最後の一服
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サイトは既に壊滅状態だった。ちょっとした、普通の工場なら気にも留められないようなそんな簡単な確認ミスで幾つものオブジェクトが連鎖的に収容違反した。悲鳴と緊急警報がサイト中を駆け巡っていた。俺が避難階段に辿り着くと同時にこのサイトは崩壊を迎えた。崩れ落ちていく足元に俺はどうする術も持っておらず、そのまま意識を失った。

意識を取り戻した俺の両脚と右腕を瓦礫が抑え付けていた。俺は助けを呼ぶために、大声で叫んだ。返事は一つもなかった。抜け出そうともがいたが、折れた両脚は痛むだけで力すら入らなかった。ただ、その痛みだけが俺が生きているという実感を与えてくれた。


何時間こうしていたか分からない。喉は嗄れきって声も出なくなっていた。ぼやけた頭でそろそろ潮時かな、と思い始めていたりした。

その時、視界の端に黒い何かが見えた。俺は声を振り絞ってここにいると叫んだ。黒い塊は段々とこちらに近づいてきていて、俺はそいつがスーツ姿の男であることに気が付いた。

シワのない黒いスーツ。光り輝く革靴。瓦礫の上を歩くには酷く不似合いな格好をした男は、足下の悪さをものともせずゆったりとこちらに近付いてきた。そして俺のすぐ傍まで来ると、まるでオフィスのソファに座るような気軽さで俺の脇にある瓦礫に腰掛けた。

─あぁ、俺はお前を知ってるよ。

昔一度報告書で読んだことがある。死の間際に現れる人型実体。故郷にでも帰ったような安心感と懐かしさを感じた。奴は少し笑いかけてから、煙草を取り出して俺に勧めた。俺は笑いながら、でも小さく首を横に振った。

─悪いな。煙草は吸わねぇんだ。

俺が煙草を拒んだのが意外だったのか、男は少しだけ寂しげな顔をした。そう悲しい顔をするなって、俺は煙草を吸う代わりにと、顎で自分の腹の方を指し示した。そうだ、ちょっと服を捲ってみてくれ。

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    腹には無数の根性焼き1の跡があった。そう、俺は生粋のマゾだ。煙草は吸わねぇ。俺にとって煙草は吸うもんじゃなく、俺を痛めつけるものだ。これはニューヨークの女王様2に付けて貰った服従の証だ。この熱い熱い煙草を皮膚に押しつけられたときのジュワっといく感覚がなんとも言えない高揚感を巻き起こすのだ。

    さぁ早く俺の皮膚を焼いてくれ。そのお前が咥えている煙草で。本当はやっぱりあの馴染みの女王様にやって貰うのが一番興奮するがこんな時に贅沢は言ってられない。さぁ早く俺を焼いてくれ。

    男は戸惑った様子を見せる。まさかここまで来てお預けか?お前は死ぬ間際の人間に安寧をもたらすんじゃないのか?グズグズするなよ。お前のその煙草は何のために用意されてるんだ?ビビってんじゃねぇぞクソ野郎が早くいい加減にしねぇとこっちにも考えってもんが──

    「あ゛あ゛あいいぃ゛ぃ゛!!!」

    熱々の煙草が俺の腹に押しつけられた。そう、これだ。俺が待ち望んでいた感覚。俺の人生で生きた心地を感じる唯一の瞬間だ。

    さぁもう一回頼む。最後なんだからサービスしてくれ。何をビビった顔してるんだ。一回やれたんだからもう一回は簡単だろう。早くしろって。焦らしのつもりか?それともチップでも弾めって言うのか?こんな時顔馴染みの女王様ならサービスしてくれるんだがな。良いからつまんねぇこと考えてないで早く──

    「あ゛あ゛あいいぃ゛ぃ゛!!!」


煙草の火は静かに消え、役目を果たした男は去って行った。俺は『ありがとう』と掠れた声で呟いて、ゆっくりと瞼を閉じた。

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