「ふむ……かなりギリギリのタイミングだったようだ。転移があと30分遅れていたら、我々もあの町と共に跡形もなく消し飛んでいだろうな」
手にした万華鏡を回すことなく覗き込みながら、フラーはそう呟いた。サーカス一座は先ほどまで公演を行っていたアメリカの小さな町の郊外ではなく、どこまでも広がる草原に位置する小高い丘の上にいた。見上げれば満の空が視界いっぱいに広がり、地平線に目を凝らしてみれば、天と地の境界は七色に輝き、どこか揺らいでいるようにも見えた。
「まぁ、世界が滅ぼうと我々には関係のないことだ。人が滅ぶ世界があるように、人が生き残る世界もごまんとある。あのタイミングで滅亡を回避できなかった世界は…まぁ、剪定されて当然だったというだけさ」
「相変わらず独り言がでかいなフラー。それとも、俺には見えない誰かさんに向かって演説していたのか?」
フラーの背後には、そこには食事を終えたのであろうマニーが葉巻をふかしていた。
「いやいや、ただの独り言さ。こう広い場所に立っていると気分も多少なり大きくなるからな、声も自然と張るものさ」
「そうかよ。で、向こうの様子はどうだ?」
「気になるなら覗いてみるかね?あぁそれとも、そのひっくり返った頭じゃ覗くのは難しいかね?」
そうニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、フラーは万華鏡をマニーに差し出した。マニーはそんなフラーを睨みつけながら万華鏡を受け取り、左側についている右目で中を覗き込んだ。
「あぁ、スイッチには絶対に触れないでくれたまえよ。その世界に合わせるために、かれこれ1時間かかったんだ。また同じことをするのはごめんだからな」
「んなこたわかってるさ。おぉ、こりゃ随分と酷いな。ロンドンをブリキのトカゲと蜂蜜でできたカエルの大群が行進しているぞ。混沌という言葉がこれほど似合う状況は滅多にないだろうな」
マニーの視界には、つい数時間前まで自分達がいた地球の惨状がありありと広がっていた。だが世界の終焉というにふさわしいであろうその光景に、マニーはある種の興奮すら覚えていた。財団など多くの異常存在を扱おうとする団体がいようが、少し綻びが生まれた途端にこのざまだ。結局の所、人間なんてものは皆ちっぽけな存在にすぎなかったのだと再認識するには十分過ぎる光景だった。
「にしても、何度使っても便利だな。こんな大層な品物、どうやって手に入れたんだ?」
「2年ほど前に死んだ知り合いの遺品を譲り受けたのさ。素晴らしいだろう?世界に2つとない名品だ」
万華鏡の表面にはいくつもの仕掛けが施されており、それらを特定のパターンでいじることで、フラーはこれまでも様々な世界を覗き、観測を行ってきた。
「にしても、よくこんな都合のいい世界知ってたな。ここまで何もない場所、見つけるのに大分苦労したんじゃないか?」
「もしもの時の避難所として利用しようと、前々から目をつけていたのさ。静かでいい場所だろう?この地球は滅んでから軽く数十万年といったところだろうか。しかしまぁ、星の再生力というものは凄まじいと、ここに来るたび思い知らされるよ」
そう言って、フラーは軽く3回足踏みをする。すると蛍のような虫が柔らかい光を発しながら空へと飛び立ち、花火となって弾け飛んだ。
「…まぁ、正常かどうかと言われたら微妙だが、何千万年も経てば、ここにもまた人間のような知性ある支配者が生まれるだろうさ」
「だろうな。まぁそれはいいとして、これからどうするつもりなんだ?あの世界だけじゃなくて、どこの世界の似たような感じなんだろ?どこか人類が生き残った世界を見つけて、そこに行く感じか?」
「それも悪くないのだが、ちょっと君に見てほしいものがあるのだよ」
フラーはにやりと笑うと、マニーから万華鏡を取り上げた。そして仕掛けを何度かいじくると、マニーに再び覗き込むよう促した。マニーが再び覗き込むと、そこには何かの施設が映っていた。同じ機械が何百、何千と並べられており、その全てが稼働している真っ最中のようだ。
「なんだこれ、今度はどこの世界を映してんだ?」
「いや、見える世界は変えていない。ただこの前ちょっと面白い場所を見つけたものでね」
「あの地球にこんな場所があったのか?見た感じきちんと動いているようだが、一体何の機械なんだ?」
「まぁまぁ、見ていれば直にわかるとも」
しばらくすると右奥の機械のハッチが開き、中から大量の液体と共に何か大きな塊は出てきた。2本一対の手足にほぼ毛の生えていない皮膚。出てきたのは、マニーもよく見知った人間そのものだった。これには流石のマニーも目を見張り、思わず顔を上げ、フラーの顔をまじまじを見つめることしかできなかった。それを見たフラーは膝を叩いて大笑いし、足をばたつかせながら地面を転げまわった。
「はははは!いやぁいい、実に素晴らしい!予想以上のリアクションだよマニー!」
「おい、なんだこれは。一体誰がこんなブッとんだものを作ったんだ?」
「いるじゃないか。人を作ってまで、世界を正しいままにしたい連中が1つだけ」
「……財団か」
「その通り。君が今見たのは、彼らが作り出したものごく一部でしかない。これをわずか60日ほどで作り上げたのだから、彼らの技術力よりも、諦めの悪さを称賛するべきだな!」
再び覗き込んでみれば、性別、年齢、人種様々な人間が機械の中から顔を出し、皆一様に奥の通路に向かって進んでいった。
「彼らは何をするんだ?」
「決まってるだろう?世界の再構築さ。世界が滅亡したあの日に止まってしまった歴史を、彼らは再び動かそうとしているのさ」
「できるのか?」
「さぁ?何しろほかの世界でも見たことがなくてね。だが個人的な見解を述べるなら、ほぼ100%可能だな。しばらくすれば、文明も何もかも元通りになっているだろうさ」
「オーケー。つまりあんたは、このクローンどもが世界をリセットするまで待ち続けるって言いたいんだな?」
それを聞いたフラーはむくりと起き上がり、うんと伸びをしてから言葉を続けた。
「リセットだって?バカ言っちゃいけないぞマニー。これはリセットなんかじゃない、コンティニューさ」
「やり直しじゃなく、中断したゲームを再開しているだけと?」
「その通り。私はこれまで、その万華鏡でいくつもの世界の滅びを見てきた。ある財団は時間を巻き戻し、滅びの原因を事前に取り去ることで生き延びてきた。またある財団は巨大な方舟を作り、地球から他の星へと移り住むことで生き延びた。どこの世界も、滅ぶ寸前で歴史というゲームを諦めているのさ。だがこの世界はどうだ。巻き戻しも放棄もせず、しぶとくゲームを続けようとしているじゃないか。私はね、こういった展開が大好物なのさ!」
マニーは子供のようにはしゃぎ、興奮を抑えられないでいた。
「何とも醜いとは思わないかね?諦めればあっという間だというのに、継続という茨の道を自ら選んでいる。言うなれば今はそう、-1から0にするための静かな幕間劇の最中なのさ!」
「まぁ、あんたはそういう人間臭いの好きそうだもんな。だが、あの世界は他と比べても割かし平和なほうだというのは事実だ。今回は、俺もその考えにはどちらかと言えば賛成だな」
「話が早くて助かるよマニー。ではサーカスの方針決定の祝して、今夜は飲み明かそうじゃないか」
フラーはシルクハットに手を突っ込むと、小さなテーブル、2脚の椅子、冷えたワイン3本、冷たいグラス2本を取り出した。マニーは促されるまま椅子に座り、赤ワインをグラスに注いだ。風に煽られたブドウに香りが鼻の中に飛び込んでくる。
「いいワインだな」
「わかるかね?私の秘蔵コレクションの一つさ。さ、今この間だけは日頃のいざこざなど忘れて、この壮大な劇の観客を演じようじゃないか。いつもは興じる側だが、こんな時くらい、ゆったり成り行きを見守るというのも面白いだろう」
フラーが白ワインを注いだグラスを前に差し出す。マニーも同じようにグラスを差し出しグラスを軽くぶつける。チンと透き通った音が鳴り、草原を駆け抜けていった。
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