“死した神の肉体”
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TO: 機動部隊ファイ-9、隊長
RE: <無題>
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隊長殿、あんたに見て欲しいものがある。

明日、午前3時26分。で待っている。

観測地点 概要 注記
12階、ショールーム “死した神の肉体” [データ未入力]

アウレリオは見るからに苛立っていた。最上階の事件以来、彼は一睡もできていない。そんな彼が、昨夜は目を閉じることができた。そのほとんどは死んだようなものだった。だが、彼の使命は意識に反逆し、アウレリオは闇の中に覚醒した。彼は再び苛立ちを露にする。それも最悪のTPOに、どこの馬の骨とも知れない奴の為にだ。

彼はサイト-885を飛び出した。駐車場に横たわる彼のバイクのセンタースタンドに、力任せに蹴りを入れる。バイクは寒い眠りから目覚めた。彼はバイクに乗り込むことに少し躊躇した。アウレリオの横を凍てついた風が走り去る。太陽は未だに昇っていない。

アウレリオはまだ苛立っていた。いつもよりも大胆なハンドルでシウダへの道を突き抜ける。陸風が横から吹き荒れ、彼の旅路を妨げる。寝起きのアイディアはいつも彼の思考を阻害する。それでも、彼は他のバルクエロを呼び立てることだけは踏み留まった。もし彼がそれを実行していたのならば、アウレリオはまた新人のバルクエロ共の相手をすることになっていただろう。彼はそれを嫌っている。だから、アウレリオは一人だ。

彼はもう一度メールを見る。何よりもアウレリオが不満を口にしたのは、彼が最上階のクソにまた一歩踏み寄らなければならないことだ。アウレリオはつい前に、新人のバルクエロ共にマニュアルを押し付けたばかりだ。だが、今彼は塔へ向かっている。彼は呟く。死んだ神の肉体だ?それなら、そこにはもう何もないだけだ。クソッたれ。

タイヤはゴーストタウンに乗り上げる。街の静寂をエグゾーストノイズが引き裂く。今日は珍しく、あいつが店に入るところを見なかった。老人席へ顔を出すこともない。ただ、通りすがりのバイクの影がマーケットに別れを告げた。この街には、今よりかは幾分マシだった頃の残滓が微かにあった。しかし、そいつはどこよりも廃れている。郊外の方でビルの一つが静かに風に倒れた。虚無を感じる風が、割れたマーケットの窓を吹き抜けた。でも、今は心配しないで良い。いずれここはマクシモが国を建てるさ。と、アウレリオは笑った。彼は塔へ向かう。

タイヤは地面を横向きに滑り、アスファルトに酷い跡を残して止まった。空は薄暗く、塔は酷く閑散としている。アウレリオは周辺の風の声や、鳥の羽音まで聞き逃すことはなかったが、それでも塔は沈黙をもって彼を迎えた。アウレリオの脚はバイクを降りた。彼の胸中を不穏の虫が這いずる。彼は墓標を縛る鎖を外し、大扉のハイレバーへ手を伸ばす。つい先日のことだ。このノブとバルクエロをこの手に掛けたのは。

アウレリオはメインロビーを横切り、エレベーターへ向かう。ロビーの隅には埃が山のように集積しており、フロントにまで及んでいる。彼はこんな廃墟の中では、どこぞのクソであっても、彼に面会を望む奴が生きていることが嬉しいはずだった。ここ数日は誰とも顔を会わせていない。道端に積もった死体共の汚い顔面を拝んだだけだ。

エレベーターが上昇する。それは、それ自身が街の一部であるかのように静かに動き、アウレリオに暫しの猶予を与えた。しかし、彼には分からなかった。バルクエロ共は皆、川の向こう岸を目指している。上層部の連中は言うまでもない。それなら、誰が俺を呼べる?そいつはどこにいる?エレベーターが階層を読み上げる。そして今が、それを見定める時だ。

扉が開かれた。12階だ。アウレリオは芸術の遺体が蔓延る回廊を走り抜けた。ここは美術館だ。セザンヌやデュシャンでさえ達成できなかった、真の芸術の出来損ない共の醜い墓だ。酷いアイディアだ。それも惨ったらしい。かつての芸術マニアだったフランクが、こいつらの内の一体を持ち帰りたいと泣きついた。可愛いもんだ。あいつは、最上階が何であるかを知るはずもなかったんだからな。

彼は脚は角を曲がり、広い一室へ出た。12階、ショールーム。時計を見る。銀の針の兄弟は、3と19を示す。彼はショーケースの隙間を通り去った。ガラス張りのそれらには埃こそ積もっていたが、彼らの内の栄光は穢れていない。アウレリオの神経が煮え滾る。ここには何も無かったはずだった。あのメールが送り付けられるまでは。

3本目の柱を怒りの前進が通り過ぎ、アウレリオの歩みが止まる。そこには一枚の油彩画が掛けられていた。

彼の記憶の幕が上がる。荒地に横たわる一つの死体。肉体に埋め込まれた機械が、冒涜的なまでに神秘を織り成す。悪心を誘うほどに淀む空。周囲に群がる人々。閉鎖的な色彩に相貌は歪み、肉体を神と崇拝し叫ぶ。彼らは等しく、手の先がない。額縁の中を、美と違和を纏う獣が蠢いた。彼の記憶と経験が一枚の絵に吸い込まれた。それは、余りにも美しい。かの題は、

死した神の肉体The Flesh Of A Dead God


その一つ一つが、母体を離れた肉塊だ。

それはアウレリオの理性を粉々に打ち砕き、全てを吸収した。彼は一瞬、バルクエロ共の顔を忘れた。最上階を忘れた。それがどうした?ここで働いていれば、こういうことはよくあることだ。俺は神なんて存在しないと信じている。だが、こいつは神だ。こんな身窄らしい街にも、死は隣に寄り添ってくる。いや、違う。アウレリオは自身の顔を強く殴る。夢現からの一撃が彼の目を覚ました。彼は以前の感覚は焼印として残っている。ハシー、ああ、あんたが見たらどう思う?俺は薄情者だ。大丈夫、次はもっとうまくやってやる──

足音が響いた。メインエントランスだ。

エレベーターの駆動音が聞こえた。恍惚の内側から鮫が食い破り姿を現したようだ。それに続き、足音が断続的に廃ビルの床を打ち鳴らす。アウレリオは絵から視線を外し、入り口に警戒を注いだ。頬の肉を噛む。右手は腰に刺された冷酷なナイフの柄をなぞった。彼の求める者が遂にやって来た。足音が角を曲がり、徐々に大きくなる。

一人の影が廊下の奥からアウレリオに接近する。大気の乱れが生成され、彼の緊張を跳ね上げる。彼もまた、アウレリオと同じ旅路を歩き、ここへ引き付けられた者だ。

「誰かいるのか?」影の声がビルの一室に響いた。「先に来ているとは知らなかった。」

そいつは入口に差し掛かる暗闇を這い出た。同時に、そいつの顔が見えた。そいつはバックパックを背負い、随分と重そうな服装をしていた。もう何世紀もの時代を生きていた顔立ちしていた。腰に指されたパワーガンが威嚇するように光る。星の光が僅かに肩のシンボルを照らす。アウレリオは微かに安堵する。

アウレリオは右手をナイフから遠ざける。「こんなビルまで来て、五体満足の人間に会えるとは考えなかった。どこの所属だ?」

「イラントゥ」男は答えた。「機動部隊タウ-5、サムサラ。イラントゥだ。」

彼の無意識に、アウレリオの怒りは熱を失っていた。彼の経歴からイラントゥという名前が呼び起こされる。状況がまだ今よりも良かった頃の話だ。タウ-5-サムサラ。バルクエロの間にも、一味も二味も違う部隊として必ず名前の上がる集団だった。奇っ怪な名前の持ち主の集まりでもあった。サムサラ。未だ死を知らず、強靭で、救いのない部隊。

彼は老いを思い知った。年を重ねると、何でも寛大に認めようとする癖が出てしまう。彼は顔も交えたことのないサムサラをさけずむ良くは思っていなかった。輪廻転生は死人の理想だ。人は長らく生き、そして、もうそいつが十分だと考えた時に死ぬ。以前のアウレリオはそういう男だった。

「アウレリオ・ロハス。ファイ-9、バルクエロだ。」

「オーケイ、形式ばらずにいこう。俺たちは共にソルジャーだったが、今は皆一人だ。」イラントゥはバックパックを床の上に放り投げる。

彼は部屋の隅に積まれた2席のラウンジチェアを拝借し、絵画の前に並べる。そして、バックパックから6本入りのボトルを取り出した。

「メールを打ったのはあんたかい、イラントゥ?」アウレリオは椅子に座った。

「そうだ。」

イラントゥは瓶を投げた。アウレリオはそれを掴む。ラベルを回す。キルメスだ。「生きてる内に直した方が良い。あれのセンスはクソッたれてる。」

「それでも、」イラントゥもその内の一本を取り出す。彼は絵画の前に立った。「あんたもこの絵は少しは良いと見えただろう?」

「何だって良い。ここへ産まれて来たのが最低だったな。」アウレリオは瓶の王冠を開ける。小気味の良い音が響いた。

「それならそれで良い。」

「それで、あんたらサムサラは、その腐り切った肉体とやらに何の用がある?」

イラントゥの背中が色彩に魅力されるかのように揺れる。彼は背中越しに答えた。

「これは、俺たちの故郷だ。サムサラの故郷だ。」

彼の言葉に息を呑む。アウレリオはその言葉に覚えがあった。死した神の肉体より産み出されたサイボーグ、寒いジョークにもならないような肩書きだった。アウレリオは再び柱を見る。やはり絵の連中には手の先がない。この腐れ切った世界に、奇跡なんか有りやしない。

「イラントゥ、もしそうなら気の毒だが、あんたは神座に横たわるクソッたれた連中に一番近い兄弟だ。」アウレリオは手で髪を避け、瓶を口へ運ぶ。

「ああ、そうだ。」イラントゥも椅子に腰を降ろし、蓋を回した。「だが、俺たちの故郷には変わりはない。」

「あんたはすげえ奴だ、イラントゥ。俺なら信じねえし、信じることができちまったら、すぐにでも天に昇るだろう。それかこの絵ごと記憶を焼き切る。見事な将来設計だ。」アウレリオは捨鉢の敬意を彼に抱く。「それで、ケツにuユーの付く連中は、このクソな故郷を一度拝んでみたいと考えたわけだ。」

「その通りだ。」イラントゥは付け加えた。「死ぬ前に、だ。」

アウレリオのボトルを持つ手が止まる。

「そいつは……いや、どういう意味だ?」

イラントゥは深く息を吸う。そして、重たく冷え切った瞼を持ち上げ、傍に座る男を見た。アウレリオは確信する。間違いない。それは何かを覚悟した奴の眼だ。そいつの死体にそいつで墓石を建てることのできる奴だ。そしてこいつは、それを一人で成し遂げる男だ。アウレリオは次の彼の言葉に、心臓の止まるかのような感覚を覚えた。イラントゥの口が動く。

「隊長。俺は、近いうちに死ぬ。」

アウレリオの心中でようやくサムサラの歴史が甦る。しかし、イラントゥの言葉は彼の記憶のサイクルを断ち切った。男の目は真実だ。間違いなく、イラントゥは死ぬ。

しかしアウレリオは認めない。「そいつは無理だ。だから、あんたはサムサラだ。」

「だが、今は違う、」イラントゥのボトルを持つ手が止まる。「ナンクゥが、死んだ。」

「酷い騒音と悪臭の夜のことだ。」イラントゥは話し始めることに躊躇する。「俺たちは不完全だ。死のネットワークが完全に断たれていない。死を待つことは叶わない。同様に、生き続けることもだ。所詮神は作り物に過ぎない。」

アウレリオの言葉は独りでに歩く。「その問題は別のサムサラに尋ねた方が早くて良い。」

「もう試している。」

「オンルゥに聞いた。彼女は笑っていた。まだ死がどんなものかを知らない子供みたいに。」イラントゥは表情は暗い。「ムンルゥに聞いた。あいつはもう荷物をまとめていた。塔には随分と面白いものが残っていると言い残してな。」

アウレリオの意思は悉く折れた。不死身のパワーレンジャー共も、こんな世界の上じゃ皆平等に死を予言される。

「隊長殿、だからあんたはここを墓標に選んだ。」

「それは誤解だ。」イラントゥは席を立ち、再び絵画に目を落とす。彼の視線は安穏に、それでいて怒り狂う感情を圧し殺していた。「この絵が存在していれば、サムサラが産まれることはなかったはずだった。」

アウレリオは沈黙する。この塔は深淵だ。そこには、過去という名の深い谷底がある。舞台の一幕が上がり、谷底からは神のウツボが顔を見せる。それは現実を喰らい尽くし、散り散りにした。伝播する狂気がその全てを包み込んだ。それが、今だ。しかし、イラントゥは違う。彼には未来があった。

「イラントゥ」アウレリオは言った。「撃て」

彼の反応は早い。イラントゥのパワーガンが彼の腰で回転する。ボトルが弾け飛ぶ。シウダの中心を鋭い光が唸り、アウレリオの視界を断ち切った。鮮明な閃光は無慈悲にも絵画を貫く。そこには小さな闇が見え、そして無限に広がった。金のリングの如き火が色彩を錆へと還した。神に刻んだ切創は蛆虫のように内から体を貪った。信仰は息絶えた。大衆も共に炎へと身を投げるだろう。閃光は柱を貫き、空へと昇った。

後には空虚が残った。イラントゥの手でパワーガンが静かに戻される。全ての役目を終えたかのように。

彼は後ろに座る男を見る。「アウレリオ、あんたの言った通りだった。その推測力は尊敬する。サムサラのチームに会わせてやりたかった。」

「簡単なことだ。あんたらの方がもっと上手くやる。」

イラントゥの眼には最早サムサラは存在しない。彼はバックパックを手に引っ掻けた。彼の背中は出口へ移動し、塔を去ろうとする。最後に、彼は男の名を呼ぶ。「アウレリオ、」

「あんたの最後の時、俺を呼んでほしい。きっとここの見張りよりかは役に立つ。」

アウレリオは笑った。

「舟へようこそ、イラントゥ。」

彼に男の表情を見ることはできない。だが、それで良い。アウレリオは彼の狂気を感じ取った。イラントゥは奔流に飲まれた存在意義に、そいつの手で後始末を付けに来ただけだ。必要だった。サムサラの幕引きが。

そうして、イラントゥの陰は扉の外の暗闇に入り、そして消えた。

嵐のような男だった。アウレリオは彼の残したキルメスを手に取り、穴に視線を向ける。ボトルを口に近づけた。サムサラは失われた。しかしそれは些細なことだ。生が続く限り、彼らには未だ明日はある。死の概念は意味を持たない空白を塗り替えた。それは彼らの慰めにもなるのだろう。彼はボトルを空にした。空虚にそれを投げる。乾いた音が響いた。そして、アウレリオは彼に最大の敬意を抱いた。

しかし、それを表すことはなかった。

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