ベールの裏のあちら側
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「アイツがどうなってるのか聞いてるか?」
「いや、なーんにも」

営業時間はとうに過ぎ、カウンターに置かれた板にはclosedの文字。もう誰もいないはずのカフェテリアの窓際席に、男が二人座っていた。机の上の赤い缶と黒い缶はプルタブが開けられ、無造作にすみっこへやられている。
見た目は30代だろうか、焦げ茶のツーブロックと黒髪のショート。夕闇の迫る景色を横目にスマホをいじる二人は、どこか普通と違っていた。
よく見れば焦げ茶の髪の男は靴の先が床から5cm程浮いていて、黒髪の男はスマホをいじる手や顔の色が通常の人間のそれではなかった。

「聞いたときは正直ビビったよ」
「え、オレの時も?」
「いやお前の時は特に」
「ひっど」

先日届いた「知らせ」は二人に凄まじい衝撃を与えた。さながら頭頂部を金槌で力任せに殴り付けるかのような。

「とうとうアイツもなっちまったか」


ここ数年、日本支部の中で広がっている異変がある。何がきっかけかもいつから始まったのかもわからない、それでも確実にじわじわと広がっている異変。
異常性を持つ職員が増え始めていた。

本来、異常性を持つアノマリー職員は二種類に分かれる。財団でオブジェクトに曝露したタイプ、財団に来る前に異常を持っていたタイプだ。
しかし最近、普通に生活をしているただの職員が、何の前触れもなく異常性を発現する事例が発生し、その数が少しずつ増えている。
今や世界中の全てのサイトでアノマリー職員の数は増加の一途を辿り、今や日本支部含め複数のサイトでアノマリー職員の数が正常職員を上回る所が発生する事態となった。

「てかアイツあれから俺の事緑色のキャラの名前で呼ぶのあんまりだろ」

せめて統一しやがれクソが。そういって盛大なため息と共にテーブルに突っ伏した黒髪の男、Agt.佐藤。その皮膚は真夏の木々のような新緑の色をしていた。
一年前に発現したその異常性は、光合成による炭水化物の生成を可能にしていた。しかし、言い換えれば炭水化物の摂取を制限されるという事だ。食事の楽しみが減るというのは存外に辛い。
さらに見た目も相まって、周りの人間に避けられることも多かった。今でこそ慣れたが、傷ついたことがないと言うのは嘘になる。

「オレなんかユーレイ呼ばわりだぞ、っと」

焦げ茶の男、三上研究員が空の缶を捨てに席を立つ。その靴は地につく事はなかったが、背もたれを掴み何とか体のバランスを取った。そして側に置いてあった小型エアー噴射機を使ってゴミ箱へと向かう。
それは7か月ほど前に発現した。体の最も低い位置にある部分が地面から5㎝程地面から離れるという異常性で、彼は自らの足で移動することができなくなった。
周りに何もない状態ではその場から動くこともできず、今や噴射機なくしては生活が困難になる有様だ。まだ自分の意志一つで動けるだけ幽霊の方がマシとすら思えてくる。

「それでも、いざ言われるとビビるわ」
「俺達も通った道だがな」

その酷い呼び方をするそのもう一人の仲間が、異常性を発現して隔離された。それが「知らせ」の真相だった。
 
異常性を発現した職員は隔離され、調査の後収容か再雇用かに分けられる。結果は本人が戻ってくるかどうかでしか判断できない。「懸賞の発表かよ」と呟いたのは一体どこの誰だったか。
後に危険も仕事をするにも問題がないと判断されれば、収容された後でも再雇用され戻ってくる場合があるからだが、共に働いた仲間としてはやはり気にかかる。例えネーミングセンスがあんまりだったとしても。

「戻ってくるかね」
「知るかよあんなヤツ」
「無事だといいな」
「…」

無言で缶の残りをあおる佐藤と、その背もたれを掴んで浮かぶ三上。いつもなら側にいるもう一人の仲間の存在を、二人の脳は無意識に作り出す。声を、笑顔を、触感を。
夜の暗闇がひたひたと最後の陽光を覆いつくそうとしていた。


「そろそろ出るか」

呟いたのははどちらだったか、声が水面に落ちる雫のようにその場の空気を揺らす。
コツコツと足音が近づいてくる。音の主が誰であれ、このままここに留まっていようが恐らく文句はおろか気にも留めないだろう。
だがここにいても結局何もできない。ブルーになっている時間はない、財団職員であるならば。
もっと報告書を読み込もう、まだ締めは先だが書類を仕上げてしまおう。明日は休暇だから基礎体力を上げにジムへも行って射撃場にも行って、そうだ久しぶりに部屋の大掃除もしてそれからそれから。

「なんでこんなところにいらっしゃるんですか、お二人とも」

二人の肩が5mmほど跳ね上がった。振り返ればいかにも怪しい人物発見、と言わんばかりの視線に射抜かれる。明るいブラウンのベリーショート、見た目は20代後半の職員がこちらを覗いていた。

「俺、職員に戻ってもいいって許可下りたんで、早く報告しようと思って…何ですか先輩たち、その顔は」

二人の唖然とした顔に疑問符を浮かべながらカウンターに近寄る職員、Agt.久保田。彼こそがこの二人に「あんまり」な呼び方をし、先日隔離されたはずの張本人だった。
佐藤も三上も予想すらしていなかった。ことわざをなめていた節もあるが、まさか、本当に話題にあげた人物が目の前に現れるなんて。

「噂をすればなんとやら、ってか」
「よし、これからこいつはなんとやらって呼ぶぞ」

喜ぶでもなくお帰りでもなく、真っ先に出た言葉がこれだ。これを二人は後々後輩から何度も言われ続けるのだが、当然そんなことは今の三人が知る由もない。


三人席に移動して、またいつもの面子が揃った事を祝う。
良かったな、と三上が頭を撫でてやれば、久保田がやめて下さいキモイです、とは言いつつ笑って受け止める。そしてそこをすかさず佐藤がきついチョップを落とした。相変わらずのひねくれ野郎が、とお言葉までつけて。
文句も言えず後輩が文字通り頭を抱える様がいつも通りで、その場に先輩二人の盛大な笑いが響いた。

「ともかく、職員には戻れたんだな」
「はい、ですが外に出てはいけないと」
「アノマリー職員の定めってやつだ、仕方ないよなー」

異常性を持っていると判断された職員は、基本的に任務以外での外出は禁止されるルールだ。
一般社会に出て姿を見られ混乱を招く可能性を考慮する意味もあるが、異常性を持っている事が外部に露見すれば職員自身が身柄を狙われる可能性もある。ルールはベールの内外、両方を守るように出来ている。
 
「しかしお前どこに異常性があるんだよ」
「見た目は普通に見えるけどなぁ」
「お前の事だし肉引っ張ったら無限に伸びるとか」
「俺を何だと思ってるんですか」

説明しますから、と久保田は頬の肉をつまもうとする緑の指をしっしと払いのけ、おもむろに左の二の腕を右手で掴んだ。
何をする気だと興味半分、怖れ半分の色が見える二対の目。久保田はその視線をちらり、と一瞥したかと思うと、そのまま思い切り腕を引き抜いた。
左側の席から喉の奥から漏れたような声が響いたが、彼はそのまま目の前のテーブルの上に腕を置く。
わざと二人に断面が見えるように置いたのは先ほどの意趣返しか。断面からは組織や骨は確認できず、モザイクでもかけてあるかのように真っ黒だった。

突然の事に佐藤の体は硬直し、三上の上体はのけ反った。久保田はその反応を見てにたりと笑うと、残った右腕で頭頂部の髪を掴むと、これまた何の躊躇もなく引っ張った。ぼろり、椿の花が落ちるように頭が首から離れ、右手にぶら下がる。

人は余りに強い衝撃を受けると、自分の意志で動けなくなるらしい。二人は先ほどの状態から身じろぎ一つしない、ただ瞳だけが揺れる頭を追っている。
自販機の稼働する機械音だけがその場を支配していた。

ふと、生首が満面の笑みを浮かべた。いたずらが成功した少年のように心底おかしそうな声が空気を震わせる。
司令塔が取れたはずの右腕がそろそろと生首をテーブルに下ろす。笑い声に硬直が半分溶けた二体の人形が恐る恐る成り行きを見守る中、生首は高らかに自分の異常性を表明した。

「五体、着脱可能になりました!」

その後ろで、体がしてやったりと胸を張っている。
二人は口を半開きにしたまま視線を軽く下ろした。テーブルの上の腕が親指を立てていた。

その後、久保田は心底後悔する事になる。

「す、ま、せん、す、ませ、悪か、で、から勘弁し、くだ」
「うるせぇ、いきなり頭をもぐヤツがあるか」
「なー見ろよこれめちゃくちゃ活きがいい腕だな」

体は佐藤に床へ抑えつけられ執拗にくすぐり攻撃を受け、左腕は三上に捕まりとれたての魚のように暴れ回る様をからかわれ、テーブルに単体で残されては何もできない生首は、体から伝わる刺激に涙を流して笑い転げるしかなかった。
何故か感覚神経や運動神経が五体がバラバラになっても機能するのが仇となり、後輩の無邪気とは言えぬいたずらは結果として高いツケを払うことになった。


「お前がアノマリー職員になったっていうのもいまいち実感湧かねぇけど」
「ホントにお前はなんも変わってないわ」

五体を元通りに付けたは良いがくすぐりの余韻に突っ伏す後輩の頭に、先輩二人がしみじみと声をかける。

「ちょっとは落ち込むなりなんなりするとは思ってたがな」
「お二人を見てましたから特に恐怖もありませんでしたよ」
「それ喜んでいいの?けなしてんの?」

自身より先にアノマリー職員になり、困惑し落ち込む二人の姿を久保田は間近に見てきた。周りの目の移り変わりも、異常性への向き合い方も、全て二人を見て学んだ。
結局は何も変わらない、自分は自分だ、胸を張っていいと身を持って教えてくれたのはこの二人だ。きっと自分がどうなっても、この先輩たちは自分を見る目を変えないだろう。そう確信していたから、何も怖くなかった。
だが、そう口にするのはどうにもむず痒かった彼はそのまま知らんぷりを決め込んだ。
そんな後輩の真意を量る事のできない二人は戯れにその頭を拳でつついている。

「異変」は何故起きたのか、いつまで続くのか。それはこの三人にわかるはずもない。
ある博士がこう言った。
財団は今変革期にある。「異変」を止めるすべはなく、いずれ財団に人間はいなくなる。閉じたベールのそのまた奥で、人間を見守る「何か」になる、と。

ベールの裏の人間よりもさらに奥に潜む存在。アノマリー職員と呼ばれる者は財団にさえ「何か」と言われる。異常オブジェクト異常アノマリーが監視する、ここは監獄か箱庭か。
 
これからも異常は増え続ける。そして「何か」も増え続ける。
それでも世界は変わらない。そして財団も変わらない。 


窓の外はいつの間にか夜陰に閉ざされ、スマホの時間は19時をとうに過ぎていた。それを確認した三人は誰からともなく立ち上がり、それぞれ固まった体を伸ばす。

「よし、飯行くぞ」
「お前の職員復帰祝いだなー、お前のおごりで」
「いやいやいやおかしいでしょなんでそうなるんです」

呆れ果てながらも荷物を背負い、顔をあげた久保田の左肩を三上が抱いた。驚いて一瞬目を閉じたそこに追い打ちをかけるように今度は佐藤が左腕を掴む。きょとん、とその顔を見比べている久保田に、二人は笑って声を上げた。

「「ようこそ、こちらアノマリー側へ!」」 

こうしてまたベールの裏で、一人の人間が更なる深淵へ旅立った。
 

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