釣魚評議会: より大きな魚
釣魚評議会: より大きな魚
Byㅤ WitheriteWitherite
Published on 18 Jun 2022 06:38

より大きな魚

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ヘンリー・イワノン博士は大海原を忌み嫌っていた。

彼は、人の眺望を支配し地球の丸みを超えて無限に遠のいていく、不安定なうねる姿が嫌いだった。大海原とは残酷で不快なものだと思い、足元にある固く安定して信頼できる地面のほうをとても好んでいた。

彼は飛行機は耐えることができた。飛行機では、自分は精神の溶けるような速度で空を疾走していないのだと自分に言い聞かせ、心地よい安全な列車かバスに乗っているのだと思い込めたからだ。それは動き方のためだ。加速の感覚が十分似ていたのだった。船ではそうはいかない。船は揺れ動き、一面の青がバカらしい乗船者を取り囲み、その窮状を無視しようとするのをあざ笑うかのようだった。嫌でも五感を通して大海原を認識せざるを得なかった。大地の不完全で異様なドッペルゲンガーでしかないデッキではどこでも、鼻につく潮の臭い、耳に聞こえる打ち寄せる波、常に感じる動き方に対する不安感があった。

彼が最後に船に乗ったときのことだ。ブリティッシュコロンビア州のガルフ諸島への旅で、その間パニックか嘔吐ばかりしていた。どちらの経験も、サイト-184でよく出会った海好きのバカどもに言ったように、繰り返しやりたいものではなかった。

このため、彼は目の前にいる若い男性 — 異常伝達・関係部門のシャルル・コーエンと名乗っていた — の依頼に危機感を抱いていた。


「あなたはクジラと話す予定だが、ロシア語で話せないから私の助力が必要だと?」怪訝そうに尋ねた。

ヘンリーはその男性を、愕然としながら見つめ、答えを待っていた。

「ええとですね、技術的にはその通りです — ですが理由を考えてみてください。SCP-5597担当の人に連絡を取ったのですが、この動物は職員の予想していた方法ではしゃべっていないようなんですよ。あれが出している音は、ええと我々の一番の推測では、クジラがロシア語を話すのに最も近い音なんです。速度を落としてピッチを上げるソフトウェアを作るのは簡単です — マイクとスピーカーを使ってそのプロセスを逆にすることも簡単です — しかし、なんといってもあれの言っていることを実際に理解できる人が必要なんです。そしてそれがあなたなんですよ!」シャルルはほほ笑み、主張を一対のガンフィンガーで強調しながら答えた。

ヘンリーはその男性を叱りかけたが、ターシャ・レベデフとした約束の記憶が戻ってきた。彼は、財団を代表して、彼女とその子どもたちの世話をすることを約束していたのだ。いまだに彼女たちのトロントでの暮らしぶりについて最新情報を受けていた。誰に聞いても、彼女たちは21世紀のカナダ文化にとてもよく溶け込んでいた — 特に子どもたちがそうであったが、子どもは往々にして適応できるものだ。

ただ、彼は気づいたが、子どもたち全員がそうというわけではなかった。その罪悪感が付きまとい、大海原の苦痛な思い出があるにもかかわらず、彼はシャルルの提案に同意したのだった。


ヘンリーが船着き場を歩いていると、小さないくらか年季の入った釣り船と、その側面に複雑なスピーカーシステムのようなものを取り付けている2人の女性が目についた。彼が近づくと、そのうちの1人が見上げて手を振ってきた。

「こんにちは、シャルルを、シャルル・コーエンを探しているんだが」彼は試しに尋ね、あたりを見回した。「彼は何かのプロジェクトで私の助けを求めていたんだが、違う船に来てしまったようだ」

「場所はあってるぞ!」船のキャビンが開き、声がとどろいた。着ている厚手のケーブルニットのセーターにモジャモジャとしたゴマ塩ひげが浮いているような、堂々とした男性の姿が前に出てきた。その体格にほとんど隠されていたのはシャルルのやせた姿で、こちらもまたイワノン博士に練習したほほ笑みを浮かべていた。

一番近くの女性はロープを結び終え、「水棲異常部門は今、研究プロジェクトがたくさんあるので船が足りないんです。異常な水の華とか、海岸の一帯で起きているちょっと奇妙なヒトデのふるまいとか、それと生きたモササウルスが中で泳ぎ回っている氷山が流されてセントジョンズを過ぎようとしているという報告が」「そうです、」彼女は明言して、「氷山の中を泳いでいます。私はサラです、ところで。こっちはエマで、」もう一方の女性が手を振り、「あなたはもうグレッグに会いましたね」

ヘンリーは自己紹介したとき不本意ながら目が泳ぎ、近くのより大きなドック複合施設に係留された、とても海に適した見た目で堂々とした灰色の船体の船団が目についた。

グレッグはそれに気が付き笑い、響き渡る笑い声を出し、「ネイビーは俺たち小物をこんなことで助けちゃくれねえ。心配するな、大丈夫だ。ともかく、すぐにでも出航できる」

これに対してヘンリーは静かに抗議したが、エマが専念していたらしき航海に重要なことを終えてから彼に向き、「じゃあ、何はともあれそのクジラって何があったんですか?」と尋ねてきたため、中断された。

「えっ、」彼は反応し、一瞬腹の中に焼べられた不安な感覚を忘れた。「我々の理解する限りでは、第2次世界大戦の間にあるロシア人の家族が避難した。母親とその子どもたちだ。その家族はある集団となんとか取引をして、その集団が数頭のクジラの体内に家族をひそかに詰めて、そのクジラは少し前に海岸に漂着した。我々はどうやって時間が調整されたのかわかっていない。家族は全員ショックを受けていて、私だけが唯一彼らと話せた — 彼らは今つつがなくやっているよ!」彼は心底幸せそうに付け加えた。

「ではこのクジラは……」エマは言葉を濁した。

「あれは — 彼は家族のガイドで、母親の最年長の息子だった。避難のもう一つの犠牲で、私は —」告白の重みが彼にのしかかる前に、ヘンリーはバランスを崩された。彼らは出航し、固い地面ははるか遠くに消えていき、彼は小さな嗚咽をのど元に抑えた。


最終的に、冷や汗をかいて椅子のひじ掛けを握っていたヘンリーは、小さな雑談に注意を向けられるほどにはリラックスした — サラとエマはシャルルに釣りの話をしていた — とはいえ、ほとんど聞き取ることはできなかった。「トラッカーによれば奴の上にいるらしい」グレッグが船室から声を張り上げると、ヘンリーは向き直り、巨体が船のそばで水面からブリーチするのをすんでのところで見ることができた。彼は何を見たか理解するのに少し時間がかかった。水の爆発のようなものから、巨大な青灰色の体は急上昇し、驚くべき機動性をもって空中で回転し — 巨大な、表情豊かでほとんど人のような目が彼の視界を捕らえ — そしてその生き物は波に突入し、船と乗組員に細かい霧を撒いた。そして、静寂があった。

畏れ多い瞬間が過ぎると、乗組員はケーブル、マイク、スピーカー、コンピューターハードウェアの複雑な構成を組み立て始めた。ヘンリーがいつの間にかたくさんの光るダイアルや点滅する光のついたコンピューターの画面の前に座り、心地の悪いヘッドセットが頭に取り付けられ、マイクが目の前にあることに気づいたのはその直後のようだった。

音は最初こそ別世界のもののようで、低くリズミカルな、遅く意味ありげのものだった。しかし、シャルルがダイアルを調整すると、声が現れた — 識別できる、奇妙にもよく知った反響で、彼は驚いた。

もしもし? もしもし?

彼は緊張しながらマイクに身を乗り出し、ロシア語で返答した。

こんにちは! 聞こえるぞ。君は聞こえるか?


反応はすぐにあり、興奮に満ち満ちて、ようやく得られた深い待望の重みをもっていた。

聞こえてる! 聞こえてる! こんにちは、こんにちは! すごい長かった!

ヘンリーの声は喜びがにじまずにはいられなかった。

そうだピョートル、声が聞けてとてもうれしいぞ!


一瞬の時が過ぎた。

ピョートル、なんで — どうやって? お母さん! し、知ってる? お母さんは大丈夫なの! それと妹たちは、コスティア、イリナ、カーチャは — 無事でいる?

ヘンリーは声が割れないように、一瞬間を置かなければならなかった。

彼らに会ったんだ、ピョートル。彼女は — ターシャは、君をどれほど誇りに思っているか知って欲しいと言っていた。君は家族を安全にしたんだ、ピョートル、彼らは全員もう安全だ。


返答は予想していたものだったが、同時に準備のできていないものでもあった。

家族と話せる? お願い。

ヘンリーは返答する前にもう1回呼吸を整えた。これはほとんど嘘でしかないとは知っていた。

すまない、家族は今ここにいない。我々は家族と君が話せる方法を探そう。その間、ピョートル、私の友人が聞きたい質問がある。問題ないか?



時間がゆっくりと、しかし素早く過ぎていった。イワノン博士はピョートルに、彼の状態についてのシャルルの質問、財団が彼を他の人と離さなければならなかった理由、財団の組織がどのように彼を世話するかについての説明 — それと地域の海洋生物に関するサラの質問を — 中継した。彼は、たとえ何が起きているのか、あるいはこの人たちが何者なのかピョートルが完全にはわかっていなかったとしても、この生き物が会話に感謝しているとわかった。帰る前に、彼はクジラに保証した — かつて人だったクジラに、彼は帰ってくると、誰も君を見捨てないと約束した。

彼は約束をしている間大海原に関して考えてはおらず、たとえ考えていたとしても、何も変わらなかったことだろう。


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サイト-184に帰る途中、イワノン博士は彼からいまだに抜けているものがあることに気づいた。

「コーエンさん、尋ねることになろうとは思いもしていなかったんだが、あなたがここに来た理由だ。SCP-5597はしばらく収容されていた。何が変わったんだ?」

その男性はヘンリーに注意を向けた。彼が返答するとき、その視線の強さには違うものがあった。「あなたはロシア人とベルーガについて聞いたことがあると思うんですが、そうですよね?」

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