食事。それは眼前の物を己の血肉とする本能的行動。そこに意味を求めることは正しいのだろうか。
昨日は失敗だった。まさか寿司屋にラーメンがあるとは思わなかった。そのあと出されたローストビーフ寿司やカリフォルニアロールもまぁ美味しかったのではあるが、何か納得のいかない感情が胸に残ったまま店を出ることになった。今日こそは正解の食事にありつこう。中華とは程遠いもの……そうだ、洋食なんかいいんじゃないか。
色々と考えていると目の前に古びた洋風住宅が現れた。中を覗くと煌びやかな内装が広がっている。看板こそないもののレストランのようだ。そういえば以前この辺に、お客それぞれにあった特別な肉料理を出す店があると風の噂できいたことがある。それがこの店だったのか。よしここにしよう。どんな肉を出してくれるのかと期待に胸を躍らせながら、エージェント・戸神は「弟の食料品」のドアを開けた。
中に入ってみると思ったより広く、凝った外装に気圧された。しかし客が他にいない。
しまった、地雷か?
培ったエージェントの勘が危険信号を鳴らす。しかし、
「弟の食料品へようこそ。お待ちしておりました」
とウェイターに声をかけられたため、店から出ることを諦め席についた。レモンの香りのする水が出される。
「あの、メニューは」
「当店にメニューはございません。ですがお客様の求めるものを間違いなくご提供いたしますよ」
募る不信感。この店大丈夫か?しかし問いただすことはせずじっと料理の到着を待った。
「お待たせしました。カルボナード・フラマンド──ベルギー風ビール煮込みです」
テーブルに料理が乗せられた。さっそくナイフで筋に沿って切り込みを入れ、ソースをたっぷりのせて口に頬張る。脂肪が少ない筋肉質な肉であったが、しっかり煮込まれていて柔らかい。ソースも自分好みの味付けだ。お客様の求めるものを出すという触れ込みもあながち間違っていなかったらしい。フォークを動かす手が軽やかに進み、あっという間に一皿平らげてしまった。まだ物足りなさを感じるくらいだ。
「お楽しみ頂けたでしょうか」
いつの間にかウェイターがサービスワゴンと共に横に立っていた。食事に夢中で気づかないとはあの人がいたら大目玉だな。
「あ、はい。とても美味しかったです」
「恐縮です。それでは本日用意しました食材のご紹介をいたします」
ウェイターはワゴンの上に乗ったクロッシュを持ち上げる。その下にあったのは銀の皿に乗ったヒトの腕だった。上腕部分が先ほど食べた料理の分だけ切り取られている。
戸神は腕から目が離せない。正直人肉を食べさせられたことに驚きはあったが、心は平静で、いや、軽い高揚感があった。それより手首にある傷。見覚えがある。あの傷は。銃を構える手の袖口から見えていたものによく似ている。
「本日の食材にはとある筋から頂戴いたしました蒼井啓介様の腕を用意させていただきました」
やはり蒼井先輩のものなのか。どういうことだ。先輩はあの教会で。
「本来であれば他の部位もご提供したかったのですが、手配が整わず。申し訳ございません。ですが断面部位に適切な防腐処理を行い熟練の腕前のエージェントにふさわしい熟成を行いました」
何かウェイターが説明をしているけど耳から耳へと通り抜けていく。先輩の肉。蒼井先輩。自分の目標。あれを食らえば。
いや、駄目だ。
違う。
自分はエージェントだ。獣ではない。自分が目指すエージェントは──
「この後もこちらの食材を使用し、腕によりをかけた料理をご提供させて頂きます」
「ふ、ふざけるな!これをどこで手にいれた!」
銃を抜き、ウェイターに向ける。そうだ、それでいい。情に流されるな。欲に溺れるな。自分は財団エージェントだ。
『食えよ』
心の中の化け物が強張らせた肩に手を乗せた。蒼井瓜二つのニヤケ顔で語りかける。
『俺の肉だぞ?食えば俺を越えられるんだ』
食うことは相手を自身の体内に取り込み己の物にしてしまうこと。そう、これ以上の征服、超克があるだろうか。だがそれを食べたら、人を超えた、人でなしになる。
『俺を超えたいんだろ?エージェントなら迷えば死ぬと教えなかったか?』
やめろ、オバケめ。あなたはもう死んだんだ。もう縛られない。誰でもない、自分は自分としてエージェントになるんだ!
『今さら何を躊躇うんだ?今さら人間で居続けられるつもりか?』
やめろ。自分は人間だ。人間のまま一人前のエージェントとなる。
『お前はもうさんざん食っただろう?この──』
やめろ。それ以上は。
『人食いの化け物が』
化け物の顔が渦巻いて歪む。蒼井だった顔が別の顔へと変わっていく。そこに現れたのは、
なんだ
自分じゃないか
もう化け物だったんだ
「……セ」
「お客様?」
「オカワリヲ、ヨコセエエェェ!!」
ウェイターは恭しく頭を下げる。
「かしこまりました」
「コンフィです。ガチョウの脂肪に付け込んであります」
「パテ・アン・クルートです。パイ生地に腕肉を包みました」
「こぶしの北京ダック風です。皮と野菜をタレともに巻いてあります」
「小枝のバッファローウイングです。骨はこちらの取り皿にお寄せください」
テーブルには次々と空いた皿が積み重なっていく。戸神は一心不乱に肉を喰らい続ける。
エージェント・蒼井の右腕は跡形もなく無くなっていた。
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