命の味
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ここに幽閉されてどれくらい経っただろうか。薄暗い部屋に窓はなく、日付の感覚ももう曖昧になってしまって今が朝なのか夜なのかもわからない。ある日目覚めたら突然、足枷をつけられた状態でこの場所にいた。食事は定期的に運ばれてくるので今のところ死ぬ心配はしていないが、一体誰が何の目的でこんなところに僕を幽閉しているのか。いくら考えたところで答えにはたどり着かない。腹の虫がぐうと鳴った。そろそろ食事の時間だろうか。こんな時でも腹は減る。そんなことを考えていたらちょうどこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。いつもの食事の匂いに混じって他の匂いもしていたことにこの時はまだ気づいていなかった。

橋ヶ谷さん、お食事の時間です」

薄暗い部屋には似合わないフォーマルな恰好でそいつはいつも現れる。

「ああ、ありがとうございます…」

自分を幽閉している人物にお礼を言うなんていよいよ混乱してきている。そのことに気づいて少し笑ってしまった。

「それと今日はお仲間をお連れしました」

仲間?一体なんのことだろうか。返事をしようとした瞬間その独特の鳴き声が部屋に響いた。

川獺丸従業員?」

川獺丸従業員は何を言っているのかはわからないが、不安そうに鳴いているのはわかった。正直、苦手な人が来るより多少なりとも知っている職員がきてくれて助かったと安堵した。

「そうそう、川獺丸様もいらっしゃった事なので橋ヶ谷さんは明日出てもらいますね」

出る?一体なんのことだろう。ここから解放してくれるということならありがたいのだが、そんな雰囲気ではなかった。川獺丸従業員の顔は先ほどの不安な顔よりもいっそう険しくなっている気がした。


翌日、その時はやってきた。

「橋ヶ谷さん、出番です。こちらにお越しください」

「あ、はい」

手錠をかけられ連れ出される。まだここでは抵抗すべきではない。もしかしたらこのまま解放してくれるのかもしれない。そんな甘い考えが頭をよぎったその時、川獺丸さんが走り出した。僕に飛びつき腕に噛みつく。歯は肉に深く食い込み血液が噴き出す。

「おや」

「うわあああ!なんで!離して!」

「おやおや。これでは今日は中止ですね」

その言葉を聞いて川獺丸さんは口を離す。

「川獺丸さん…?」

「その状態では食材としては失格ですね」

「え…食材ってどういう」

「そのままの意味です。それでは私は他の食材を調達しなければならなくなったので。怪我の手当ては専門の者を寄こしますのでしばらくお待ちください」

こいつら僕たちを食べる気だったってことなのか?これから僕を調理するつもりだったという訳なのだろうか。なんにしても川獺丸さんには助けられたのだろう。

「ありがとう…ございます、川獺丸さん」

川獺丸さんは少し嬉しそうに小さく鳴いた。命を救われたことよりも、川獺丸さんに必要とされていると感じられたのがこのとき僕には嬉しかった。そう、このときはそれが何より嬉しかったんだ。


だから、僕がこのときやるべきことは。

8時間、やつはそう言っていた。8時間この中で生き延びれば解放してやると。それが本当だとしても嘘だとしてもこの際どうでもよかった。とにかく僕たちはこの極寒の冷凍庫の中で8時間生き延びなければならないということだ。今は、3時間ほど経っただろうか。腕の感覚がほとんどなくなっている。

無理だ。この寒さの中で8時間なんてもつ訳がない。
僕たちはここで死ぬのだろう。これまでのことが走馬灯のように浮かんでは消える。









いや、待て。川獺丸さんは僕を必要としてくれた。一度、救われた。ここで死なせるわけにはいかない。

川獺丸さんは僕の腕の中でほとんど動かない。動く体力もなくなってきているのだろう。このままではまずい。
僕は自分の腕に噛みついた。そのまま牙で肉を噛みちぎる。引きちぎった肉片をゆっくりと咀嚼する。あとは川獺丸さんに口移しで与える。この作業を何度か嘔吐しかかりながらも繰り返した。体は凍えているのに噛み切った傷跡は焼けるように熱い。
なんて顔してるんだ。泣かれるとこっちも困ってしまう。

残りはあと5時間程度か。このままでは5時間もたないだろう。もっと肉が、熱が必要だ。温かい肉が。
そうだ、あるじゃないか。ここに。

「川獺丸さん、そんな顔しないでくださいよ」

使えそうな道具を探し周囲を見渡す。しかし、周りには床と壁ぐらいしか見当たらない。しょうがないか。

「…川獺丸さん、僕のお腹を食い破って中に入ってください。2、3時間くらいなら生きてみせますから」

川獺丸さんは僕がこういうのを全て理解していたようだ。首を横に振っている。

「そんな顔しないでください。僕はあなたのためになれて嬉しいんですよ」

川獺丸さんを腹部に押し付ける。

「どうか死なないで」

数十分の静寂の後、僕たちの慟哭が部屋の中に響いた。


「お食事堪能していただけましたでしょうか、川獺丸様。その状態では鳴くこともできなそうですね」

食事を運んできていた男が現れる。

「十分に命の味を感じ取っていただければ幸いです。最初川獺丸様が橋ヶ谷さんに噛みついたときとはまた違った味わいが感じられたものと思います。あれがなければ冷凍庫で橋ヶ谷さんに噛みつくことはなかったでしょう」

男はゆっくりと近づいてくる。

「もちろん、川獺丸様は元の場所へお送りいたします。橋ヶ谷さんですか?欲しければお土産として包んで差し上げますが、鮮度が命ですので同じ味を味わえる保障はいたしかねます」

川獺丸従業員に触れ、目を閉じさせる。

「またのご来店をお待ちしております」

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