クレジット
タイトル: 暗闇の始まり 夜との境界
著者: ©︎EianSakashiba does not match any existing user name
作成年: 2026
彼らにとって、暗闇は恐怖の具現ではなく祝福であるという。
黒色が形を形成して、まるで生物のように振る舞う。
かつて影と呼ばれた投射体は、いくつかの星を足掛かりにして地球にゆっくりと降り立った。
今はSCP-4500-JPと名付けられたそれは、人類に一切の抵抗を許さない。
静かに、平面たるファンタズマゴリの舞台へと誘う。
夜、市街地、小さい鉄橋の上。
2つの姿が立っていた。1人は茫然とした様子で眼前に突如出現した実体を見やり、そのもう1つは相手のいない社交ダンスを粛々と、だが確かな微笑を湛え踊っている。この夜の空気に酔い蕩けているようでもあるし、きびきびとした動作には明確なメッセージが込められている可能性も残していた。
「なんで、ここにいるんだ」
踊りを眺めていた男が問うと、なだらかな回転を行いながら女が答えた。
「あなたの前で踊りたくなって、死という暗闇から戻って参りました」
言葉通り女は帰らぬ人だった。不幸な終わりであり、少なくとも男にとっては不本意で不十分な別れの瞬間。女はそのような瞬間を取り戻すために一夜限りの魔法でも使ったか。違うように見えた。今の男には女の腹の底を見透かすことは出来ず、言葉通り自身の眼前にてエスコートのいないステップを刻むためにやってきたのだと思う以外にない。
震える手で煙草を取り出そうとする。だが既に何か握られていた男の手はポケットに到達することはなく、暈すように周囲を照らす街灯に男は自身の手を差し出した。
それは拳銃だった。
「お前は、俺に撃ってほしいのか」
「いいえ」
「俺と、踊ってほしいのか」
「違いますわ」
「なら…」
そこで言葉は切れる。生きている間ですらお前を不幸な終わりにしてしまった俺に、これ以上出来ることがあると思うこと自体が傲慢であると思ってしまったから。そんな男の心情を読み取るように、女の方から言葉は紡がれた。
「私がしたいことと言うならば、このまま踊っていたいのです。夜が明けるまでは」
男は俯いた。どれだけ論理的にあり得ない状況でも、頭の中でこのセッティングを受け入れている自分がいた。自分は今からこの拳銃で女を撃つ必要があることも不思議と理解していた。演者は違えど、全てがこの地球全土で繰り広げられていた予定調和だった。
しかし、その舞台に影が入り込んだ。
「ああ…」
男はまるで、思考する必要がないような足取りで女に向かって行った。踊りに加わるためでも至近距離で発砲するためでもなかった。
あと半歩で、女に届きそうな距離。俯いたまま、かつての後悔には目も暮れず足元の黒に手を伸ばした男は、途端に厚みを無くし、色彩を無くし、地べたに張り付いた平面となった。
街灯が、彼らを照らしていた。
「そうですか」
女は、ほんの僅かに踊りを止めた。
「夜にしか現れない影法師の影に心の救済を見出したのなら、それはそれで構いませんわ」
「その祝福を選んで、夜から逃げたあなたを、いつまでも愛しています」
そうして、鉄橋の上にて行われた舞台は夜明けまで続いた。女の表情も足取りも変わらなかった。男が夜に囚われず影の祝福を選んだことを、責める様子も悲しむ様子もない。太陽が昇った後に残ったのは、握っていたはずの体温が残っていない拳銃と人型の影だった。
「馬鹿でえ、こいつ噓つきだ!」
「見たんだよ、本当に見たんだってば!」
僕は教室の中心で晒し者にされながらもクラスメイトたちに言い放った。自分でもこの目が信じられないが、家族だってその場にいたのだからしょうがない。
「ほら、休み時間あと5分だぞ?一体どうした」
ちょうどそこに先生が入ってきて、その数秒後に5分前のチャイムが鳴った。
「こいつがさ、昨日の夜変な虫見たって噓ついたんだよ」
「虫?刺されると厄介なやつもいるからあんま近づくなよ」
「そうじゃないんですって、先生!」
せめて先生には軽蔑されたくなくて必死に訴える。
「虫がさ、僕の前にやってきたら急に消えたんだよ!そしたらそれさ、消えたんじゃないんだ!影になったんだ!」
やれやれで聞いていた先生の表情が、一瞬ピクリと動いた気がした。
「今も僕の部屋にいるんだって!疑うなら来てよ!」
「誰がお前んちなんか来るかよ!知ってんだぞ、お前の家って」
「ほら、お喋りは終わり。授業始めるぞ」
不自然に言い合いを中断した先生にみんなが従う。気を遣ったんだろう。結局先生も僕のことを噓つきって思ってるんだと思いながら授業を受けた。そうして終わってみんな下校した放課後に、先生が僕に話しかけてきた。
「昼休みの虫って、今も建太の家にいるのか?」
僕は唇を尖らせながら無言でうなづく。
「先生気になるな、ちょっとでいいからお邪魔していいか?」
「え!?本当に!?」
僕はすっかり嬉しくなって、先生と一緒に家に帰った。お母さんと話したり様子を観察するために、僕の家にはたまに来たりする。
急げ急げと部屋に飛び込むと、そこにまだ影の虫がふよふよと浮いていた。
「ほら!先生!いたでしょ!こいつだよ!」
「本当だ、影だけど虫のシルエットしていて動いてるな」
「部屋の窓を開けたら入ってきたんだよ、この時期ってそんなに虫いないのに珍しいよね」
なんだか嬉しくなって、昨日みたいに窓を開けた。こうすればまた別なのがやってくるんじゃないかって。
そうしたらなんと、本当にやってきちゃった。昨日のとは違う、だってここにいるんだもん。
「先生!見て!こいつまた入ってきた」
「2匹目…こいつも影だな」
先生の反応はいつも通りだったけど、いつも通りってことは生徒の話を真剣に聞いてるってことだ。2匹の影虫をしばらく鑑賞していると、先生は僕に質問した。
「建太、ご両親は好きか?」
「…なんで今、そんなこと聞くの?」
「そりゃ普段はそういうことを聞くために家庭訪問してるからな」
「嫌い。家にいる事なんかほとんどないし、僕と直接話すのなんて1日に1回あればいい方なんだよ」
「だよなあ」
「朝帰りだって珍しくないけど、今日はどっちもいないし。どこほっつき歩いてるんだろ」
「昨日から、帰ってないのか?」
うん、と首を振る。そうか、と返事が帰ってくる。
「だから僕、クラスのみんなと先生の方が好き」
先生は僕の言葉に顔をしかめた。うまい言葉が思いつかないけど、きっと先生は僕がこんなことを言ったからそんな顔をしたんだと思う。
「建太、この虫のこと秘密にできるか?」
「誰にも言うなってこと?」
「ああ」
「うーん、いいよ」
「そうか、先生嬉しいな」
大の大人が子供相手に変なの。そう思いながらも僕は先生とだけの秘密を持てたことに嬉しくなって、先生に噓つきだと思われていなかったことに安心して、そのせいなのか急に意識を失った。
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「…こちら潜入エージェント・████。小学校に潜入中だったところ、在学していた小学生がSCP-2644-JPに接触、その存在をクラスメイトに喧伝していた。SCP-2644-JP実体は2匹確保、当該小学生は煙式の記憶処理剤を投与済み。念のため身柄確保の目的でGPS指定のポイントまで人を寄越してほしい」
「ちょっと待て、気になる点がある。SCP-2644-JPはその性質上SCP-2644-JP-Aとある程度の生命活動がリンクしている。SCP-2644-JPが死亡すれば-Aも死亡するが、今回確保した個体は見たことないケースだ。まるで…自身が影のような実体で…とにかく来てみれば早いだろう。念のためだが非接触タイプの確保機材を準備してきてくれ」
「最後に、当該小学生の両親が昨日から行方不明らしい。おそらくSCP-2644-JPの性質からすると…嫌な予感がする。身柄の確保を急いでくれ」
若い魔女がいた。パブリックイメージに比較的近い魔女だった。黒いローブに黒いとんがり帽子、先っぽがチクチク痛い木の箒に跨り空を飛び、黒猫やカラスや蛇を操る魔女だった。
彼女がそのような装いでいるのは、家系のしきたりだとか魔法が使いやすくなるまじないだとか、早い話実用的な意味合いだった。現代社会に生まれた子供が普段から文句を言っていたのは想像に難くない。
「ローブも帽子も暑苦しい、跨っている箒が固い、ペットだってみんな可愛くない!もっとカジュアルに魔法を使いたいよ」
若い魔女は家族と喧嘩をして家出した。彼女はNxネクサスと呼ばれる場所を点々として旅を始めた。通常では想像できない「異常」、それが頻繫に発生しながらも文明を持つ知性体のコミュニティが維持されている場所がNxだ。つまるところ人間が複数住んでいながらも、若い魔女1人が紛れ込んでも騒ぎにならない場所だった。
彼女は行く先々で住人の世話になったり、逆に問題を解決したりしてその日を暮らしていた。悪い気がしたので、長くとどまることだけはしなかった。なので体裁的には旅であった。
「次に行くところは…中々栄えてそうね。高層ってわけじゃないけどビル群もあるし、現代の街に近い感じ」
そのNxは今まで若い魔女が訪ねた場所の中で最も大規模だった。住人達も一般社会の都会人のように過度に干渉してこない。若い魔女にとって中々居心地がよく、長居してもいいかなと思った。狭いが黴や薬の匂いがしない部屋を取り、魔女としての知識は役に立たないがアルバイトを始めた。日々は目まぐるしく過ぎていった。
若い魔女はバイト自体は嫌いであったが、バイトが終わった後の空気は好きだった。さらに言うならその空気を纏っている夜の繫華街が好きだった。飲みに向かうサラリーマン、塾帰りの制服、客引きの店員、家路を急ぐお父さんお母さん…そんなワラワラと動く人間たちの景色が好きで、それを見下ろす建物たちが好きで、それを彩る明かりが好きだった。
彼女がそれを見つけた時は、最初は幻覚だと思った。バイト帰りの3連勤だったし、何よりもそんな遥か高い位置にあるのに、目視でハッキリ見えること自体がおかしいと思ったからだ。
「何あれ…?」
このことは誰にも言ってない。まずおかしいやつだと思われるだろうし、そもそも現代人は夜空を見上げない。彼女だって夜の街にいることが好きなのであって夜空は繫華街のアクセサリー程度にしか思っていない。だがそれは過去の話であり、若い魔女はあの日以来それがまた夜空に浮かんでいないかなと上を向くようになった。
ある日魔女は、あの日夜空に浮かんでいたそれがあったと記憶している高さまで箒で空を飛ぼうと試みた。だがそれが位置していたのは遥か上空であり、精々100メートル200メートルくらいの高度では近づく様子すら見受けられない。
「だぁー、無理だ!…え?どうしたのみんな…」
魔力を上昇させるため久々に着た魔女らしい格好と、久々に使った箒。そして空を飛ぶ魔女。異常が日常である街だからといって、ここまで「いかにも」な存在は珍しかった。そしてそんな「いかにも」が、夜のビル街を飛び回るというある意味アンバランスな光景がかえって、多くの人を惹きつけた。
その日以来、若い魔女は毎夜箒で高く飛ぶ練習を始めた。それは街の名物的な光景になり、見世物というほどの盛り上がりはなかったが、時間になれば通行人が目で追って「頑張ってるな」と内心思う程度には受け入れられていた。
「この生活、気に入っちゃってるなあ」
日が落ちてバイトが終わったら、夜の街が変わらずそこに現れて、その空気がもっと好きになる。
そして夜空の先にはきっと、あれがまだある。
眠る時間が来ないでほしいと、本当にそう思い込んでいた。
ある日、夜空の先の先、宇宙から全てを飲み込む黒色の物体が飛来した。
最初は1匹を飲み込んだ。次は1匹と1人を飲み込んだ。2人、7人、31人…街に行方不明者が報告され始め、街は少しずつ静かになり始めた。若い魔女は、ああ、ここも変わっていくんだなと少し悲しくなった。急に変わるのではなくゆっくりと移ろう感覚が、旅の途中だったと心を急き立てる。
部屋を解約して、バイトを辞めて最後の夜。着の身着のままで街に出ようとする。その時になんとなく、本当に何の根拠もなく上を向いた。
「───うそ」
ある。絶対に夜空に存在するはずのない物質が、あの日私に飛ぶきっかけをくれたそれが。遥か上空にありながらもどうしてかはっきりと見える。
荷物をまとめた空っぽの部屋にUターンして、古めかしいローブと帽子をひっ掴む。玄関で傘と一緒に立てかけられた箒をもう片手で素早く持ち、誇張抜きで何千と行った予備動作と共に跨った。
高度の前に速度を貯めなければいけない。低空飛行のまま道を滑走する、右、直線、右、左。ぶつからないように警戒していた魔女の眼が、線になって後ろになっていく景色の中で明らかに異質なものを見つける。
「なんだあれ、影…?」
爆走する自分が刺激してしまったのか、人型の影が緩慢な動きでこちらに迫ってくる。路地を曲がるたびに3つほど見つけたので、立ち止まって観察すればもっといるのだろう。明らかに数が多いし、何より。
「ヤバい雰囲気がする、あれに捕まっちゃいけない」
今夜の自分の勘は信じるに値する、速度を上げて馴染みのビル街に飛び出した。
「うっ…!」
影がいた。何百か、ひょっとしたらそれじゃすまないかもしれない量の人型が。あれほど好きだった飲食店の匂いも、駐輪場のほの暗さも、煌々とした建物も、夜の空気も、全部の色を飲み込んで真っ黒な手招きをしているみたいだった。
こっちに来いと、自分たちと同じになろうと。
「何で、何で!」
それは影に対する問いかけであり、自分自身に対する問いかけであり、それに対する問いかけ。何で夜を黒色で終わらそうとするのか、何であんな高い場所を目指そうとしているのか、何でそんなものが夜空に浮かんでいるのか。
最後の直上飛行が始まった。100、500、1000…ダメだ。もう1kmから先なんて数えらんないや。
「なん、で…」
そんなの決まってる、気になるからだ。はっきり見えてしまったからだ。街に最も似合うのが夜空であり、みんながそれに気づいて空を見上げた。私だってその1人だ。夜空を好きになって、夜の街をもっと好きになった。だから街だけは、夜空だけは、黒い影に侵されて欲しくなかったからだ。そんな夜の終わりになるくらいなら、いっそ眠った夢みたいに綺麗さっぱり消した方がマシだからだ。その答えが、それに触れた瞬間形になると思ったから。
触れたい、飛びたい、もっと高く、前もってかけておいた加護の魔法も切れそうだ、体が凍り始めて、息をするたびに肺がチクチクして、なのに暑いか寒いかわからなくて。でももっと、もっと、飛んで───
「とど、いた…届いた」
それの、隣まで飛べた。より鮮明に見えた輪郭には、紐が付いていることを初めて知った。夜空をどこまでも高く飛んだ魔女は、なるほどなと思った。それのスイッチは、そりゃあ紐だよねと。
そしてふと頭に自然と浮かんだ言葉を、朝を呼び込むという意味合いではある種夜を終わらせるための挨拶を、これさえ唱えれば黒い影が綺麗さっぱり消えると確信できる、
そんな魔法の呪文を唱えて、それの紐を引っ張った。
夜、ホテルの一室。そこに影のうち1つが迷い込んだ。人間の形をしていた。
内装は何の変哲もないビジネスホテル、手狭な室内の大部分を占めているベッドは清潔でふかふかとした感触だ。だが影はその柔らかさを感じることができない。平面であり壁や地面に張り付いてしまっているから。
サイドテーブルには水の入ったグラスが置いてある。眠りにつくための1杯は、少しひんやりしているけれど体を冷やすほどではないだろう。でも影が熱がる温度や寒がる温度など存在しない。
娯楽品は特に充実しておりテレビやラジオ、本もいくつかあった。遠い昔を思い出すための嗜好品たちを、影の顔に相当する部分が僅かに焦点を当てて、そのまま通り過ぎて行った。
室内には、柔らかな明かりが満たされていた。本来なら影という物質にとって最も必要なのはこの光だろう。にも関わらず迷い込んだ影は、その穏やかに室内を照らすのを背にして出口へと歩いた。
この部屋は苦悩して自棄になって、選び取ることに疲れた者だけが辿り着く部屋だった。ここで眠るか起きているか、ここに留まるか出ていくか。
だが、全ての人類は影に取り込まれることを選んだ。あるいは選ばされた。過程はどうであれそのような選択になった。群としての意識が流れ込み、死を克服する祝福を闇の中で受け取り、あらゆる枷から解放されよう。生命はそのような道を歩むことになった。
やってきた影は、幾度となく世話になった部屋に別れの挨拶を言いに来たのだ。もう誰もここに来るほど迷い、恐れ、疲れる人類など存在しないのだから。
やがて室内の照度が低下していく、影は壁づたいに出口のドアまで歩く。人類の、生物の、宇宙の新たなる家にはベッドも電球も肉体も苦しみもない。万物を包み込む黒があるばかりだ。
さようなら。影が呟いた。
おやすみなさい。誰かが呟いた気がした。



