十周年・十短編・十連発

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 1945年8月  終戦と共に、国内最大の超常組織はその装いを一新させた。かつての蒐集院は財団81管区、あるいは平易な表現にして「日本支部」へと姿を変える。その変貌・改革・順応の中心にいる男こそ、財団渉外部門 - 匿名高等弁務官 ハロルド・アーサー・ヒーズマン改め、日本支部理事 "獅子" であった。

「では、初回の理事定例会は以上と」

 日系人の面影を髪と目の色にしか残さない彫の深さを湛えたその顔は眉一つ動かない鉄仮面、長時間に渡る理事たちとの会議を経ても崩れることは一切ない。告げられた解散の合図と彼の孑然けつぜん荷物を纏める音、他六人の革靴や草履、杖による行進が壁に並んだ細孔に吸収されていく。

 支度を終えた "獅子" は瞑目を始める。遠ざかっていく皆の気配の中で振り返る今日の会議、整理に使う言葉はこの国への出向前と依然変わらず英語である。閉まる扉が空気を押し出した音に自然そばだたせられた耳が先程まで話していた内の一人の声を捉えたところで、彼の使用言語は日本語に戻ることになった。

「ああ、"獅子"、ひとこと最後に  と言っても、世間話程度。何か重要なことであるわけではないのだがね  

「何か?」

「この会議は確かに初回の理事会ではある。ただしそれは、君にとってだけのことだからね。気を付けて」

 それきりで理事会一小柄な老人・"升" は去っていき、"獅子" は再び思考を巡らせ始めた。ただし、日本語で。

『日本支部』成立以前も、彼らは陰陽寮や晴明院、九十九機関、そして蒐集院などとの深い関わりの下で丁々発止の活動をしてきた者たちだ。財団としての活動、ノンコウ七種の仮面を被る前から顔を突き合わせる機会も多くあっただろう。自分のみが外様であるのは間違いない。

 しかし、これからも多くのものをこの地に持ち運ぶ必要は厳然としてある。一部で行われていた非科学的・非論理的な異常実体封じ込め方法の撤廃。異常性が小規模で危険性のない物品の取り扱い方についての統一的な方針。そして非日本語圏の財団で使われている各用語の翻訳・使用遵守。

 私は、初代 "獅子" もといハロルド・A・ヒーズマンは、全ての批判の矢面に立つ必要がある。顔貌が日本人離れしているのは財団にとって幸いだろう、変革の象徴として私個人にやじりを向けられる覚悟はできている。これから10年、50年、100年のちの日本の民から異常を『確保、収容、保護』するためのことだ……ただし願わくば、次代の "獅子" は、ただ "獅子" としてのみあらんことを。

   しかし、強権と断行とによって全てを推し進める必要もない。職員たちの多くが持っている、日本で育まれた感覚や常識はまだ私に欠けている。改革には融和も必要だ……たとえば、"procedure" をあえて「プロトコル」翻訳してみせた彼の考えの奥にあったものは一体何だったのだろうか? その機微に、早く気付けるようにならなければならない  そこまで考えたところで、"獅子" もまた部屋を後にした。


4


 世界規模の超常アート展覧会、十年に一度の祭典、二十一世紀に入ってニ度目の吾等は優雅であったろう?ソム・ヌ・デヴェニュ・マニュイフィク?の会場に今、出展者として自分は立っている  正確には、自分のデザインした車椅子に座っているのだが。

 会場内をざっと見渡しても  最低限の防護のみで視線をふらつかせても大きな問題が起こらないのが『吾等は』の凄いところだ、「致死性ミーム絵画」に代表されるヴァンダリズムは "批評家クリティック" や "学芸員キュレーター" といった一流たちによって退けられる  私よりも年齢の高そうな見た目をしているのは数名ほどか。超常を操る芸術家たちの容姿がどれだけ実際を反映しているかは分からないが、多くは私と比べ三回りも四回りも若いように見える。

 若さ。素晴らしいことだ。隣のスペースで自らが作品に込めた意図を解説している彼などは、私が初めて超常の世界に触れたころの年、藝大の時分の私と同じくらいか?

 懐かしい。この世界への入口は、その頃最も親しくさせて頂いていた講師から紹介されたものだった。

 そのまま三十代はその講師に師事。作品制作から書類制作、各種の日程調整までこなす日々を倦んだことは一度もない。終身雇用の会社員という道は照らされ舗装されているが芸術の道は茨、この一般論を外挿するならば  歩きづらさが高等さに比例するわけではないが  超常芸術の道は有刺鉄線か、はたまた濃霧の中の茫漠とした雪原か。いずれにせよ、先達の存在はあまりに大きかった。

 年若き彼は……その名字を、確かに聞いたことがある。血縁の異常芸術家によって英才教育を施されたのだろうか。

 自らのアートを作り上げることの他に、異常芸術家が学ぶべきことは多い。超常の力をどのように操り、どのように活かすのか。支援してくれる異常芸術コミュニティとの繋がりとパトロンの見つけ方。そして有刺鉄線の製作者、正常性の維持と異常の拡散防止を理念とする者たちから隠れるすべ。

 それら全てを教えてくれた師は、私が四十代の峠を越えたころに病気で亡くなることになる。その頃唯一の弟子と呼べる存在だった私に遺された言葉は、自分はついに参加できなかった『展覧会』に参加して欲しい、とのことだった。

 正直なところ、最初は『吾等は優雅であったろう?』に大して惹かれてはいなかった。師の下での生活に満足していたし、自身の作品を発表する機会もあった。それでも、師が果たせなかった宿願であるならば、という思いで目標を掲げることにしたのだ。

 そして三十年が流れる。師と親交の深かった方々との繋がりを基にして小規模な個展を重ね、徐々に新たな後援者が増え、"財団" 保護下に置かれる寸前の逃亡成功を三回経験し、いつの間にか師よりも年上になってしまった。

 正直なところ、余りにも満足している。先代の願いを叶えたし、三人の次代は各々の方面で花を開かせた。前回の逃亡の際に傷を負ってしまい悪くなった両脚では、再び正常性維持団体から逃れおおせるのは難しい。この企画を機に余生を過ごすことにしようとは前から考えていた。

 ……時間も遅くなってきた、そろそろ会場を回ってもいいだろうか? 何にせよ初めての展示側、十分な勝手が分からない。弟子はスペースについてきてくれているし、任せても問題ないはずではある……幾らかの逡巡の後、ひとまず、丁度解説が一通り終わったところに見える隣の青年に声をかけることにした。

  こんにちは、作品の解説を致しま……おっと、隣にもかかわらず挨拶が遅れましてすみません。なにぶん初めての参加なものでして、ドタバタと……

 日本で生まれ育った私とは似ても似つかない綺麗なフランス語に、自分も展示側としては初参加だと返す。

  なんと! ……いえ、なるほど。今後ともよろしくお願いします……展示物からして、そちらの車椅子もご自身で制作を?

 注意が必要な質問だ。社交辞令に熱量の籠りすぎた語りをしてはいけない  やはり、すぐに新たな "事情通" たちが鑑賞に来て、話は切り上げることになった。

  おっと、時間に余裕ができたらまたお話を。では、十年後も。

 すこし面食らう。参加者たちの間で幾度も交わされていた会話終わりの挨拶「十年後も」を向けられたのはこれが初めてのことだ。次の開催となるニ〇ニ四年には米寿の人間、次代たちの介助で一応快適に暮らせていはいるが、それでも各組織に追われている身。そのころまで創作を続けていられるだろうか?

 自身のスペースに戻る。水は要るか、と声をかけてくれた弟子の顔を見ると、展覧会での疲労の中にも私を心配する色があった。

  もうかなり長時間居ます、お疲れですか。会は明日以降も続きますが、必ずしも本人が居なければいけないわけではありませんから。そろそろ退出しても問題ない頃では?

 出展者の立場というのは思っていた幾倍も疲れるものだった。弟子の言葉に賛同して、ゆっくりと荷物をまとめる。ただ、去る前に一言だけ残しておきたかった。

 あと十年はねん。次は、君の作品をきっと見に来ようじゃないか  いや、その次も、また。


5


 あなたは、今まさに、瀉血されている。
 前に突き出した右手、その静脈から赤黒い血が流れ出て、前腕を濡らしていく。

 痛みはない。むしろそのために、垂れ進む流れの先端が手のひらを撫でるにつれ感じる、強いこそばゆさが紛らわされない。動かないよう律しているあなた、その耳に、隣の祭司が小声で何らかを唱えている声が入ってきた。

 あなたの人差し指の先で血が雫を作り、ついに糸を引いて落ちていく。最初の一滴を目で追う  落ち切らない。

 瀉血は止まっていない。段々と血の糸が太くなっていく。
 段々と呪言を唱える速度が遅くなっていき、ついに止まったとき、血の糸は蛇のように鎌首をもたげた。

 重力に逆らって、血が前方に伸びていく。あなたの前に置かれた、鉄製のがらくたまで。それらは薄く小さな鉄の板だったり、螺子やナット、歯車だったりする、雑然とした集合体だった。

 ゆったりと動く血が遂にがらくたに触れる。
 見た目の変化はないが、沸騰したような、じゅわっ、という音がした。

 血の蛇はその頭を、あなたの最も近くにあった歯車に押し付け、そのまま身体を擦りながら進んでいく。
 這われた歯車は次の瞬間、その身に赤錆を浮き上がらせた。次に這われた鉄板にも一筋の錆がこびりつく。
 それはじわじわと広がっていき、三十秒もせずにがらくたは錆の塊となり、血が押し通るにつれ突き崩され、遂にはがらくたとすら呼べなくなってしまった。

「素晴らしい、これであなたは、真に我々の一員となりました」

 祭司があなたに告げる。
 教団に入ってから数年、ついに秘術を授けられる段階に来たということを示していた。

 この後は、与えられる力を鍛錬によって伸ばし、同期の仲間と共に励み、祭司の指揮下での軍勢と戦うことになる。
 未来の困難と、得られるだろう勝利の味を胸に浮かべる中、あなたは祭司がかつてした講釈を思い出した。

「我々は寡勢です。しかし、イエスと十二使徒たちもまた寡勢でした。敵を正面から相手取るべきではありません  隠密と侵入、破壊工作、罪の転嫁と不和の醸成。巨大な組織であれば、上層を疲労させ、下層と分断するのです。総身に知恵を回させないことです」

 いつの間にか、あなたの腕の出血は止まっていた。司祭の呪言によって操られ、がらくたを錆粉の土に変えた血は、その体を錆の中に潜り込ませている。

 司祭は張りつめていた姿勢を少し崩した。儀式は終わった。あなたもつられて、少し足を開く。
 あなたの肩が、司祭によって優しく叩かれた。

「期待していますよ。あなたの、私たちの上に、鉄錆の果実が実らんことを」


6


SCP-173は直視されている間は動くことができません

SCP-173 補遺1: 1993年11月23日に行われた収容コンテナの清掃の際に問題が発生しました。このときSCP-173はドアから死角となる位置にいたため、先頭のDクラス職員はコンテナに入った瞬間にはSCP-173を視認できず、首を折られて即死しました。




SCP-173 補遺2: 収容コンテナの清掃の必要性が論議され、スプリンクラーや排水設備などによる自動洗浄機構と監視カメラを設けた、入室時に死角ができない形の収容室を作成し、SCP-173を移動させる案が採択されました。




SCP-173 補遺3: 移動完了から4時間後、扼殺された状態のパーク研究員が、研究室内で発見されました。研究員は当時1人で監視カメラの動作確認を行っていました。この間SCP-173の新収容コンテナの鍵は閉まったままで、収容違反は確認されていませんでした。

SCP-173による頸部の圧断や絞殺といった攻撃は、物理的なものではなかった可能性があります。この異常性は即座に当直のHMCL主任代理に報告され、監視カメラの映像を確認する行為は禁止されました。

なお、研究員の死亡時、監視映像を映していたディスプレイからは電源コードが引き抜かれていました。これは、新たに研究室に入った人員が二次災害的に殺害されないようするために、パーク研究員が咄嗟に行ったことだとだと考えられています。




SCP-173 補遺4: SCP-173の移動から1週間が経過しました。オブジェクトが排出していると推測されている排泄物と血液の混合物は、自動洗浄機能により問題なくコンテナから除去されています。現状パイプの閉塞や破損といったインシデントは起こっていません。




SCP-173 補遺5: Dクラス職員を用いた実験で、録画映像に映ったSCP-173から視線を逸らした者も、遠隔から攻撃されることが分かりました。

特徴的な死亡状態、そして映像表示の続く画面から起きうる二次災害はインターネットの普及が進んでいる現代において隠蔽難度が増大し、SCP-173の録画映像は非常に危険なものとなりました。

これを受けて、HMCLはSCP-173新収容コンテナの監視カメラを撤去するという決定をしました。




SCP-173 補遺6: SCP-173の収容コンテナが新設されてから10年間が経過しましたが、この間収容違反や人的損害は発生していません。修理に際してコンテナ内への作業員の入室を必要とするパイプや散水設備などの故障はのべ3回あり、そのいずれでも大きな問題は起こりませんでした。




SCP-173 補遺7: 収容体制の変更から15年後の2008年10月11日、SCP-173の収容維持に新しく割り当てられたコーシー研究員の首と胴体が裂断されました。研究員が同オブジェクトの電子報告書を閲覧した瞬間のことでした。

SCP-173の攻撃能力は増大しています。攻撃は画像越しにも行われるようになりました。この事件のため、SCP-173の報告書中からオブジェクトの画像が削除されました。




SCP-173 補遺8: SCP-173の攻撃能力が今後も高まり続けると仮定すれば、最悪の場合 "SCP-173" という名辞までもが目を逸らした瞬間攻撃されるものになると予測されます。

今後、"SCP-173" を認識した者には記憶処理が施されます。また、SCP-173というスロットには偽装ファイルが用意されます。清掃設備の交換作業も人化される予定です。


2000


 財団職員になったきっかけは、YouTubeで見た一本の動画だった。

 2006年のことだ。例の、YouTubeを創業した内の誰だったかが動物園で象と一緒にいる動画、あれがアップロードされてから1年も経ってなかった頃。圧倒的な勢いで拡大する巨大なプラットフォームを瞬時に検閲しきれるような網を、当時の財団は持ってなかったのだろう。

 動画は、陰謀論なりオカルトなりのトピックを紹介しているチャンネルが上げたものだった。当時の基準でも大手じゃなかったチャンネルは、大手のように激しい脚色やストーリー仕立てをしていなかったがゆえに、その視聴者層は暇な時間が有り余っている人間ばかりで構成されていた。

 アップロード通知が届いた直後に見たその動画は「アラバマ州には "サイト-88" と呼ばれる施設があり、そこには人類を滅ぼせるような特殊能力を持った者たちが収監されている」というもので、動画を見たときの感想は「エリア51のマイナーチェンジか」くらいだった。

 一週間後、動画はチャンネルごと削除されていて、それでもうそのチャンネルとを追うことはなくなった。そのときはまだ「画面の向こうには動画を作っている個人がいる」なんてことは気にも留めていなかったから。

 同じようなことが、もう2回あった。

 消されるスピードはだんだん速くなっていったから、動画を自動でローカルに保存できる仕組みを作った  結果は、PCの容量が圧迫されるだけで終わったが。それからインターネット上で散々調べて、それも散々な結果に終わって、幾つかの陰謀論系コミュニティを渡って……暇な時間が有り余っていたんだ。

 最終的に雇用された理由は「広範な調査能力を買って」のような感じだった。人類を守るなんてカッコいい仕事、一も二もなく承諾。

 まあ、入ってからやってるのは、尾行や張り込みばかり、それも「車をどれだけかっ飛ばしても捕まらない」くらいの能力者のだが。第一印象から今の印象は大分わったが、それでいいんだ。財団だって、世界を滅ぼしたり、見るものすべての精神をおかしくさせたりするような奴らの相手ばかりじゃなくていい。そうだろ。


7


 やぁみんな! 今日が何月何日か、パッと言えるかい?

 そうだね、4月1日だ! ふつうは春休みをぐうたら過ごしているうちに分からなくなってしまうもんなんだけど。すばらしいね!

 あれ、この日を楽しみにしてたって?
 それはどうして?

 うんうん。その通りだ。今日はエイプリル・フール。どんなウソでもついていい。全部をしっちゃかめっちゃかにして、ふざけ倒して、カタい決まり事を書きかえて笑いあう日だ。

 ……もうエイプリル・フールは終わった? なんで? 今日は4月1日だよ?
 もうお昼を過ぎた? エイプリル・フールでウソをついていいのは午前中まで? ふぅん。

 そんなのはデマだよ! どうせナァ~ンセンスなイギリス人、博士のニセモノあたりがふりまいているデマ! だって、みんなで楽しんでるときに「もう午後だからダメ~」なんてつまらないだろう?

 さあ、みんなで遊ぼうね!

   まだ何かあるのかい?
 ……おっと、変なことを言うね。午前中だけじゃなくても、今日が終わればそれで終わり? まさか! つまらない仕組みにしばられないで! つまらない仕組みにとらわれないで! いつだってみんなは楽しんでいいんだ。もちろん博士もたくさんおもちゃを作るよ、いつだって! ジョーク・キャピタリズムをぶっつぶせ! 年がら年中、博士といっしょに楽しもう! 春休みは終わらないぞ!


 ちょっとコーフンしちゃったね。ごめんごめん。

 ところで、みんな。明日は何月何日か知っているかい?   そう、4月1日だ!


8


「そちらは? ビール系ですか」
「ん、この子ね、まぁそ。クラフトビール? そういう系……あんまり飲んだことないんだけど。そっちは?」

 個室で隣に座った先輩が注文用タブレットの方に一瞬目をやってから答えた。

「私は、もう見た目と名前だけで」普段は余りお酒を嗜まない人間にとって、初めて来たお店のメニューをいくら眺めたとてすぐさまこれをとなるものは無いということを、私は深く理解していた。「 "不城" っていう子です、知ってますか」

「聞いたことない  カクテルねえ、初めて見るかも?」
「オリジナルカクテルですって。ほら、お洒落な、響きだったので」

「お洒落な」に力点を置いて語る。不夜城すなわち、の先には個室とはいえ話せない暗喩があった。ここは私たちの守るべき正常な世界だから。
 先輩は少し黙して、僅かに首を振りつつ  シンプルなチェーンのピアスが揺れる  こちらに流し目をやってきて、そこで攻撃を思いとどまったようだ。

「ま、お仕事おつかれさま」の声と共に暗く赤みがかったビールが瓶から細身のグラスに注がれていく。私の "不夜城" の底に沈んだ赤と、暖かな薄明りの店内では同じ色に見えた……マドラーを軽く揺すれば、その赤が氷の隙間に浮き上がって、グラスの縁に差されたレモンのところまで登って行った。

 小さな「乾杯」の声、その「い」の形が、そのまま杯に触れる  先輩の唇はアプリコットに艶めいていて、グラスの透明感も形無しに見える、こくりという喉の音が伝わってくる、綺麗に注がれたきめ細やかな泡がその口の端に一瞬浮かんで、苦みの  

「そっち、どういう味だったの」問いかけが、部屋に響く。ハスキーな声のゲインはぐるぐる弄られている? 波のように揺れる音量。

「すごく甘くて、飲みやすいですねぇ」
「要領を得ないねえ」
「急にレポしろってのが酷な話ですよ……あ、ほら、コクなテイル。カクテルだけに」

 また、首を振られた。今度は結構上手なはずなんだけれど? おかしい。誇張した得意げな表情を見せると、呆れた声色で先輩は「一口ちょうだい」と告げてきた。

 もちろんと差し出したグラスを先輩が傾ける。氷が転げてぶつかり合う音は、細い指と薄く塗られたシアーブルーのネイルの効果音  

「結構度数高めなんだ、まぁ "不夜城" なんてネーミングならそっか。ちょっと、早かった? ペースの話じゃないけど」
「何をぅ、成年ですよ、ずっと前から。未成年……二十歳以下? 二十歳以下でウチの職員なんてほとんどいないでしょ」

「どうかなあ。案外いると思うけど……さておき、ちゃんとお水系も飲みなさいね」そういって、先輩は注文用タブレットをさっと弾いて、ソフトドリンクの欄を見せてきた。「ほら、何か希望ある?」
「では……コークな話ということで、コーラを」
「あー、そろそろそのネタから脱却したほうがいいかも」


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この記事は「恋昏崎新聞クイズ」です。

創刊100周年記念特設ページはこちら

 丁度100年前の今日、恋昏崎新聞は創刊されました。記念として社史と第一号を再掲した特設ページはこちらですがその前に、小コラムとして「恋昏崎新聞クイズ」を掲載させていただきます。三問のクイズに挑戦してみてください。【柳瀬 栄】

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3000


 古今東西、魔女のかけた、姫の眠りを解くのは何時だって、心優しき王子様のキスと決まっているものでございますが……

 はてさて、とあるところに、三人の眠れる姫がいらっしゃいました。
 姫様方は元々三姉妹で、たいそう仲良しでした。毎日互いの金糸のような髪を編みあって、毎日互いに本を読み聞かせあって。

 仲良く過ごしていたある日、三人の祖父である王様は、一つの悩み事を抱えてしまいました。もし自分が、突然倒れてしまったら、どうしよう。

 それで、王様は古い仲の魔女を呼び寄せました。「もし私が突然倒れてしまったら、三人の孫はどうなるかね」

 魔女は急な質問に面食らいましたが、顔には出しませんでした。魔女は驚かないものだからです。「王様が倒れなすったら、三人は潰れてしまうだろうね。王女様方は仲良しでいつも一緒にいるし、御じい様のことも大好きで近くにいる。それに、王女様三人を合わせても王様の方が重たい!」

「冗談はよして、真面目に答えてくれ」
「しょうがないねえ、でも、おんなじ話さ。王様が倒れたら三人はやっぱり潰れてしまうよ」

 王様はきょとんとしました。魔女はいつだって驚かず冗談を言うものだから、冗談をやめていないと思ったのです。

「王様はね、一人で倒れやしない。昔に言わなかったかい? 予言は数々あるんだ、魔女じゃないと分からないがね。ほかの魔女に尋ねたって、その魔女が良い魔女なら同じことを言うよ」
「では、安全ということか。それは良かった」
「いいや、いいや、そんなことはない。もっと悪い。王様が倒れたら、家来も民も、お姫様たちも一緒に倒れてしまうということだよ」

 それでは、どうすればいいのでしょうか。王様は人間で、魔女ではありません。いつまでも倒れないということはないのです。

 王様は少し震えてきました。「三人の姫を、倒れさせない方法はないだろうか」

 それから、王様と魔女は三日三晩をたっぷり相談にあてました。家来は少し不信がって、でも魔女様と王様だから問題ないと思って、もう一度不信がって、それを何回か繰り返すことになりました。

 さて、王様は三人の姫を呼び出して、それぞれに告げました。

 一番上の姫には「お前は虹色の泉の中で眠ってもらう」と、真ん中の姫には「お前は西の海の中で眠ってもらう」と、一番下の姫には「氷の国の中で眠ってもらう」と。

 三人の姫は、王様の言葉を信じました。最後に三人で顔を寄せ合って、少し気丈に意地を張り合いまして、これが三人の姫の初めての仲たがいでした。

 次の日の太陽が昇ったとき、三人はそれぞれ出発しました。お供を付けて、長い旅をして、言われた場所まで遂にたどりつき、そこで魔女の薬を飲んで眠りにつきました。

 今日のところは、王様は倒れません。でも、先ほども申し上げた通り、王様は自分が人間であると分かっています。

 ですから、王様は毎日思うのです。いつか自分が倒れたとしても、その後に良き国の王子様と、かれに率いられた素晴らしい家来たち、そしてまめに働く民たちが、虹色の泉に、西の海に、氷の国にたどりつくのを。


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 幻聴がある。拍手の幻聴だ。


 幼い時分に私はピアノを習っていて、月に三回は先生の下に通っていた。個人の小さなところで、教えてくれていたおばあさんは当時でも六十代か七十代だったように思う。数年前に亡くなってしまった、と聞いた。

 ほとんどは幼稚園児か小学校低学年の同年代だった。レッスンの時間が前後だった二人とは一時期友達になったが、どちらも私と入れ替わるように教室を辞めてしまって、それきりだ。その後は少し年の離れた高学年のお姉さんが入ってきたが、年齢差もあって中々話すことはなかった。

 友達は少なかったが、ピアノを弾くのは楽しく、いずれ来る発表会にワクワクしながら練習をしていた。見せられた黒い衣装のサンプルはとても綺麗で、自分がその服を着てピアノを披露し、観客を魅了する、という夢を見ていた。大人たちに上手く乗せられた形になる。

 それで、いつかの日曜日に発表会が行われた。小さいピアノ教室だったからか、同じく小規模だった近隣のエレクトーン教室やヴァイオリン教室と合同で、公民館の二階にあった小ホールでのことだった。

 私が弾いたのは『人形の夢と目覚め』だった。人前で発表するのが初めてにしては難しく、『人形の踊り』部分のテンポをかなり落として演奏したのを覚えている。それでも大きな拍手を貰えた嬉しさに、舞台を足早に降りて満面の笑みで両親のもとに駆け寄った。

 両親に挟まれて座って、そのままプログラムが進んでいく。みな初心者だったから、きらきら星の変奏曲だったりバッハのメヌエットが幾つかであったり、と定番の曲が並んでいたし、今思えば私を含めどの演奏もぎこちなかった。

 それでも、私は曲を聴いては感動して、精一杯の拍手を送った。ピアノ椅子に上がるのがやっとな子や身長がまだ低いから補助ペダルを使ってエレクトーンを弾く子、分数バイオリンを大きそうに持つ子から小学校高学年の子にまで同じだけの拍手だ。おじいさんも一人出ていてバイオリンを響かせていた。当時の私は「大人も発表をする」ということにびっくりしたが、会場の雰囲気につられて大きな拍手をした。

 合計で二十人もいなかったし、短い曲ばかりだったから発表会はすぐに終わりに近づいた。それで、最後から三番目の子の番になったときのことだ。

 その子は三歳くらいの見た目で、舞台に上がらずに席に座ってぐっと押し黙っていた。列に並んでいた最後から二番目の子と一番最後の子が、次はきみの番だよ、といったことを囁いても(これは小さい子特有の「囁きになってない囁き」で、会場全員に聞こえただろう)聞き入れない。それでも囁きが止まないので無視するのも限界に達したのか、その子はついに「いや!」と明確に叫んだのだ。

 見かねて母親が近寄って、宥め賺しながらその子が持ち運ぶはずだった譜面を小脇に抱え、両手をひいて檀上に乗せる。だが子は、今度はピアノ椅子の足に捕まって離れない。

「発表会だよ」「みんな待ってるよ」「ピアノ弾こう?」母親がかける言葉は、泣き始めすらした子の音量にかき消される。いやだ、弾きたくない、弾けない、いやだ、と繰り返しながらの嗚咽は、母に抱きかかえられてピアノ椅子に乗せられても、手を支えられて鍵盤に指を乗せられても止まず、その子はかたくなにピアノの弦を震わせない。

 私はもうどうしたらいいのか分からなかった。父を見ても母を見ても、どちらも感情を表に出さずにじっとしていた。進行を務めていた先生方も、不安げに見つめるばかりで一言も発さない。

 その子の母親がかける言葉は段々と強いものになってきている。檀上の二人はヒートアップしてしまって、どちらも譲れない。会場にいた一番小さな子は、目の前で起こっている事態が飲み込めず、つられて泣き出しそうな表情までしている。どうしたらいいんだろう。


 緊張がどこまでも高まっていったその時、私の耳に、拍手の音が聞こえた気がした。


 たまらず、つられて精一杯の大きな拍手をした。次の瞬間、自然と何人かの大人たちも拍手を始め、それで子供たちも拍手を始め、最後に両隣の父と母も拍手を始めた。

 ついに檀上の母親は子を説得して弾かせることを諦め、一礼してから子供と一緒にピアノを離れた。歩いてくる姿は、どこまでも拍手に包まれていた。

 その後、発表会はプログラム通りに進んだ。余裕のあるスケジュールだったから、終わったのも時間通りだ。ただ、家に帰ってもみんな発表会の話はせず、しばらくして私はピアノ教室を辞めた。


 そんな記憶を、アルバムに貼られた当時の写真を見て数年前に思い出してから、拍手の幻聴がある。あの日の私の演が、私自身に向けられている。

 恋人に振られるだろう予感がしたカフェでの待ち合わせ。合格レベルに達するのに十分な勉強をしていないと、やっと自覚した大学受験の十日前。バイトの面接日の前日、友人と食事してから解散するまでの帰り道、スマホゲームをしている最中……

 段々と幻聴は激しくなってきた。今はもう、止みそうにない。

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