姉に別れを告げ、父のもとへ小走りで向かいます。


蒐集資料記録 第六十八號
『禰津村ニ於テ傳ヘラル竒聞及恠異之亊』

[以下、現代語訳済]

この地においては、巫術に長けたものの用いる神具として、神楽鈴ではなく鉾先鈴などと称されるものが用いられることがあったという。
これは悪鬼羅刹の類を征伐するための貴い武具として伝わっており、それを搔き払うことで鳴らされる鈴の音は邪気を退けるので、巫女の祓いに用いられた。

広い長野の地にあって、この禰津村においては特に鉾先鈴が重用されたとも云われるが、その理由は判然としない。
しかし一説には、この地を度々訪れたという呪術に抜きんでた男が、玄妙な一振りの刀剣を持っていたので、それに倣ったものとも語られる。

優れた巫女、神主の多い禰津村において、その男がいったい何をしに来ていたのかは、村に長く住まう語り爺や語り婆に尋ねても、知らないと答えるのみであったという。

その男は、自らを応神と称した。


昼みたいに光っている台の周りをきょときょと見回しながら、妾の手を引く父に、これは一体何なのかと訊きました。
何処を見ても賑やかで、まるでお正月やお盆が何年か分、いっぺんに来たようです。

聞けば、このおまつりは、十年に一度しかやらないらしいのです。
最後におまつりをしたのは、十年前。次におまつりをするのは、十年後なのだそうです。
ならば、妾がこのおまつりを知っている筈がありません。

でも、こんなに賑やかで楽しそうなものなら、もっとたくさんやればいいのに。
なんでわざわざ、十年も待たないといけないのだろう。
妾がそう思っていると、父は妾の考えを見透かしたみたいに、話しかけるともなく言いました。

あれが、そうしたいと言うから。
それに使わされるもんは、言うことを聞くしか無えんだ。

妾には、言っていることの意味は良くわからなかったのですが。
その、悲しいような、悔しいような気持ちの滲み出た父の口調を聞いて、最近の夜に泣きながら話し合っている父と母の声を思い出してしまいそうになったので。
もう、それ以上は聞かない事にしました。

「ほら、飴でも食うか。今日は何でも食わしてやるぞ」
いやに大きな声で、父はそう言いました。


[文化人類学第四調査班 調査報告]

調査地: 長野県小県郡旧禰津村
調査期間: 2011年5月2日 – 2011年5月29日 (四週間)
調査方法: 参与観察
調査目的: 広域怪異の収容に先立ち、社会人類学的な観察を行う。また、短期間ではあるが同地区の社会集団へ参与しての共同生活を通じて、今後の地元住民との円滑な交流を図る。

[中略]

また、五月の中旬ごろになると、住民の多くが参加して式年祭の準備が行われていました。ちょうど、鈴鳴神社の先代神主が亡くなってからの節目の年だったそうです。
彼の死の詳しい原因などは、当然ながら殆どの住民には詳しく知らされていないらしく、「あれにとられてしまった」という情報だけが伝わっているようでした。

式年祭を指揮していた現在の神主に聞いたところ、あれの要求は今もなお続いているそうでした。そしてその頻度も、もはや抑えきれないほどに増してきていると。
最初期は十年に一度行っていた納涼祭も、今では五年、三年、二年と、その周期を狭めてきているのだそうです。そうでもしないと、あれを抑えることは出来ないということなのでしょう。

その点で一つ、危惧していることがあります。
それこそ式年祭に代表されるように、神道においては人の死後に行われる葬送儀礼は、少しずつその周期を伸ばしていくのが慣例です。死の三日後から始まり、三十日祭、百日祭、一年祭というように。
祀られるものが現世に接触する機会を少しずつ絶っていくことで、つつがなくあちら側の世界に送り出そうとしたのだとも言われています。

では。
あれを祀る納涼祭の周期が短くなっていることは、一体何を意味しているのでしょうか。


普段の暮らしでは見たことの無い食べ物や見せ物が、そこら中に並んでいます。
隣町から来たという飴売りの男から貰った水飴は、普段食べている芋や米粉の粥などとは比べられないくらいに甘く、夢中になって舐めていました。
その後で父に連れられた屋台では、粉屋のお婆が色々なものを振る舞っていて、妾には醤油の塗られた平たい米菓子と、何か良く分からないお水を呉れたのです。

その米菓子は甘辛く、美味しいのですが喉が渇いてしまいます。だからお婆はこのお水を渡したのだと思うのですが、これが何だかへんなものだったのでした。
竹筒に入ったそれは白く濁っていて、鼻を近づけると嗅いだことの無いような匂いがします。残すのも粉屋のお婆に悪いと一気に飲み込んだのですが、何だか舌がぴりぴりとする感触が暫く残っていました。

米菓子の最後のひとくちを口に入れ、ぽりぽりと噛んでいた頃。
父は妾に、なあ、と話しかけました。

「一緒に、きれいなお屋台でも見に行かんか」

父の声は、小さくても良く響きます。妾は迷わず頷いて、妾の右手を握っている父の顔を見上げました。
おまつりの明るい灯が照らす父の顔色は、いつもより白くなっているように思えました。
村の中を歩き通して、疲れているんだろうと思うと申し訳ないような気もしましたが。きれいなお屋台、という言葉の響きに、惹きつけられていました。

どんなお屋台だろうか。
姉様方が美しく舞っていたような、お神楽の出し物か。それとも、とりどりの細工が施された可愛らしい菓子か。歌うたいや劇のようなものだったらと思うと、すこし心配です。妾にも分かるような、楽しげなものだと良いのですが。

皺だらけの浅黒い腕に引かれます。
夜市のような出し物の列が続く道を逸れて、山並みの中に在るでこぼこの小路を進む。あかりはぽつぽつと減っていき、大人たちの笑い声もとおくに消えていきます。

その道は、何度か通ったことがありました。
この地に住まうこわいものの類を鎮めたりしていて、この村の女は誰もがそこでおつとめをする、りんめい、という神社。
その参道に繋がる、薄黒い山道です。

この林を抜けた先に参道があって、そこを通れば神社が見えます。その裏手には暗い獣道が通っていると聞いた事があるのですが、行った事はありません。
そこは、妾たちが入ってはいけないところなのだそうです。
わたしたちの、世界ではないところだから。

ざくざくと、土と砂利を踏みながら進む。この先に、きれいな屋台があるのでしょうか。
確かに神社の中であれば、何かの催しがなされているかもしれません。
しかし。

その道は、あまりにも静かでした。
父の息遣いと、ふたりのあしおとが響くだけです。祭囃子はいつの間にか幽かになっていて、さりさりと擦れる草木の音に、とかされているように感じます。

何となく不思議な気持ちがして、父に話しかけようと息を吸った、その瞬間。
父が言葉を発したので、妾は話の機を失ったような感じがして、口を噤みました。
「もうちょっとで着くからな」

見ると、いつの間にか道が開けて、参道に出ていました。
道の先には、夜更けであるために見慣れないような気はするものの、覚えのある神社が見えています。
見えているのですが。

神社には、何のあかりもついていませんでした。
屋台はおろか、人が居るような気配もしません。
そこで父は、違和感を感じている妾の様子に気付いていたのか、ちいさな声で言葉を続けました。

「ああ、もうちょっとな、もうちょっとばかり歩くんだ」
この神社の、裏手を通って。
そこにある獣道の先を、進む。

妾の手を握る父の声が、随分とか細いものになった気がします。


広域怪異収容作戦実行委員会 事前調査報告 - 第五回
四班(文献調査)

[録音開始]

それでは、第四班の調査報告を行います。
今回は、あの怪異の出自に関する調査の中途報告、ということになろうかと思います。あそこの地誌などを色々と繰っていく中で、我々の班は幾つかの仮説を立てました。まずは、配布した資料をご覧下さい。

[中略]

除霊、という言葉があります。
いわゆる悪霊などを人や物、或いは土地などから取り除く、という儀礼として知られていると思いますが、実は神社やオマツリといったものを包含する神道においては「除霊」という概念はありません。

あくまでも巫女さんや神主さんが「お祓い」をして悪いものを鎮めるという場合、それは今から示すみっつの方法に大別された方法をとります。

ひとつが、自らの身に何かの影響が起きないようにと悪いものを締め出し、シャットアウトする方法。悪いものがいなくなる、という訳ではありません。
ひとつが、祠や神社を作って祀り上げ、最大限おだてて隔離することで住み分ける方法。
ひとつが、霊から邪気的なもの、つまりは厄ですね。それを出来るだけ浄化して、いわば怪異の毒抜きをするという方法。

派閥にもよりますが、基本的には、このあたりの方法をとることとなります。
恐らく、今回の怪異はこういった対処法の裡に生まれる隙を突かれて、生じたものだと考えます。


参道と神社の裏を抜けたところに在る、その道の両側には。
まるで行燈が並び立っているかのように、ぽつぽつと、赤い花が連なっていました。
森の奥へ、奥へ続く細い道。この花の連なりに従って、ぐねぐねと曲がる坂を上った先に、それは綺麗な屋台があるのだと父は言いました。

祭囃子は、とうに聞こえなくなっています。
あれだけ村中を照らしていたあかりも、大人たちの笑い声も、ここまでは届かないようです。

妾は。
何かに導かれるように、足を踏み入れました。
先ほどまでとは違い、妾が父の手を引くようにして、歩みを進める。

何だか、頭だけがふわふわと浮いている感覚がしました。ざり、ざり、という跫も、何故か頭の中で反響して、色んな所から鳴っているように聞こえる。
この先にとてもたのしいものが待っているんだという、嬉しいようなむず痒いような感情が、ちゃぷちゃぷと、頭の中にしみこんでいく。
からだの奥が、あたたかい。

ああ。
この先に、きれいなものがあるんだ。
この先にあるのはきっと、たのしいものなんだ。

そう思うと、とてもわくわくしました。


まず前提として、この禰津村に限らず、神社系の方が人間に憑いた怪異を祓うという場合はですね、それは基本的にわざわざ浄化するまでもない低級霊なんです。
だから例えば「うちの子供が狐憑きになった、祓ってくれ」となった場合、基本的にはその子供から狐の霊を追い出して、後はその家系に神の加護がありますようにと祈祷などして終わり、となります。

そしてお気付きのように、其処は巫女が住まう村。評判を聞きつけてわざわざ隣村からお祓いを頼まれるようなことも往々にしてあったでしょう。すると猶更、祓った後の霊に対する対処にも手が回らなくなります。
恐らく、基本的には先ほど挙げた三つのうちで一つ目の対処法。つまり、自らの身に何かの影響が起きないようにと悪いものを締め出す方法をとっていたのでしょうね。

それでは、結果として行き場のなくなった動物霊など、数多くの低級霊たちはどうなるか。
普通なら人里離れた山などに移り住むことによって棲み分けがされるものなのですが、如何せん此処は巫女村。他のところから来て、そして祓われた霊たちが近隣一帯にどんどん増えていきます。

境界、種族など意味を成さず、会うことの無かった筈のものたちが会ってしまう。
私たちは、ここで彼らが何らかの形で「交雑」に成功したのではないかと推測しています。

ああ、いえ、異種間の交配で生まれたという怪異の事例は、そこまで珍しいものではありませんよ。
はい。
その種が、この世ならざるものであったとしてもです。

違う動物同士でも、この世のものでなければ子を成せるんでしょうかね。その辺りは私も分からないのですが、存外なんとかなるようです。
遠野物語にも、恐ろしい「山男」とそれに拐かされた民間人との間に子供が何人も出来た、なんて話がありましたね。あの話では、成された子供は生まれた端から全て山男に食べられてしまっていたようですが。
こういう世界を研究していると、そんな話はそれなりに出てくるんですよ。

狐とか、蛇とか、蛙とか、虫とか、人とか。
死霊か生霊かに関わらず、あらゆる種がぐちゃぐちゃに喰らいあい、交わりあう。
少しだけ此岸の人間に悪さをする、そんな他愛もない低級な霊だったものは、度重なる「交配」の末に、少しずつその力を強めていきました。

そして、巫女たちが気付いたときには。
もはや原型が何だったかもわからないような、悪意の塊のような怪異が生まれてしまっていたのでしょう。


いつのまにか、坂を上り切って、平坦な道になっていました。
目を凝らすと、道の先には鳥居があって、その向こうでは木か竹で出来た骨組みを、何人かの人が囲んでいます。
あれが屋台なんだ、と思いました。


その、低級霊の成れの果てに対して、彼女ら……即ち巫女がどう対処したのかは、現時点では私たちもよく分かっていません。
蒐集院時代の記録を調べてみたりもしたのですが、どうも記録が散逸している部分があるようにも思えるのですよ。
ここについては、引き続き調査を進めていきたいと思います。

可能性は色々と考えられます。
例えば、村々の合併や何かを経て、それぞれの村落共同体の文献資料が有耶無耶に散らばってしまったケース。
これは禰津村の例に限らず、民俗誌編纂の現場でもよく起こりうるので、可能性としては一番高いのではないかと思います。

或いは、記録を保持し続けることが出来なかったというケース。
言霊信仰はご存知でしょう?地域によっては、ケガレや畏れを内包する言葉が伴ったことは、記録としても残さない場合があるんです。
例えば、誰かが怖い目に遭った、とか。
誰かが死んでしまった、とか。

私たちも職業柄、生死に関わる風習や儀式を調査することはあるんですが。たまに、そうやって「死の穢れを伴うから」と、書くこと自体がタブーになっている場合がありまして。もっと極端な事例だと、あの人はあちらの世界のものに名前を奪われてしまった、だから死者の名前を書けない、なんて事例もあるんですよ。
そういった場合も調査が難航しがちなので、注意が必要です。そういう時はインタビューや会話分析、参与観察も併用しつつという事になるでしょうね。

はい、何でしょう。
ええ。

なるほど。巫女に関する、ケガレを伴った風習ですか。
ううむ、数は少ないですが、例が無いわけではありませんね。

例えば、巫女に限らず、霊を視たり調伏したりするにも才能というか、生まれながらの貴賤のようなものがあるのですが。特にそういった力が強いひとの場合には、その御霊を神や怪異のもとに捧げるといったことも、無くはなかったそうです。
例えば、海神に仕える巫女との説もあるオトタチバナヒメは、荒れ狂う海を鎮めるために自ら荒波に身を投じたと言われていますね。まああれは神話の範疇ですが、霊的な力を持つ者を贄とする風習の原初と見ることも出来ます。

いや、勿論、実際には進んで贄になりたがる人なんて居ません。そのため、いろんなものが入ったお酒を飲ませたり、あと海外では幻覚作用のある食べ物とかを摂取させたりして正常な判断能力を失わせることもあったそうですよ。
ああ、ごめんなさい。話が逸れましたね。それでは次に、当日に用いる予定の櫓の素材について────


くらい夜道のなかで、赤い花がちらちらと光るように咲いています。
妾は何となく、それをいとおしく思いました。
まだ、咲き切らずに蕾のままになっているものもありましたが。
蛍の光のように点々と灯るそれは、とても可愛らしかったのです。

ふわふわと、あしもとがおぼつかない。

それでも、握っている父の手を支えのようにしながら、すこしずつ参道をすすみます。
足が砂と石を擦る、ふたりぶんの音にまじって、父の声がきこえてきました。

なあ。もうすぐ、きれいなとこがみえるからなあ。
なんも、こわくねえから。

痰が絡まったような、弱弱しい父のだみごえを、妾はすこし不満に思いました。
今日は、たのしむための日なのに。
これは、たのしい事をするためのおまつりなのに。

ごめんなあ。
あれが、そうしたいって言うんだ。
あれに、たのしんでもらわなきゃいけねえんだ。

父の声も、ぼわんぼわんと響いて、よくきこえなくなっていきます。
あたたかい水の中を、ずぶずぶとかきわけて歩いているみたい。
ぶ厚くて、とうめいな飴を通して、ものを見ているみたい。

数歩しか歩いていない気もするし、何十分も歩き通したような気もします。
いつの間にか、鳥居が、目の前にたっていました。

鳥居の向こうには、何人か大人の男たちがいて、彼らの中心には、腰の高さほどの、さきほど村の中心で見た台のようなものが組まれていました。
しかし、それは前に見たものよりも随分とちいさくて、貧相なものでした。妾のようなこどもでも、横になれば膝が台からはみ出してしまうくらいの広さです。

台を見ると、まんなかにぽつんと、筵が敷かれています。座布団と同じぐらいの大きさで、ひとりが座ればそれだけで一杯になってしまうでしょう。
「だいじょうぶか。ひとりで、すわれるか」
鳥居の向こうにいた誰かが、妾にそう話しかけました。

ああ、わたしが、このうえに乗るのか。
わたしは、姉様方みたいに、きれいな踊りはできないのだけれど。
それに、あんなにきれいな千早も────

いや、それはいいか。
わたしは、自分のからだを包んでいる、まっしろな着物を見る。
父と母がわたしのために仕立ててくれた、うつくしい白色の衣。
肩上げもしていないそうです。それくらい、袖も裄もわたしにぴったりと合っていました。

あんなふうに色とりどりの装束でなくても、きっと、負けないぐらいにきれいでしょう。

台のそばには、伐り出した四角い木が、急づくろいの階段のように置かれています。
だいぶ足はふらつきますが、せいぜい数段です。昇る位なら、きっと大丈夫だと思います。
父も手を握っているのだから。

とろりと下がりそうになるまぶたを、いちどだけ閉じて。
あらためて、目の前の鳥居と、その向こうの景色をながめる。

ああ。
そこでわたしは、気付きました。

目の前の、見知らぬ男たちの中にまぎれて。
ひとりだけ、みおぼえのある顔をみつけたのです。

おかあさん。

わたしは。
とりいを、くぐって、


もう、質問等はございませんでしょうか。

はい。それでは、これで第四調査班の調査報告を終わらせて頂きます。
ご清聴、誠に有難うございました。


重い。



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