1
まずは、私のことを話そう。
生れた時から死というものを知っていた。最初に見ず知らずの老婆の、次に父と母の最期を私は見た。それは私のなかに流れ込んできて、瞬く間に根を伸ばし、私の記憶に定着した。そのとき、私は一人遺されることを知った。
少しだけ時間が経ち、父と母の墓も砂に埋もれたころ、私は身寄りのない人々の元に訪れ、その命が完全に消え去るのを見守っていた。それが私の使命だった。私の不思議な力を、人々は怖れながらも必要とした。死への恐怖を克服するためには、人々は孤独でいられないのだ。
私の暮らしていた国に疫病が蔓延ったのは数千年まえのことだ。その運命を、私は何十年も前から知っていた。次の夏がくるころに、体が腐り、血を吐き、身をよじりながら死んでいく人々が、朝から露店をだして商いをしたり、談笑しながら数年後の国を想い描いたり、赤子に語り掛けながら母乳を与えたりしていた。そんな光景を私は呆然として眺めた。私は、私自身の無力に絶望し、誰もいない場所を目指して、国を出た。
しかし、私の力は、私が安らぐのを許さなかった。ふとした瞬間に、名も顔も知らない誰かの生涯が、私の中を駆け巡る。すると私は、夢遊病者のようにその誰かを探し始めるのだ。私が見守らねばならない誰かを求めて。
はっきりとした日時を答えることはできないが、「タナトマ」、または「タナト―マ」という言葉が、人々の記憶から浮上を始めたのを、私は懐かしさを感じながら眺めていた。古い時代の、ある医者がそのことについてよく話していた。私はバベルの図書館めいた記憶の大書庫からその言葉の最古の記録を引っ張り出し、しばし思い出に浸った。
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2
SCP-2419の存在からもわかる通り、この世に利用価値のない人間など存在しません。ただ、人間を留め置くための場所が有限である以上、或る閾値を下回った人間は廃棄せねばなりません。
殆どの要因で死なない肉体を持つ人間は、もちろん、我々にとって必要な人間です。しかし限度があります。必要最低限度の思考力、理解力、運動機能、その他さまざまな要因を満たさねば、もはや実験には使用できず、かといって無くすこともできない。では、宇宙空間に放擲すればよいかと言われればそれも違います。なぜなら、不死身の人間を使いたいのは、財団だけではないからです。我々はこの世界を持続させるために、管理を行う必要があるのです。
あなたがこれから勤めてもらうのは、そういう目的で作られた場所です。あそこに存在する人間たちは、まず通常の方法では死なないと考えられています。たとえ「老衰による死」によっても。たしかに老衰のタナトマは存在しえないとされていますし、我々もこのタナトマを抽出したことはありません。しかし世の中には、疑似的にではあるものの、老衰に抗する術を細胞に獲得させる手術を可能にした集団がいるのです。あそこにいるものの大半も、その集団による処置を受けています。
あなたの仕事は、ただ彼らをあの穴に適切な処置を施して、突き落とすだけです。あなたの能力なら、簡単な作業でしょう。私からなにか教えることもありません。先任の私から貴方にアドバイスを一つだけするとするなら、彼らの顔を見ないこと。情とは、あなたが思っている以上に厄介なものですから。
幸運を祈ります。
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3
私がこの場所に辿り着いたのは、もはや残り僅かな命を終えようとする支離滅裂な絶叫を聞いたからだった。
そこは巨大な病院の一区画であり、その裏口は仄暗い死体置き場へ続いている。死者をそこまで運ぶのは死体運搬車ではなくベルトコンベアであり、その終端から先には闇が広がっている。
そこは生命の気配が限りなく希薄だった。内壁の隅々に死神が触れた痕のように見える黒筋が奔り、異様な雰囲気を纏っている。その病院に長く世話になっている人々は、あの病棟に運ばれれば、二度とは娑婆に戻れないと怖れていた。
集団墓地の底には長年をかけて降り積もった死体が液状化して出来上がったどろどろのジュースが溜まっている。その粘液には高濃度のタナトマが混ざっていて、これを抽出できれば高値で取引できるとのうわさもあるが、病棟は白く厚い壁で囲われており、鼠ですら侵入するのは不可能だろう。今までに、ここの管理者を除けば、生者は一人としてこの建物に入ったことがない。少なくとも、そのように認識されていた。
私が誰かの側に佇むとき、その人は今まさに臨終の言葉を言い終えたか、言う機会を永久に逸したときであって、生命の残余は僅かなはずだ。
しかし、タナトマが世界に発見され、すべては変わった。
以前に私が会った登山家は、不幸にも雪崩に巻き込まれ全身を引き裂かれた挙句、雪の重みで潰され、凍えていた。私はその場所に訪れると、せめて最後に温もりを与えようと火をつけた煙草の先端を心臓のあるはずの位置に近づけた。だが登山家は煙草の全てが灰になっても死なず、手持ちの全ての煙草を燃やし尽くしても死なず、意識を保ち続けた。
タナトマは死に瀕した人の、生から死への移動を極端に遅らせるらしい。その登山家も長く生き続けた。私がタバコを吸い終わっても、わずかだが息をしていた。だが、ある日突然、私は登山家を感じられなくなった。登山家は不死ではなかったのだ。現代のタナトマを語る上でたびたび目にする言葉を借用するなら、その登山家は"不死もどき"だった。
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4
第7埋葬地最下層における監視カメラ映像の分析結果をお伝えします。詳しい分析結果は別途メールにて送付いたします。
あなたがたの仮説通り、設置から10年の間に少なくとも5回、SCP-4999の出現が確認されました。この頻度は、われわれがSCP-4999の調査を始めてから最高のものです。
興味深いのは、埋葬地にて生き死ぬ人々の中で、SCP-4999の出現条件と合致する者が多いとは必ずしもいえないことです。SCP-4999の出現の仕方には、今まで報告されてきた情報と差異が見られます。報告書によれば、SCP-4999が対象の前に現れるのは、対象が死ぬ20分未満としていますが、これはあくまでも経験則でしょう。私が見たところによれば、時として、SCP-4999はその場に数秒と留まらず、即座に消失しました。
しかし、5例目の記録においては、SCP-4999は今までに報告がない挙動を見せました。SCP-4999はおもむろに死体の山に手をつくと、表面の死体をむりやり引き剥がし、山を崩していきました。その後、SCP-4999は1時間以上その場に座り込み、タバコを何本も吸って、最後の火が消えたと同時に消失しました。
これら報告書の内容から外れたような挙動の原因は、SCP-4999が埋葬地の対象の命がもう数分と持たないと「誤認」しているからであると私は考えていますが、博士の考えもぜひお聞きしたく思います。少なくとも、われわれはSCP-4999のことをより理解するための材料を手に入れたのですから。
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5
あなたも不死もどきなのだろう。あなたの声(それは空間の振動ではなく、脳内で生じた発狂した電気信号でしかないのだが)が、私をここに導いたのだ。
私の脳裏にある既に死んだあなたと、今のあなたの姿はほとんど見分けがつかない。あなたの五感は殆ど機能を喪失しているが、脳は辛うじて生きていて、私を確かに認識している。私に流れ込んできたあなたの生涯が、私の記憶の一部となって、私をここに導いたのだ。あなたはここに落ちてから暫く不死もどきの山の天辺から遥か高みの天井を見ていた。何年も。少しずつ衰弱していく肉体が空気中を漂う塵になるほどの時間を。
それでも、あなたの肉体に隈なく刻まれたタナトマ抽出の決して消えない痕を見れば、あなたがいままでどうやって生きてきたかは、私でなくとも察せられるだろう。
私はあなたの生涯(それは今や私の記憶の一部もある)の始まりの方に向けて潜り出す……
母の胎内で眠っていたあなたは突然の衝撃に目を覚ました。あなたは、母の腹がぱっくりと裂けるのを感じた。母は、爆走する貨物列車に身を投げ粉々になった。血と羊水が混ざり合ったドロドロの液体が先頭車両を濡らすのも束の間、緊急停止の音が響き、既に元通りになっていた母の胎内にいたあなたは、一瞬だけ感じ取れた外界の空気の冷たさと同時に、甲高い列車の絶叫を聴いた。
母は自殺癖を持っていた。父はそれを知っていて、普段であればその助けになる道具を常に自宅に備えているのだが、あなたを懐胎してからはそれらを放棄していた。母の自殺への欲求は解消されなくなり、衝動的な飛び込みに至ったのだが、この事態に一番驚いたのは母だった。そもそも、母は飛び込むために駅まで来たのではなく、出来の悪いタナトマを接種したために狂った祖父を見舞うため、病院に行くために駅まで行ったのだ。
この一件であなたが死ななかったのは奇跡だった。普通、出産前に抽出されるタナトマに、自殺や衝突事故は含まれていない。あなたが助かったのは、母が幾度も自殺のタナトマ抽出を受け、あらゆる要因による自ら命を絶つ行為に対して不死になっていたからである、とされているが、吹き飛ばされ地面を何度も跳ね飛んだ母の中で地面に激突したときの衝撃を受けていたあなたが死ななかったのには、医者ですら首を傾げた。十数年後、父はあなたにこの一件を話し、「お前は母さんの死に癖が転じて生きているんだ。母さんはお前の命の恩人だ」と語った。あなたが死を意識したのは、その時が最初だった。あなたのなかに眠っていた胎内の記憶が一挙に思い出された。
母に包まれていながら、それは絶対的で、孤独な死に思われた。自分がいま生きているのは偶然に過ぎない。なにものかの気まぐれで生かされているだけの命。あなたは今までにない恐怖を感じた。この恐怖を克服するには、そのときのあなたはあまりに孤独だった。父も母も、今や死んでいないだけの人でなしにしか見えなかった。祖父は発狂した後、失踪した。そして、祖母はさらに前、あなたがまだ幼い頃に、あなたがベッドで寝るのを見守った後、一人静かに息を引き取っていた。
あなたが”老衰のタナトマ”の抽出を決意したのは、ちょうどそんなときだった。
一度、あなたの記憶から現在に意識を戻し、私はあなたを見つめた。長く生きすぎたあなたは、私を知覚したが、あなたが認識している私の顔は、あなたの父や母や祖父の顔をまぜこぜにしたものになり、しばらくするとその顔はあなたの祖母のものに変わった。
祖母はあなたに言った、「これは本当の話よ」。祖母はそうやって、いつもあなたに物語を聞かせてくれたのだ。
あなたの中から生気が僅かに蘇るのを私は感じた。まだ私の役目はここにはないと確信すると、私はその場を立ち去った。
私があなたの素顔を直接見られたのは、このあと暫くなかった。あなたは以降、空から落とされる他の不死もどきたちの下に埋もれていったのだった。
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6
”老衰のタナトマ”なるものを抽出したあなたは、孤独になっても生き続けた。死なないのであれば、死を恐れる必要はなく、生きる目的を考える必要もない。あなたはすべての仕事を辞め、召使を雇い、家に引きこもった。召使との関係性は驚くほどうまくいっていた。召使はあなたの命令にひたすら忠実だった。あなたも召使の行いに口を出さなかった。一番うまくいってなかったのは、誰でもないあなた自身だった。
あなたは作家になりたかった。より正確には、祖母のような語り部になりたかったのだろう。あなたの最も幸福だった時間は、幼少の頃、寝る前に祖母から物語を聞く時間だった。それは、埃をかぶった古い記憶だったが、あなたの記憶の中で眩い光と温もりを宿していた。だから、あなたは独立してから、ほとんど自然な成り行きで小説を書き始めた。
しかしそれも長くは続かなかった。何を書いても、あなたは満足できなかった。祖母が語った物語の記憶が輝かしいほどに、あなたは追い詰められていた。書いては捨て、書いては捨てを繰り返すうちに、嫌悪感がこみあげてきた。なにが満足できないのか、あなたにも説明がつけられないことが、より一層あなたを苦しめた。やがてあなたは召使に薬を買ってくるように言った。召使は困惑の表情を示したが、あなたは有無を言わさず、とにかくここにいけば買えるからすぐに買ってきてくれと言った。その場所は、かつてあなたが”老衰のタナトマ”を抽出した"病院"だった。実際には、あそこは病院ではなかったのだが。
それからのあなたの記憶はひどく混濁する。あなたが僅かに残った正気で書き上げた小説を、出版社に持ち込んだ後、あなたはその結果を知る前に、大酒を飲むように劣悪なタナトマと薬のミックスを大量に摂取し、自我を手放してしまった……
あなたにとって幸いであると思われることを教えよう。一つ、あなたにはもう少しだけ時間があるようだ。一つ、あなたはこの暗闇のなかで正気を取り戻しつつあるようだ。一つ、あなたの奥底から、言葉が湧き上がってくるのを感じている。祖母があなたに語ってくれたように、誰かに語るための言葉が。
私が思うに、それこそあなたが長年求めていたものではなかったか?
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見守る者と物語る者
死体の重みで徐々に潰されゆくあなたは、ただ一つの存在を見つめていた。あなたは私を認識していた。あなたは死にかけていた。いや医学的には既に死んでいるのかもしれなかったが、私には見分けがつかなかった。
私は表層をひっぺがし放り出し、穴だらけの骨や和紙のように脆くなった皮膚を破砕しながら、層の底のあなたを目指した。腐敗臭も血の臭いもなく微かな黴の匂いだけが立ち込める壁を見た。名も知らぬ誰かの頭蓋が壁から覗いていた。ひたすら苦痛と孤独のなかで死んでいった人々、私が見守れなかった人々がここには何人もいた。あなただけを見守りたい、見守らねばならないという強迫的なエゴだけが私を動かし、私が見守るべきだったかもしれない人々を粉々にし、彼らがここにいたという事実を消し去っていく。
それでもあなただけはずっといた。未だ死にきれないあなたが。この期に及んで、まだ私の中に声を届け続けている。私は懐からタバコを取り出し、火をつけた。仄かな火の明かりが死体の谷の奥底を照らした。数百年ぶりに、あなたの眼前に日が昇る。
”話をしないか”
あなたは私にそう語り掛けた。私は、何なりと、と言う代わりにあなたの傍に腰を下ろした。
煙草の火は徐々に小さくなる。全てが闇に閉ざされようとしている。あなたは語る。
"これは、そう、本当にあった話なんだがね"
私はあたかも、あなたの胸に秘めた宝物を盗み見るような気持ちで、タバコの火が消えるまでの間、あなたの傍に座っていた。



