はじめに
2045年11月29日でイベント・オッタル──一般社会ではスペイン国民カワウソ化事件、スペイン神格存在出現事件、トンガラシ事件などと呼ばれる事件の収束から30年です。これを受け、今回は「The “F”」過去号や「信濃中央新聞」過去版に掲載された記事を引きながら、イベント・オッタル前後におけるスペインについて解説していきます。
財団記録部門出版 『The “F” 2015年12月号』 より抜粋
3ヶ月間続いた神格存在出現事件(財団名称: イベント・オッタル)はバルセロナを中心とするスペイン本土に大きな傷痕を残した。神格存在がスペイン軍や伝承部族義勇連合により無力化されたことでイベリア半島内のスペイン領に広がっていた奇跡論的呪術結界は解除されたものの、同結界の異常性によって動物特徴保持者(AFC)に改変された4350万人がカワウソから元の姿に戻ることはなかった。最終的にこの事件は1998年のポーランド南部で発生したイベント・ペルセポネを超える被害規模となった。直接被災者約4500万人、内死者・行方不明者約150万人、被害総額は数百から数千兆円規模と推測される。現在、スペインでは伝承部族義勇連合、アンタレス協会、蛇の手、マナによる慈善財団、ウィルソンズ・ワイルドライフ・ソリューションズ(WWS)などの諸団体による復興支援が続けられている。
イベント・オッタルの実行者とされるトンガラシ翁(本名不明)の動機や目的が記述されていた文書はスペイン軍やスペイン政府が財団やGOCに先立って回収していた。スペイン政府は文書の内容を一部公開したものの、全文は2085年まで伏せることを発表した。これにより財団異常部門によるイベント・オッタルの全容解明は困難になった。現時点では、トンガラシ翁の動機が「長寿、もしくは不死性の取得」であったということしか判明していない。
解説
こちらは30年前に出版された、The “F” 2015年12月号の記述です。イベント・オッタルはかのイベント・ペルセポネを超える被害規模となった事件でした。
神格存在の出現と共にスペインのイベリア半島領土に広がった奇跡論的呪術結界はヒトゲノムを持つ人物をカワウソ型のAFCに変異させる異常性を持っていました(p.14→)。その異常性は遅効性であり、7日後に変異が開始する仕組みとなっていました。また、出現当初神格存在は休眠状態にあったこと、奇跡論的バックラッシュ1によるスペイン東部の壊滅を警戒していたことから、スペイン軍と国連軍は様子見に転じていました。この対応の遅れが、4500万人ものAFC化、神格存在の覚醒、バルセロナの崩壊、それに続く神格存在の移動とスペイン各都市での戦闘の原因となりました(p.20→)。この混乱は2015年11月29日の「第3次バルセロナ市街戦」によって神格存在が破壊されるまで続きました(p.62→)。そして皮肉な事に、当初心配されていた奇跡論的バックラッシュは発生しませんでした。また、神格存在の破壊には、トンガラシ翁の支配下から脱したリュドリガ兄妹(セイル・アヒージョ・リュドリガ2とアマリア・アヒージョ・リュドリガ3)の尽力があったとされています(p.28→)。
当時、財団と世界オカルト連合(GOC)はそれぞれ「MC&Dスペイン介入事件4」と「南シナ海戦争5」の対応に追われていました。これにより両正常性維持機関の事件介入が遅れ、最終的な解決に関与出来なかったことが、スペインにおけるその信頼度低下を招くこととなりました(p.68→)。
これが原因となり、財団やGOCはトンガラシ翁の動機や目的、リュドリガ兄妹の出自が書かれていたとされる文書の内容を入手できなかったとされています。その文書は「ペブロット・ファイル」としてスペイン政府の重要機密に指定されており、2045年現在においても一部のみの開示に止まっています(p.80→)。スペイン政府は「ぺブロット・ファイル」の機密保護期間終了を事件収束から70年後、当記事執筆時では40年後の2085年11月29日と発表しています(p.76→)。
『信濃中央新聞 2016年10月1日版』 より抜粋
スペイン新憲法が本日より施行 AFCや伝承部族の権利保証を明記
公開日 2016年10月1日22:34
血と金の旗 (スペインの国旗)
スペインにて新憲法(通称、スペイン2016年憲法)の施行が開始された。
昨年の「スペイン国民カワウソ化事件」により人間住民の9割がカワウソ系動物特徴保持者(AFC)に変異したスペインでは、AFCや伝承部族の受容が進み、その権利保障運動が急速に拡大していた。事件による変異が遺伝子をも改変するものであり次世代以降もAFCとなることが判明したことや、事件発生以来、伝承部族義勇連合が積極的に救援や支援を行ってきたことがきっかけだ。しかしヴェール政策崩壊以前に制定された旧憲法(スペイン1978年憲法)にはAFC・伝承部族の権利について記載されておらず、改正を求める声があがっていた。これを受けて国民党とスペイン社会労働党は新憲法案を協同で作成し、今年3月2日にこれを提出。議会での6ヶ月に及ぶ協議を経て、先月11日に行われた全国投票では投票のうち82%が賛成。17日に国会で正式に可決され、25日にスペイン国王フェリペ6世が署名した。
新憲法には世界初となるAFCや伝承部族の権利保証を明記した条文が記載されており、ギータ族6、マラク族7、クエレブレ族8、モウロ族9、バスク・ラミア族10などと言ったスペイン原住伝承部族がスペイン国内において一般人と同等の権利を持つことが認められることとなった。
AFC・伝承部族の権利保証運動に関わるアンタレス協会、蛇の手、マナによる慈善財団、ウィルソンズ・ワイルドライフ・ソリューションズ(WWS)などの諸団体が新憲法の施行を祝福する一方で、改憲反対派、特にスペイン国民カワウソ化事件での被災を逃れたスペイン人の一部からは嘆きや反発の声が上がっている。そうした声にスペイン政府は説得を続けていくとしている。
解説
イベント・オッタルによりカワウソ系AFCに改変された人たちは現在、「スペイン・カワウソ族(エスパノルヌートリアとも)」と呼ばれています。これはスペイン2016年憲法における記述が初出とされています(p.90→)。エスパノルヌートリアは見た目こそカワウソですが、知能、声帯、寿命は人間時のものと変わりないことがイベント・オッタル後に行われた全国民規模の身体検査により判明しています。一方でイベント・オッタルによる被災を免れたスペイン人たちは「ヒュマノ(エスパノルヒュマノとも)」と呼ばれるようになりました。
スペイン2016年憲法は当時において革新的なものでした。パラヒューマンの社会進出が進む中においてもAFCや伝承部族の権利が認められていたのは、ネクサス(超常集点領域)、フリーポート(超常自由港市)、遠野妖怪保護区、フブスグル湖定住区、第三南極帝国などの超常特別区や超常国家、そしてハドソン川協定の締結後にパラヒューマンの権利保障運動が活発化したアメリカのみだったからです。特に憲法で権利保証を明記する試みは世界初でした(p.88→)。
しかし、これを好意的にとらえた国家は、前述のアメリカ、2009年の奇蹄病事件11によるAFCの増加で権利保証活動が活発だった日本、多数の原住伝承部族を抱え権利保証活動も活発だったギリシャなど少数でした。特に欧州連合(EU)の他加盟国とはAFC・伝承部族権利保証問題で激しい摩擦が生じることとなります(p.94→)。この問題が解決するには、イラクリオン条約12の締結がされる2042年まで待たなければなりませんでした(p.182→)。
同様の問題が少数派となったヒュマノの間でも見られました。イベリア半島本土やバレアレス諸島に居住するヒュマノとの関係はスペイン政府による救済政策によって融和に向かっていましたが、2019年の二大陸正常回帰事件で置換されたセウタ、メリリャ、カナリア諸島に居住するヒュマノや置換された南米大陸・アフリカ大陸に滞在していたヒュマノの大多数は母国の現状に驚愕し、一部は反発や嫌悪感からスペインに対して暴動やテロを仕掛けました。南米を本拠地とする夏鳥思想過激派組織「エスパノルヒュマノ評議会」や「スペイン解放戦線」が結成されたのもこの頃だとされています(p.100→)。
また、スペインは前述でも出てきた夏鳥思想(ナツドリズム)に悩まされてきた国家の1つでもあります。夏鳥思想は単なる懐古思想です。しかし、イベント・ペルセポネ以降の急激な社会の変化を受け、一部の団体は次第に反パラテクノロジー・反伝承部族・反AFC思想に変貌していき、そしてそれは二大陸正常回帰事件で更に強まりました。そのような夏鳥思想信奉者にとってAFC主体国家となりパラテクノロジー導入による復興を進めるスペインは分かりやすい攻撃対象でした(p.108→)。以上の要因が重なった結果、「マドリード事件13」「イエローストーン世界同時撹乱テロ14」「在スペイン日本大使公邸占拠事件15」といった悲劇が発生することとなりました(p.114→)。
受難の連続となったスペインですが、それを乗り越えていく中、国際的な影響力を高めていきました。政府と民間が連携したパブリックディプロマシー(広報文化外交/戦略的対外発信)は、AFCや伝承部族を含むパラヒューマンの国際的な権利保障運動の中心の一つとして、スペインが位置づけられる成果として結実しました。今日では、スペインは世界各地で運動を精力的にリードし、パラヒューマンの人権問題の解決に貢献してきたと国際的に評価されています(p.110→)。さらに、世界最多のAFC・伝承部族を抱える国内市場からは、マドロコ(日用品製造・流通)、ニーニョ製薬(医薬品製造・流通)、ロパトリア(アパレル産業)などの大企業が生まれ、世界にその存在感を示しています。これらの会社でデザインされた製品は、世界各国のAFCや伝承部族から人気を獲得し、日本においては、同分野で日本有数の企業であったNEXTSTYLE16の倒産や、スペイン企業による関連産業での買収劇の原因となりました(p.130→)。
編集長のコメント
2015年以降におけるスペインは本稿でも述べた通り、受難の連続でした。神格存在による国家規模の大災害、身体の変化による既存インフラの無力化、認められない権利、夏鳥思想過激派からの攻撃。当時の彼らの苦労は関連資料からも読み取れます。そのような彼らでも隠蔽せざるを得なかった「ペブロット・ファイル」とは、どのような内容であるのか? これについては様々な推測がなされていますが、真実は40年後の2085年まで知る術はありません。
問題も残っています。南米大陸で勢力を拡大し続けるスペイン解放戦線や南米正常解放軍、そしてアフリカ大陸に樹立された中部アフリカ夏鳥主義連邦共和国などといった夏鳥思想を掲げる過激派組織は、依然大きな脅威としてスペインを悩ませています。しかしながら、彼らは決して諦めることがなかったからこそ、世界的なAFC・伝承部族の権利保証運動に繋がり、ついにはEU諸国に権利保証条約を締結させるに至りました。今日におけるスペインはAFCや伝承部族との共存社会のモデルケースとして、2018年にカリフォルニア州で制定された「アニマリー権利保証法」を切欠に少しずつ各州での権利保証が広まっていったアメリカ、2025年に「異常性保持者保護法」を改正した日本のみならず、権利保証法案の協議や制定が始まったばかりの他のEU諸国から参考にされています。
始まりこそは神格存在により前へと追い立てられた形でしたが、その後は国の標語である「プルス・ウルトラ(更なる前進)」の通り、スペインは困難に見舞われながらも前に進んでいきました。今後、彼らはどのような道を進むのかは現時点ではわかりませんが、現在に至るまでの歴史から見て立ち止まる可能性は少ないでしょう。