星帰り
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1回、2回、3回。ローブをまとった老人が鳴らす鐘の音が街中に鳴り響く。こんな瞬間が来るとは、夢にも思っていなかった。さっきまでなんともなかった目の前の道には霧が立ち込め、数十センチ先さえ見えなくなっていた。振り返れば、先ほどまで一緒に屋台で話し込んでいた源さんと秀さんが悲しそうな笑顔でこちらを見ている。源さんなんかは目の周りを真っ赤に腫らし、何度も鼻をすすっている。その後ろにはいつの間にか他の住人達が集まっており、皆物珍しそうにこちらを眺めている。彼らもきっと、こんなこと今まで見たことがないのだろう。

「いやーこんなことってあるんだな。おれぁこの街にきて長いが、こんなことは初めてだぜ!…にしても寂しくなるなぁ。こんなジジイのくだらねぇ話を丁寧に聞いてくれるただ1人の住人だったからなぁ」
「そいつぁあんたの話が代わり映えしないからだろ?源さん」
「うっせぇな秀!せっかくのいい雰囲気だってのにぶち壊すんじゃねぇ!」

こんな時でも相変わらずの賑やかさ。やはりこの街はいい意味でやかましい。少なくとも、僕達のようなものが何もかもを忘れるにはうってつけの場所だろう。

「…なぁ、もう少しだけこっちにいないか?少し戻るのが遅くなったって迷惑にはならんだろう?」

迷惑……むしろ僕が戻る方が彼らにとっては迷惑この上ないですよと口にしようとするが、小突かれそうなので愛想笑いだけで済ませる。

「源さん、そろそろ…」
「わぁってる!わぁってるって!すまねぇなぁうじうじ言っちまって!あんたはもうここにいちゃいけねぇんだ。元の場所に戻って、二度とここに来るんじゃねぇぞ!てこでも動くんじゃねぇぞ!ほら行け!俺が泣いちまう前にとっとと行ってくれ!」

源さんはそう叫ぶと僕に背を向け、それきりこっちを向かなくなってしまった。秀さんは震える源さんの肩に手を置き、こちらに顔を向け別れを告げた。

「ちゃんと別れを言えてないことを許してやってくれな。知っての通り、悪い人じゃないんだ。ただあんたのことが本当に気に入ってたのさ。さぁ、行っとくれ。そしてここの事は忘れなさい。あんたはあんたでいるんだよ」

ひとつ大きくうなずき、ローブの老人を見やる。老人は僕をチラリとみると、再び鐘を鳴らす。瞬間、霧が一層濃くなる。どうやら準備ができたようだ。源さんと店主にもう一度深くお辞儀をし、ひとつ大きく息を吐く。そして覚悟を決め、僕は先の見えない霧の中へと一歩踏み出した。





延々と続いてるのではと思うほど長い霧を抜けた先、気が付くと瓦礫の山の上に立っていた。よほど強い衝撃を受けて壊れたのだろうか、欠片の一つ一つが小さく粉々になっている。中には、何かのオブジェだったのであろう、複雑な模様が彫り込まれた瓦礫も見られるが、元の姿を想像することなど到底かなわなかった。あたりを見渡す。2、3m先に、何か黒い布のようなものが落ちている。だがそれが何であるかを確認する前に、僕の身体は浮き上がり、空へと昇り始めた。ぐんぐんぐんぐん、僕の身体は昇っていく。自分の意思とは関係なく、ただひたすらまっすぐ昇っていく。このまま昇って行った果てに、僕が戻るべきあの場所があるのだろう。


途中、僕と同じように昇っていく二人の男女を見かけた。男はどこか満足げな様子で女に語りかけ、女はそれに笑顔で優しく返事をしていた。唇の動きが少しだけ見て取れる。


「随分と待たせちまったな」


「ううん、お疲れ様」



彼らが何故昇っているのかは言うまでもない。おそらく彼らは、僕が戻れるようになった理由そのものなのだろう。彼らが至る場所は、僕が向かう場所とは違う。彼らは、自分達がどこに行くかを知っている。彼らはやれることをやった。そこに悔いなど微塵もないだろう。体は徐々に速度を上げ、一気に上昇し始める。男女の姿はどんどん小さくなり、ものの数秒で見えなくなった。だが見えなくなったその瞬間は、日の光の中に2人が溶けるように消えていったかのようにも見えた。





雲を超え、空気は冷たくなり、空の色は暗くなっていく。星を飛び出し、宙へと放り出される。それでも体は止まることなく、一直線に進み続ける。目的地はまだまだ先だ。おそらく、あの場所に戻るまでのこの時間は、彼らにとっては瞬きを一回するかしないか程度のわずかな時間だろう。だが僕にとっては、最後の旅行のようなものだ。僕が僕でいられる最後の時間。少し名残惜しいけど、今の僕は本当の僕じゃない。元に戻る。ただそれだけ。僕は、僕そのものを、事実を、彼らに思い出させるだけだ。


僕があの街に行ってから暫くして、彼らはあの人たちに干渉し始めた。彼らの行動は、実際にはただの押し付けであり、「進歩」を捨て、「停滞」を望んだ末路にしか見えなかった。あの街にいた僕だからこそわかる。人は進歩できる。選ぶ道次第でいかようにでも変化することができる。止まることだってできる。だがそれを誰かが否定し、強要する権利などない。もしかしたら、この考えさえもエゴなのかもしれない。だが例えそうだとしても、僕は彼らの所に戻るしかない。考えたところで無駄だ。だがその後にどんな結末が待っているかは大体予想がついてる。だが、それも一つの進歩だ。例え彼らが滅びようと、困難を乗り越えて歩き出そうと、僕には関係ない。僕はただ、彼らの所に帰る。その後は彼ら次第だ。


そう思考を巡らせる間にも、体はスピードを上げ進み続ける。星が見えたと思えば、すぐさま光の線となりはるか後方へと消えていく。何百、何千、何万もの光の線が織りなすトンネルの中を突き進んでいく。やがてトンネルの先に、見覚えのある星が見えた。一気にスピードが上がる。あそこが目的地だ。1つ、2つ、3つ……。星は以前と変わらぬ数、変わらぬ位置で輝いていた。さぁ、楽しかったさと帰りももうすぐ終わり、この身体ともお別れだ。目を瞑り、思い返す。あの街での人々とのふれあい。あの街から見た人間の可能性。どれもこれも意味はない。戻ってしまえば、すべて忘れてしまうだろう。それでも、それでもこれは、僕の大切な思い出。確かな記憶。だから僕が、それを彼らに伝えよう。可能性を。歩むことの大切さを。


煌々と輝く9つの星、その中心にある一際明るい星に一直線で突っ込む

身体がバラバラになるのがわかる

あるべき形に戻っていく

僕はいくつもの小さな欠片となり、流星群のように彼らに降り注ぐ

僕はその先を知らない

知ることはできない

でも、きっとこれでいいんだ

一つの事実でしかなかった僕に、彼らはたくさんのものをくれた

その中に間違いなんてないんだ

だから、彼らにも教えよう

思い出させよう

ぼくという可能性を

誰もお帰りなんて言ってはくれない

それでも僕は言ってやろう

「ただいま、僕の故郷

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