今にも降り出しそうな重苦しい鈍色の空の下、男が一人歩いていた。
周りは住宅街のはずであったが、辺りには人っ子一人おらず、声さえも聞こえてこない。街全体が停滞したような、どんよりとした空気に包まれていた。
男は大きなカバンを背負い、目には眼鏡をかけていた。そしてその眼鏡の下には、にこやかな笑みを浮かべ、町に漂う暗い雰囲気と奇妙な対比を生み出していた。
しばらくすると、男は公園にたどり着いた。男は誰かいないものかと、周囲を見渡す。
……すると、彼は公園の奥の方、大きな木の根元で、二人の少年がキャッチボールをしているのを見つけた。
「坊やたち、ちょっといいかい」
男がそう声をかけると、少年たちは後ずさりし警戒する。
「えっと……あなたは誰ですか」
「ああ、怪しいものじゃないさ。旅のおもちゃ屋さんさ」
「おもちゃ屋さん?」
いつの時代も、子供は玩具が好きである。そしてそれは彼の放つ快活な空気と相まって、少なくとも一人の少年の警戒を解くのには十分な材料であった。
「ケン君、危ないよ……」
「うーん、でもさ、悪い人じゃないっぽいよ?」
「そうとも、どれ、面白いものを見せてあげよう」
男がそう言うと、大きなカバンをその場にどさり、とおろす。
そしてカバンの中に手を突っ込み、ガサガサとかき回して……一つの物を取り出した。
「なにそれ?」
男が取り出したのは、2つの羽根と細い軸を持った、プロペラ状の物。そう、それは、
「これは竹トンボって言ってね、何十年か前に流行った玩具だよ」
「トンボ?」
「えー、似てないよお。」
「うーん、確かにトンボには似てないね……でもね、同じところがあるんだよ。こいつは飛ぶのさ」
そう言うと男は竹トンボを両手ですり合わせるようにして放った。
すると二枚の羽根が風を切り、勢いよく空へと飛びあがる。
「うおー、スゴい!」
「そんなにスゴくはないよ。……でも、面白いね」
思い思いの感想を述べる子供たちに、男は突きだした指を左右に振りながら、チッチッチと舌を鳴らす。
「これだけならただの骨董品さ、でもね、これは僕の特製なのさ!」
男はカバンの中からもう一つの物……アンテナを持った、小さな機械を取り出し、そしておもむろにその機械を操作しはじめた。
するとそれに合わせ、竹トンボは複雑な動きをし始める。
「ああっ!」
「ラジコンだ!」
「ふふん、驚いたかい?」
男は得意げな表情を浮かべながら、リモコンを操りさまざまな曲芸飛行を始める。
「名付けて"プロペラ飛ン坊"、僕の自信作さ……遊ぶかい?」
そう言って男がリモコンを差し出すと、
「やるーっ!」
前に立っていた少年はほとんどひったくるようにしてそれを受け取った。
「後で代わってね!」
後ろから聞こえる声をよそに、少年はリモコンを手に構え、目標を操り始めた。
しばらくして。
「ありがとうねおじさん、楽しかったよ!」
「僕の事はおじさんじゃなくて、できれば"ドク"って呼んでくれないかい?」
男はそう言いながら、返されたリモコンを受け取る。
「わかったよ!ドク!」
「良い子だね」
「ドクはすごいんだねー」
「そうそう、おもちゃ屋さんってホントだったんだねー」
そう言われ、男はフフン、としたり顔になる。
「そうだとも。なんて言ったって僕はおもちゃ博士、おもちゃ作りの天才だからね!」
「……博士?」
男がそう言った途端、少年たちの表情が曇り始める。
「"博士"は嫌いかい?」
「……」
黙りこくってしまった少年たちに男は声をかける。
「もしかしてそれには、"財団"が関係あるかい?」
「……」
少年たちは黙ってはいたが、表情がわずかに動いた。
「やはりね……大丈夫さ、僕は財団の関係者じゃないからね」
「……ホント?」
そしてようやく、少年たちは結ばれた唇をほどいた。
「そうだとも。……もしよければ、何があったか聞かせてはくれないかな?」
「……いいのかな」
「別に告げ口なんてしないさ。ほら、何かあったんだろう?」
「……わかったよ」
そして少年たちは、語り始める。
「俺らにはもう一人友達がいたんだ、名前は俊介」
「苗字は下山だよ」
「そうそう。それでな、この間アイツと遊んでたら、頭が痛いっていいだしたんだ」
「それで、ケン君と僕がお家か病院に連れて行こうとすると、さっきまで投げてたボールが飛び始めたんだよ!」
すると、男が顔色を変え聞き返す。
「ボールが飛んだって?」
「そう、誰も触ってないのに。……まるで俊介が動かしてるみたいだった」
「……なるほど、まるでサイコキネシスだ」
「サイ……何?」
聞きなれない単語に、少年は困惑する。
「ああいや、何でもないよ。続けて」
男は「情報統制が……」などとつぶやいていたが、少年たちは追われた通り続きを話すことにした。
「それで、それを見ていた女の人がどこかに電話をかけたんだ。多分救急車を呼んでくれたんだと思う」
「でも、変だったんだ。来たのは、白くて、窓の中が見えない車だったんだ」
「それが……財団の?」
「うん……」
「博士って呼ばれてた人がリーダーみたいで、シュン君を押さえこんで無理やり車に乗せたんだ」
男は苦虫を噛み潰したような顔をし、「……なるほど」とだけ言った。
「財団の人たちは正義の味方だから、逆らっちゃだめだってずっと言われてきたからさ、動けなかったんだ、僕ら」
「それで、落ち着いてっから、すごく後悔したんだ。なんであの時、俊介を連れて逃げなかったんだろうって」
「でも、それはきっと悪い事だから……」
「君たちは何も悪くないさ、悪いのは財団だ」
男のその言葉に、少年たちは困ったような表情を浮かべる。
「だけどさドク、財団は正義の味方だってみんな言っているし……」
「君たち自身は、どう思っているんだい?」
「それは……」
再び沈黙が訪れる。
「財団は確かに正義の味方だった。多くの人を苦しめたが、より多くの人を救った」
「……」
「しかし、それは過去の話。今ではどうだい、多くの人を救うため、より多くの人を苦しめる。それが正義かい?」
「え、えと……」
「難しくてよくわからないよ、ドク」
そう言われ、男はハッとして頭を掻いた。
「ごめん、つい熱くなっちゃったね。つまり、財団をそこまでして信じることはないってことさ。君は財団をどう思っているんだい?」
「……ホントは、嫌い」
「……僕もだよ」
「じゃあそれでいいさ。無理に正義だなんて信じ込むことはないよ」
そう言って、男は二人の頭に手を置いた。
そしてその手でわしゃわしゃと髪をかき回す。
「わっ」
「僕の話はこれで終わり。難しい話になってしまったね、ごめんよ」
「ううん、いいんだ」
「お詫びに面白いものをあげよう」
男がそう言ってカバンから取り出したのは、黒くて小さな粒だった。
「それ何?」
「これは種だよ。これは僕の特別製の花でね、すぐに成長するんだ」
「お花?ドクは何でもできるんだね」
無邪気に称賛する少年に、男は自慢げに「もちろん、博士だからね」と返した。
「しかもしかも、わずかな水と光があればどんな場所でも育つんだ、とても強い」
そう言って男は種を一つそのあたりに放り投げる。
するとたちまち目が出て、1分とせずにリンドウに似た紫色の花を咲かせた。
「すごい!」
「すごいよドク!」
「ふふ、そうだとも。君たちにもこの種をあげよう。ほら」
そう言って、男は二人にひとつづつ種を渡す。
「大事にするんだぞ」
「うん!」
「絶対大事に育てるよ!」
二人に種を渡し終えると、男はカバンの口を閉じ、持ち上げる。
「さあ、僕はもう行くよ」
「え、もう行っちゃうの?」
「ケン君、邪魔しちゃ悪いよ」
「ごめんよ、いつかまたきっと会えるから」
「じゃあねー、ドク!」
「ありがとうねー!」
手を振る子供たちを背に、男は歩き出す。
雲はすっかり晴れ、空は夕焼け色に染まっていた。
空はもうすでに濃紺の色を示し、あたりはもう夜だ。
「子供に褒められたのはいつ振りだろうなあ……」
男は笑っていた。
「今度久しぶりにまた何か作るかなあ」
男は楽しいことが好きだった。
「どうしようかな……水、水がいいな。水鉄砲とか、船とか」
男の楽しみは、自分の作った物で遊んでくれる人がいることだった。
「水が……どうしよう、際限なく打てる水鉄砲?」
それは男の正義でもあった。
「それで行こうか。園芸にも使えるし消火にも使えるぞ」
だから、自分の邪魔になる財団が嫌いだった。
そして財団もまた、男が嫌いだったのだろう。
それは突然の事だった。辺りをまばゆい閃光が包む。
突如として訪れた白昼の太陽のような輝きに、男は驚き光の発生源――彼の背後だった――の方へと向き直った。
次の瞬間、凄まじい轟音と衝撃が男を襲う。男は驚き目と耳をふさぎその場にかがみこむ。
そしてしばらく経ち……男が目を開くと、遠くに巨大な影が見えた。
それは、下からの赤い光に照らされ、上へ上へと立ち上る煙、キノコ雲だった。
先程少年たちと遊んだ町があったはずの場所は、見る影もなく真っ赤に燃え上っていた。
「な、なんで……」
サイレンが鳴り響く。
「███地区にて、異常性の生物の大量発生が確認され、財団の核安全装置による無力化が試行されました!現在対象は無事鎮静化されています!近隣住民の方は、冷静に避難を行ってください!繰り返します……」
「何てこと……クソッ……」
そんなわけで、男は、財団が大嫌いだった。