出版業界は、長く続いた規模縮小と大小さまざまな書店の度重なる倒産にもかかわらず、ここ数年はむしろ好調であり、今年の書店の数はここ半世紀で最も多くなった。その理由は未だに明らかでない。だがしかし、私が思うに、その理由の根本には、全世界的な高齢化があると考えている。
タナトマ、この”死そのもの”という胡散臭い効果をなんとも思わなくなってから随分時間が経った。最初は皆が半信半疑だった。やれ「あなたから死を抽出して、より健康的な老後を」だの「お子さんを護れるのは、タナトマ抽出だけ」だの、詐欺まがいな宣伝文句が横行し、善良な市民を苛つかせていた。だが、少しずつ、美味しい話に裏がないと信じる一部の市民が、実際に被験者となり、その”タナトマ抽出”をうけた。効果はすぐに表れた。連日のように、タナトマを抽出していたおかげで九死に一生を得た人々が歓声をあげているニュースが報道されるようになった。また、余命数週間の末期がん患者が、タナトマ抽出を受けた結果、ガンの苦痛が完全に消え去り、腫瘍は停滞し、もはや死ぬ危険がなくなったと、笑顔で語る映像も数え切れないほどだった。
人々が死ななくなれば、当然高齢者の数は爆発的に増加する。だが心配はなかった。なぜなら皆死なないか、なかなか死ねない体になっていた。皆が溌剌としていた。タナトマという言葉が世間に浸透しきったあたりで、失業率、出産率、結婚率が上昇を始めた。また、一家あたりの子供の人数が増加をはじめ、数年のうちに教育機関がパンクする寸前までいった。人々は100歳をこえても働き続けた。そして稼いだ金を全て、タナトマ抽出か、趣味へ使うようになっていった。
そのうち時間を持て余す人々が現れた。働き口がなく、過去に得た莫大な貯金が残り、しかもあと数百年は死ぬ算段がつかないような人々だ。そんな人々が暇を浪費するために手を付け始めたものの一つが書籍なのだ、と私は考えている。特に小説の人気は破竹の勢いで増加した。あくまで憶測であるが、そういう人々は、もはやこの世界に飽きていたので、小説の中で展開される現実と似ているが全くの別世界を、心の底から楽しめたのだろう。また、自分で小説を書いて、時間を潰す人々も現れた。人一倍の人生を歩んだおかげか、そのような人々が書く物語には、ある種の頽廃的、かつ不条理な雰囲気がありつつも、有無を言わせぬ説得力を伴った人生哲学が高濃度で詰め込まれていた。
今日もまた、私が勤める出版社に、一人の老人がやってきた。彼は、幾分か衰えているように見えた。私が応対すると、老人は黙って何枚かの原稿用紙が入った封筒を差し出すと、そそくさと出版社を出て言った。私は不審に思いつつも、老人の持ち込んだ原稿用紙に書かれた物語を読んでみた。短編か掌編ほどの、非常に短い物語だった。それは、以下の様なものだった。
『タナトスの宴』
これは真実の物語である。
[略]
タナトスパーティーはいまやカーニヴァルの形相を呈していた。全員が最期の晩餐とばかりに無秩序な飲み食いを興じ、くすり、乱交、怒号、ヒステリックな甲高い泣き声、嘔吐、下品な笑い声、ボヤ騒ぎ、その他神をも恐れぬ諸々の罵詈雑言や暴力が乱れ飛んでいた。
テーブルの上ーそれはもはや意味を成していなかった。なにせ、今や酒も料理も装飾用の造花も純白のシーツも、床に放り出されていたーには、トランプタワーの如く積み重ねられたタナトマボトルがあった。タナトマについては、読者諸兄なら義務教育で習っているはずだから詳細は省くが、ここにあるボトルにはただ一つのラベル、”酒池肉林”とだけ書かれていた。どういう意味かは分からないし、分かろうとする者もいなかった。このタナトマを飲めば死ねると、みんなが信じていたし、死んでしまえば今生の世界のことを気に掛ける必要もないからだ。
そもそもの発端は、我々参加者の元に届けられた一枚の手紙だった。この時代にわざわざ手書きの手紙を、不特定多数の人間に寄こすなんて言うのは、よほどの奇人変人のすることであるが、なるほど、確かにこの会の主催者はそういう人だった。曰く、”生に疲れた者達よ、集え”、”死して自由の罪から解放されよ”、”タナトマに死を、タナトマなき生に幸いを”ということであった。今考えると全く頭のおかしい言説であるが、当時の私ーそしておそらく会に参加した大多数ーは、もはや生きることの目的を失っていた。視力、聴力は衰え、もはや芸術鑑賞を満足には行えない、その上嗅覚も衰え、舌も肥え切ったために、あらゆる料理は味気なく、ときに無味乾燥としたものに感じられた。このような有様で、いったい生き続ける意味はあるのだろうかと疑問を感じ、どうすれば死ねるか専門家に尋ねる日々であったが、返ってくる答えはきまって”もう少し生きてみましょう”であった。そんな状況だったので、この手紙の文面は、私にとって興味の惹かれるものであったのだろう。
「皆さんご覧ください! 皆様の死が、テーブルの上に!」
その男は何処からともなく現れると、演じるように、手を振り上げながら、そう言った。会場は中々に広かったが、どこにいたってその男の声が反響して、鼓膜とグラスとが震わせられただろう。男はテーブルの上に築かれているタナトマボトルー私はこれについて上で既に述べたーを骨ばって重力でも折れそうな細い人差し指で指し示すと、戦前の喜劇役者の様な足取りでテーブル上に飛び乗り、ぴょんぴょんとテーブルとテーブルを行き来する、その度に薄く白い髪の毛がふわりふわりはね、あの男にかかる重力だけが小さいように錯覚した。やがて男はタナトマボトルの塔が聳えるテーブルに辿りつくと、その異様に長い腕を伸ばし、天辺のボトルを持つと、高らかに宣言した。
「それでは皆様、ごきげんよう! タナトスに乾杯!」
ボトルの栓は開けられた。栓は宙を舞い、床に落ちたが、それより早く、男はボトルの中にあったタナトマを飲み干していた。男はまるで突風に晒されたトランプタワーのようにその肉体を崩していったが、刹那、空いたボトルを思い切りタナトマタワーに振りぬいた。ガラスの弾ける音が何十にも重なったことでかき消されたが、私は、男が低く唸るような笑い声を発するのを聞き逃さなかった。
タワーは倒れた。いくつものボトルが床や誰かの頭にあたって、中身を盛大に吐き出した。客たちはテーブルに殺到した。未開封のボトルを頂かんと、みなが必死になったが、どうしても手に入れられない者も、床に広がるタナトマを舐めようと、四つん這いになって、今日のために用意した正装が汚れるのを気にしなかった。皆がタナトマを求めていた。つまり、皆が死を求めていた。
まず、豪快にタナトマを呷った、筋骨隆々の大男が死んだ。大の字になって倒れ伏し、鍛え抜かれた筋肉はみるみる色を失っていった。その横でこっそりと男の口から零れたタナトマを舐めとった金髪の少女も死んだ。テーブルの脚にもたれかかり、眠るように死んた。私の友人で、先週も美術館巡りを楽しんだ伯爵は、最期は床に突っ伏して、長い舌をだらしなく伸ばしきったまま死んだ。純白の服はタナトマ独特の紅色に染まり、遠目からは巨大な血餅のように見えた。その服にしみ込んだタナトマを吸いだした小汚い男は、黄色い歯を見せ、満面の笑みを見せると、伯爵の背中にその死体を積み重ねた。奇妙なことも起こった。一本のタナトマボトルが空中をぷかぷか浮いているのだ。そのボトルは中空で栓を抜かれ、中身を抜かれると、重力に従って床に落下し砕けた。このどんちゃん騒ぎのため殆どが空くか割れるかしたボトルだが、一本だけはその被害を免れていた。その最後の一本を手に入れた幸運の者は、白衣を着た中年の女性だった。彼女は椅子に座ると、栓を抜き、豪快にタナトマを飲んだ。普通であればその時点で死ぬはずだが、彼女は驚くべきことに立ち上がると、空になったボトルをテーブルに戻し、再び椅子に座り直した。そして懐から煙草を取り出すと、口に加えた。そしてすぐ落とし、二度と動かなかった。
そうして、私以外の、男も女も、貴族も浮浪者も、年配も若輩者も、死んだ。私だけが、タナトマを飲みそびれた。
[略]
なるほど、題材は中々に興味深い。タナトマを物語の中心に添えるような小説は、それが当たり前の存在になってしまったためか、あまり見かけないので、新鮮な気持ちで読めた。しかし、あまりにも短いようだった。それに少々、展開が突飛すぎる。結局この小説は、私小説なのか、それともファンタジーか? 私は、もう少し内容を足して、長編小説にしてみてはどうかと考えた。原稿用紙の最後には、老人の住所と、電話番号が書かれていた。非常に疲れた文字だと感じた。
私はさっそく、老人宅へ電話を掛けた。しかし誰も出てくれなかった。一週間後も、一か月後もダメだった。これが最後と思い、何度目かもわからないが、殆ど諦めながら、老人宅に電話をかけてみた。すると、誰かがでた。私は直感的に、その声の主があの老人ではないと理解した。あまりにも若々しすぎる。
その声の主はこういった。
「老人は、もうここにはいませんよ」
それ以上は、なにも言わなかった。私も、なにも言い返せずに、電話を切った。あの声の主は誰だったのか。老人は何処へ行ったのか。今となっては、私にはわからない。ただ、「これは真実の物語である」と最初の一文で宣言したあの物語が、はたして現実なのか、まったくの空想なのか、それだけが心残りとなった。
ビルを出て、しばらく歩いた。私の中には後悔と、恥辱だけが残っている。なぜ、あのような駄文を書いてしまったのか? なぜ出版社までわざわざ持って行ったのか? 理解できない。ただ、あれを書いている時は、わがうちにある苦痛を見事に書けたと思っていた。だが、あの者に原稿を渡したその瞬間。私が書いた物語の全てが、一文字も欠けることなく、私の記憶の底、隅々から集合し、一枚の青写真となった。私は、それを見た瞬間、体の底から熱がこみ上げ、あの者の視線に一秒でも当てられるのが耐えられなくなった。私には文才などなかったのだ。いや、それ以上に、度胸がなかったのかもしれない。
しばらく歩くと街に出た。とても賑わっている。広場にはマーケットが立ち並び、商売人の朗らかな声が行きかっている。色とりどりの野菜、豊潤な匂いがする果物、幌に吊るされたソーセージ、柱に括り付けられている豚の丸焼き、どれも私には無価値なものだ。なにせ私は、幼少の頃に、”餓死のタナトマ”を抽出している。私はしばらくものを食べていない。歯茎は衰え、歯は殆ど残っていない。舌は干からびて、罅割れ、それが酷く痛むので数年前に取り去ってしまった。それでも、最低限の見てくれを気にする私は、入れ歯をつけ、仮初の舌を下あごに貼り付けている。これで外見上は、健康的な老人となる。
”老衰のタナトマ”を抽出したのは、私が高校に入ったころだった。若い頃の私は、老いの想像を怠っていた。老いを無視した。老いを考えなかった。だがそれでも完全に認識の外に置くことは出来なかった。曾祖父は一日中安楽椅子に座り、庭園を眺めていた。私は知っていた、曾祖父の目が見えていないのを。曾祖父は老いていた。曾祖父がなぜそうまでして生きているのか、私には理解できなかった。だが、気味が悪かった。老いとは、ヒトをこのようにしてしまうのか。私は曾祖父の印象を強く脳裏に刻んだ。そして、その老いが自分にもたらされるのが怖かった。私は殆ど衝動的に病院にかけこみ、抽出を受けた。それからある日、母が私に、曾祖父は死んだと告げた。理由はわからなかった。棺桶に収められた皮と骨だけの肉体。目は、まだ庭園を見つけているつもりであるかのように、見開かれていた。
私は今や、考え得る限り全ての死を克服した。老いで死なず、飲まず食わずで死なず、あらゆる癌で死なず、あらゆる事故で死なず、あらゆる薬品で死なず。私の育った環境が、私からあらゆる死を捨てさせた。そして私は、孤独な老人になった。私は後悔している。老衰は、人が得られる最上の幸福である、この歳になってようやく気付いた。この大馬鹿者。関節が痛み出す。まだ数分も歩いていない。医師によれば、もうじき寝たきりだそうだ。知っている。私はもうじき死体となる。生きながら死に続ける。それが私の運命。
広場の片隅は影になっている。あそこはいつだって影で、常に湿っている。そこにテントが置いてある。私はその中を覗き込む。家主は私に気が付く。
「なにをお求めで」
家主の傍には、数々のタナトマボトルが置かれている。ボトルにはまっている栓は、すべて経年劣化の兆候を示している。値段は安い。いくらでも買える。家主が売るすべてを買うことができる。だが、私は買わない。テントを後にする。家主が袖を引っ張ってくる。家主の顔は、あの男に似ている。私に死をもたらしてくれたはずの男。なぜあのとき、タワーを崩したのか。なぜ、参加者全員が死に切れるほどのタナトマを用意してくれなかったのか。憎しみが湧き出てくる。なぜ私は死ねないのか。なぜ私は生きているのか。この、私になにも与えてくれないこの男が、私を引き留め、なにができるというのか、私を救済できるというのか、このような劣悪なタナトマで、このような奴隷根性を纏わす男になにができるのか、死によってしか救われない私を
「あんた、死を救いだと思ってるね。私はこれの商売をして長いから、あんたみたいなのは沢山見てきたぞ。死なずの者。だがね、あんたみたいな奴は、死が救いだと考えているようだがね、少なくとも、それは無理な相談だ。死は救済じゃない。少なくとも、流通する死では、あんたは救われない」
私は気が付いたときには、あのテントの中身を根こそぎ買い取っていた。私の目の前にはボトルが並んでいる。全て空になっている。私の中で、多様な死がまぜこぜになっている。
臓物が死んだ。神経が死んだ。鼓動が早まり、血が全身を流れているのを実感する、ああ、意識が遠ざかる。視界が明滅する、いや、虹色に輝きだす。脱力し、硬直し、肺が弾け飛び、脳がスポンジのように穴ぼこになる、毛穴から蒸気が湧きだす、心臓と、血管だけが、私の肉体を構成するかのようだ、もうじき、意識すら不要になるだろう いや もはや すべてはいらない 必要なのはタナトマだけだ もっと もっとのもう 宴の続きをはじめよう グラスをとり 我が救いの神へ この命を捧げよう
おお タナトスよ 私を連れて行き給え
今日もまた、老人が運び込まれてきた。自宅で発狂している彼の聞くに堪えない濁声を数週間も聞かされ続けた、近隣住民の通報によって、老人はここに運ばれてきた。老人は昏睡し、ベッドに磔になっている。予定では、あと3時間ほどで意識を回復するはずだ。このまま眠り続ける方が、彼にとっても、ここにとってもありがたいことであるのは明白だ。ここにいるのは、そういう連中ばかりだ。ひどく衰弱した老人か、継ぎ接ぎだらけの肉体をもった年齢不詳のなにかだ。
老人の家には、多種多様な、下劣なタナト―マが僅かにこべりついた瓶が、幾つも残されていた。幾つかは粉々に割られ、幾つかは老人の嘔吐物か排泄物か分からない何かで満たされていた。だが、消費されていないものは、1つもなかった。常人の数倍―正確な量は未だに明らかでない―の死を摂取し、されど死を持たなかった哀れな老人は、体内で混じり合い渦潮のように全身を駆け巡る死を感じながら、発狂したのだ。
老人は戯言を呟いた。老人は、自分が死んだ夢を見ていた。棺桶の中に担ぎ込まれ、蓋は閉ざされ、深く掘られた土の中に埋められる夢だ。皮肉なことに、夢を見られるのは生者だけであって、老人が夢を見ている事実が、老人が死んでいないのを証明していた。
呼び鈴がなった。ここでは、こんな有様の連中であふれていた。誰もが、夢見と覚醒を繰り返していた。夢で死に、現実で生き続ける人々だ。やがて土に埋められ、墓石に名を刻むことなく、この星の歴史に埋葬される人々だ。鈴の音は、ここの容量がこの老人が入ってきたことで一杯になった合図だ。今日もまた、ここから一人、即身仏が誕生するのだ。