エイルシャーの壊れたる神 - 第1章
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そして構築されし時に人の魂を破壊せし者、Meknah-Reの引き起こす怪異に旧支配者は最早怯える真似はせず、彼のものを八つ裂きにすると、膿汁を垂れ流す部位を至る所に投げ捨てた。何れの部位であれ二度と人の目に触れぬようにするためにも。彼のものの心臓はシャーハラーの砂丘に捨てられ漂う砂に呑み込まれた。彼のものの舌は切除され、黒の湖の到達不可能な深淵へと投げ込まれると、沈んでいった。彼のものの内臓は取り出され、レンの高原で凍り付かされた。彼のものの脳髄は燃やされ、残された灰はサルナスの焼け跡の只中に撒かれた。彼のものの眼球は大宇宙へと飛ばされ、今日に至るまでその場に留まっており、変わらずに虎視眈々と地上の住人を睥睨し、野蛮なるドゴンの民にはシリウスの見えざる双子として知られている。彼のものの男根は去勢され古のものの廃墟の面前の地に打ち立てられ、忌まわしき地へ敢えて踏み入らんとする者達への警告となった。壊れ果てた神を崇める者共は今に至るまで活動を続けており、彼の呪われた神の部位を蒐集し、可能であるなら修復を試みているとも言われている。斯様な日が訪れるのであれば、間違いなく人の世に恐るべき終焉が降りかかるだろう。
―アブドゥル・アル=ハザード著『ネクロノミコン』、第六の書「死したる神々について」

マサチューセッツ中央部の森を横断する無人も同然の砂利道をガタピシと音を立てて進むと、大型バスは轟音を立てて車体を揺らしました。私は(直前のイクスブリッジのバス停の後、乗り合わせていた他の乗客は誰もいなくなっていたので)一人腰掛け、秋の冷たい空気に備えてコートに身を包んでいました。古ぶるしき森は人間の欲深さとは無縁のままであり、私はため息を一つすると、手提げ鞄をしっかり握り締め、腕時計に目を落としました。6時15分。日没の1時間前であり、15分後にはバスがエイルシャーの荒廃し、孤立した村落に停まる予定になっていました。ポケットに手を突っ込み、この文明から取り残された場所への旅程を組む発端となった電報を手にすると、3日前に監督司令部から受け取った短信を読み返しました。

1927年10月3日
8月14日を最後に、エディングス教授からの連絡が途絶えた。
既知の最後の目撃場所はマサ州エイルシャーのグレンジャー宿である。
研究の内容ゆえに遭難の恐れあり。
出来るだけ早くエディングスか彼の遺体を発見し報告せよ。
確保、収容、保護

ベルナルド・エディングスと私が出会ってから幾許かの月日が流れていました。月曜日の曇天の朝、ウェスタン・ユニオン社の男が彼からの手紙を届けに来た光景が脳裏に過りました。私と同じく、エディングスはハーバード出身の男でしたが、あの栄えある学術機関で共に過ごした時間は短いものでした。私が到着して間もなく、純真な目の新人が大学の著名なサッカーチームから熱心な勧誘を受けていましたが、彼は既に大学院にて地域伝承の研究に取り組んでいる身でした。数学の成績の悪さから、私が準講師に助けを求めた際、私たちの奇妙な類の交友関係が始まり、何年も経って、あの戦争の後で、今日においても依然として"財団"とだけ知られる組織に就職すると、私にも同じ組織内部で見つけてきた役職を提示しました。

「正気かい、ベルニー?」初めて就職を提案してきた時の質問を思い出しました。「私は科学者じゃないんだ。君らが被験者不足に悩んでいないというなら、私なんかが白衣を着たインテリや博士連中相手に役に立つなんて想像もつかないぞ。」

「財団には白一色の研究所や黴臭い古書典籍以上のものがあるんだ、レグ。」彼が返事しました。「フーヴァーが雇ってきたGメンについては知ってるだろ?私たちに忠実なGメンを探している。君のように聡明な頭脳、鋭い目、現場に出向いて完璧かつ迅速かつ事を荒立てずに任務を遂行してくれる若い人材を必要としてるんだ。」

「すると秘密工作員になれってのかい?」彼に尋ねました。「私なんかよりも打ってつけの人物なんているだろうに。」

「自己評価が低すぎるぞ。君は従軍経験者だろ?」

「そりゃそうだけど、いたのは殆どベルギーだぞ。」

「それも所属していたのが、フランダースでウェスト医師が身内相手に起こした破壊活動に対処した陸軍憲兵隊だったのも分かっているよ。こっちはね。」

あの医師の狂気の頭脳が生命を吹き込んだ歪んだ科学の紛い物が巣食う場所である、ウェストの地下研究所で目にした恐怖の記憶に身震いがしました。「そうだな。」私は素直に答えました。

「だったら君は財団が対処しなければならない怪物の類を既に目にしているわけだ。世界は論理そのものの縁に潜み住んでいる理解不能な怪物でいっぱいだ。私達は怪物ども相手に正気を失わず、勇気をもって立ち向かえるタイプの人材を必要としている。悪夢のウェストの塒から正気を失わずして生還したという実績は君こそ私達が必要としている類の人物だって証明している。来週サイト-19へと出向いて、ジャックに雇用について話をしたいのなら連絡してくれ。」

私は渋々ながらも同意し、2週間もしない内に奇妙なメダルを首からぶら下げ、若々しい風貌には似つかわしくない眼差しを向けてくる風変わりな装いの人事局長の男と握手を交わすと、フィールドエージェント候補生として歓迎を受けました。それから6年間の内に財団の任務として、ニューヨーク市の摩天楼街からルブアルハリの荒野に至るまで世界各地を飛び回ったのです。大恩人である男を探すために、私が出向いた場所は故郷から僅か200マイルの場所ですが、それでも既知のあらゆる文明圏から隔絶していました。

今年6月にエディングス教授と最後に話した時、あの男は私が知り得る限り情熱を注いでいた分野の研究のために、特別研究期間の類に入ったばかりでした。アーカムでの少年時代において、教授はマサチューセッツ奥地で時折発生していた、恐るべき地域固有の伝承と宗教的実践に魅了されていました。デューク郡の島々におけるダゴン崇拝史の自筆論文は現在でも、この分野における権威ある著書に位置付けられており、彼は同僚の研究者ら(と私)からそれぞれ異名を付けられるようになり、アーカムにあるアラブ人の書巻の写本に関する彼の論文の注釈はるシュメール人2人組への対処法において、計り知れない価値があると証明されました。教授が研究や目録化が必要な新たな未発見の教団や宗派を目当てに、たった1人で我が国の更に辺鄙な集落への旅に出るというので私は教授に別れを告げ、その後でインスマス、ニューキャッスル、ハドレー郡からの報告書に多大な興味を抱きました。サイト-19宛ての最後の郵便は測量技師の地図を使っても見つけるのが困難だった場所、エイルシャーからであり、手紙では1、2週間ほど滞在し、噂に聞いていた奇妙なペンテコステ派教会について研究するとありました。そして言うまでもなく、2ヶ月近くが経過し、教授からの手紙も電報も電話も途絶えていました。

昨日の午前中、アーカム図書館にて読み耽った書籍の数々から学んだところによると、エイルシャーは西部の百マイルかそこらを範囲としていて、チャタム湖の北東岸に位置し、四方を往古の手つかずの森林地帯に囲まれています。19世紀半ば、町は3000人もの人口に及ぶ住人より我が家と呼ばれ、水車を保有し、ボストンに向かう鉄道が敷かれていました。新聞によれば、ここ10年の間で、戦争により町の経済が大打撃を受けたそうです。街の若者たちは大海原を横断する旅に出たっきり帰って来なくなり、水車小屋は閉鎖、西部方面の列車も本数を減少させていき、かつての人口は300か400人程が残るほどだそうです。村への交通手段を得るのは地図で探し出すのと同じくらい困難でした。鉄道路線は近年の雨で土砂崩れに吞み込まれ、初雪に先駆けて復旧する見込みはありませんでした。町へと通じる舗装道路も敷かれておらず、森を単独で自動車を駆って進めるには十分な地図や案内書も見つけられませんでした。州の半分のバス会社に問い合わせた後でやっと、エイルシャー経由アムハースト行きの1日1本だけの便が運行されている小さなバス路線を発見し、目下、目的地へと近づいていました。

「次は、エイルシャーです!」運転手の叫びで、私が回想から覚めると、大型バスがカーブを曲がり、古き荒廃した家屋が視界に飛び込んできました。エイルシャーの通りは最低限舗装されていたものの、整備が必要になる程に荒廃しており、自動車も大型トラックも見当たらず、中心市街地への道中は過去数時間に体験したのと同様の不穏さが感じられました。まるで何年もの間、人が住んでいない家屋や店舗や教会の並ぶ通りを次から次に、バスは通り過ぎて行きました。修理中の家1軒に対して、15軒の無人の廃屋を通り過ぎたように思えます。私はここに来て、教授の噂も国勢調査も間違いで、実際にはゴーストタウンへと辿り着いてしまったのではないかと疑問を抱きました。遠方の湖畔近くには、古い水車小屋の廃墟が崩れがかり、音一つなく静まり返っており、昔日には労働者がいた住居に不吉さを発しながら聳え立っていた。既に太陽の生み出す琥珀色の黄昏は並木道越しに薄暗く、縁石に並んだ電灯は暗いままでした。発見できた光源というと、カーテンの掛かった窓越しに明滅し、電球というより、蠟燭の傍に生じたかのような影を旋回させるもの以外にありませんでした。バスはファースト通りとワシントン通りの角にある雑草の繁茂する公園という体裁の、町の小さな広場の端にある停留所にゆっくりと停車しました。ドアが開くとスーツケースを携えて立ち上がり、出口へ大股で進んでいきました。

「ありがとう、運転手さん。」運転手にそう言うと、彼の艱難辛苦への対価として1ドルを手渡しました。

「どうもありがとうございました。」と運転手。「けど本気で言ってます?ここで降りてアムハーストに行く気が無いなんて?この街には不穏な話しか聞いていませんし、それも年々、増していく一方です。観光客が見て楽しめる場所なんてどこにもありませんよ。」

「観光目的じゃないさ、間違いなく。」と答えました。「古い知人を探しているんだ。2か月ほど前にここで降りた、私より年配の客を覚えているか?」

「そうですねぇ」と運転手。「その男の人は仕事の中身を明かしたがりませんでしたし、私も知りたいとは思いませんでしたね。もしここを出た後というのであれば、間違いなく空飛ぶ絨毯に乗せてもらってますよ。その人を絶対に車で拾いませんでしたし。」

「それなら町の絨毯屋に聞いておかないとな。もしかしてグレンジャー宿への行き方を知ってたりするか?」

「ワシントン通りから5ブロック西の所です。私だったら、もう出発しますがね ― 来訪者が日没後にエイルシャーの通りで姿を見られるのは賢明ではないって話は聞いていますし。」

私は頷き、笑みを浮かべると、運転手に背を向けて、大型バスを降りました。歩道に降り立った際、空気は澱んではいないものの濃厚で、記憶と後悔で溢れかえっていました。大型バスは発車して離れていき、町の端に着く頃には2倍のスピードになっているように見えました。後にはイブの遺跡を訪問して以来耳にしてこなかった静寂が荒廃した通りを支配していました。芝生の反対側の、崩壊している大型建築物の2階の窓から一対の眼が疑わし気に見ている気がしました。ですが件の建物に背を向けてエイルシャーの無人の通りを東に進んでいくと、私以外の人物を誰も見たり、聞いたりすることも、鳥の泣き声や囀りさえもありませんでした。

私が荒れ果てた通りの真ん中に立つと、バスは停留所からは2ブロック先に進んでいました。間違いなく長距離バスは私と今後24時間の一切の退避の際の頼みの綱よりも1マイルもしくはそれ以上先を走っており、太陽は西の地平線に沈んでいました。

背後のどこかから最初の叫び声が聞こえてきました。

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