夜より黒い空の下に
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どこまでも黒く沈んだ天球にミルキーウェイの粉は降らない。

産声の世界は瞳を刺し、焦げた帳の下で大地が育つ。伸びゆく地面、汚れた雪と萌える草は読み込まれていくCGだ。半球は天候を塗り潰す。広がる壁の向こうからは森羅の続きが染み出でて、濾された野山が生まれていた。

戸を開き、肺に外気を込めた。黒衣の空が星を喰う中、普段通りに酸素は巡る。肌は光のぬくもりを帯び、草木の傍には影が落ちる。

鼓膜を警告音が蹴りつける。異様な日食をさておいて、冴え切った人工知能は電波暗室の異変を告げる。耳に攻め込むサイレンは黒の空間の収容違反──消失の事実を突き付ける。別れを口にすることなく、SCP-280-JPは既に部屋を旅立っていた。




私のせいか。


プトレマイオスの天動説も、アインシュタインの宇宙項も、素朴理論は誤りを拓く。轟音と共に常識が破れることを、信念が薙ぎ倒されることを怖れ、人は想いを守り難色を示した。しかし古代バビロニアより4000年、エイダ・ラブレスから200年。人の子たる計算機群は冷徹さを保ち続ける。

私は逃げた。脚を棒にして走り続け、爆縮しかける筋をなだめ、この宇宙の縁を求めた。どれだけ駆けようと理解が残酷に脳を蝕み、私は叫び己を悔いた。体を伝う汗と涙は加速する体温をすうと奪い、まだらな熱が後に残った。







誕生した世界を覆う空と鍾乳洞のブラックダイヤは、脳細胞に連想ゲームを巣食わせていた。

観測の拒絶、絶無の亜空。ブラックホールと呼ばれる代物だ。

ルーズソックスの高校生がケータイをいじり向かって来る。丁度私と同世代だったかもしれない、スクールバッグを振り子にした彼女たちからは、平成の香が漂って来る。なびく髪が視界から外れ、牛が水田に波を立てた。重たい装具を引きずる牛は足を沈める農夫と共に、開けて間もない昭和を見せる。

全てを吸い込む悪魔の星は腕をずるりと伸ばして贄を獲る。健脚たる光までも、かの魔の手から逃れられず、捕らわれ呑まれ散っていく。因果の奴隷は如何に軽やかに舞おうとも、無関係には居られない。

気配を感じ振り向くと天突く馬体が迫っていた。背を打ち付けた頭上から「気を付けろ」と荒い声を浴びた。御者の背後で過ぎゆく窓から西洋かぶれが視線を送り、同席の婦人が口角を隠す。

アキレウスは走り、留まることなく走り、指に絡め取られてなお走り続ける。彼の脚は腕と釣り合い、やがて綾取りのごとく手繰られる。クロノスの矢は捻じ曲がる。彼の駆けていく向きこそが矢の向かう先に他ならない。

狼の遠吠えがこだまする。

枝葉を揺らし朱鷺トキが飛び立つ。

蹄に遅れ、武者の鎧がこすれ合う。

悪魔の庭では符号が捻じれ、時計と分度器は役目を終える。

──濡羽のケージに集まった、混沌の歴史の生け簀だった。

繰り広げられたありとあらゆる歴史事象が一斉開花を遂げていく。紙面と石墨、電子と液晶、流した知識が前を歩く。誰かの砕けた年表は潮の流れに揺られた末に異国のメッセージボトルとなる。削れたカセットテープのように時空は地べたを這いずり回り、循環の中をとぼとぼ戻る。

遺物は彼方へ遡り、時間の波も整合する。1次元時間軸を揃えること、それこそ黒い悪魔の為せる業だ。







熱は低み低みへ漏るよう流れる。高低を消し去り全てを均し、秩序なき均衡を目指し続ける。ぱしゃんと地に染む覆水は決して盆に返ることなく、ふうと吹かれたダンデライオンは果てなど知らず広がっていく。

絶対たる秩序の物差しは全ての状態を予言する。0と1の二進法、二重螺旋の四進法、衛星廻る十二進法──情報は設計をコードする。3の3乗のルービックキューブ、10の13乗のホモ・サピエンスも、皆が定理の下に縛られる。原子が暴れ、数字が躍り、エントロピーは詳しさを増す。物差しとは情報量だ。

堕ちた林檎はアイデンティティを悪魔に託す。かの悪魔はアーキビストを兼任し、ぱりとしたスーツと共に事象地平に指を添わす。果を定める数字の羅列は黒く敷かれたヴェールに撒かれ、緻密たる地上絵として化けていく。両界曼荼羅に溶けていく。



地平の従う変数群はたったの2つぽっちに過ぎない。ちっぽけなZ軸さえ持たぬまま、鳥が飛び、人も歩き、魚の泳ぐ次元へ至る。絵に描いた餅は実を持ち、河床のスッポンは月を生む。隔たる変数を跳び越す破綻、待ちに望んだ世界へ上る反跳がそこに横たわる。

最早我々は平面上の0や1の射影に過ぎない。私が見て触れるもの、そして思惟する私自身も、全てがコードの投影だ。第3の軸はまやかしに過ぎず、立体を棄てこびり付く。目を覚ましたアーキビストが真摯な指で個々に紡ぎ、壁を照らすプロジェクターが光子同士を重ね合う。大気を纏った遺物たちは、皆が複製、全てが虚像、徹頭徹尾架空だった。


翼竜が空を飛び、甲冑魚が川を泳ぐ。


三千世界を跨ぐ虚空は知りうる全てを呑み込んでいた。


画面を歩くスーパーマリオは己の虚数iを眺めていた。

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