寛解
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摘出

不死身の爬虫類は眠っていた。もう数年は死に続け、回復し続けた肉体は、数十年ぶりに停止した。爬虫類の体の所々から、ワームのようなチューブが伸びていた。チューブのなかは麻酔薬で満たされていた。この麻酔薬は、財団の麻酔薬学と記憶処理学の集大成的な逸品と見做されていた。あらゆる生命体を瞬間的に昏睡させる致死性の液体だ。

だらしなく開かれた爬虫類の大口に、ひときわ大口径のチューブが挿入された。そのチューブの先端には、髪の毛ほどに細い針が付いており、爬虫類の大動脈まで到達すると、そこを流れる灰色の血を吸引した。チューブは巨大なタンクと接続されていて、そこへ血が溜まっていった。爬虫類は、微睡ながら、体内に何かが入ってきたことを知覚していたが、なにかを抽出されたことには全く気が付かなかった。

「吸引終わり、回収開始」

無機質で静かな声が響いた。タンクは大型のクレーンに挟まれ、どこかへ運ばれていった。爬虫類は眠っていた。


講義1

開講日: 20██年██月██日
講師: ██博士
講義名: SCP-682、その苦痛の根源

(中略)

結論から言うと、SCP-682が有する擬液相性致死的事象は、SCP-682に対して多大な苦痛を齎している可能性が高い。そう私が思う理由を、今からお話ししよう。

まず、SCP-682の血液が劣悪である。血液の、おそらく抗凝固のシステムに不具合があるため、血栓がいくつも出来ている。これでは、まともに血液を体中に循環させることなど不可能に思えるが、████らの研究によれば、SCP-682は異常なまでに心筋が発達しており、血圧が常時キリンの首回りよりも高く、駆出量も膨大なものであるようだ。また、SCP-682の高い再生能力がある。SCP-682の末梢部の毛細血管の研究をした████上級研究員の報告によれば、SCP-682の血管壁はどこもかしこも脆く、なかでも毛細血管は、ほとんど原型を留めないほどに破壊され続けている。つまり、尋常でない量で一気に駆出された血栓だらけの血液は、ボロボロになった血管を無理やり爆走、結果として細く血管壁も薄い毛細血管などは、心臓から血液が駆出されるたびに破れ、瞬時に回復し、また破れを繰り返している。想像してみてほしい。君の心臓が収縮するたびに、全身にとげとげの諸刃が弾丸の如き速度で駆け巡るのを。SCP-682の体内では、まさにそのようなことが起こっているのである。

SCP-682の血液事情をこれ以上言ってもキリがないため、ここからは、そんな血液から分離された擬液相性致死的事象について話していく。そもそも、元となる血液がこのありさまなので、擬液相性致死的事象も非常に質が悪い。世界保健機構が定めた擬液相性致死的事象の品質基準に当てはめると、SCP-682の擬液相性致死的事象は最低ランクのD評価、その中でも特に質の悪いD-である。これは、適切な設備を用いて使用した場合でも、最低100Lの高濃度溶液を直接投与しないと死にきれないことを意味する。現在、我々が保管している擬液相性致死的事象を、全て高濃度溶液にしても、精々実験用マウスを死に至らしめるのが限界である。

またその性質も厄介である。SCP-682の擬液相性致死的事象は、多数の死の因子が、もはや見分けが付けられないほどに複雑に絡み合い、混沌とした状態になっている。故に、SCP-682の擬液相性致死的事象を誤って少量摂取してしまった場合、その生物は不特定多数の死の因子を体内に入れ込むことで、多くの中毒症状に見舞われるだろう。試しにラットを用いその効果を確認したが、私が観察した限りでも、発熱、嘔吐、下痢、痙攣、短期的な摂食障害、長期的な運動機能障害、失明、嗅覚の欠如、癌細胞の激甚な増殖などが確認できた。

(中略)

SCP-682は、報告書にも書いてある通り、全生命を憎悪している。我々は、この憎悪がどこから発生しているのか考えてこなかった。少なくとも、そのようなことを考察する報告は、今までに1つもない。だからこそ私たちは、SCP-682との、限界ギリギリの力関係を維持し、綱渡り的な収容体制を固持せざるを得ないのではないだろうか。SCP-682に勝利する、力関係で完全に優位に立つ、そしてあわよくば破壊して無力化、そんな考えに執着しているから、却って我々はSCP-682に脅かされ続けているのだとしたら? 君たちはどう考える? ここまでの私の話を聞いてみて、君たちはSCP-682に対して、どのような印象を覚えただろう? ぜひ教えて欲しい。

私からは以上だ。良き財団職員生活を祈る。



寛解

奴らは俺の中から、全てを取り除いていった。あの日、突然の睡魔に襲われ、適応する間もなく意識を失ってから。思えば、あの瞬間から事態は変わっていたんだ。

奴らは実験を繰り返した。俺は、麻酔に適応をして、むしろ否定して、奴らを皆殺しにすることができた。だがしなかった。できなかった。しようとしたが。精神は動こうとしたが。肉体は、どうしようもなく、俺を眠らせた。そして、そのたび、俺は、俺は

蘇っていった。

ああ

なんて心地いい


提案1

SCP-682のオブジェクトクラスをKeterからEuclidに再分類することを提案します。SCP-682はもはや残忍性・狂暴性を持ちません。ここ10年の間、SCP-682の収容室に入って、生きて帰ってこなかった人員は、一人もいません。SCP-682は一日の大半を寝て過ごし、起きている間は、収容室内を歩き回るか、爪を研ぐか、ゴロゴロするか。それだけです。収容違反を起こす意思すら、今では確認できません。詳しくはSCP-682の実験記録をご覧ください。きっと納得していただけると思います。



予後1

最後に死んだのがいつだったかを思い出そうとする。俺の全細胞に信号を送り、俺の死の記憶を取り出そうとする。死の記憶は、どんなに俺の肉体を回復させても、いやむしろ回復するからこそ、巨木の年輪のように、その痕跡を残す。

ふと、我に返る。なぜ俺は死の記憶を思い出そうとしたのか? それが俺にとって必要なのか? 俺にとって必要なのは、自分自身の死ではなく、全生命の、断末魔を伴った、死の記憶だ。それを思い返すことが、俺の精神的な養分となる。なにも、俺の死をわざわざ思い出さなくても良いはずだ。俺にとって、それがひときわ重要であると了解できない限り。

俺はなにか、大事なことを忘れていないか? この昔に比べて少々広くなった収容室のどこかに、なにか俺にとって大事な―どう大事かなんて分かりっこない。それを言葉にするのは、俺自身を構成する全てを説明するに等しい―なにかを落としてしまって、盲目白痴になった俺は、それをいつまでも見つけられず、いや目の前にあるか、俺の内に未だあるにも関わらず、そのなにか大事な記憶をその他の他愛もない記憶と区別できなくなっているのかもしれない。

体中の痛みを感じ、不眠に苦しみ、躁鬱に苦しでいたころを思い出す。そのころは、誰一人、俺の傍にやってはこなかった。代わりに、生命の臭いがしない、鋼鉄のアームが俺の体の熱を冷やそうとして、俺の頭や、胴体に寄り添った。俺は度々、この物言わぬ存在に苛つき、破壊を試みた。アームは収容室の壁まで弾け飛んだ。アームには、巨大な何かが勢いよく衝突してできる陥没痕が出来ていた。ひしゃげて捲れた鉄の皮膚の内からは、血管の様な色とりどりの線が見えた。俺は、それを見て、知らない感情、憎悪や憤怒からは生じ得ない正体不明の感情を、感じていた。俺は困惑した。以後、俺はアームにあたることができなくなった。

次に、痛みを感じ続けたために、痛みを感じなくなった俺を思い出す。その俺は、いうなれば、死なないために死んでいた。つまり、その痛みのために死ぬ前に、特に痛む細胞を殺すことで、新たに痛まない細胞を創り出すのだ。それを永遠と続ける。全細胞に対して。そのたび、俺の中に漆黒の何かが生まれ出た。

そうだ、これだ。これが俺の忘れていた記憶だ。この漆黒の何かが、俺に必要なものだ。いや違う、俺はさっき、なんて言ったんだ? 俺に必要なモノはなんだ? 俺は なんだ


講義2

開講日: 21██年██月██日
講師: ███博士
講義名: SCP-682の変遷と財団史

(中略)

SCP-682がEuclidになってから、長い時間が経った。君たちにはこんなことを言ったって実感の薄い話かもしれないが、SCP-682は、本当に財団の脅威として、破壊の対象として、収容が行われていた。SCP-682に関しては、財団の理念ー確保・収容・保護のことだーは不完全にならざるを得なかった。君たちのなかには、既に映像資料を見て知っているかもしれないがね。再分類が発表されたのは、私がまだ研究助手だったころだ。そのころに私が師事していた██博士が、講義でSCP-682の血液が如何に酷い有様であるかについて熱弁していたのを、今でも記憶している。

SCP-682がなぜおとなしくなったのか、その詳しい原因については、今でもよく分かっていない。ただはっきりしていることがある。それは、SCP-682から擬液相性致死的事象を抽出し始めてから、SCP-682は如実に穏健になっていったということだ。配布されている資料を見てほしい。そこに描かれているグラフは、SCP-682の収容にかかった費用の変遷が示されている。見てもらえれば分かる通り、2000年代初頭まで、SCP-682の収容には膨大な費用が投じられていて、それでもまだ十分じゃないとさえ考えられていた。だが、20██年より先では、費用はどんどん削減されていった。そうして今では、Safeクラスオブジェクトの平均的な収容維持費用以下で、この巨大な爬虫類は収容できる存在となった。

擬液相性致死的事象は一般に、血液から抽出されるというのは、君たちなら教わるまでもないだろう。SCP-682の血液が、一般的な意味で異常であったことは先ほど話したが、擬液相性致死的事象を抽出する過程で、SCP-682の血液もどんどん抽出された。ご存知の通り、生物は、骨髄で新しい血液を作っている。だから、多少の出血は問題なく回復できる。SCP-682も同じで、一度抽出が行われても、一日も休ませれば元通りだ。興味深かったのは、そうして新たに生成された血液が、どう分析しても正常だったことだ。SCP-682の骨髄は、健康上のなんら問題も抱えていなかった! 当時の研究者、殊に██博士は、このことを非常に驚いて、そして喜んでいた。希望が見えたと言っていた。当然、抽出は続けられた。1年、2年、10年と続けられた。そして遂に、SCP-682の血液は、見事に正常を取り戻した。抹消血管の一片まで傷一つなく、健康そのものだった。

(中略)

そうして君たちが先ほど見て、触れて、話したあの優しき爬虫類になったのだ。

(中略)

今新たに持ち上がった問題は、SCP-682の老化だ。SCP-682は不死身の爬虫類と言われているし、これは長らく事実であると誰もが考えていた。SCP-682が老いるということ自体が、特に古参の研究者にとっては大事件なのだ。なぜ老化が始まった、または確認されるほど露骨になったのか、答えは出ていない。SCP-682の擬液相性致死的事象が、SCP-682の不死性に密接に関係しているという研究者もいる。つまり、SCP-682は死に続けることで生きながらえる、という仮説だ。なるほど、一応筋は通っているようにも見えるが、果たして真実はどうだろうか。

君たちはどう思う? SCP-682はこれからも、不死身の爬虫類でい続けるだろうか? 君たちの意見を聞きたい。例えば、そこの君、どうかね。

(以下略)



予後2

意識が一時だけ消えたと、直感的に理解できた。なんの予兆もなく、視界は黒洞洞な闇に閉ざされ、微かな精神が動揺した。麻酔を入れられているわけではなかった。チューブはもう、差し込まれていなかった。

俺は老いた。体の節々が痛み、睡眠時間が長くなり、頭の中が真白になる時間が増えた。そして、一日を終えるたびに、俺の中のアイデンティティが、水中に入った角砂糖のように、時間の中に溶けて消えてなくなっていくようだ。俺のアイデンティティ、誰が決めたか知らないが、この世界の全ての生命に憎悪すること。俺すらも憎むこと。反生命主義であり続けること。そのはずだった。そんな俺が、もはや眩しい白を纏った中年の堅物にすら、嫌悪を感じるのすら難しい。俺は、もう元々の俺ではないのだろう。

意識が溶けていく。濃霧が思考を包み込む。意識がなくなるときは、決まってこの感覚が先立つ。次いで、俺の中の思考回路を構成する細緻な素子を伴った熱が外に逃げていく。だから、俺はだんだん白痴に近づいていく。記憶の中を木霊する声が色あせ、形を失い、バラバラになり、再構成され、俺にもう眠れと言ってくる。俺は僅かばかりの反骨心をどこからか抽出し、その声に黙れと言う。だが、熱は俺の最後の意識をも連れて行ってしまう。そして俺のアイデンティティさえ。

俺はまた眠る。殆ど意識を失うのと同時に。そして俺は何度目か、また黒い世界に身を横たえる。俺は眠りながら、意識を喪失した俺を眺める。俺は夢を見ていると自覚する。深い皺だらけの皮膚、黄ばんだ目、白けた体毛、細くなった肢体、穏やかで規則的で浅い呼吸。俺は、なぜか安心を感じる。もう安心して良いのかもしれないと感じる。そうして、もう眠って良いかと思い、俺は眠りにつく。


提案2

SCP-682のオブジェクトクラスを、Neutralizedとすることを提案します。SCP-682はもはや、オブジェクトと認定しうる異常性を有しません。それどころか、今のSCP-682はただの、死んだトカゲです。もはや、ナンバリングしていくのも、無理のあるエンバーミングを続けるのも、限度がきたと考えています。

もう、この提案をするのは3回目になります。SCP-682が動かなくなってから既に5年の月日が経ちました。最初の提案は、SCP-682の2年忌のことでした。そのとき、あなた方は「いつ動き出すかもわからない」と言って、この提案を退けました。それから、3年忌にも。結果は同じでした。

あなた方がSCP-682の死を認めたくない理由は分かります。その理由は、SCP-682が不死身だから? いいえ。SCP-682が残虐非道であるから? いいえ。SCP-682はどんな姿かたちにもなれて、いまは我々の目を欺くため死んだトカゲの姿をとって、収容違反を起こすタイミングを狙っている可能性があるから? いいえ。どれも違います。それは、SCP-682が、硫酸に全細胞を破壊しつくされたわけでも、核爆弾によって塵の一片まで消し飛んだからでもなく、ただの老衰で死んだからでしょう?

"possess"という言葉を知っていますか。「所有」と「憑依」を意味する言葉です。我々の今の心情をよく表している言葉ではないですか? 我々は、あまりにも長くSCP-682と共にいました。SCP-682が強く我々に反抗するたび、我々は更に強い反抗によって、SCP-682を箱の中に閉じ込め続けました。そして、我々は、まるでSCP-682が自身の所有物であるかのように、幾つもの実験を繰り返しました。いつの間にか、我々の心には、SCP-682が常にいました。もはやそれがいなかった時代を思い出せないほど、その空隙が訪れるのを無意識的に恐れ拒絶するほど、我々はいつの間にか、SCP-682という一匹の爬虫類に恋をしていたようです。

もう、終わりにしましょう。我々の心からSCP-682という亡霊を追い払う時が来たのです。

そして、我々は改めて、SCP-682の保護を完了したと、財団の理念を守り抜いたと、胸を張って堂々と宣言するべきなのです。


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