食事。それは人間の三大欲求の一つを満たす幸福な行為。誰しも食事に癒しを求め、そして食事に思い悩まされる。
SCP-1910-JPの監視任務が終わったエージェント・戸神は普段訪れない、少し離れた街へと昼時に繰り出していた。ラーメンは人一倍好んでいるという自負はあるが、三日三晩UFOラーメン続きでは流石に限度というものがある。一人前のエージェントとなるべく様々な任務をこなしているが、時には気晴らしも必要だ。
そういうわけで、久しぶりにラーメンと餃子以外の食事をとるべく、腹を空かせて新たな飯との出会いを求めて来たというわけだ。今はとにかく"食"に対する"欲"が強い。少し値が張っても構わないからひたすらうまいものを食べたかった。通りをすずろ歩いて腹に納める標的を値踏み始めた。
とんかつ。
サクッとした衣はラーメンには無かったものだ。ジューシーな肉の暴力に身をゆだねていくのは悪くないが、ラーメンのこってりから離れたい身としては油が少し重い。
そば。
長野で食べた上等な鴨せいろは自分のそばに対する感情を大きく変えた。とはいえ麺はしばらくいい。パスだな。
しゃぶしゃぶ。
ゴマダレよりポン酢派だ。肉も野菜もその味を引き出されながらたっぷりしっかり食べられる。だが昼から一人しゃぶしゃぶというのもなかなか寂しいものがある。
鰻。
贅沢の象徴ともいえる逸品だ。甘めのタレに山椒の風味。ふうわりした鰻とごはんとの相性は抜群だ。しかし店の看板をよく見ると本日は休業日だった。残念。
……気づくと繁華街を抜けて人気が少ない外れに来ていた。そろそろ決めるとするか。そう思い踵を返そうとした視界の端に一店の寿司屋が映った。全体で黒を基調とした外観は格式の高さを感じさせるが、不思議と庶民的な雰囲気も感じさせる。寿司か。ジャンキーなラーメンに参った身にはさっぱりした寿司は非常に魅力的だ。海鮮も長らく食べていない。
よし、決まりだな。戸神は「闇寿司」と書かれたのれんをくぐった。
「いらっしゃい」
カウンターに付くと店の親方がおしぼりを出してくれた。店内には米酢のいい匂いが広がっている。あら汁だろうか?魚介だしの匂いも混じり、落ち着いた空気に思わず肩の力が抜ける。
「お兄さん、何にします」
「とりあえず、ビール。それと……」
まずは定番のマグロからにしようか。いやまて、確か青物や白身など淡泊なものから順に頂く方が素材の味を一つずつ感じ取れると聞いたことがある。それとも、今はこの飢えを満たすべく欲望のままに注文するか。悩んだ末におすすめは、と問いかけると親方は首を下げ射るような目でこちらを見た。
「お兄さん……お疲れか?いかにも腹を空かせ飯を求めて店に入ってきたのに、食い物を前にして思い悩む。何か嫌なことでもあったか?」
「え、ええ。まぁ」
「そうか。よし俺がとっておきのおすすめをつくってやる」
そういって親方は一度裏手に下がり何かの準備をしている。何が出てくるのかいやが上にも期待が高まる。そうこうしているうちに親方がカウンターにおすすめをドンと乗せた。
「待たせたな。これが、俺のおすすめの……」
艶やかな小麦色。透き通るような黒にちりばめられた魅惑の具材。戸神ののどがゴクリとなる。
「ラーメンだ。」
エージェント・戸神は手に持っていた箸を床に叩きつけた。
「寿司屋なのに意外といけますね」
「ダシに普通使わないような贅沢な魚介をふんだんに使っているからな」
昨日は失敗だった。まさか寿司屋にラーメンがあるとは思わなかった。そのあと出されたローストビーフ寿司やカリフォルニアロールもまぁ美味しかったのではあるが、何か納得のいかない感情が胸に残ったまま店を出ることになった。今日こそは正解の食事にありつこう。中華とは程遠いもの……そうだ、洋食なんかいいんじゃないか。
そうして戸神は新たなる飢えを満たす食を求めて再び街を彷徨うのであった。
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