そのお屋敷の板ガラスの窓から幾つもの大広間を挟んで隔てられた暗闇の中では、一基の噴水が轟々と音を立てています。それが鎮座する空っぽの大部屋は、床が大理石造りで、天井には十六灯の全く同じシャンデリアが縦横に等間隔で四灯ずつ並んでいます。(だからと言ってそれが目に見えるわけではありません。部屋は夜のように暗く、灯りは全て消えています。)
お屋敷では数日ごとに、神を祀る祠のように丹念に、塵払いが行われます。清掃員たちは、仮に訪れるかもしれない方々には決して出くわさないと分かっている裏手の細い廊下を抜けて、この部屋へと辿り着きます。しかし、このお屋敷には何年もの間、清掃員以外の者が立ち入ったことはありませんし、彼らもそれを知っています。ひょっとしたら - ある時、間違いなくいたに違いないのですが - 美しい装飾品をほんの少し長く見つめ過ぎて、胸の奥底で良からぬ衝動を花開かせた清掃員もいたかもしれません。しかし、そんなことがあったとしても (きっとあったはずです、そんなことが絶対起こらないなどと空想するのはマーシャルには無理なのです) 、その清掃員は隅々に潜むカメラを思い出して仕事を続けたでしょう。
清掃員たちが部屋に到着すると、まるで劇の幕開けのように、人感センサーが全ての照明を一斉に点灯させます。そして、中央の水柱を三十フィートの高さまで吹き上げている噴水も、舞踏室も、誰も座っていない杉材のテーブルも、いっぺんに聖なる光に包み込まれるのです。その光の中で毎回、数時間が過ぎていきます。そして清掃員たちが立ち去り、室内の動きが止まってから十五分後、噴水は、まだ轟々と唸りながら、暗闇の中へと戻っていきます。
清掃員たちは噴水を止めることができません。噴水を止めるには鍵が必要です。彼らには、大理石の壁に隠されたボタンを押すと開く中央パネルの鍵穴が見えています。誰かが必要とする場合に備えて、彼らは中央パネルの塵も払っておかなければならないのです。彼らは誰が鍵を持っているのかを知りません。それについて尋ねる権限もありません。ですから、ジャッド・マーシャルがフロリダに建てたお屋敷の敷地面積の5%程度を占める部屋の中で、噴水は動き続けています。この家に、ニューヨークに住んでいるマーシャルや、彼の未成年の子供たちとロサンゼルスで同居している彼の妻がやって来たことはありません。世界各地で暮らしているマーシャルの他の子供たちも訪れたことがありません。マーシャルが電話を掛けても答えない子供たちも、マーシャルに電話を掛けても答えてもらえない子供たちも、両方そうなのです。(時々、前者も後者へと移り変わります。人は自分が持っている物にあっという間に飽きてしまうのです。)
マーシャルが名前を知っている人々は、誰一人としてこの家を見たことがありません。いかなる客もこの家に招かれたことがありません。それでも、噴水の維持にかかる経費は記録されています。一連の数字が書き記され、更に別な一連の数字と関連付けられ、その全てが年々大きくなる儲けで相殺されています。
ですから、噴水は脈打ちます。まるで人間の心臓のように脈打ち、鼓動しているのです。
そこから二百フィート離れたお屋敷の窓は、床から天井まで続いていて、高さは四十フィートもあります。誰も屋内を覗き込まないように、ほとんど常に窓掛けが降ろされていて、紺碧の湾に向かって突き出しています。その下に広がる石膏のように真っ白な砂浜には波が押し寄せ、椰子の木が細線細工のように点々と生えていて、それはもう美しいのです。とても素敵な景色なので、清掃員たちも時々手を止めて見つめますが、休憩時間が厳密に計測されて賃金から差し引かれるので、あまり長くは眺めません。







