三弟子、再び 後篇
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藤田まさと作詞 新日本陸軍・皇軍凱旋

光は常に東方ひがしより
正義は常に我方われらより
戦雲此處ここに治まりて
勇武の兵は今還る
いざ讃うべき皇軍の
建てし勲を大呼たいこして


皇紀弐千六百六年 四月弐十八日



小刻みに、しかし時折大きく車体は揺れる。窓の外の風景は右から左へ、さながら活動写真の如く滑らかに流れていく。
ヒーズマンと向き合う我々。ヒーズマンは目を閉じ思索に耽っている。しかし、両隣に座る南方や景光と雑談する気にもなれない。
否、場の空気がそうさせないのである。
客車の中は車輪の音、時折先頭から吐き出される蒸気の音が場を支配する。
「……管理官。一つお尋ねしたいのですが」
私は口を開いた。
「何かね? 答えられる範囲であれば答えよう」
ヒーズマンは鷹揚と応えた。
「調査局の持つ"阿児奈波"の事です。当然ご存じかと思うのですが、並大抵の結界術式では太刀打ちできません。霊的な防衛策はあるのでしょうか」
「ああ、その事か。そうだな……この際説明してしまおう。君達は戦時中──否、それ以前から東京を守護していた結界の存在は知っているかね?」
「はい。永く帝都を守護し、終戦直後に解かれたと聞いていますが、それ以上の詳しいことはごく一部の高位の研儀官にしか知らされていないものです」
「その通りだ」
ヒーズマンは結界についての詳細な説明を始めてくれた。
曰く、蒐集院が徳川幕府の求めに応じ展開し連綿と受け継がれた結界で、神道や仏教、陰陽道などの手法を取り込んだ極めて強力な結界として帝都一円を霊的に守護していたものであり、その結界は蒐集院や幕府崩壊後に皇族麾下となった晴明院によって管理されてきたが、その役割故に安易な手出しができなかったという。

「それで、だ。晴明院の長をやっていた賀茂相忌──今は日本支部理事を務めている人物だが、君達は覚えがあるだろう」

賀茂相忌──去年の9月、凍霧天を追う列車。左手の中指と人差し指が欠けた、凛とした佇まいの和服の男。
又聞きの又聞き、信憑性の全くない噂程度ではあるが、玉音放送の直後、皇居に現れた五行結社の軍勢とそれを率いる安倍晴明と相対し、指を削がれたという。
確かに覚えている。

「彼は今、東京のサイト-8100に勤めている。彼もまた大八嶋の一柱"狭別サワケ"の管理者だ。そしてその"狭別"がこの結界の鍵であったのだよ」
「つまり、嘗ての結界を再展開する、と?」
「如何にも。既に始動の儀式は始められているから、作戦前日までには展開が完了する」
「その結界はどれほどの効果を有するものでしょうか」
南方が尋ねる。
「結界はサイト-8100を中心として、GOCが入る日比谷の連合国軍最高司令官総司令部G H Q本部、裁判が開かれる市ヶ谷の旧陸軍士官学校、そして紀尾井町を含む一帯に展開され、外部からの霊的な遮断──今回のような妖怪や怨霊といった存在の侵入を拒むことができる。それがたとえ地脈を経由したものであっても、だ。大八嶋の力を引き出したものであるから、並大抵の術士では破るどころか効果を弱めることすらできない。しかし、既に結界内部に潜む妖怪の力を弱めたり、排除できるわけではないし、人間にはそもそも効果がない」
「逆を返せば、既に結界の内側に入り込んでいる場合、つまり偵察の兵士が潜伏していた場合はそれも排除しなければ、結界内部の安全は確保できないってことか」──長光。
「そういうことだ。その対策として、作戦前日までは結界内部の"もぐら狩り"を行なってもらう。無論、君達にも参加してもらう」
「「「「「御意」」」」」
国光を除いた5人が返事を一斉に返す。
「国光君は私と共に来てくれ給え」
「御意」

束の間の静寂。
その静寂を乱したのは通信機の受信を知らせる雑音。ヒーズマンの脇にいた護衛が応対し、すぐにヒーズマンに受話器が渡る。通話の内容は聞き取れなかったが、時間を経るごとにヒーズマンの表情が険しさを増していくのが見て取れた。
「……ご苦労。引き続き監視を続けてくれ」

「何か分かったのでしょうか」
おずおずと尋ねたのは南方だ。
「ああ。事は想像以上に悪い方向に流れていっているようだ」
景光の喉が上下に動く。通路を挟んだ反対側に座る応神家の兄弟達もヒーズマンに視線を向ける。
「聞いてくれたまえ。波戸崎君の予測に基づき、調査局の進軍の道中に偵察班を送り込んだのだが、調査局の軍勢が君たちの報告よりも増えている。内訳は妖怪がおよそ200、兵士が400人ほどだそうだ」
「それだけの兵士が一体どこから……」
「まだ残党が潜んでた場所があったということか」
終戦からもうすぐ1年、財団も手抜かりがあったわけではない。
当然、国内に潜伏する調査局や負号部隊の残党の追跡、捜索も行なわれていた。その目を掻い潜り、蜂起の時を待っていたということだろうか。
「そのことなのだが、軍勢は和田宿付近で合流したと推測されている。その周辺で調査局の残党が潜んでいると思われる場所が、ここしかないのだ」
ヒーズマンは取り出した地図の一点を指差す。その場所は、長野県埴科郡松代町。
「まさか……松代大本営ですか」

松代大本営──太平洋戦争末期に陸軍が政府中枢機能の移転を目的として、松代町周辺の山中に掘られた坑道である。
サイパン島の陥落後、本土への空襲や本土決戦が現実味を帯びたため、大本営や皇居、その他の重要政府機関の移転を計画していたが、完成前に終戦を迎えたため放置されていた場所である。
当然、財団やGOCが見落とすはずもなく、施設中が隈なく捜索されたのだが、残党に繋がるようなこれといった手掛かりは全く見つからなかったという。

「軍主導で建設されていたのだから、調査局が秘密裏に施設の1つや2つ用意するのは簡単だろう、増してや相手は秘密部隊なんだ。しかし、そんな記録は何処にもないし聞いたこともないな……」──国光。
「資料が焼かれたか、そもそも計画そのものが上にすら認知されていない可能性も否めない」──南方。
「……その点は今は重要ではない」
手を叩き、ヒーズマンが仕切りなおす。
「……問題は、調査局の戦力の増加が我々の戦力との関係にどう影響を及ぼすか、ですよね」
私は言葉を継ぐ。
「その通り。あまりGOCの手を借りずに作戦を遂行するのが最善だったが、そうはいかなくなってしまった。GOCの全面的な協力を前提とする共同作戦とする他なくなった」
話を一度切り、国光へ視線を据える。国光は視線を真正面から受け止める。
「厳しい交渉になる。君の手腕、存分に振るってくれ給え」
「無論、そのつもりです」

列車の窓は遠く太平洋を映し、反対側には厚く白の装いを戴く富士山が聳えていた。その山を越えた向こう側では、数多の妖怪を従えた調査局の影が東京へと忍び寄る。
一刻も早く、東京で調査局を待ち受けなければならない。
その思いはこの列車に乗り込む全員の共通の認識だろう。気持ちが逸るのを感じる。
今ばかりは、列車が遅く感じた。


東京駅に到着した頃には夜の帳が空を覆い始める頃合いとなっていた。
誰そ彼時。その字が示すように、離れた暗がりに立つ人の姿は朧気であり、顔すら分からない。
既に手配がなされていたのか、列車から降りた一行は本拠地であるサイト-8100ヘ速やかに移動し始めていた。我々一行はその最後尾に位置している。

帝都を焼き尽くした東京大空襲から1年が過ぎ、瓦礫こそまだ残っているものの建物の再建は着実に進んでおり、工事現場で働く人々やその家族などで、ほんの少しだけ嘗ての人の賑わいが戻ってきたように見える。
そしてその中には、街角の至る所には小銃を背負った進駐軍の姿もあるのだが、私はそこに何か違和感を覚えた。
「なあ、進駐軍の数がやけに多くないか」
「そうか? 俺には大した違いではないように見えるが。気のせいじゃないのか?」
南方は再度辺りを見回すが、こちらを向いて横に首を振った。
「……よく見てるな、愷」
国光が同調する。
「そうなのか?」
「ああ。おれは終戦前後から東京に行ってたんだが、その時と同じくらい、もしかするとそれ以上に警備が厳重になっているかもしれない。それに、ほら。見てみろ、裏路地のところだ」
国光が指差した先には、行き交う市民や進駐軍とも異なる、日本では見慣れない装束のようなものを着込んだ男が建物の壁に凭れ掛かっていた。その男は視線こそ大通りに向けているが、しきりに裏路地を振り返っていた。
あたかも、裏路地に潜む何者かを探しているかのように。
「おそらくはGOCが連れてきた術者、ってところだろうか? しかし何故……」
それっきり、国光は黙り込んでしまった。

ほどなくして、拠点となるサイト-8100に到着した。私達の到着と同時にすれ違うようにして"もぐら"を狩る一団は東京の闇へと繰り出しており、サイトに残っているのは慌ただしく動く後方支援の分隊と私達一行のみであった。
「さて、国光君以外は装備の受領後、警備に当たってくれたまえ。波戸崎君、南方君、景光君と、景光君の弟2人の組で大丈夫かな」
「問題ありません」
「同じく」
愷と長光が同時に返答する。
「よろしい。では早速向かってくれたまえ」
5人が辞去し、残るは私のみになった。



同日 連合国軍最高司令官総司令部 応神国光


「さて、国光君。早速だが、GOCとの交渉に向かう。時間には余裕があるが、いろいろと話しておかねばならないこともある、今すぐ出発しよう」
「御意」

サイトの正面玄関には移動用の車が手配されており、私とヒーズマンはそれに乗り込む。間もなく車は土埃を上げ、サイトの敷地を出た。
「そういえば、護衛の兵士は同行していないようですが」
「護衛も君に任せたいのだが大丈夫かね? 交渉役に護衛も任せるのは酷だが……」
「ご心配なく。弟ども程ではありませんが、荒事の心得はあります。尤も、そのような事が起きないのが最善ですが」
両手を握り、手首を回す。関節からはぱき、と乾いた骨の音が響いた。

車を走らせること10分、会談の場所に到着する。
「ここは……」
私はこの建物に見覚えがあった。
パイプを燻らせ紫煙を吐く英米人が内閣を操り、日本の行く先を差配する地。そして、GOCの本拠地。
かつては陸軍の司令部が置かれていた地上7階建ての日比谷第一生命館は、今やGHQあるいは連合国軍最高司令官総司令部と呼ばれていた。

今日の日本で最重要の政府機関にして、欧米の外交官僚や事務員が業務に追われているため、灯りが消えるところを見た者はおらず、巷では「眠らない機関」と呼ばれていた。
半年前まで、4階の一室には蒐集院帝都本局の秘戴ひたい部が置かれていたが、財団との併合の直後に撤収、閉鎖された。
日が暮れてもなお人の往来は多く、それに比例するように小銃を提げた守衛の兵士が至る所に配置され、屋内から漏れる明かりも照らせない暗闇に目を光らせていた。

護衛役の建前として携行していた拳銃を守衛に預け、建物に入る。上着の裏に忍ばせた本命の長刀2本は手元に残すことができた。
事務方には既に話がついているらしく、指定された会議室まで案内される。場所は奇しくもかつての秘載部があった部屋だった。
席に着くと、湯気を上げる紅茶が差し出される。

「そういえば、これから交渉するGOCの事務総長について、まだ何も情報を得ておりません」
「それはそうだったな。しかし、何故それを聞くのかね」
「為人を知らずに問答をするようでは聞き出せる情報も減り、却ってこちらの優位を手放してしまいましょう。誠実と権謀を以て問答とせよ、と我が身に叩きこまれました」
「しかし──」
ヒーズマンは言葉に詰まる。答えるのは吝かではないがどう言ったものか、と言葉に迷っている様子だった。
「……まあよかろう。事務総長の名は、D.C.アルフィーネ。容姿不定だが、少なくともヨーロッパ系女性なことは間違いない。以上だ」
私は耳を疑った。容姿不定?
「それは、どういう」
「私も過去に何度か会話を交わした事はあるが、そのいずれも容姿が全く違っていた。身長や髪の色、目の色も全て違う。おそらく年齢すら違うのかもしれない。そして不可解なことに、彼女を写した写真は1枚も存在しない。故に、どの彼女が"本当の"アルフィーネなのか、誰にも分からない」
さながら化け狐だ、と独り言ちる。
「外見については分かりました、それ以外の情報は無いのですか」
「財団の調査でも彼女の経歴はほとんど解明できなかったのだよ。おそらく、GOCですら彼女の経歴は把握できていないだろう」

想定外だった。たとえ秘密機関とはいえ、一機関を取り仕切る者の素性が全く明らかになっていないということがあるものだろうか?
しかし、それはこちらも同じ事である。私はこの問題を切り上げることにした。
為人は交渉の過程で明らかにしていけばよい。

「さて、そろそろ時間のようだ。……来たな」
体に緊張が走り、背筋が自ずと伸びる。
間もなく、扉がガチャリと音を立てて開いた。私は音のした方を振り返る。

入ってきたのは女性。そこまでは話に聞いていた通りだ。
しかし、そこにいたのは年端も行かぬ少女と見紛う程の小柄。見たところおよそ150センチ前後といったところだろうか。
目の色は西洋人らしく碧眼。髪は腰まで真っ直ぐ伸びた金髪で、日の光の下に晒せば光り輝いて見えそうな、そんな若々しさが感じられた。さながら西洋人形の如き容姿であり、場所が違えば西洋画の一枚にもなるだろう。
しかしそれを妨げているのは容姿に似合わぬスーツであった。しかし階下の事務員が着ていた色褪せよれたスーツとは異なり、糊付けされ手入れの行き届いたものであった。
そして決定的なのはその目であった。生きた人間であることは理解しているのだが、目に生気は無く、さながら機械のような無感情で冷たい目をしていた。心中を推し量るには難儀するかもしれない。

「久しぶりだな、アルフィーネ。"少々"変わったかな」
「貴方は変わらずね、ヒーズマン。少し老けたかしら」
雑談を交わすが、空気は硬く凍り付いている。
ヒーズマンはアルフィーネに歩み寄り、手を差し出す。しかし、その手に反応は返されなかった。
「あら? そちらは誰かしら」
視線がこちらを向いた。私は椅子から立ち上がり、一礼する。
「初めまして、アルフィーネ事務総長。私は応神国光と申す者。お会いできて光栄です」
応神の名を聞くと、彼女の目が一瞬ピクリと動いた。
「イラガミ……ふぅン?」
反応が気になったので、軽く揺さぶりをかけてみることにした。
「弟共がお世話になったようで」
礼を失しない程度に、アルフィーネを挑発する。
「……少しは肝が据わっているようね」
表情一つ、声色一つ変えずに放たれた言葉は氷のように冷たく鋭い。その心中を推し量ることはできなかった。

「さて、今回の用件は何かしら」
アルフィーネは手元の紅茶を一口啜り、話を切り出す。
「つい先日のことだが、我々財団はIJAMEA残党の蜂起を感知した。標的はここだ」
「ここ、というのは?」
「東京だ。具体的にはこの建物と我々のサイト-8100、それから市ヶ谷の陸軍士官学校。そしてそれに伴うGOCや財団、連合国軍要人の暗殺。裁判の被告人である陸軍高官の身柄の奪還が目的のようだ」
「それで? それを何故私達に伝えるのかしら」
アルフィーネには微塵の動揺も感じられない。あくまで事務的に、ということだろうか。
「裁判の妨害を阻止するためだ。残党とはいえ、戦力はかなり多く手強い。こちらも戦力を用意しているが、GOCの助力があれば確実に阻止できるだろうと考えてのことだ」
「本当にそれだけかしら」
アルフィーネはぴしゃりと言い放つ。
「何を言っている」
「貴方たち財団はIJAMEAの蜂起を察知したが、自分達だけの戦力ではIJAMEAを止められない。知っておきながらみすみす侵攻を阻止できなければ、政府からは無能の烙印を押されてしまう。それが怖いのでしょう? だから貴方は巻き添えを図って我々に接触した。違うとでも言うのかしら」
「何を戯言をっ……! 我々はGOCも攻撃対象であり、その事を伝えた上で協力を申し出ているのだ」
ヒーズマンの声色は一瞬の怒気を孕んだが、表情は変わらない。視線を下げると、テーブルの下では拳を強く握りしめている。対するアルフィーネは顔色一つ変えていないが、声色にわずかな余裕が出ていた。

私はふと違和感を覚えた。
アルフィーネが我々の出方を伺いながら、財団の非を強調するように、あたかもGOCが財団から厄介事を押し付けられた被害者になるように会話を構築しているように感じられた。
おそらくヒーズマンも理解しているのであろう。そのシナリオを書き換えようとしている。
「今日の会談が無ければ、我々GOCはIJAMEAの蜂起を知ることはなかった。今日の会談を無かったことにしても、我々に不都合はない。知っているでしょう? 財団と我々の言い分を聞いて、GHQの役人がどちらの言うことが信ずるに値するかということを」
「……」

ヒーズマンが遂に口を閉ざしてしまった。
この状況、GOC側に流れを握られているということは理解していた。
ヒーズマンが本当にGOCとの道連れを図って接触を図ったのか、その真偽は分からない。
しかし、GOCとGHQの関係が密接なことは、超常界隈では自明のことである。財団の主張など聞くに値しないものとして一蹴されてしまう。
どれほど荒唐無稽であろうと、アルフィーネの主張がそっくりそのまま聞き入れられることになるだろう。
そうなってしまえば、財団の日本国内における政治的地位が失われてしまうのは間違いない。

「なあ、進駐軍の数がやけに多くないか」
「そうか? 俺には大した違いではないように見えるが」
「……よく見てるな、愷」
「そうなのか?」
「ああ。おれは終戦前後から東京に行ってたんだが、その時と同じくらい、もしかするとそれ以上に警備が厳重になっているかもしれない。それに、ほら。見てみろ、裏路地のところだ」

ふと、愷との会話が頭を過った。
進駐軍の数、見慣れぬ装束の集団、そしてアルフィーネの不審な対応。
繋がった。これは決定的な一打になるやもしれない。
そう確信し、口を開いた。
「……本当に知らなかったのですか、アルフィーネ事務総長」
隣に座るヒーズマンは驚いたようにこちらを向く。
「何を言っているのかしら」
「ここに来る道中、日本ではあまり見かけない風変わりな装束を着た集団を見かけましてね。少なくとも、財団の知る集団ではない。かと言って、進駐軍の軍服というわけでもない。私はあの一団を貴方達GOCの術者だと睨んでいる」
「……」
「……GOCは、調査局の蜂起を感知していた。違いますか」

「どういうことだ」
「サイトに向かう途中、妙な服装の一団を見つけたんですよ。進駐軍の軍服ではない、かと言って一般市民の着る国民服でもない。おそらく彼らを見かけた一般市民もいるかもしれない。少なくとも、私と同行していた者は彼らを認識しています」
アルフィーネは沈黙を保ったまま、こちらを見据えている。
手応えはある。私はさらに続ける。
「それに今、財団の部隊が一帯の各所を巡回しているはずです。私の推測が正しければ、我々が遭遇した一団と目的は同じでしょう。そろそろ財団とその一団が遭遇した、と報告が上がっていても──」

それとほぼ同時。
階下から微かに銃声が聞こえたような気がした。直後、建物全体が揺れるような爆音と衝撃。
これにはさすがのアルフィーネも動揺したのか、ソファーから立ち上がり周囲を見回す。
間もなくけたたましいサイレンが響き渡る。
廊下を駆けてくる足音。ノックもなく、扉が開け放たれる。小銃を担いだGOCの守衛が息を切らしながら入ってきた。
「何事ですか」
アルフィーネはこんな時にも冷静さを欠かない。
「所属不明の武装集団の襲撃です! 至急退避してください!」
「まさか、調査局か? 状況を報告してくれ」
ヒーズマンはさらに問う。
「兵士30程に、未知の生命体多数、おそらくF i j i未確認土着生命体に分類される存在かと思われます。 通常火器はあまり効いていません」
アルフィーネは一瞬言葉に詰まる。
一瞬だけこちらを振り向きかけたように見えたが、すぐに指示を発した。
「……至急、展開中の部隊を呼び戻しなさい。指揮は私が執ります。……ヒーズマン、話の続きは後にしてもらいたい」
「よかろう。……国光君」
ヒーズマンがこちらに視線を向ける。言わんとすることは分かったので、静かに頷く。
それを確認したヒーズマンは兵士に連れられ、部屋を後にする。
一方のアルフィーネは部屋を出て、早足にハイヒールを鳴らしながら階下に向かおうとする。
「あら? 護衛の貴方はヒーズマンについて行かなくてもいいのかしら?」
「そちらこそ単身で大丈夫ですか、事務総長殿。私でよければ、微力ながらお供させていただきます」
私は隠していた長刀2振りを取り出し、腰と背中に佩く。
「来るなら止めはしないわ。ただし身の安全は保障しない」
「お構いなく。私は交渉補佐であると同時に護衛でもありますから」


アルフィーネに続いて階段を駆け下りていく。階を下るにつれて、銃声と悲鳴、煙の臭いが密度を増していく。
階段を駆け下りた先のエントランスには割れて散乱した硝子やコンクリートの破片が散らばり、火炎瓶が投げ込まれたであろうオフィスでは火の手が上がっている。
形を留めている机や壁の裏側はさながら野戦病院のような状態であり、スーツに血を滲ませた事務員達が息を潜めるように床に座り込み、手当を待っているようだった。
見たところ、重傷を負った者は多いが死人はいないようなのが幸いだろうか。

壁から少し体を出して、様子を窺う。戦の技量はあれど、無策に突っ込むのは自ら死にに行くようなものである。それに、一歩引いた場所から戦場を見回すことで分かることもある。

襲撃をかけたであろう調査局の兵士の数は報告通りおよそ30人程。装備は九四式拳銃九九式短小銃。今は守衛と睨み合っているが、余程のことが無い限りこちらが全滅することはないだろう。
問題は調査局が引き連れてきた妖怪の方だ。
雑多な小妖怪──小妖怪とは言うものの警備の兵士が持っているような銃火器では苦戦を強いられそうだ──が多数に、大将格と思われる一際大柄な妖怪が数体であり、この場にいる守衛程度では歯が立ちそうにない。
しかし、アルフィーネが呼び戻すと言っていたGOCの兵士次第では倒すことも可能かもしれない。
目的は定まった。

今の状況に於いて一番の脅威となるのは大将格の妖怪である。
今は建物の破壊に気が向いており、エントランスの奥にいる事務員達には気づいていないが、それも時間の問題だろう。時折、守衛が発砲するが意にも介しておらず、むしろ随伴する妖怪に襲われるという有様で、この防衛線は長く持ちそうにない。
思考を再度巡らせる。

戦場に混乱を齎す方法、その一つが指揮系統の破壊である。
逐次変わる情勢に、絶えず思考し突破を図る敵、そしてプロイセンの先人が「戦場の霧」と述べたような、前線に飛び込む不完全な情報。それらを加味し適切な指示を下す役割を担う存在は、如何なる作戦中においても成功には不可欠であるとして重要視されている。
そしてもう一つ、それは士気の低下である。
昭和18年、前線視察中の山本五十六海軍大将がアメリカ軍機に撃墜され戦死した直後には、関係者に対し箝口令が敷かれたことからも窺える。

大将首さえ取ってしまえば、統制を失った妖怪は前線で孤立する一兵卒と変わらなくなる。人間であれば、その先に待つのは死、ただ一つである。
深呼吸を繰り返し、意識を研ぎ澄ませる。
隠れていた壁から飛び出し、それと同時に朗々と詞を発する。


高天原に御神留まり坐す 皇親神漏岐神漏美乃命以ちて禊祓ひ給へ

大祓の祝詞。神の力を降ろすためにこいねがうための言葉。
それに反応したのか、大将の妖怪がこちらを振り向き、咆哮とともに大木のような腕を高く持ち上げる。
腰に佩いた長刀"十坂トサカ"が紫色の燐光を放ち始める。
古来より紫は高貴な色、徳高き色として邪なるものを祓うのだ。
しかし、それだけでは不十分である。言うなれば、二度礼をし二度柏手を打っただけである。
更に詞を繋げ、両腕を振り上げる異形に突進する。


八百萬の神等 集い集い賜へ

"十坂"の輝きが一層激しくなる。朗じ終えると同時に、咆哮と共に腕が自分めがけて振り下ろされる。それをすんでのところで横っ飛びに躱す。
1秒前に立っていた床は圧倒的な膂力の前に周りの床ごと粉々に砕けている。内心冷や汗が止まらない。
横跳びの勢いを左足一本で抑え込み、右足で大きく踏み込むと同時に、手にかけた"十坂"を抜き放つ。
「…セイッ!」
一閃。刀の残像は横一文字に紫の軌跡を残し、異形の胴体を裂いた。苦悶の唸りがホールに響く。
間髪を入れず振り抜いた刀を両手に握り直し、大上段に構えて斬り下ろす。胴体には紫色の十字が刻み込まれ、異形の両足はふらふらと覚束ない。
しかし、私は攻撃の構えを崩さない。止めの一撃を放つべく、刀を担ぐように引き絞る。
「破あっ!」
引き絞った刀は紫の十字の交わる場所、人間であれば心臓があるであろう場所へ突き立てられた。液体とも煙ともつかぬ漆黒の物体が血流しを伝い、堰を切ったかのように噴き出す。
血が噴き出すにつれて、巨体を支える両脚から力が抜けていく。
心臓に深々と突き刺さった刀を抜き、こびりついた血を手巾で拭う。同時に異形の巨体は前に傾き、少しの揺れを伴ってうつ伏せに床に沈む。その巨体が二度と動くことはなかった。

烏羽二神流の奥義が一つ、応神十文字。
居合から大上段の斬り下ろし、そして突き。剣の腕を磨くことで十字の軌跡は美しいものへと近づいていく、烏羽二神流への習熟の度合いを測る技でもある。
宙に描いたのは歪な十字。居合は右肩上がりに、上段斬りは正中線から逸れており、十字と呼ぶのも烏滸がましいものだった。
「……父上や爺様にはまだまだ及ばんな」
勝利の余韻に浸ることなく、一瞬の感情の波をすぐに鎮める。
ここは敵地の中心、生と死の入り乱れる修羅場なのだ。感情の揺らぎは死に直結する。

将を討ち取られ統制を失った妖怪共は予想通り、耳障りな声ならざる声を上げ、蜘蛛の子を散らすかのように逃げ始め、手当たり次第に暴れ回る。
一方の守衛は呆気に取られ、動きが止まっていた。
「何をぼさっとしている! 追い討て!」
一喝すると、我に返った守衛は弾かれたように立ち上がり、逃げた妖怪を追いかける。

それから間もなく呼び戻されたであろうGOCの兵士らによって調査局の兵士や雑多な妖怪らは無力化されたが、最後の1体、一際巨大な体躯を持つ妖怪がなかなか倒れない。戦闘の片端で目の端に捉えていたが、かれこれ5分経っても一向に倒れる様子がない。どうやら生半な術では死なぬ強靭さを持っているようだった。
おそらく、銃火器やGOCの術では倒しきれまい。

しかし、このような怪異への対処方法は蒐集院の頃から伝わっている。
死なぬ者を殺す術。
「下がれ! ……ここは任せてほしい」
兵士と妖怪の間に割って入り、背負ったもう一振りの長刀、"烏頭坂ウトウザカ"に手をかけ、詞を発する。

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

天下人、織田信長が好んだ幸若舞の一節、敦盛。
周囲から赤黒い煙のようなものが沸き上がり、渦を巻いて"烏頭坂"へと吸い込まれてゆく。柄を握る右手には、"烏頭坂"の物理的な重さとは違う重さが伝わってくる。

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

死なぬ者を殺す。一心に念じ、言霊の力を極限まで高める。刀は更に重くなっていく。

これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

満身の力を込め、"烏頭坂"を抜き放つ。刀は血のように赤黒い瘴気を纏う、幾千万もの人や妖を斬った妖刀の様である。
──否。この瞬間、"烏頭坂"は妖刀と化していた。

不死しなず斬り。蒐集院に伝わる秘法中の秘法である。
言霊──良き言葉は幸福を招き、悪しき言葉は凶事を齎すとする力である。
先人はこの国を「言霊の幸ふ国」と述べたように、この国では古来より言葉に宿る力を神聖なものとして崇めてきた。
それを蒐集院は怪異の調伏や征伐へと転用し、生まれたのがこの秘法である。
しかし、一度読み違えばその者の命を奪う強力な呪いを持ち合わせていることから、蒐集院の中でも一握りの蒐集官にしか伝承されなかった「禁呪」でもあった。

しかし、私はこの術を正式に伝承されたわけではない。
この術を知ったのは偶然だった。
蒐集院の合併に伴う資料の整理中に、ひときわ厳重に保管されていた古びた木箱を見つけたのである。
その中に保管されていたのが不死斬りの術が書かれた巻物であった。
興味本位で巻物を開いた私──今思い返せば、機密保持のための呪いがかけられている可能性のあった物を無警戒に調べるなどとんだ軽はずみな行為である──はこの術を習得したが、まさかこのような場面で役に立つとは思いもしなかった。

横一文字に振り抜いた"烏頭坂"は濃密な瘴気の尾を引き、妖怪の体を深く切り裂く。傷口から血が堰を切ったように溢れ出すが、後ろによろめいた程度で倒れる様子はない。
「はあああああっ!」
二の太刀を浴びせるべく前へと大きく踏み込み、渾身の力を込めて今度は大上段から斬り下ろす。
手応えはあった。傷も浅くはない。
だが、なおも倒れない。

何故だ? そう思考を巡らせた直後、不意に両足から力が抜け、がくりと膝をつく。
刀を二度振っただけなのに、体が大量の空気を必要としている。息を吸い込もうとしたが、内から込み上げてくるものに阻まれる。
それを押しとどめることなく吐き出すと、手のひらには赤い液体がべったりと付いていた。
体が悲鳴を上げているのは明白である。無理を承知で床に刀を突き立て立ち上がろうとするも、子鹿のように足が震え、上手く力が入らない。
その間にも"烏頭坂"に纏わりついていた瘴気は霧散してしまった。

私は記憶を辿る。幸い、物覚えは良い方だったので、すぐに思い出すことができた。
巻物には、不死斬りの力の源となっているのは言霊の他に、この術で斬り伏せた幾千万の魑魅魍魎の怨念、そして術を仕損じて命を落とした先人達の無念の積み重ねであり、それらが使い手の精神に"業"となって圧し掛かる、とあった。時が経てば経つほどに力を増すが、同時に使い手への負荷も増すのである。
本来であればその負荷を肩代わりする形代があるのだが、そのことを完全に失念していた。
形代がなければ、千数百年もの間積み重なった思念の塊が使い手の精神に圧し掛かることになる。常人であれば刀を振るどころか持つことすらできないだろう。

未熟な私には過ぎた術であったか、と一抹の後悔を心中に宿す。
──万策尽きたか。

「蒐集院は1000年前から何一つ変わっていないな。斯様に未熟な者に言霊の秘術を授けるとは。故に才気ある者を早死にさせるのだ」
死を覚悟した時、何処かから少年を思わせる涼し気な声が響く。


無上霊寶神剣大々加治 天元行體神変神通力勝

神詞の一種であることは理解できたが、自分の知る限りでこのような神詞は聞いたことがない。
陰陽や神道などの呪法の意匠を盛り込み独自に編み出した、魔を断つ極めて高度な行であろうことは想像できた。
声の出処を探るべく周囲を見回そうとする私の目の前に、白い紙切れがふわりと浮かんでいた。人形。
人形は眼前の1つだけではなく、エントランスの至る場所から無数に現れた──床に座り込むGOC兵士の軍服の裏地から、床に散らばった瓦礫の下から、そして、アルフィーネの背後からも。

人形は寄り集まって1人の人間の姿を形作る。
現れたのはモダンなスーツを纏った小柄な男。その男は眼前の巨躯と対峙しても余裕を見せている。お前の事など眼中にない、とでも言うように。
それに不満なのか、妖怪は怒気を孕んだ咆哮を上げる。フロアの全員が耳を塞いだが、なお耳を劈く程の大音声に床が震え、窓枠に残っていた数少ない硝子も砕け散る。
こちら側からは背中しか見えないが、スーツの男は歯牙にもかけていないように感じられた。


天地幻妙神変神通力勝

耳を塞いでもなお耳に届く、不思議な波長を持つ詠唱。
──否。耳を介さず、脳に直接叩き込まれるような感覚。
剣印を結んだ右腕を振り下ろすと同時に、私の目には8本の実体無き剣が見えたような気がした。
次の瞬間、妖怪の巨躯は八つ裂きにされていた。四方八方に血をまき散らしながら肉片は床に落ちたが、その切り口はさながら剣の達人が一刀のもとに斬って捨てた藁束のように鋭かった。
自分の目の前で何が起きたのか、理解が及ばなかった。

フロア全体にざわめきが広がる。その混乱も収まらぬ中、床に広がった血の海をアルフィーネが渡ってくる。
「この有様になってようやく馳せ参じたのですか。些か遅すぎではありませんか、 晴明
「……私は、表に出ることは余り好まないので」

晴明。
この男こそ、五行結社の頭領にして稀代の陰陽師、安倍晴明である、と直感した。
根拠はない。抜きんでた術の使い手が安倍晴明を騙っている可能性も考えられた。
しかし、この男からは嘘は感じられない。気配が違うのだ。
俄かに力を持った愚者はそれを誇示するかのように、周りの人間に見せつけるかのようにその力を振るう。
しかし剣の達人や徳高き僧侶といった、長年の経験を経て技の境地へと辿り着いた者は静謐を旨とし、力を表に出すことはほとんどなく、その静謐は周囲を圧倒する。
言うなれば"畏れ多い"とでも言うべき感情を相手に芽生えさせ、手出しできなくさせるのである。
齢26の若輩が語るにはまだ早いと言われそうではあるが、熟練の研儀官や祈祷官を見てきた経験がそう告げていた。
眼前に立つ"晴明"と呼ばれた男からはそれが色濃く滲み出ていた。

GHQ襲撃の報は戦後の未だ混乱収まらぬ超常界隈に伝わり、財団や日本政府、駐留していた連合国軍の武官らが息を切らしながらすっ飛んできた。間もなく現場の復旧や拘束した兵士らの尋問が始まることだろうが、それは彼らの仕事だ。私にはやらねばならないことがある。アルフィーネに歩み寄る。
「事務総長、説明を求めます」
「……場所を移しましょう。ついて来なさい」


ヒーズマンと合流し、再びアルフィーネと席を交える。晴明もアルフィーネの隣に座っている。
「GOCはやはり調査局の襲撃を認知していたということでしょうか」
「……その通りよ。正確には、五行結社が感知したわ」
アルフィーネは観念したように話し、隣の晴明に話を振る。
「土軍"オモダル"が長野の地脈に穢れた気を感知した。調べの結果多田銀山が出処であり、徳川の頃に封印された妖怪共を調査局の残党が掘り起こしたという見立てを立て、東京の防衛を進言した。今ここに向かっているのは400年で力を失った残滓、故に調査局でも御することができたのだろう。しかし、超常存在に対抗する術を持たぬ者からすれば、脅威であることに変わりない」
「GOCの目的は彼らを纏めて消し去ることか?」
「如何にもその通り。それこそが我々五行結社、引いてはGOCの目的だからだ。財団はこの期に及んで"収容"などという生温い手段を取るのかね」
生温いという言葉にヒーズマンはやや気分を害したように顔をしかめる。
「可能ならばそれが最善だが、排除は次善の策ではある。……ともあれ、目的の方向性は一致している。ここは我々とGOCの共同作戦でどうだろうか」
その言葉を聞いた一瞬、アルフィーネから不穏な気配を感じ取った。
「そうね。でもこちらは単独で対応できるだけの戦力も技術もあるわ。あなた方と肩を並べて戦う"共同"というレベルではないのよ」
「しかし……」
「ここで東京の防衛に成功すれば、政府やGHQに対して一つ貸しを作れる。GOCが独占している政界とのパイプを増やせるかもしれない。しかし、ここで作戦の主体に関われなければGOCの影響力の拡大を許してしまう。……大方そんな事を考えてるんでしょう? あなたって素直だから分かりやすいのよ」
「……」
ヒーズマンは無言、無表情。ヒーズマンの鉄仮面ぶりは周知の事実だが、アルフィーネの前ではいとも容易く仮面は剝がされてしまうようだ。

「……でも、こちらの条件さえ飲んでくれたら"共同"作戦にしてあげてもいいわ」
「条件?」
私は食い気味に聞き返す。
「ええ。使えるカードは使える時に切らなければ宝の持ち腐れ。あなた方にも悪い話ではないでしょうし」
「聞こう」
「そうね……今後、長野以東をGOCの優先的な活動範囲に置かせてもらうこと。具体的には静岡・糸魚川構造線──学術的に言うなら、フォッサマグナより東側をGOCの勢力範囲として認めること。条件はこの1つだけ」
アルフィーネは人差し指を1本立てる。
当然でしょう? とでも言いたげな顔で。

「何っ!? 東日本を丸々寄越せと言うのか!?」
想像以上に大きな対価に押し黙る。暴挙にも等しい提案にヒーズマンは声を荒げる。
「それにもちゃんとした理由もある。聞いてくださるかしら?」
「……すまない。取り乱した。一先ず聞こう」
深呼吸をし、再び席につくヒーズマンを認め、アルフィーネは話を続ける。
「あなた方も知ってるように、この国にはレイライン──地脈が縦横無尽に走っているわ。でも、レイラインはそれぞれ個性とでも言うべき気質を持っている。気質が違うレイラインどうしは、水と油のように混ざり合わない」
「そんなことは知っている」
「じゃあ、ここからが本題。日本のレイラインは大きく分けて2つの気質から成り立っている。それが決定的に変わる境界が、さっきも言った静岡と新潟・糸魚川の2点を結ぶ線なのよ。だから、その半分をこちらの管理下に置かせてもらう、という話」

確かに、アルフィーネの言い分は尤もである。
蒐集院もこの性質には気づいており、徳川幕府の頃は地脈の管理を西日本を京都本院が、東日本は寺社奉行がそれぞれ担当していた。
管轄範囲の境界もおよそ一致している。
「しかし……」
「これはあなた方にもメリットのある話よ。餅は餅屋と言うでしょう? こちらにはこの国の地脈を知悉している五行結社がいる。これから戦場になる場所の地脈を最大限に活用できることはあなた方にも悪い話ではないでしょう。それにこれから先、レイラインを経由して首都圏を狙う不埒者がいないとは限らない。東京の安全保障面でも、こちらに管理の優越権を認めるのは妥当ではないかしら」

アルフィーネの主張には一分の反論の隙もなかった。
確かに、共同作戦を行なう上で五行結社の全面的な協力は不可欠であり、レイラインに関する技術はGOCが財団の一歩先を行っている。であれば、この条件は理にかなったものであることは明白である。
しかし、東日本一帯をGOCの影響下に置くことを認める、という大きな対価に見合うかと言われると微妙なところではある。

煮え切らない態度をとるこちら側に、やや退屈気味にアルフィーネは畳みかける。
「何か勘違いをしているようね。何も日本全土の管轄権を寄越せと言う話ではないわ。むしろフォッサマグナより西側に関しては財団の優越を認める、ということよ」
「我々五行結社も、この条件を承諾するのであれば西日本からは手を引こう」
アルフィーネと晴明の言葉に偽りはなさそうである。
ここが現状でGOCから引き出せる最大限の妥協点だろう。

「管理官。ここは私にお任せできないでしょうか」
隣のヒーズマンに耳打ちする。
「国光君。それはどういう……いや、いいだろう。そのために君を呼んだのだから」
「感謝します。応神国光、この身を賭して」
小さく頷く。
「決まったかしら?」
アルフィーネは余裕綽々である。

私は今、今後の日本における財団──否、超常界隈の勢力図を決定づける最前線にいる。
ここをしくじろうものなら財団の活動規模を大きく縮小しかねない。将来数十年と禍根を残すやもしれない。
後悔があってはならない。
「いいでしょう。その交渉、成立です」


「あら、素直なのね」
予想通りか想定外か。その真意は分からない。
「損得勘定は得意でしてね。それに、提案を断ることで得られる利益より不利益が勝ると判断しました」
「その心は?」
「確かに、財団にとっては東日本の優先的な管轄権の放棄は不利益を齎す公算が大きいでしょう。しかし、それは短期的な見方をしたら、の話。長期的に見れば、先程事務総長が仰った通り、この作戦に財団の参加する余地が生まれたことで、現状GOC一強だった政府への影響力をある程度削ぐことができる上に、お互いに政府に貸しを一つ作ることができる」
アルフィーネは沈黙。視線は一直線にこちらに向けられている。
「ここで交渉を拒否したことによる作戦の失敗は、今のGOCと政府の関係を踏まえると、財団が日本全体における活動を自ら放棄することに等しい、と判断したまでです。……形勢不利な状態での虚勢の張り合いが破滅を齎すことは、先の大戦で嫌というほど学びましたから」

アルフィーネは尚も沈黙。晴明は何か物珍しいものを見るかのような視線を向ける。
「ただし、こちらからも1つ、要求をさせていただきましょう」
「何かしら? 言ってみなさい」
余裕を見せていた表情から一転、視線が一気に冷え切ったものに変わる。
「静岡・糸魚川構造線より東側の管轄権に関してはGOCの管理下に置くことに異存はありません。しかし東京に関しては今後、この国の政治や経済の根幹を複雑に織りなす大都市になりましょう。そこで、東京を中立都市として、お互いに管轄権や優位を主張しない中立地域とすること。この1つだけです」
「……その理由は?」
一瞬、アルフィーネの反応が遅れた。即ち、予想外。
ここを好機と見て、要求を通す。
「今後、東京が財団やGOC、そして今後設立されるであろう政府管轄の超常機関の政争の地となることは明白です。そのような場所で不毛な縄張り争いをしているようでは、お互いへの信頼や政府からの信用も崩れるというもの。活動理念こそ対極な我々でも、少なくとも人類を超常的な事象から保護する、という目的では一致しているはずです。この点に関しては、足並みを揃えていきたいものです」
「……それで?」
発言をゆっくりと咀嚼するような、間を空けた反応。手応えは悪くない。
この千載一遇の機を逃せば、財団側の大損に終わってしまう。
「故に、可能な限り不和を招き得る事象は排除しておきたい。その不和を齎し得る最大の事象を、先程も言った通り、東京での不毛な縄張り争いであると我々は認識しています。そちらにとっても決して損ではないと考えていますが、いかがでしょうか」
アルフィーネと視線を交錯させる。顔の輪郭に沿って、汗が一筋、二筋と伝っていく。
心臓が早鐘を打つ。

「……交渉成立ね」
永遠にも思えた長い静寂の後、アルフィーネはそう一言宣言し、ソファーから立ち上がる。
「明日にでも作戦本部を立ち上げましょう。ヒーズマン、いいわね?」
アルフィーネは歩をすでに部屋の扉へと進め、背を向けていた。
「……ああ」
「ではまた明日」
アルフィーネは去り際に右手を挙げ、部屋を去る。晴明もそれに続き、我々に一礼し部屋を後にする。
こちらを向いた晴明の瞳に、一瞬だけ何か暗い影が差しているように見えた気がした。

「はぁ……」
二人が部屋を去り、しばらく経ったのを確認する。ネクタイを緩め、張り詰めた背骨や肩が乾いた音を立てて軋むのも気にせず体重をソファーに預け、魂が抜けたように沈み込む。
深呼吸を何度か繰り返して、ようやく鼓動は落ち着きを取り戻した。
懐から手巾ハンカチを取り出し、顔と首元を拭う。軽く拭いただけで、かなりの量の汗を吸い込んでいった。
隣に座るヒーズマンもまた似たような体勢になっていた。

「……国光君、よくやってくれた」
ヒーズマンが労いの言葉をかけてくる。
ありがとうございます、と反射的に口を開きそうになるが、はっと我に返る。
自分のしでかしたことを振り返ると、そこにはヒーズマンの意思が介在しない、持論を押し通しただけではないか。
「……管理官。一交渉人が出過ぎた真似をしてしまいました。この全責任は──」
ソファーから慌てて立ち上がり、捲し立てるように弁明するのを、ヒーズマンは手を挙げ、言葉を遮る。
「いいや、あの返答で十分だ。この交渉──引いては日本支部の全権を担うのは私、その私が交渉を委任したのは君だ。責任は交渉役を任命した私の責任問題で済む」
「しかし……」
「いいね?」
有無を言わせない態度。その勢いにたじろぐが、このまま責任を一人で背負わせたまま押し切られたくはない。そんな思念のせめぎあいに決着をつけるべく、絞り出す。
「……その時は、私も追い腹を切りましょう」

サイト-8100への帰路の車内。まだ居座っていた野次馬がようやく彼らの塒に戻る姿を傍目に、灯りの消えた大通りを進んでいく。
会話はなく、重苦しい空気が車内を満たしていた。
サイト-8100の正面エントランスをくぐった瞬間、数人の管理職らしき職員に駆け寄られる。
「管理官!ご無事でしたか」
「お怪我はありませんでしたか」
口々に騒ぎ立てる彼らを宥めると、今度は景光らに囲まれた。
「よう兄貴、散々だったな。久々のいい運動になったんじゃないか?」
「うるせえ。交渉と護衛だけの仕事かと思いきや調査局とドンパチ始めるなんて聞いてねえよ」
「ほう? それが交渉に"十坂"と"烏頭坂"を持ち込んだ奴の言い分か?」
他人事のように笑う弟たち。ドンパチやりあうだけが仕事ではない、肝の冷えるような交渉の席に着く経験を一度はさせてやりたいものだ、と頭を抱える。
「それはともかく、だ。交渉はどうなった」
弟3人を脇に退け、愷と南方が問い詰める。
「管理官。これは彼らにも話してもよい内容でしょうか?」
「構わんよ、彼らも関係者なのだからな。それより話すとしても立ち話でするような内容ではあるまい。部屋を用意しよう」

空き部屋に案内され、卓を囲む。
「……というわけだ」
交渉の経緯を一通り話したところで、部屋にいた全員が深い息を吐いた。
「んな事だろうと思ってたさ」
景光は呆れ気味にぼやく。
「こっちもGOCの連中と出くわしたんでな、こっちが財団の人間だって分かったら露骨に嫌な顔してたから、何か裏があると思ってたんだ。しかしまあ、連中がタダで交渉に乗るとは思っていなかったが、高くついたな」
南方が腕組みをしながら唸る。
「呉越同舟なんざまやかしに過ぎん。増してや財団とGOCは水と油、危機が迫ったからといって融和なぞ天地がひっくり返ってもあり得ねえよ。だが、そこを最小限の出費でまとめ上げた兄貴の手腕は大したもんだよ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
皮肉交じりの返事だが、悪意は含まれていない。
「今後の東日本の管轄権放棄と引き換えに、作戦への全面協力と最低限の勢力圏の確保、そして今後の政治交渉の余地、か。今後の立ち回りが問われる結果だが、現状を踏まえれば最善とでも言うべきではないか?」
少し温くなった緑茶を啜りながら、愷は称賛する。
「ともかく、明日からはGOCとの協議を詰めていくことになる。残り4日、お前達も為すべきことを続けてくれ」

それからの4日は飛ぶように過ぎていった。



皇紀弐千六百六年 五月三日



深夜。奇しくも終戦を告げる玉音放送が日本中に響いたあの日と同じく快晴。月はなく、小さく白く輝く星々が目に見えるほどであった。
前日に現地入りした財団・GOC連合部隊の総勢はおよそ3000。現地入りしなかった部隊はGHQや陸軍士官学校以下、襲撃対象に予測される施設の警備に配備された。
「……以上が作戦の概要である。各員、覚悟を以て任務にあたるように。では散会とする」
ブリーフィングを終え、外に出る。
「……来たな」
「私は南方や景光とは違って前線には出られないが、無事を祈っている」
「そういうのはおれ達の役割だ。お前は後ろから見守っているがいいさ。……長光、腕の調子は大丈夫か」
「何の問題も無え。使い勝手は……まあ使ってみないと分からないがな」
長光の左腕には見慣れない、艶消しされ漆黒に塗装された金属製の義手。
国光によると、この義手は機械工学メカニクスによるものではなく、生物と無機物を融合させた「生 体 工 学バイオニクス」なる設計思想に基づいて開発されており、今回が初の実戦運用になるという。
その機能も多彩らしく、内臓した小型発電機を動力にした筋力の補助や放電による気絶も可能らしい。
「財団の試作機だそうだ。この貴重な経験、ぜひとも有効活用させて貰おう」
手首を軸に義手を回転させる。回転数が上がっていくにつれ、ばちばちと音を立てて青白い稲妻が放出される。
「そうか、なら問題なさそうだな」
南方は呪符を。
景光は二振りの日本刀を。
長光は銃剣を。
吉光は己が拳を。
それぞれが己の得物を携え、死地へ赴く。


埼玉県北足立郡蕨町 波戸崎愷・南方良治・応神景光・応神長光・応神吉光


前線に到着する。
「おい、お前らこれ持っとけ」
南方から渡されたのは夜目の呪符である。夜の森で狩りをする梟を真似たこの術は、闇夜を昼間のように明るく見せる術であり、小さく白く輝く星明かりでは足りない視界を補ってくれる。
南方の用意周到さには舌を巻くばかりである。
「む……来るぞ」
景光が足を止め、身構える。
多田銀山の時と同じ、恐怖が体の奥底から湧き上がるような感覚。おそらく南方も同じことを考えている。
「……11時の方向、多数の存在を検知。おそらくIJAMEAの軍勢と思われる。会敵までの時間、およそ2分と予想」
ほぼ同時に無線連絡。周囲に控えている兵士に緊張が走る。
「さあ、やろうぜ」
景光は"風切"と"雨覆"を音高く抜き放つ。己の内から滾る闘争本能を何とか理性で抑え込んでいるのだろう、緊張と高揚が入り混じる感情が見て取れた。

我は官軍我敵は 天地容れざる朝敵ぞ

敵の大將たる者は 古今無雙の英雄で

之に從ふ兵は 共に慓悍决死の士

鬼神に恥ぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆を

起しゝ者は昔より 榮えし例あらざるぞ

敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に

玉ちる劔拔き連れて 死ぬる覺悟で進むべし



耳を塞ぎたくなるような不気味な低音で響く歌。怖気すら感じるが、耳を塞いだところでお構いなしに頭の中に響くことだろう。
「陸軍分列行進曲……相変わらず趣味の悪い行進曲だな」
「……見えた! 正面だ!」
景光が前方を睨み、そう告げる。視線を辿り、目を凝らすと、地面から巨大な黒い影の塊が伸びてきていた。
1つ、2つ、3つ……最早数えきれないほどの数になった影は巨大な1枚の壁となって威圧感を放つ。まだ距離はあるにも関わらず、である。他の兵士たちも気づいたのか、かすかにざわめきが聞こえてくる。
こちら側にはGOC由来の"魔法"や数多の奇術を取り入れた即席の特火点トーチカが構築されている。並大抵の魔術的、呪術的な攻撃には十分耐えうるだけの役割を果たすことだろう。
その裏に控えているのが我々である。
「愷、そっから体は出すなよ」
「分かっている。自分の本分は弁えているさ」
「お前は頭脳労働担当なんだ。後方からの作戦指揮、期待してるぜ」

影の壁は少しずつ大きくなっている。視界に最前を歩く調査局の兵士が見えるほどにまで近づいている。
「……第一隊、射撃開始」
無線から司令官の指示が発せられた。
直後、銃声が1つ、2つと夜闇に響く。
それに応えるかのように、調査局の兵士も発砲する。
決戦の火蓋は切って落とされた。

そもそも、並大抵の銃火器では妖怪に対してはほぼ無力である。せいぜい足止めか多少怯ませる程度が限界だろう。
しかし、GOCが開発・作成した、対FIJI用法儀礼済弾シルバー・バレットとなれば話は別である。
開示された資料によれば、この銃弾は第七次オカルト大戦期に開発された兵装の一つらしく、半実体的・霊的存在に対し著しい効果を持つという。最初に実戦投入された時の記録では、オブスクラ軍団の降霊術士大隊をほぼ壊滅に追い込んだ実績があり、性能に関しては申し分ないだろう。
しかし当然と言うべきか用意には限りがあり、弾幕が張れるほど数に余裕はない。故に"銀の弾丸"と呼ばれているのだろう。
連合部隊の弾幕は専ら対人用や援護射撃に近いものであり、妖怪はやはり直接叩くのが一番手っ取り早いのである。

「第二隊、前進」
第一隊の射撃の合間を縫って、トーチカから次々と術者達が飛び出す。第二隊、妖怪への直接攻撃を担当する部隊。財団、GOCの精鋭術士が5、6人の小隊に割り当てられており、我々もこの第二隊の一員である。
「行くぞ!」
景光の一声で、私を除く全員がトーチカから飛び出していく。
「皆、無事に帰ってきてくれよ」
私の役割は作戦を後ろから広く眺め、状況を的確に前線に送ること。


「さて、どうするんだ軍師殿? まさか全員で突撃なんてことはあるまい?」
愷を除いた4人がトーチカを飛び出し、最前線へ向かう途中。南方が景光を煽る。
「なわけねえだろ。おれと南方、長光と吉光の二手で行動する。だが素手の吉光は妖怪どもと相性が悪い、お前たちは専ら兵士を中心に攻撃してくれ」
「合点承知」
「愷からの無線を聞き逃すなよ」
二人は走り去っていく。

「さて良治、ここから敵陣に突っ込むぞ」
南方は耳を疑った。
妖怪犇めく敵の本陣に突っ込む。そう聞こえたからだ。
「……何言ってんだお前。いくら俺たちとて人間だ、裸一貫で突撃なんて馬鹿な真似はしないよな?」
「多田銀山の一件を思い出せ。今回は攻撃の出元が分かってるんだ、そこを叩く。……愷、連中の本陣の場所は割れたか?」
南方の反応などどこ吹く風とばかりに徐に無線機を取り出し、通話相手の反応を待つ。返事はすぐに返ってきた。
「ああ。ちょうど結界の範囲内、北西側ギリギリの場所だな。二人のいる場所からまっすぐ進んだあたりだな」
「情報源とそう判断した理由は」
「情報源はGOCだな。妖怪が持つ特有の"妖気"を一際強く観測した場所らしい。今は手薄だが、それでも相当の数が控えてるな」
「攻撃予定はあるか」
「あるな。大体1時間後くらいに300前後の部隊が攻撃を仕掛ける予定になっている」
「十分だ。また連絡を頼む」
通信を切り、南方に向き直る。
「調査局の本陣を急襲する。1時間以内に本陣まで辿り着き、攻撃のタイミングで不意打ちをかける」
「……こうなりゃ度胸だ、荒事に関しちゃお前を信用するよ」
景光はニヤリと子供のように笑う。
「急襲するにしてもそれまでに悟られては元も子もない。可能な限り隠密で移動するぞ」
表情が一転して引き締まったものになる。
隠密行動は師父より教わってはいたが、実戦に活かすのは初めてのことだった。
「そう心配はいらん。師父も言ってたが、研究者が隠密行動なぞ使う機会があってはならないことだからな。ま、おれについて来れば大丈夫だ」

月明かりもない闇の中を、物陰から物陰へ、景光は影を縫うように進んでいく。その後ろを、不慣れな動作で南方が追う。
道中、何度か調査局の兵士や妖怪とすれ違ったが、景光は攻撃することなくやり過ごす。
「おれたちの目的はそこらの雑兵じゃない。何より攻撃すれば向こうに位置が露見してしまう、そうなっては元も子もあるまい」
進むにつれて、調査局の兵士や妖怪との邂逅の頻度が増えていく。間違いなく、本陣に近づいている証だ。
こうして進んでいき、先を行く景光がついに足を止めた。
「ここだ。そっと覗いてみろ」
双眼鏡を取り出し、覗いた視線の先にあったのは即席のトーチカ。日本軍の軍服を纏った兵士が忙しなく行き交い、逐一戦況を報告している。
「……あいつか」
その兵士らの中に、南方は見覚えのある顔を見つける。
異常事例調査局少佐、葦原。

「さて景光。ここをどう攻める?」
景光は暫し思案するように目を閉じ、顔を顰める。
「……地形」
「なんだって?」
「地の利を得るんだ。攻め口と逃走経路、そしておれ達を迎え撃つ戦力がどこに、どれほど配置されているか、だな。ここを戦場の縮図と捉えるんだ」
「ほう。となると……」
南方はここに至るまでの経路を想起する。
「本陣までおよそ300メートル。即席の有刺鉄線とバリケードでぐるりと取り囲むように、その内側にトーチカが6つ。バリケードはお前の身体能力なら楽々超えられるだろうが、そこまで身を隠せる場所はほぼない。トーチカを通り抜けてさらにその内側に本陣、つまり葦原が詰めているトーチカがあるな」
南方の説明に景光はかなり驚いたような顔をする。
「ほう、よくそんなところまで見てたな。ただでさえ不慣れな隠密行動中だったってのに」
「研儀職なめんな、こちとら観察眼が売りなんだよ」
本業を活かせたことへの嬉しさと、景光の舐めてかかるような言動への僅かな腹立たしさが混じった返事になった。
「悪い悪い、そうカリカリすんな。……さて南方、一つ聞きたい。連中が逃げるとしたらどこに向かうと思う?」
「逃走経路ってことか? そうだな……ここから攻めると仮定すればあそこしかないが」
南方が指さしたのはここから一番遠いトーチカ。その向こうにはちょっとした林が広がっており、隠れるのに適した場所である。
「その通り。つまり連中の逃げ道を潰すんだ。そこで……」
景光は無線機を取り出す、通話先は愷。
「愷、聞こえるか?」
「聞こえてる。本陣襲撃の部隊が到着するまであと20分ってところだ」
「話が早くて助かる。愷、その部隊を今から指定する座標に待機させてもらえないか?」
「何だって? まあできるとは思うがどうしたんだ」
景光が悪い笑いを浮かべている。ぞわりと背筋が凍るような、獰猛な猟犬のように。
「その部隊を陽動に使わせてもらう」
「「はぁ!?」」
無線機の向こうと隣で全く同じ反応が返ってきた。
「おい景光、どういうことだ」
「何もそいつらに生贄になってもらうって話じゃない。その部隊が目立って攻撃してる間に、おれ達がその後ろからホシを潰すって算段だ」
「ああ、そういうことか。しかしお前も無茶なことをする」
明らかに驚愕を通り越して呆れすら感じられるのはこちらも同じことである。
「とにかく分かったよ。部隊長にはこっちから連絡を入れておく、向こうから連絡を入れるよう指示するから後はそっちで交渉してくれ」
「了解」

通信を切って程なく、通信機が受信を示すランプを灯す。
「こちら応神景光、部隊長か?」
「いかにも。何か策があると聞いたが」
「ああ。まず今から指定する座標に移動してもらいたい。あとは時間になったら手筈通りに作戦を開始してくれるだけでいい」
「……何を企んでいる?」
突然の作戦変更、それも一兵卒の判断である。疑わない理由はどこにもない。
「調査局を一網打尽にする秘策ですよ。そのために、あなた方が必要なのです」
「お前たち2人でか」
「ええ。あなた方の部隊が表立って攻撃を仕掛けている間、我々は裏側から調査局の軍勢を叩く。それに、こちらは本陣の内部構造も把握しています。最適の作戦指揮は保証しましょう」
長い沈黙。
「いいだろう。だが、この判断は作戦後に上に報告させてもらう」
絞り出すような一言だった。
「ご協力、感謝します」
通話は向こうから切られた。

「さて南方、ここからはお前が連中に指示を飛ばしてくれ」
「お、おい? 何も聞いてないぞ」
戸惑う南方。
「戦場を遠くから見るんだ。近くじゃ見えない、見えにくいものをお前が前線に送ってやってくれ。研儀官の観察眼の使いどころだぞ?」
挑発するような目つき。観察眼が売りだと自ら宣った以上、引き下がるわけにはいかない。
「ああ、分かったよ」
「助かる。じゃ、作戦開始まで待機だな」


作戦開始1分前。待機中の部隊から通信が入った。
「1分後、作戦を開始する。そちらの用意はできているか」
「ああ、十分だ。今のところ、調査局が我々の存在を感知した様子はない。完璧な奇襲になりそうだ」
通信機を取るのは南方。景光は作戦開始と同時に単身で突入、葦原の首を取るために既に控えている。
「貴君の戦局判断の手腕に期待する。……作戦、開始」
作戦開始が静かに宣言され、間もなく無線が途切れた。

「始まったぞ、景光」
「ああ、分かってる。見てみろ、蜂の巣をつついたみたいだぜ」
かすかに聞こえる銃声と爆発音。遠目でもわかるほど、本陣内部は人の動きが慌ただしくなっていた。
「さあ混乱ここに極まれり、まさに理想の状態だ」
景光の体は細かく震えている。当然、恐怖によるものではないだろう。
「行くか?」
「ああ、行ってくる。指揮官殿、指示頼むぜ」
景光はこちらを振り返らない。
この男には、「死ぬ」という選択肢が存在しない、それほどの自信とそれ相応の実力を持っている。生還することは彼にとって必然の事項なのだろう。
だから、こちらも過剰に心配する必要はない。
「おう、暴れてこい」
限界まで引き絞られた弓から矢が放たれるように飛び出した景光は、全速力で眼下を駆けていった。

調査局の本陣まで残り300m、縮地の術を併用した高速移動を使用しているとはいえ、そこまでに視線や射線を遮るものはほぼ存在しない。いくら戦力が正面に集中しているとはいえ、見つかったら奇襲の意味がない。
「兵士は可能な限り拘束せよ、ねえ」
作戦ブリーフィングではこう言われているが無理な注文である。
自殺用の毒物を仕込んでいてもおかしくないし、捕縛されるくらいなら、と巻き添えを狙った手榴弾での自爆だって考えられる。寧ろ終戦直前の軍の行動を考慮するに、そうしていない方が不自然まである。
峰打ちでの気絶、あるいは死には至らない程度の重傷を負わせる程度で身柄を拘束し、戦線を離脱。
一応の計画ではあるが、順調にことが運べば不可能ではないかもしれない。

本陣までおよそ100m。
持ち場で警戒していたであろうトーチカの中にいた調査局の兵士と視線が合ってしまい、幾つもの銃口がこちらに向けられる。計画は早々に崩れてしまった。
しかし、二の矢を用意していないわけではなかった。
葦原の拘束とまではいかない時は、戦力を可能な限り削いでから離脱。銃弾が髪や頬を掠めていくが速度を緩めることなく、全速力の勢いそのままに兵士の居座るトーチカへと滑り込む。
想定外──否、常識では考えられない行動に兵士たちの動きが一瞬固まる。こちらに銃口が向いているが、決して広くはないトーチカの中では迂闊に発砲できまい。

それは当然把握しているのだろう、兵士は小銃を捨て素手やナイフで飛び掛かってくる。
こちらとしても、この狭い場所では長刀"風切"は扱いにくい。短めの"雨覆"であれば使えなくはないが、中途半端に得物を使うよりかは素手一つで挑んだほうがいいだろう。
戦いの基本は素手での格闘。武器や装備に頼ってはいけない、というのが宗家の父や師範の教えである。
まさに今のような、自分が武器が使えない状況下であったとしても己が身一つを武器として打ち勝つべしという名目で、武器を持った相手との徒手格闘の訓練は受けていた。
雄叫びを上げて掴み掛かってくる兵士を半身で躱し、腕を掴む。突っ込んできた勢いを利用して背負い投げる。受け身をとる隙もないまま固い地面に叩きつけられた兵士は状況を理解する前に気を失い、力なく倒れる。
手慣れた早業を前に取り囲む兵士が動揺する。間髪を入れることなく、次の標的に接近。ナイフを持つ兵士は優先的に排除していく。
ナイフを握る腕を左手で掴み、思い切り捻り上げたところに、手刀を目に叩きこむ。
怯んだ兵士の手からナイフが零れ落ち、無防備になった兵士の腕を掴み、足払い。バランスが崩れたところを、再び背負い投げで山積みになった弾薬の箱に向かって思い切り投げる。
木箱は乾いた音を立て、大小の破片を巻き上げながら壊れる。零れた薬莢の音と手から零れ落ちたナイフが地面に跳ね返る甲高い金属音が同時に響いた。
この間、1分弱。

トーチカの戦況は既に決着がついていた。
圧倒的な実力差を前に兵士は恐れをなし、武器も持たずにトーチカを飛び出していく。
戦意喪失させたはいいが、後方の異変を悟った葦原は兵士を身の回りに固める、もしかすると逃亡するに違いない。
その前に、決着をつけなければならない。
トーチカの外を窺うと、異変を察知した兵士の銃口がこちらに向けられており、その後ろで兵士やどこかに集まるように慌ただしく動いていた。
「良治、状況はどうなってる」
「中が慌ただしくなってきた。そっちはどうだ」
「銃口向けられて身動きが取りづらい。そこから兵士の流れがどこに向かってるか見えないか」
「ああ、ちょっと待ってな……ふむ、数で押しつぶして正面突破するつもりかもしれん。こっちの攻勢がもう限界と見込んでの動きだろうな」
300人程度では無理があるということは予期していたが、そもそも300人が拠点制圧に駆り出せる最大の戦力なのだ。
「犠牲を出すわけにはいかない、少しずつ後退させよう」
「お前はどうする」
事態は刻一刻と悪化しており、ここに隠れられるのもそう長くない。今すぐにでも手榴弾を投げ込まれる可能性だってある。
「……それまでに決着をつける。良治、可能な限り時間を稼ぐよう伝えてくれ。ただし自分の命を最優先するように、ってな」
「分かった。……死ぬなよ、景光」
その声は少し不安げに聞こえた。
それと同時に外が一際騒がしくなる。散発気味だった銃声は一気に断続的なものへと変わる。
「おれを誰だと思ってやがる。……時間がなさそうだ、頼むぞ」
返事も聞かず、通信を切断する。

「……」
通話を切り、物言わぬ無線機を見下ろす。
正直、南方の元を発ってから微塵も不安や恐怖が無いわけではなかった。
銀山の一件は、愷や南方の支援があってようやく持ち堪えられたというのが本音である。
しかし今回は己が身一つ、いくら格闘の訓練を積んだとはいえ限度はある。それに、直接の支援も十全であるとは言い難い。
眼前には妖怪は勿論、銃剣付きの小銃を担いだ兵士がごまんと控えている。人間は時として妖怪以上の脅威となることは、銀山の一件で身に染みていた。
自分にできるのか? 不安や恐怖が心中を覆い尽くしていくのが分かった。
「おい、景光」
不意に無線機から南方の声が聞こえてきた。その声にびくりと反応してしまうあたり、酷い怯え様だったと苦笑してしまう。
「どうせ自分一人で抱え込んでるだろうと思ったら案の定だ」
「んなこたあねえよ」
強気に返すも、上ずった声の返事になる。これほど分かりやすい動揺を南方が見逃すわけがない。
「まあいい、要点だけ伝えるぞ。葦原はちょうどお前の真正面、兵士と妖怪に囲まれた場所にいる。お前の技量なら十分首を取れる。好機だ」
トーチカから少しだけ顔を出す。向けられた銃口は変わらずだが、その後ろで兵士が集結し、出撃の時を待っていた。
「だが、こっちの部隊はもう持ちそうにない。でも傍から見ても限界まで戦ってるのが分かる。それなのにお前はどうした。ガラにもなく怯えやがって」
言っていることこそ叱責に近いが、語気には一片の怒りもなく、むしろ励ましにすら感じられる。
「全員お前を信用してんだよ。ここまで言ったら、もう分かるな。こっちはこっちでやることがあるんだ、もう切るぞ」
南方は言いたいことだけ言って無線を切ってしまった。

物言わぬ無線機を見つめ、己の醜態を猛省する。握りしめた無線機が少し軋む音がする。
恐れは人を喰らう。恐れに喰らわれた者に待つのは犬死にだけだ、というのは師父の教えである。
にも拘わらず、恐れに喰われかけた自分の何と情けなく未熟なことか。
南方の声が心配気味に聞こえたのも、己の精神が弱っていたからではないか。
そんな不甲斐ない自分に喝を入れるべく深く息を吸い、腹の奥底まで空気を送り込む。

「オオオオオオオオオッ!!!!!」

溜め込んだ空気を一気に吐き出すように、心中に巣食った恐れを一掃するように咆哮を上げる。トーチカの内部で反響した音は何度も増幅され、外へと漏れ出す。
その大音声に外にいる兵士はざわつき、動揺しているのが見ずともわかる。
"風切"に手をかけ、トーチカを飛び出そうとした瞬間、何かが転がったような金属音が響く。足元には、拳ほどの大きさの球体が転がっていた。
手榴弾。動揺した兵士が反射的に投げ込んだものであろう。
思考するよりも早く、本能が体を動かした。トーチカを飛び出した次の瞬間、背後の空気が爆ぜた。
爆風と爆発音が体と脳を揺さぶり、一瞬視界から色彩が消える。前のめりに倒れそうになるのを、四点で支えて相殺する。
もうもうと立ち込める土煙でお互いの視野が遮られる状態。好機。
一瞬で体勢を立て直すと、"風切"の鞘を払い、煙を裂いて敵陣に真正面から突撃する。煙から突然現れた景光の姿を認めた兵士は動揺するか、気狂いめ、と思ったことだろう。
しかし腐っても帝国陸軍兵士。すぐに立て直し、無数の銃口をこちらに向ける。
引き金を引けば、放たれた無数の鉛弾が己が身を蜂の巣にすることだろう。しかしここで躊躇うのではなく、引き金を引いた時がお前の死ぬ時だ、とばかりに相手を威圧する。
気圧された兵士は一瞬、引き金に掛かる指を緩める。今の景光にとっては、その一瞬で十分だった。
そんな兵士の一人に狙いを定め、縮地で間合いを限界まで詰める。一瞬で眼前に接近した殺気の塊に竦んだ兵士は咄嗟に発砲することも、逃げることもできずにその場でたたらを踏むしかできない。
上段から振り抜かれた"風切"は兵士の体を小銃ごと袈裟斬りにし、血を噴き出しながら仰向けに倒れる。
死体が転がった近くにいた兵士を中心に動揺が漣のように広がっていく。次は自分がああなるかもしれない、と。

その怯えを武器に、兵士の間をかき分けて突き進む。怯えた多くの兵士が脇に退くが、それでも勇猛な兵士が銃剣の狙いを定め突進してくる。
標的はただ一人、この奥にいる葦原のみ。こちらの部隊も限界であり、周囲の雑多な兵士など相手にしていては時間が足りない。
"風切"を振るい兵士の壁を切り開いていくが、突き出された幾本もの銃剣が頬や肩を掠めていく。
前へ前へと突き進み、兵士を斬り伏せていくと不意に人の壁が途切れ、視界が開ける。
「後ろが騒がしいと思えば、三弟子の一人とはな」
荒い呼吸を押し殺し顔を上げると、葦原がこちらに背を向けていた。しかしこちらを振り向くような素振りはない。
「だが、ここまでだ」
葦原が右手を挙げると、その左右から幾つもの異形の影が壁になるように立ち塞がる。
それと同時に、葦原の視線の先から一瞬の大きな銃声と破壊音が響く。それを追うように散発的な銃声が響くが、間もなく途絶えてしまう。
「まずい、壁が破られた! 連中、強行突破するつもりだぞ!」
無線機から南方の切迫した声が流れてくる。
「待てっ、葦原!」
葦原の軍勢が遠ざかっていくが、妖怪に足止めされた今の状況で追うことはできない。
気づくと背後も取られてしまっており、ますます身動きがとれなくなる。前からも後ろからも行く手を阻む妖怪はじりじりと距離を詰めてきていた。
「ええい糞っ、こうなれば…」
自分の舌が許す限りの速さで、自分の知る中でとびきり強力な破魔の祝詞を朗じる。
轟、と"風切"が渦巻く濃い青紫色の炎を纏ったのを確認し、横薙ぎに一閃。間髪を入れず、横薙ぎの勢いそのままに振り向き、右上段から斜めに斬り下ろす。
眼前に紫の軌跡を描くと、それを境に妖怪の胴体は上下二分され、間もなく炎が胴体を包み込むと同時に妖怪の耳障りな断末魔をも飲み込み、灰も残さず妖怪の身体を焼き尽くした。
宙を舞う炎が消えた時、先が見えないほどだった目の前は開けていた。
葦原の軍勢はどこを見回しても影も形もなかった。
「っ……!」
未だほんのりと熱を帯びている"風切"の柄を握りしめる。
「景光! 無事か!」
背後からは息を切らし、肩で息をする南方が声をかけてくる。

「葦原ァァァァァァァァァ!!!!!!」
景光の腹の底からの叫びが、暗い木立の間に吸い込まれていった。

「景光、お前はよくやった」
肩に手をかけてくるが、それを振りほどく。
「すまねえ良治、おれが不甲斐なかったばかりに」
振り返ると、先程まで兵士が詰めていたとは思えないほど、調査局の拠点は静まり返っていた。人の気配も妖気も全く感じられない。
「本命は逃したがな」
それでもなおぶっきらぼうな景光。こちらに視線を向けようともしない。
「お前たちが、応神景光と南方良治とやらか」
足音のした方を向くと、無線越しに聞いたことのある声が近づいてくる。
「あんたは……部隊長か」
「ああ、いかにもそうだが」
声のした方を向き直ると、小銃を下げた壮年の男性が立っていた。
その後ろには兵士たちが集結しており、野戦服が所々破けていたり血の滲んだ部分もあるが、目に見えて重傷を負っているようには見えない。
「……ご苦労だった。貴君らの協力で、あれほどの戦闘にも関わらず我が部隊の犠牲は0だった」
「作戦は失敗した、あんた達の奮戦をおれがフイにしたんだ」
「失敗ではない。IJAMEAの軍勢は拠点を失ったのだ、これは大きな戦果だろう」
「ほら、こいつらもこう言ってるんだしな。連中は補給基地を失ったんだぜ、戦場での兵站の重要性はお前も分かってることだろう」
そう言われると、確かに戦果とも取れなくはない。だが慰められているような気がして、ますます未熟な自分が情けない。いっそ詰ってくれ、と口に出そうとした時、南方の無線機に受信を告げるランプが灯る。
「良治、景光! 無事か!」
「ああ、こっちは部隊も含めて全員無事だ」
南方の反応に、無線越しにもわかる安堵のため息をこぼす愷。
「それはよかった。こっちも状況を把握してたが、よくあれほどの攻勢で犠牲を出さなかったもんだ」
「それはいい、それより用件を言え」
南方の持つ無線機を、景光が横からひったくる。
「2人と部隊の安否確認も用件の一つなんだがな……。まあいい、至急こっちに戻ってきてくれ。調査局の軍勢が攻勢をかけてきてる。連中、拠点を捨ててからゲリラ戦を始めてきた。動けるな?」
南方と部隊に目を向ける。
「ああ、こっちは問題なさそうだ。至急向かうとしよう」
無線を切り、南方と部隊長に用件を伝える。
「連中も苦しくなってきたな。さあ、戻るぞ。お前の弟どもが大丈夫だといいが」
「そんなにやわな奴らじゃねえよ。……それより、すまなかった。もうあんな無様な真似はもうしねえ」
その横顔には先ほどまでの幼子のような反抗的な態度は無く、我々の良く知る戦士、"応神景光"が戻ってきたように見えた。


調査局との攻防は夜明けが迫る頃まで長引いていた。
味方にも相応の犠牲は出たが、調査局の軍勢の半数程を無力化することには成功したが、決定的な損害を与えるまでには至らなかった。
その一方で、調査局は破滅的とも言えるような特攻を行なうようになった。最早こちらの負けである、しかし一人でも多くの兵士を、一つでも多くの損害を、とばかりに妖怪を引き連れ、突撃を繰り返すその様は先の戦争の亡霊を見ているかのようだった。
無論、そのような自暴自棄の攻撃でやられるほどの味方ではない。しかし、時折遠くから銃声が途切れることなく響いたかと思えば、瞬時に静寂に戻る。この繰り返しで大体は察することができるくらいには、戦場に慣れてしまっている。

前線の彼らは大丈夫だろうか。
ふとそう思い立ち、無線を繋ぐ。

「景光、南方。聞こえるか」
「ああ。ばっちり聞こえてる」
息切れ一つ起こしていない景光の声が聞こえてくる。
「そっちはど──」

背筋に悪寒が走る。思わず会話を止めるほどの悪寒だった。直感か本能か、何か良くないことが起きようとしていることも分かった。
無線機の向こうにいる景光も全く同じタイミングでこれに気付いたのだろう。
「……なあ」
打って変わって急に雑音が混じるようになった無線機から、深刻そうな声をした景光と南方の声が聞こえてくる。
「ああ。何かとんでもなくやばい予感がするな」
「そしておれ達はこの感覚に覚えがある。そうだよな?」

あの瞬間、ある記憶を呼び覚ましたのだ。
去年の秋。凍霧天の跡を追うべく訪れた、彼の別荘である天陽荘の地下。
その帰路で経験した黄泉平良坂への道。死出の道を再び歩まんとする感覚。
死者が行列をなし、我々三人を黄泉路の向こう側へ連れていかんとする、あの様を。
あの時は屋敷の外にいた五行結社の結界によるものであった。
──五行結社。

「「「まずい!」」」



同刻 作戦本部 応神国光


それと時を同じくして、作戦本部には前線からの無線がひっきりなしに繋がっていた。
術が使えなくなった、と。
皆口々に、雑音の向こう側から上官の指示を仰いでいる。突然の報告に指揮系統も混乱している。
現状、作戦本部から測れる空間の安定性を示す数値は至って正常な値を指し示しているのだから。

「おい、国光! 聞こえるか! こちらは波戸崎愷! 聞こえていたら返事をしてくれ!」
突然、手元の無線機から愷の声が聞こえてくる。例に漏れず、雑音混じりの声。鬼気迫るような声に何か嫌な予感を抱きつつ、返事を返す。
「聞こえている。どうかしたのか」
「なあ、この作戦に五行結社はどこまで関わってる!?」
「五行結社か? そうだな、交戦区域の予測と結界の構築。これくらいか」
「前線に五行結社の連中はいないのか?」
「前線には誰もいないな。後方支援と情報収集だけだ」
「で、結界ってのはどういうものなんだ」
「そう急くな。……結界自体はありふれた、範囲内の地脈を周囲から隔絶させるものだ。調査局の妖怪を外に出さないようにするためだが、それがどうかしたのか」
無線の向こう側で息を呑む気配。深呼吸が聞こえてくる。
「国光、落ち着いて聞いてくれ。……五行結社は、その結界の内側にいる連中──敵も味方も関係ない。人妖も関係ない。皆纏めて異界に封じるつもりだ」
「何を言ってやがる。何か根拠でもあるのか」
言っていることがあまりにも衝撃的すぎて、却って現実味がない。半ば疑うような気持ちで返答を待つ。
「それは──」
その瞬間に一際強い雑音が入る。肝心の理由が聞こえない。
「何だって? もう一回言ってくれ」
しかしこちらから話しかけようとも、無線機はもはや雑音を吐き出すだけの機械になってしまった。
くそ、と無線機を放り投げる。
次の瞬間。
「前線で異常! 交戦領域全体が……異常空間に取り込まれています!」



波戸崎愷・南方良治・応神景光・応神長光・応神吉光


戦場に、腐臭を纏う生暖かい風が吹いた。同時に、地響き。
土の下──否、地の底から"何か"がやってくる感覚。調査局の引き連れる妖怪などとは格が違う、とびきり悍ましい何かが、こちらに向かってやって来る。それも無数に。
不気味な地響きは段々と大きくなっていく。兵士達もおろおろと周囲を見回すばかりである。
「全員、今すぐこの場から逃げろ! 全速力でだ! 繰り返す、全員今すぐ作戦領域から離れろ!」
あらん限りの大声で景光は怒鳴る。

辺りにいた兵士が景光に視線を向ける。気でも触れたのか、本当の緊急事態なのか。
その判断がつかない内に、次の変化が起きた。
至る所からぼこぼこと、土竜塚の如く土が盛り上がる。その中から、土気色の肌をした人の腕が伸び、盛り上がった土を押し退け、人が姿を現す。
その容姿は様々で、軍服を着た兵士に、国民服を着た壮年の男性。もんぺを履く女学生もいれば、頭巾を被った少年もいる。しかし皆一様に肉が腐り果てており、片腕を失った者もおれば、皮膚中に酷い火傷を負ったもの、ガラスや木片の刺さった足を引きずって歩く者、腸を零しながら歩む者。

目に見えて"死人"と断定できるものが、ぞろぞろと大群を成して大地を闊歩しているのである。
生気のないその目は生者を認めると、それ目掛けて脇目も振らず突進する。

前線は一気に恐慌状態に陥った。
死体から逃げる者、死体に発砲する者。しかし、既に死んでいる彼らにとっては露ほども効いていない。肉片が飛び散り、腕や足が捥がれるのもお構いなしに突進する。
「……こういうことだな? 愷よ」
天陽荘での一件を思い出しているのか、南方の顔には焦りと恐怖が少し出ている。
「そういうことだ。連中、ここら一帯を根の国と繋げて調査局と妖怪どもを丸ごと葬るつもりだ。我々を巻き添えにな」
「なぜそんなことを? そもそも五行結社はGOCの傘下にいる組織だ、味方を巻き添えにする理由がどこにある」
正論を景光が突きつける。
「知らねえよ。そんな事は奴らに直接聞いた方が早い。まあここから生きて出られたらの話だがな!」
「その結界を内側から破ることはできないのか? 確か兄貴はそうやって脱出したんじゃなかったのか?」
一縷の望みを得るべく、吉光が口を挟んでくる。
天陽荘の時は、結界を内側から焼き切ることで脱出できた。状況は似ていると言えなくはない。
「無理だ。あの時は家一軒分のごく小規模な範囲だったってのと、外から黒陶が術者を倒したってのが両方あってできたことだ。今回は結界の範囲がそれの比じゃないってことと、術者がどこにいるかも分からない上に味方だ。そもそもこの状況を知ってから動いたところで術者を倒せるほどの手練れがいるか? 要は現実的じゃない、ってことだ」
淡い期待はあっと言う間に打ち砕かれる。
「お前たち2人で逃げ遅れた兵士の保護を頼みたい。だが、何よりもお前たち自身が何よりの最優先だ、無茶は決してするな、機を見て脱出してくれ」
「ああ、任されたぜ」
銃剣を取り出し、刃を擦り合わせる長光。
「死ぬんじゃねえぞ、兄貴」
額の黒帯を締め直し、指を鳴らす吉光。
「それはこっちの台詞だ。……頼むぞ」

視界の端、GOCの兵士の一人が死体の群れに捕まってしまうところを捉える。
兵士は逃れようと絡みつく腕を振りほどこうとするが、死体は彼の足をがっちりと掴んで離さない。
ほぼ同時に気づいたのであろう景光はそこに向かって全速力で走る。
「おい、景光! ……くそ!」
景光を追うように、南方も向かう。

向かう途中、運悪く死体の一団と出くわしてしまう。
「くそっ、このクソ大事な時に! 突っ切るぞ!」
先陣を切り死体の群れを千切っては投げる景光。その後ろを追う南方。
「兄貴! ここは任せて行け!」
殿を買って出る長光と吉光。
「頼んだ! 死ぬんじゃねえぞ、いいな!」
あらん限りの声で、弟2人の背中に叫ぶ。
兵士の元に着いた時には、死体は兵士に組み付き、自由を完全に奪っていた。そして兵士を巻き添えにして、地中に沈んでいく──いや、"戻っていく"というべきだろうか。
兵士逃れようと必死にもがくも振り解くことができず、体はどんどん地中に飲み込まれていく。
「あっ──」
こちらに気づいた兵士が腕を伸ばす。南方が反射的に手を差し伸ばそうとするその手を、景光は払い退ける。景光は真剣な表情で首を左右に振るのみ。
兵士は絶望の表情を浮かべたまま、地中に飲み込まれていった。その場には、彼が携行していたであろう小銃が遺されていた。
「……景光! なんてことをしやがる! 何故奴を見捨てた!」
憤怒に満ちた表情で景光に食って掛かる南方。冷静さを完全に失った南方の顔を、景光は両手で掴む。
「考えろ良治! あの手を掴んだらお前もこれの仲間入りだ! お前も分かってることだろうが!」
「しかし……!」
怒り収まらぬ南方の目を、景光は至極冷静に見つめる。その怒りは徐々に引いていったようだ。
「……くそっ、分かったよ」
拳を握りしめ、体を震わせる南方。景光はその場で手を合わせ、合掌。小銃はその場に残すことにした。
一時の墓標としては有用だろう。

そうこうしている間にも空気に満ちる腐臭と瘴気は強さを増していく。空は夜明け前の薄紫ではなく、吸い込まれそうな漆黒。これ以上の滞在は方向感覚も危うくなることだろう。
「おい、そろそろここを離れないとまずいぞ。もう囲まれてる」
死体は一帯を覆うまでに増え、こちらに向かって来ている。
「ああ、分かってる!」
景光は方向を定め、全速力で走り抜ける。
「いいか、絶対に振り返るなよ!」
念押しとばかりにに南方が叫ぶ。黄泉路を戻る上での最大の禁忌。私も天陽荘の地下でその禁忌を犯す寸前であった。
おそらく死体の群れが我々を追い回しているのだろうが、それを確認する術はない。

くやしきかな われをな みたまいそ


けしてゆるさじ されどいとしきかな


なせのみこと



背後──あるいは足元から、女の声が響く。
この世に非ざるような、か細く儚げな声。
瞬間、一つのイメージが浮かんだ。

結界の中心、漆黒の空間に空いた一際巨大な大穴。底があるのかさえ定かではないほどに深い、そう直感するほどの大穴。
その大穴の底から、何かが上がってくる。
その「何か」が、声の主であろうことを察する。
「何か」は、穴の縁に手をかける。
その手は青白く、水を吸い込んだかのようにふやけていた。
「何か」は、地上に一歩を踏み出した。
逃げ遅れた兵士らの姿が見える。その姿に怯える兵士に向かって、「何か」は手を伸ばす。
発砲。しかし銃弾はぶくぶくと膨れた見た目に反し、傷一つつけられない。
伸ばされた手は兵士を鷲掴みにする。
「何か」は歩み始める。この空間に囚われた生者を探すように。
調査局の兵士も、妖怪も、味方も関係なく、「それ」は捕えて回る。

突然、金縛りにあったかのように身動きが取れなくなる。
前を行く景光や南方らはそれに気づかず走り去っていく。
助けを求めようにも、喉が引き攣って声が出せない。
刹那、自分は「何か」の白い手の内にいることを察する。
その手から逃れようと体を捩ろうとするも、とてつもない怪力で身動きすらままならない。体を引き抜こうとしても、ふやけた皮膚が力を分散してしまう。
そのことを全く気にもかけずに、「何か」はどこかを目指して歩いている。段々と、腐臭が強くなる。
足元には、「何か」が出てきた大穴が広がっていた。
その大穴を、「何か」は降りてゆく。

そして確信した。
私は逝くのだ、と。
地の遥か底にある、死者の住まう世界。根の国へ──


「……い。愷! しっかりしろ!」

光が目に眩しい。夜明けを迎えた空は青紫と橙が対照をなしていた。
「おいおいしっかりしてくれよ。外に出た途端にぶっ倒れたんだぞお前」
「しかも魘されてるみたいだった。冷や汗塗れだぞ。……長光、救護班を呼んできてくれ。吉光は兄貴を探してきてくれ」
2人は頷き、どこかへ駆けていく。
まだ息が荒い。腹の底から込み上げてくるものを押し留めることもできず、全部嘔吐する。

「……さっきの女の声、聞こえなかったか」
落ち着きを少し取り戻したところで、一言問う。
「さっきの声? 何言ってやがる」
南方の目が心配一色だったのが一気に怪訝なものに変わる。
「穴の底から出てきた女の声だ」
「穴? 女の声? まだ夢でも見てるのか」
景光は呆れ気味だ。
聞こえたのは私だけらしい。
しかし、厭に現実感のある夢であった。鷲掴みにされた感覚も、あの腐臭もまだ体に残っているように感じる。

「時間はどのくらい経った。作戦はどうなった」
矢継ぎ早の質問を諌めるように、南方が押し留める。
「そう慌てるな。気絶して2分ほどしか経ってねえよ」
「今しがた結界は解けたみたいだが……」
そう言って景光は視線を向こうにやる。
一面を覆うほどだった死体の群れは跡形もなく消え去っていた。
腐臭も、瘴気も、微塵も感じられなかった。
「……そうだ、穴はどうなった」
体を起こし、ふらつく体に鞭打って歩く。
「おい、愷! どこに行くんだ! まだ安静にしてろ!」
その声を無視して、夢で見た大穴へと向かう。

「……ない」
「何がないんだ?」
間違いない。大穴があったのは正にこの場所である。
しかし、その場所には穴どころか穴の痕跡すらなかった。
「穴ってお前、そりゃ夢の話だろう。そろそろ目が覚めてもらわないと困るのはこっちなんだぜ」
「だが……」
しかし、その言葉の続きは南方に遮られた。
「んん? 見ろ、誰かいるぞ」
こちらに向かって歩いてくる人影。しかしその歩き方はよろよろと覚束ない。
もしかすると生存者かもしれない。
そう思って駆け寄ったが、その人影は我々の期待をある意味で裏切った。



同刻 作戦本部 応神国光


「どういうことか説明しろ、アルフィーネ!」
机を叩く音が部屋の中に響いた。
「何と言われても、作戦における最後の手段を使ったまでよ」
「我々は然るべき行動を取ったまでですが、何か問題がおありでしょうか」
ヒーズマンの剣幕の対象は向かいに座るアルフィーネと安倍晴明。両者ともに涼しい顔をしている。内心、私も怒鳴り散らしたい気持ちで一心なのをなんとか堪えている状態だ。
「作戦範囲全域を異常空間と繋げて、そこにまとめて封じようなどと! 我々だけではない、GOCの戦力も巻き添えではないか!」
「彼らには事前に伝えてあります。死ぬより酷い事態に巻き込まれる可能性は十分にある、と。彼らは皆その覚悟を持ってここに来ていますわ」
「しかし、もっと良い方法はなかったのか!」
ヒーズマンはかなり興奮しているのか、顔が紅潮している。
「"もっと良い方法"? これがあの時点で取れる最良の方法です」
晴明は指を組み、至極冷静に答える。
「確かに、我々と財団の戦力は調査局の軍勢を打倒する戦力、装備共に十分に用意していた。そこはご理解いただけますね? ヒーズマン管理官殿」
「……そうだな」
やや不満気なヒーズマン。晴明は話を続ける。
「しかし、調査局の抵抗が想定以上だったために戦況を決定づけるほどの戦果を上げないまま、刻限──夜明けが来てしまった。いくら東京防衛のためとは言え、我々や調査局の存在が公になってしまっては元も子もありますまい。そこで、我々GOC麾下五行結社は事前に用意していた最後の手段を取らざるを得なかった」
「それが、味方も巻き添えにして調査局の軍勢をまとめて異界に封じることだというのか」
「いかにも。しかし幸運にも内部で動きがあったのでしょう、犠牲は我々の想定よりかなり少ないものであった」
「そもそも最初からその方法でやればよかったのではないか」
確かに、その方法であれば犠牲を出すことなく調査局の襲撃を退けることも可能だっただろう。
「この方法はレイラインにかかる負担を大きくしてしまう。それこそ普段から我々が使う、地脈を介した移動などとは比較にならない程の負荷がかかる。地脈が乱れれば、その周辺の地脈にも連鎖的な悪影響を及ぼす。それもかなりの期間に及ぶものだ」
会話の区切りを待っていたかのようにノックが4回。入ってきたのはGOCの事務員だった。
「失礼します」
「どうかしましたか」
「それが……この地域一帯で、死んだはずの家族や友人を名乗る人物が訪ねて来ている、という報告が多数上がっています。不審に思った大半の市民は警察に通報したようですが、彼らに襲われた市民もいるようです」
「やっぱりね……レスポンスレベル2を適用、事後処理に当たるように」
「御意」
事務員は部屋を出ていく。
「何が起きてるんです?」
純粋に、何が起きているのかを知るべく聞いてみることにする。
「地脈の乱れによる、異界との散発的で不完全な接続現象だ。普段交わることのない彼我の世の境界が曖昧になり、そこに住む者が相互の世を行き来できる状態になっている。我々に身近な例えをするならば、それが完全に制御された状態で行なわれるのが盆の儀式だ」
盆──夏頃に先祖がその子孫の元を訪れ、また生者も彼ら交流するべく迎え火や墓前への供え物などの儀式を執り行う一連の行事である。
宗家でも盆の行事は執り行われていたが、地脈を介した現象であるとは全く考えたことはなかった。
「完全な儀式では整った肉体を付けた状態で此岸に渡ってくるが、その術は蒐集院が秘匿していた。地脈にごく微小な負荷をかけ、死者の肉体を伴わず霊魂だけを迎える不完全な儀式が流布されたのが現状だが、今回のように強引に死者を呼び覚まし、地脈に強い負荷を与えてしまうと、不完全な肉体でこちら側に渡ってくることになる」
滔々と語る晴明。
「こうなっては我々の活動にも影響が出る。こちらにとっても不都合が多いが、そうせざるを得なかった。それに、財団も調査局の持つ"小嶋"を欲しているのでしょう? この話を事前に聞いていたら、あなたは賛成しましたか」
小嶋第十三番"阿児奈波"。財団としては散逸した収容対象となっている一品であり、小嶋の回収はこの作戦の目的の一つでもある。
それを何処とも知れぬ異界に送り込むことなど到底できない。
小嶋の名を聞いたヒーズマンは黙り込む。分は向こうにあるようだ。
「しかし、どうやら小嶋は無事のようです。もうしばらくもすれば、財団の管理下に戻ることになりましょう」



波戸崎愷・南方良治・応神景光



「葦原!」
「生きてやがったのか」
しかしその姿はまともな人の体を為していなかった。
身体中のあらゆる肉は腐り、所々白骨が覗く。左腕は胴体には腱数本でくっついているのみであり、ただぶら下がる肉の塊と化している。血塗れになった軍服にぶら下がっていた徽章や肩章でようやく葦原と分かるような有様だった。
比較的元の形を残している右腕には、微かな光を放つ小さな像が握られていた。
「小嶋か……」
小嶋の力を使い、異界から無理矢理脱したのであろう。しかし脱出こそ叶ったものの、その力に身体がついてこなかったように見える。
「私は、栄えある大日本帝国陸軍、帝国異常事例調査局の軍人。……たとえ、この身が朽ちようとも、我々の意思を継ぐ者がいる限り、帝国は、帝国の精神は、不滅である」
ヒヒヒ、と狂ったように乾いた笑いを上げる。
景光が取り押さえるべく近寄ろうとするが、南方に押しとどめられ、首を振る。
「奴は……もう長くない。放っておけ」
「……ど、け……そこを、どけ」
我々の声は聞こえているのか口調が荒いものになり、右腕を振り回すが、声の先には誰もいない。目は見えていないのだろうか。
掠れた声ならざる声を上げ、手を伸ばした先は知ってか知らずか陸軍士官学校の方向。歩みはどれほど遅くとも、少しでも近づこうとする底知れぬ執念に些か肝が冷える思いがする。くっくっ、と笑い声が聞こえる。
しかし両足の骨が音を立てて真っ二つに割れ、バランスを崩した葦原は地面に頽れ、そのまま動かなくなる。
駆け寄った景光が首筋に手を当てるが、首を横に振る。
「これで……終わったのか?」
葦原の死体を見下ろし、景光は問いかけるように呟く。誰もその問いかけに答えることはできなかった。

南方は小嶋をがっちりと握り締める葦原の指を一本一本外していく。
「どんだけ強く握りこんでるんだよ、死体のくせに」
回収した血塗れの小嶋を、我々は何とも言えない表情で見下ろす。
「ともかく、調査局の部隊は壊滅。小嶋も回収できた。作戦は成功……」
受けた被害を前にして、続きを言うのが躊躇われる。
「……成功とは言えなさそうだが、一先ず作戦本部まで戻ろう。お前を看てもらわなきゃならん」
「そうだな」
そう言った途端、足から急に力が抜け、ふらついてしまう。
「ほら言わんこっちゃない。ほら、腕回せ」
「すまない……」
景光と南方の肩を借り、作戦本部まで戻る。


その後作戦本部の救護所で景光や南方と別れたため、2人のその後は人伝てにしか分からない。
国光から聞いた限りでは、報告も兼ねて向かった指揮所で作戦の真相を聞いた南方と景光が怒りを隠しきれず、あわやアルフィーネと晴明に斬りかからんとしていたのを何とか押し留めた、と疲れ気味に話していた。

「お前はこの後どうするんだ?」
先に戻ってきた国光に問う。
「ああ、そのことか。……裁判が開廷し次第、しばらく日本を離れることになりそうだ」
「何!?」
弾かれたように体を起こす。
「おいおい、病人は安静にしてろ」
国光の人差し指が私の額を突き、寝台に戻そうとする。
「何が病人だ! ……それより説明してくれ」
「この一件、もう海を渡って財団のお偉いさんに知れたそうだ。ヒーズマン管理官共々査問さ」
「査問……」
「何でもO5評議会っていう財団の最高幹部の集まりだとよ。もしかすると懲戒……いや。懲戒で済めば御の字ってところだろうな。この一件、いくら急を要する案件だったとはいえ、日本支部は上に諮ることなく独断で動きすぎた」
「国光……」
「管理官は私だけでいいと言ってたがな。だがGOCとの交渉に決着をつけたのは他の誰でもない俺だ、そのけじめくらいつけなきゃならん」
言っていることこそ諦めに満ちているように見えるが、目は死んでいない。
応神家を継ぐ者として、ここで果てるわけにはいかない。どれほど不利な状況であろうと、不退転の覚悟と意志を持って自らを貫き通す。
そんな意思が表れていた顔を見て確信する。

国光は帰ってくる。

「……言ってることと表情が合ってないぞ」
「……やっぱバレちまうか」
互いに顔を見合わせ、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「無事に戻ってきたら飯くらいは奢ろう。盛大にな」
「お、言ったな?」
病棟に、男2人の笑い声が響く。
「ところで景光とかには話したのか?」
「ま、近々話すさ」
その時ちょうど救護室の扉ががらりと開き、景光と南方が戻ってくる。
「愷、体調はどうだ? 見舞いにきたぞ」
「おう兄貴、ここにいたのか。何話してたんだ?」
「……いや、普通に世間話さ」

間もなく国光は事後の事務作業に駆り出されたが、特にする当てもない我々──厳密に言えばすることがあったとしてもやる気が起きないのだが──は軽めの昼食を取り、救護室に屯していた。
橙色の西日が救護室を染め上げる頃、扉ががらりと開く。
「……波戸崎愷さんですか? それに…応神景光さんと南方良治さんも」
近寄ってきたのはスーツ姿の事務員。
「ええ、いかにも私が波戸崎愷ですが」
「面会希望の方がいらっしゃいます。東風浦聾音、という老人ですが」
その名を聞いた途端に、背筋が自ずと伸びる。師父。
「今すぐ行きます。案内をお願いします」

案内された一室の扉の前。我々3人は固まっていた。
顔を見合わせる。
「……入るぞ」
「ああ……」
緊張した面持ちだが、南方と景光は頷く。
扉を4度叩く。
「入りなさい」
しわがれた風格のある声。しかし、去年までは確かにあった"覇気"とでも言うべき、そんな活気は失われていた。
「「「失礼します」」」

師父──東風浦聾音──は去年よりずっとやつれた顔で我々に微笑んだ。
頬はさらに痩せこけ、少し混じる程度だった白髪は今や髪のほとんどを占め、誰が見てもわかるほど痩せ細っていた。
杖をつき、椅子から立とうとするその腕は少し震えているように見えた。

「師父。ご足労いただきありがとうございます」
「このような様での面会をお許しください」
我々は同時に膝をつき、礼をする。
師父は椅子から立ち上がり、我々の前に立つ。
すると床に膝をつき、我々の手を取る。その手には無数の深い皺が刻まれ、握られた手の力は余りにも弱々しかった。
「師父! そのようなことは……」
肩に手をかけようとする景光の手を振り払い、額が地につくほどまで頭を下げた。
「お前たちには、散々苦労をかけた。この場で詫びさせてほしい……!」
喉の奥から絞り出したかのような掠れた声。体の震えが腕を通じ伝わってくる。
「苦労などとは微塵も……!」
「師父、顔を上げてください!」
おろおろとする南方と景光にとっては、このような師父を見るのは初めてだろう。
昨年の秋、帝都から脱出する直前。私だけが見た師父の姿──否、それ以上に弱くひしがれた姿を再び目にすることになろうとは思ってもいなかった。
「……師父よ、顔を上げてください」
手を握り、師父の顔を真正面に見据える。
「師父。我々は感謝しているのです」
「感謝、だと……?」
師父は信じられないものを見るかのように、縋るように私の顔を見上げている。その姿は路地裏から通りを眺める物乞いの老人と重なって見えた。嫌悪感が胸裏を覆っていく。
「並大抵の研儀官では音を上げ、命すら落としかねない状況を二度も潜り抜けられたのは、他ならぬ師父の教えがあってこそ。師父の教えが、我々とこれに関わった者の犠牲を最小限に抑えることができたのです」
心からの思いを吐き出す。
「だが、戦後の混沌に引き込んでしまったのは他でもない私なのだ! 本来であれば、お前たちは関わらずともよかったことに!」
師父の激しい語気。己の無力と後悔を吐き出すかのように、俯いてしまった。
「この因縁は、いずれ誰かが引き受けねばならなかったこと。それが、偶々我々であっただけの事です。誰が師父を責められましょうか」
景光が言葉を継ぐ。
「こうして我々は五体満足でこの場にいます。終わり良ければ総て良し、とも言います。全ては終わった事なのです、師父。どうか、顔を」
南方がそう畳む。顔を上げた師父の目からは幾筋もの涙が零れていた。

「愷、良治、景光。本当に……本当にありがとう。もう、私に縛られることはない。己の道を征け」
「師父……」
「お前たちは両の足で立ち、困難に立ち向かう強さを得ている。それなのに、お前たちの中に私という枷がいることで、その強さを十全に発揮できないのは大いな損失となる」
「いえ、そのようなことは……」
師父はこれまでの弱々しい態度から一転して、堂々と威厳ある声で告げる。


「波戸崎愷、南方良治、応神景光。今日を以て、破門とする」

師父は立ち上がり、杖をつきながら我々に背を向け、部屋を出ていく。
その姿は、記憶の中にある見知った師父の姿に重なっていた。
その背中を、我々は最敬礼で見送る。
気づけば、我々の両の目からは涙が溢れていた。



皇紀弐千六百六年 某日



その後、裁判は予定通り開廷された。
それを見届けたのち、ヒーズマンと国光はO5評議会の査問のため日本を離れた。
我々は裁判が開かれている間はそれぞれに警備や護衛、事務作業の役割が割り当てられ、忙しい日々を送っていた。
この間、我々は一度も顔を合わせなかったというわけではないが、特段話すようなこともなかったために立ち話程度にしかならなかった。

我々が一同に会したのは裁判の進行が少し落ち着いた頃のことだった。
誰かが集まろうと言い出したわけではない。成り行きで会うことになったので、話すような話題は誰も持ち合わせていなかったのかもしれない。

「そういえば管理官と国光は帰ってきたのか?」
「ああ。だが帰ってきたのは兄貴だけだった。管理官のことを聞いても話したがらないんだ」
「それじゃあ判らねえな……」
ヒーズマンが日本を離れて以降も、日本支部は一つの滞りもなく動いていた。
日本にいる誰かがヒーズマンの後を引き継いだのか、入れ替わりでアメリカから後任が送り込まれたのか。それすら分からない。
「ま、今度会ったら聞いてみるとするさ」
「今はいろいろと厄介な事になっててな。今はやめておいたほうがいいぞ」
矢継ぎ早の質問に景光が投げやりに言葉を返す。
「どういうことだ」
私も南方も怪訝な顔をする。
「アメリカの幹部連中に呼び出されるほどの案件に首突っ込んだ奴がお咎めなしで済むとでも思ってるのか?」
「う、それは確かにそうだが」
言われてみればそうである。
アメリカの財団本部からすれば、ヒーズマン及び応神国光は「独断で対立組織との一時的な同盟関係を結んだ下部組織の一職員とその判断を承認した上司」でしかないのである。
「要は監視対象になったわけだ。厳密に言うなら『応神』の人間全員が、な。例外なく」
「その割には堂々と動いてるし何なら仕事も持ってるじゃないか。実害はほぼ無いんじゃないか?」
聞いた限りでは深刻な事態なのだろうが、本人がさほど深刻に捉えている様子がないように思えた。現に、こうして我々と緩く雑談をしているのだ。
「そんなことはない。ほら、現にそこにいるだろう」
景光が背後の物陰を親指で示す。視線を向けるとこちらを窺う人影があった。
視線を察したのかすぐに引っ込んでしまったが、間違いなくこちらを見ている誰かがそこにいた。
「ま、遅かれ早かれこうなるだろうとは兄貴も親父も言ってたさ。何せうちは蒐集院の超がつくほどの旧家で武闘派。そんな家が1000年仕えた組織を捨てていきなり自分たちの組織に乗り換えたらどんなに阿呆な奴でも怪しむだろうさ」

「なあ、この後ってどうなるんだろうな」
南方がぼやいた。
「この後って?」
「日本支部の行く末だよ。この一件で、この国の超常機関どうしの勢力図がほぼ決まったと見ていいだろう」
「そうだな……今はGHQの操り人形に成り下がっている政府も、直属の超常機関を設立する構想があるみたいだ。まあ、ずっと先の話になりそうだがな」
「その話なら聞いたことがある。財団、GOC、日本政府の三者で超常コミュニティの連合を作るって話だろう」

対立しているだけでは国内の安定には寄与することはできない。
いずれの組織の目的も、超常的存在から人類を保護すること。その点は、財団とGOCの間で合意が取れている数少ない認識である。
「なら超常コミュニティを通した国民の保護は盤石だろう。問題は……」
「財団とGOC、どちらがその組織の主導権を握るか、だろうな」
景光の言葉を、私が継ぐ。
無論、日本政府にも直属の超常機関が存在しないわけではない。
しかしいずれも組織と呼ぶにはあまりにも弱小であり、それらを統括する組織の権力も人員も十分とは到底言い難い。組織を打ち立てたところで発言権は無に等しいだろう。

「ま、それを詰めていくのがおれたちみたいなエージェントなんだろうさ。役者は……まず多種多様な超常組織との交渉にあたる事務員オフィサー。それから、抗争に巻き込まれた職員のための医者ドクター──もしくは博士ドクターに、対立する組織との荒事を担う兵士ソルジャー。そして組織に潜り込み情報を掠め取る工作員スパイ。ってところじゃないか?」
指を折りながら滔々と語る景光。
「やけに現実的だな」
景光の予想は妙に現実味があり、想像に難くない。
現状、景光の言う"事務員"と"兵士"に相当する働きを、我々は遂行してきたのである。
「そりゃそうさ。おれたちは超常組織どうしの覇 権 闘 争パワー・ゲームの舞台装置に組み込まれたってことさ。今回の一件はどの組織にとっても、末端の職員の立ち回りやそれらを指揮する上司の判断も含めて、重要なデータになるんじゃないかと思ってる。……ま、こんな面倒事はもう御免だがな、色々と疲れた」
かく言う景光も深く息を吐く。それに連られるように、私と南方も深い息を吐いた。
我々は示し合わせたかのように上を見上げる。

見上げた空はかすかに雲に覆われていたが、僅かな雲の隙間からは透き通るような青が覗いていた。



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