試練と巡礼、その相違
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私は今ユニバース#058、かつて自分が生まれ育った場所に来ている。なぜなら私と同じユニバース#058生まれで、同時期にエルマの教えを賜った同志レルザムが遷教の命を放棄してこの次元宇宙に滞在しているからだ。その年月、アトラル時間に換算して30年。彼女が重篤な怪我を負いこの地にて傷を癒やしているのかとも思ったが、それならエルメスに帰還したほうが合理的だし、やはりエルマを見限ったのではないかと考えるのが最も自然なんだろう。この件が入信してすぐの頃であったらエルマが彼女の理想と違ったのかと残念に思うだけだ。しかし今や私達は上級司祭を視野に入れた働きをせねばならない段階に入っている。私達は最早私達自身のことだけでなく、私達の歩みを待つ者の重みも考えていかなくては。何の断りも入れずにエルマを去るのは咎めるべき罪だということを自覚させねばならない。

そうこうしているうちに私は彼女の居場所を突き止めた。驚くべきことに彼女は何もないだだっ広い砂漠を通過しようとしていた、それも…徒歩で。信徒希望の生命体と人気のない場所で待ち合わせ、といった雰囲気ではない。私は浮遊をやめて地上に降り、彼女に向かって言い放った。

「エルマ本部に連絡も入れないでこんなところで何をしているの、レルザム。」

「やっぱり探しに来たんだハンナ。それともあなたも心変わりしてここに来たの。でも駄目。巡礼は途中からじゃ意味がない。ちゃんとルートの最初からやり直しておいでなさい。」

「巡礼…?」

私は普段の論理的な口調とはかけ離れた彼女に違和感を覚えた。きっと認識を改変させられたか、あるいは物理的に頭を弄くられたか。身構えつつも同期のよしみから出来る限り説得で済んでほしいと願い会話を続ける。

「我々には女神エルマによって与えられた試練がある。あなたのやりたいことは否定したくないけど、ねえ、それは試練や遷教よりも重要なことなの?」

「ハンナ。試練と巡礼ってどれだけ違うかわかる?」

「…わからないわよ、そんなの。あなたが言う巡礼とやらの内容も、あなたが試練を投げ出そうとする理由も。」

「気づいたの。私達がしていることはただの穴埋めなんだって。見据えるべき本当の困難から逃げようとしてるだけ。”試練”なんて大層な名前を使って。」

レルザムは自らの試練を放棄するどころかエルマの在り方に物申し始めた。その時点で私はレルザムの主張を何も聞きたくなくなってしまい頭に血が上った。

「結局教祖も私達も言い訳が欲しかったのよ。自分の体質は女神からの贈り物です。だからしがらみから目を背けていいんです。エルマは狂信や妄信を求めません。だからあなたも辛いことから次元単位で逃げていいですよ。わたしたちは万能ではないから助け合いましょう、だってわたしたちはエルマだから…全部免罪符を獲得するための言い訳なの。」

「やっぱり…あなたは」

「言っておくけど私は正気よ。認識災害にも強迫観念にも心の病気にも罹っていない。」

…えっ?

「ねえハンナ、私がなんでエルマに入ったか覚えてる?事故に巻き込まれた恋人に「君には僕の分の幸せを、2人分の幸せを独り占めして歩んでほしい。僕のことなんか忘れてほしい。」って言われた。だから私はエルマに入って、普通の一生じゃ想像できないくらい色んな未知を見てきた。ユウマの存在が頭から霞むくらいの経験をできる限り多くした。」

「そ…そうよ!だからあなたはここまでエルマとして頑張ってきた。趣味の一環でカメラだって始めたじゃない。忘れてないなら本当になんで…」

「もうそんなことしなくて良くなったからよ。この巡礼が終われば私はユウマと一緒に暮らせるの。」

「暮らせるって、ついさっきあなたの口から死んだって言ったばかりじゃない。」

「これ以上は言葉で言っても無駄でしょう。楽園は各人に違う形で見えるもの。あなたと私の楽園が違う以上、相互理解は求めていない。そしてあなたは私の楽園じゃない。」

“あなたは私の楽園じゃない。”その一言が私への拒絶だと理解した途端、私の体は動かなくなった。全身のエネルギーを脳に総動員して、なんとかその言葉の別の解釈を見つけようと必死だった。

「疲れたのよ。ユウマの遺言のろいに従い続けることが。どれだけ試練を続けても、どれだけ次元を飛び越えても、「ユウマのことを忘れようとする」がユウマの願いなら、結局私は一生彼の影を抱きかかえて飛ばなきゃいけない。エルマにいたときに楽しさを感じることはあったけど、苦しみを忘れたことはなかった。」

そう吐き捨ててレルザムは強引に会話を終わらせようとする。リュックを背負い直し背を向けて歩みを再開する。私は止めようとする。でも足が、口が動かない。

「もうついてこないでね。」

なんで、どうして。自分の頭の中を整理するため泣きながら少々遠くの、だけど大きな街に飛んだ。
両親に見捨てられ、入った孤児院でいじめられ、先生すら邪険にされた私は藁にもすがる思いでエルマに入信した。同年代かつ同期で傷心していたレルザムの存在は私にとって大きく、時には同じ志を持つ同胞であり、時には私を認めてくれる母であり、時には心の弱さを私だけに見せてくれる恋人であった。

そうだ。レルザムは弱いんだ。私がいないとどうにもならないんだ。なのになんで…

しばらくして泣き止んだ後、街に降り立つとすぐに気づいた。大きな街でまだ昼過ぎなのに人の気配が全く無い。俯瞰じゃわからなかったけどとっくの昔に放棄されたのかと思ったが、生活の痕跡がある。少なくとも数日前まではここに人がいた。なぜだろうと身構えつつ街を散策すると中央の特に大きい建物、礼拝堂か集会所か、そこの扉が開いている事に気づいた。心の中でごめんなさいと謝り半分、何か異常存在が関わっているのかと警戒半分で建物の中を見る。

それは、都市だった。

家族の団欒が暖かな光となって漏れ出す窓。青果や麺のような食べ物を売っている露店。活気に溢れた市場。発光する虫と大道芸人が子どもたちの笑顔を創り出す広場。現代の感性に当てはめても美しいと思えるディティールを施された旧い噴水や建物。これまで多くのユニバースを渡り歩いたがここまで平和を維持できており、かつ文化レベルが高い場所は初めて見た。

そして、そこにみんながいた。

手を取り合い坂道を下っている2人は、今まで顔を見たことのない両親だとわかった。私をいじめた先生が、孤児院のみんなに赤と青、2匹の猫の絵本を穏やかな口調で読んでいる。私に何かと難癖をつけて暴力を正当化した子も、きたない私のことを見て見ぬ振りした子も、みんなうっとりと耳を傾けている。エルマで知り合ったみんなが、柔和な微笑みを湛えて、思い思いのこれから更けゆくであろう、休日の夜を過ごしている。そして、レルザムが、笑顔の、れ、れるざむあ、れるざむが、ひとりしずかにどくしょをしてて、それで、そ、そ、それ、で、



















どれだけのじかん、そのとしをみただろう。

そこに、いきたいとおもった。

私はもう、どれだけ外に飛び出しても、レルザムに、会えないのなら、その都市の中に、一生かけて、たどり着いて、引きこもりたい。

私にはそれができるし、行き方も知ってる。飛ぶなんて以ての外だ。いくつかの場所を徒歩で中継しなければ。巡礼に必要なのは自らの足なのだ。決意を固めると同時に頭の中で鮮明になっていく世界地図を頼りに私は歩き出した。

さあ、行こう。輝かしいあの中国都市へ。

建物の中のランプの輝きを消さぬままに、そうして私は私だけのための巡礼を始めた。

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