結末とは結末などないということ
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“忘れました。”

記憶処理薬を扱う者にとって、これほど危険な言葉も他に無いでしょうね。SCP財団は年間1000人の人間に1000もの事柄を忘却させていますが、被害者がそれに気付くことは決して無い。自分が何かを忘れているという自覚は、いわばシステムに生じた亀裂です。だから、その言葉を耳にするたびに、私たちは原因究明に努めました。

やがて、私たちはこの村を築き、そして十数ヶ所もの似通った場所を世界各地に設けました。自分の人生を、友人を、家族を忘れてしまった人々の村。自分が生きていることさえほとんど覚えていられない者たちが生活する場所。最初のうちは、患者たちを村外に出すまいと頑張っていたんですよ。でも、それは初めから勝ち目のない戦いで、私たちは非異常な世界から教訓を学びました。

それで、このバス停みたいな場所を幾つも設けました。単純ですよね。誰かが外に出たがったら、バス停に送り込めばいい。彼らは腰を下ろして待っているうちに、自分がなぜそこに座っているかを忘れ、とぼとぼと家に帰る。暴力はいらない。恐怖もいらない。言い争う必要もない。決して訪れない逃避の手段を待たせ続けるだけ。

ここで私たちがやっていることを利他主義だなんて思わないでください。これは何もかも私たちのせいなんです。財団では、60歳に達した職員のほぼ50%が神経変性疾患を発症しています。世界全体の平均値を大きく上回っています。そして、その原因は、私が全盛期に発明したものにあるのです。

1981年、私たちは最初の認識災害性アノマリーを分類しました。その一因となったのが、世界的なメディアの普及です。誰もがテレビを視聴している社会では、危険なミームを拡散するのは容易い。もちろん、認識災害はそれ以前から存在していましたが、ごく稀にしか発見されなかったので、それらに適用できる具体的な基準が確立されていなかったのですよ。やがて90年代がやってきました。インターネットの台頭によって、状況は更に悪化しました。私たちは本格的な認識災害の流行期に直面しました。

そこで1996年、私たちは何かしらの解決策を模索し始めました。初期の試験は拙いものでしたが、選抜された患者たちを脅かしていた危機を考えれば、どんな解決策でもまだマシでした。当初、私たちは大脳新皮質を完全に切除しようとしました。病気の原因を思い出せなくなれば、その人はもう病気ではなくなるはずだ、という理屈です。

成果は上がったものの、長期記憶を形成できない人間の生活の質がそれほど高くないのは明々白々でした。私たちも、このやり方が問題を解決する最善手でないことは分かっていましたが、それでも良い第一歩だと理解していました。

標的型記憶処理というアイデアを最初に打ち出したのは、この私でした。初期の臨床試験で使ったアノマリーの1つ… 番号はちょっと思い出せませんが、それは特定の記憶が脳のどの部分に保存されているかを正確に割り出せました。それを利用して、外科手術の対象を直接絞り込みました。

やはり完璧ではありませんでしたが、ごく僅かな脳の欠損程度ならば、人間は概ねまともに機能できました。大々的に展開できる手段でないことも、恐らく私たちが理解しきれていない長期的な副作用があることも察していましたが、それでも試験は中止されませんでした。人々は記憶のせいで死にかけているのだから、彼らを救うための手段は何であれ正当ですものね?

最初の標的型記憶処理薬が開発されたのは2004年でした。ほんのちょっぴりの魔法と科学を混ぜ合わせて、特定の記憶を保持する脳の部位を発見し、死滅させる。外科手術はもう不要でした。その頃にはO5たちも注目し始めていました。どんな記憶でも消去できるのなら、しかもそれを非侵襲的な手段で実行できるのなら、これらの薬剤を使って異常世界の秘密を確実に守り通せる、と。

実に容易いことでした。手始めは私たち自身でした。それ以来、データの区分け作業は大いに簡素化されました。ある分野の専門家を招き、彼らが恒久的なアクセス権限を持たないアノマリーについての意見を仰ぎ、その後でプロジェクト全体の記憶を拭い去れば済むんですからね。やがて民間人にも使い始めました。田舎道でビッグフットを目撃した男? カメラを取り上げて記憶を消せばいい。

私の部門に、スター・ウォーズの最初の三部作をもう一度観返すために、最初の鑑賞の記憶を消した男がいました。何が一番笑えると思います? いい大人でありながら、彼はそれを問題ないと考えていたんですよ。私たちが記憶の仕組みを完全に理解できる日は来ないと思いますが、あの男こそが最初の深刻な問題でした。ほら、記憶は遡れば遡るほど、その後の記憶を形作るものなんです。

何より、まだその記憶があった時期はどうなるのか? 消えます。例えば、元カノにまつわる記憶を全て消し去りたいとしましょう。ええ、付き合っていた日々を消去することはできますとも。それで、別れた後に彼女を想って過ごした時間は? 破局から学んだ、何をやってはいけないのか、今の人間関係で同じ過ちを繰り返さないためにどうすべきかという教訓は? 過去の経験が現在に及ぼしてきた影響は? 薬剤にはそんなことは関係ありません。“元カノを消せ”と命令されれば、彼女を完全に消し去るだけ。

あの男は、私たちにとって初めての、記憶処理薬による神経変性疾患の症例でした。彼はその時点までに - もちろん、財団の方針に反してですが - 記憶処理薬を2年間も服用し続けていたんです。私は、彼がまだ歩いたり笑ったりしながら死んでゆくのを見届けました。彼の妻はお見舞いに来るたびに泣いていました。やがて全く来なくなりました。

最期を迎えた時、彼は俗に“終末期明晰”と呼ばれる状態になりました。認知症患者の中には、最後の数日間で認知能力や記憶想起力が飛躍的に向上する例が少なからずあります。数分程度の場合もあれば、数日続いたりもします。

しかし、それはほぼ例外なく、死ぬ間際の出来事です。彼は私の目を真っ直ぐに見つめて、「俺たちはしくじった。全てをめちゃくちゃにしたんだ」と言いました。一時の空虚な言葉ではなかったことを、どうか分かってください。あれは、長年の知り合いだった男がついに正気を取り戻し、私たちが生涯をかけて取り組んだ仕事をどう思っているかを伝えてくれた瞬間だったんです。

部門の職員のほとんどは、やはり、何年も記憶処理薬を使っていました。彼ほどではないにせよ、少なからぬ量を。彼の様子がおかしくなってから、私たちは使用を止めました。でも、その頃にはもう手遅れだったんじゃないかと思います。

やがて、プロジェクト・フェニックスの監督から、全世界に展開するエアロゾル版の記憶処理薬を作れという指示があり、私たちはそれに従いました。私にはたった一度の投与なら問題あるまいという確信がありました。その間もずっと、部門の一部は安全な投与量を特定しようと頑張っていました。プロジェクト・フェニックスの次には、プロジェクト・バジリスクが続きました。グリフォンが、クラーケンがその後を追いました。それからも続々と。世界中にどれだけの記憶処理薬を散布したか、正直なところ、もう覚えていません。

私たちは結局、記憶処理薬の安全な投与量などというものは存在しないという結論に至りました。短期的な副作用はごく軽微ですが、記憶障害や行動上の問題は一生付きまといます。財団職員はほぼ全員、少なくとも一度はその投与を受けている。なお悪いことに、作用の性質上、投与されたこと自体を知らない者もいる。

今では、ええと… 言うまでもない理由から、記録管理がずっと徹底されています。でも、自分がどれほど損なわれているか全く理解していない人もいるんです。

すみません。どうもちょっと疲れているようです。待っているうちに考えを整理させてください。

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